愛老連環の計

青伽

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最期の夢幻

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 侍女から董卓討伐の連絡が入る。呂布が董卓に止めを刺したと知り王允は喜びを隠しきれなかった。
 同時に、自分の役目を終えた事を知った。
 訝しむ侍女へ最後の命令をする。
「しばらく混乱が起こる。役人が来るまで巻き込まれぬよう皆に隠れるよう伝えよ」
 侍女が出て行くと、王允は戸棚から小刀を取りだした。隠していた訳ではなかったが、意外と気づかれないものだ。王允は刃を鞘から抜き鋭く光る様子を眺める。
 やっと、終わったのだ。やっと……!
 今までの事を想い返し、残す貂蝉の事を想う。
 貂蝉許しておくれ。このような辛い目に遭うとは知らなかったのだ。知っておればお前を董卓なんぞにやろうとは、考えもしなかったであろう。
 儂は、お前に会う資格がない。
 ただ、それでも、我が儘を言うくらいなら許してくれるか。
「最後に会いたかった……」
 王允は躊躇なく小刀を腹へと刺した。
「ぐっあッ……ちょう、せん……」
 痛みで意識が遠のくのを感じながら、愛しい娘の名を呼んだ。
「ちょ……せ……は、ぁ……す、まな、か……」
 寝床に倒れ込み着物を乱しながら、いもしない愛娘を求めた。
「ちょ、せ……ん……っ」
 身体を丸め、震えだす。
 死ぬのが怖いのか? 違う、貂蝉が同じ想いをするはずだった、それが恐ろしい。
「はぁ……ちょ……せ……ッ」
 許してくれ、父が悪かった。悪い物は全部持っていこう、だから――
「あっ……」
 会いたかった、会いたかった。叶うならお前に抱かれて逝きたかった。
 腹の痛みは増していき、血液は布団に広がり着物も赤く染まっていく。当然の如く頬を伝う水滴は、赤く濁った血だまりの中へと同化していった。

『お義父様!』

 幻聴が、聞こえた。幻聴とわかるのは目の前にやってきたのが兵士だからだ。兵士は守備兵とでも戦ったのか血にまみれた剣を片手に持ったまま、王允の安否を確かめているようだ。

『お義父様!』

 目を瞑った。触れられる手は豆だらけで、娘と似ても似つかぬ手だったが、声だけは本物に聞こえた。

『お義父様』

 身体を掬いあげられた。老人の身一つ一介の兵士には重くもないのだろう。
 兵士は何も話さなくなった。幻聴も聞こえなくなる。王允は力を振り絞って言った。
「もっと……聞……」

『お義父様』

 貂蝉、そう返事をしたかったが、止めた。これは貂蝉ではない。

『お義父様』

 時折聞こえる娘の声に心が和らぎながら、それでもこれは娘ではないのだと知りつつ王允は意識を失った。



 見覚えのない部屋に横たわっていた。刺したはずの腹を触れてみると、布が当てられ治療した痕跡がある。隣には鎧を外した兵士が寝床に腕と頭を置いて、座ったまま眠っていた。
 看病してくれたのか……何故だ?
 不思議に感じつつ、起こすのも悪い気がしその場でゆっくりと身体を起こす。部屋を見渡すが狭いながらも備わっている品はよく、どこかの宿のように思えた。見張りなどはいないように見える。
『お義父様』
 幻聴が聞こえる。声が聞こえた手元へ視線を落とす。兵士が寝言を言っているようだ。まだ、自分は万全ではないと自覚する。兵士はまだ少年のようだ。どことなく貂蝉に似ているように感じるのは、幻聴の所為か。髪が乱れて顔が殆ど隠れている。少し気になり兵士の髪を軽くかきあげた。
 すると、兵士は目をぱちりと開けた。起き上がり王允を視界に入れると身体に抱きつき、目に涙を浮かべこう言った。
「お義父様!」
 はっきりと聞こえた愛娘の声に王允は恐る恐る問いただす。
「貂蝉、なのか?」
「お義父様っお会いしとうございました」
 記憶にある貂蝉の姿と違っていた。可憐だった手は荒れ果て所々皮がむけている。白い肌は赤く焼け、美しかった髪も今は乱れて艶をなくしていた。
「どうした……その格好は一体」
「私に出来ることを、したまでですお義父様」
 ささくれた指で王允の頬を撫でた。
 破れた皮膚が擦れて微かな痛みが走る。
「何か飲まれますよね。もう三日も目を覚まさなかったので、このお薬もお飲み下さい」
 貂蝉は用意してあった茶杯に水を注いだ。差し出された水と薬を王允は飲み干した。喉が渇いていたので何杯か飲んだ後、やっと声が通るようになった王允は貂蝉を叱った。
「もしこの事が呂布に知れたらどうする!? 儂を探しておるはずだ。お前だけでも逃げなさい」
「お義父様、怪我はそれほど酷くはないとお医者様がおっしゃっておりました」
 もっと深く刺せばよかったと王允は後悔する。
「そうではない。儂は董卓や呂布の慰み者にされ……老い先も短い。このような身体ではお前の足手まといになろう」
「お義父様! 私が同じ立場になっても同じことをおっしゃるのですか!」
 怒りはもっともだったが、反論も用意してあった。
「お前はまだ若いではないか。男がお前を放っておくものか」
 満足だ。娘に会えた。謝罪は、しないでおこう。あの辛さを娘は何も知らずにいて欲しい。一度は敵地へ送り出そうとしたにもかかわらず、我ながら身勝手な要求だが娘にはこれ以上苦労を知らず、幸せになって欲しい。心からそう願った。
「本気でそうお考えですか」
 目が据わっている。こんな貂蝉を見るのは初めてだ。相当怒っているのだろう。喧嘩別れになるのは本意ではなかったが、それも仕方ない。黙っていよう。突如、左頬に痛みが走る。貂蝉に叩かれた事に気付くまで少々時間がかかった。
「ちょう、せん……?」
 時間の経過とともにじんわりとした痛みが増してくる。王允は痛む頬に手を添えた。いつの間にこれだけ強くなったのか。これではまるで。
 貂蝉に手首を掴まれ、急に口付けられた。咄嗟に目を瞑り、いつものように成すがまま侵入してくる舌の求めに応じる。 
「んッぅ……!」
 いや、何かおかしい。
 王允は途中で抵抗し顔を離すと、口元から糸を引きその先が貂蝉と繋がっている。その光景に王允は呆然とした。貂蝉は気にする素振りもなく、王允の額に口付けた。
『私がお義父様のお身体を癒させてくださいませ』
 瞬時に意味を理解し、王允はその場から逃げだそうと身体を翻した。ところが貂蝉の腕に絡め取られ、一歩も移動できずその場で身体を布団に押しつけられた。
『ご安心なさって、お義父様が女の身体では癒されぬ事よく存じております……』
 熱っぽく、そして寂しそうに貂蝉は囁いた。王允は筋肉質な腕に抱かれ、己の力ではビクともしない貂蝉に危機感を覚えた。
 誰、だ? 貂蝉の力ではない……?
 最後に娘と会いたい、その願いを叶えてくれた物の怪か何か? とまで考えだした。
 そうまで考えて、結論に至る。
『……お義父様』
 幻聴と幻覚。目の前にいるのは娘などではなく、董卓の側室の男に興味を持っただけの一介の兵士に過ぎないのではないか、と。
 ああ……それなら、よいか。
 愛娘に会えたのだ、お礼をせねば。
 王允は兵士へ微笑を浮かべ、了承の意を見せた。
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