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李儒の動き
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朝の光がやけに眩しく感じた。王允は身体を起こし、状況を確認した。
董卓は隣でまだ横たわっている。
行為で痛む腸内を嫌でも感じながら、王允は自分を蔑んだ。
董卓を誘った時点で、覚悟していた事ではないか。次の行動に移さねばならぬ。
部屋を改めて見渡すと、小刀が飾ってある。
連環計などせず、隣で眠っている董卓を刺し殺せたら……。
そう考えたが、止めた。理由は簡単だ。
起きているな。董卓のやつめ、儂を試そうというのか?
王允は董卓の耳もとへ口元を寄せ囁いた。
「……お慕いしております」
頬へ優しく唇を落とした。すぐさま瞼を開けた董卓は、王允を抱きしめる。王允は驚くふりをした。
「私の所為で起きてしまったのですね、申し訳」
「よいよい。そちの本音が聞けた」
董卓へ寄りかかると、薬がまだ効いているか寝床へと押し倒される。
もう一度しようというのか? あのような行いを……っ
一瞬身体に緊張が入るが、すぐに解いた。頬笑み口を半開きにする。その時、大きな音を立て扉が開いた。
「閣下、そろそろお時間で……?」
入ってきた男と目が合った。知り合いだ。名を李儒という。董卓そっちのけで王允へ釘づけになっている。董卓はだるそうに立ち上がり侍女を呼び、身支度を整え始めた。李儒は扉の所で立ちつくしたまま、恐る恐る声かけてくる。
「王允殿か……? 何故、このような所へ」
どう返事をすればいいのか悩み、王允は返事はせず支度をしている董卓を見つめていた。董卓と目が合ったので微笑み返した。李儒の視線は刺さるほど痛いが、無視した。
「王允殿……?」
「これ李儒! 下がっておれ」
董卓に命じられ、李儒は大人しく部屋から出て行った。支度を終えた董卓は「すぐ戻る」と一言残し李儒と合流した。王允は侍女を下がらせると布団に身体を預ける。
李儒に感謝する日が来るとはの……。
女趣味の天蓋を見上げて、もうどうしようと後戻りは出来ないのだと恨めしく思う。ただ、本来ここにいるのは我が娘貂蝉だったのだ。
本当なら今頃、恨まれていたのは儂の方か。
娘を差し出そうとした、これがその天罰だと言うのなら耐えきろう。王允は再び訪れるであろう董卓の事を考えながら、身体を休めた。
「閣下、閣下!」
「なんじゃ李儒、騒々しい。聞こえておるわ」
謁見が終わり急ぎ帰る董卓を李儒は捕まえた。
「先程は急いでおりましたので聞きそびれましたが、王允殿はなぜあのような所においでなのです」
あの部屋は、傍に広い池もあり美しい場所ではあるが客人をもてなす場所ではない。
「儂が迎え入れたのだ」
「何ゆえですか。王允殿には自宅もありましょう」
あの部屋は普段董卓が寝室としている部屋なのだ。無論、部屋を空けて他の者を泊まらせようと構いはしないのだが、今日見たあの様子では、まるで。
「迎え入れたと伝えたであろう。王允は儂の物だ」
李儒の動きが止まる。あの女好きの董卓が何故。
男に興味を示したのか? いや、それ自体は問題ではない。
「正気ですかっ王允殿は大臣ではないですか。それにお歳も召しておられる。目を覚まして下され閣下!」
董卓はけだるそうに返事をした。
「代わりを見繕えばいいだけだ。大臣が一人いなくなろうと問題あるまい。
つい先日一人処刑したが、何か影響があったのか!?」
「い、いえそれは……ありませぬが」
董卓の形相に怯み、言い返せなくなる。話は終わりとばかりに董卓は李儒を去って行った。
一人残された貂蝉は謁見が終わった頃を見計らい呂布を訪ねた。知らせを受けた呂布は、訪ね人が王允の娘と聞き急ぎ出向いた。
「呂将軍! 将軍……!」
尋常ではない様子の貂蝉に驚いた呂布は事情を聞いた。
「どうなされた貂蝉殿。そのように慌てて」
「お義父様が……閣下に」
袖で口を覆い、涙を流す。
「王允殿がどうなされたのです!」
貂蝉は落ち着きを取り戻し経緯を話す。
「昨日突然閣下が家へ参られ私を献上するよう要求してこられたのです。
私は既に嫁入りが決まっており父はそれを理由に断ったのですが……代わりに、父が閣下に連れて行かれて」
話しながら、再び泣きじゃくる貂蝉の肩を呂布が支えた。
「……まさか、董卓は王允殿を処刑しようというのかっ」
呂布は貂蝉を残し、急ぎ董卓へ会いに行った。
王允はそろそろ董卓が戻ってくる頃だろうと、窓際で髪を梳いて待っていた。すると遠くに人影を見つける。
呂将軍……? 想定より行動が早いぞ。
董卓が帰って来る可能性はあったが、王允は身体を震わせ袖を目元へ当てた。
涙を流さねば、悲しい事を……。
昨夜の董卓との情事を思い出し嗚咽しながら涙した。呂布は物陰に隠れ様子を窺うだけで話しかけて来ない。話しかけられない状況、つまり董卓が近くにいるという事だ。王允は泣きながら董卓への言い訳を考えていると、部屋に入ってくる足音を聞いた。
「王允殿? 泣いておるのか」
王允は涙を拭き、呂布から見えぬ位置へ移動した。
「閣下がもう来られぬと、思うておりました」
「儂がそのように薄情に見えるのか?」
見えるが、王允は本音を押し殺す。
「本日李儒殿に私の事をご説明されませんでした」
「ああっそれか、違うぞつい忘れていただけだ。後でちゃんと説明をしておいたぞ! 王允殿は儂が迎え入れたと」
董卓はそう口にし、自分が何を言ったのか理解したのか固まった。
やっと理解したか。現職の大臣を、側室と同じにしたという事実に。
王允は顔を綻ばせ喜んだ。
「私は嬉しゅうございます。このご恩どうお返しすればいいのか見当もつきません」
董卓は王允の髪に触れ撫でた。
「お返しするのは儂の方だろうに。王允殿、欲しい物は何でも侍女に言うのだぞ、全てそちの物だ」
国税を使って何を言っているのかと憎悪しながら、王允は髪に触れる董卓の手に、自分の手を重ね優しく包んだ。
「閣下、ありがとうございます」
王允がそう親しげに礼を伝えると、董卓は少々不機嫌になる。
失礼だったかと王允は内心焦ったが、董卓は王允を寝床へ誘導し隣り合わせに座った。
「……その閣下というのは止めてくれ。そちにそう呼ばれると、まるで政務をしているようだ」
何故そのような事で不機嫌に?
と疑問があるが、王允は恐る恐る董卓の名を呼んだ。
「それでは、董卓様とお呼び致しましょうか」
「様はいらん。字でよいのだが、そちには難しいか?」
董卓に言われ、王允はどうするか悩む。
董卓の字は確か仲穎だ。
「ちゅう……ん、董卓殿」
あえて言い渋り、目を伏せ照れたように顔を赤らめる。
「まぁそれでよいか……では儂も王允と呼ぼう」
董卓は満足げに王允の腰に手を回し、引き寄せた。
まだ薬の効果が切れていないのだな。
そう王允が考えているのも知らず、董卓に押し倒される。
もう助けは、来ない。
李儒は日に日に王允へのめり込んでいく董卓に、疑問を感じた。二か月、三か月と何月経っても董卓が飽きる様子はない。董卓が病に伏した際など、王允にかまけて政務をさぼっているのではないかと周囲に噂される始末だ。実際、医官より王允の方がずっと傍におり看病したようだったので、ある意味間違いでもない。
一時の気の迷いではなかったのか? 一体王允殿は閣下に何をなさっておるのやら。
李儒は想像し思わず身震いをした。深く長いため息をつき想像した物を忘れようとする。
とにかく王允殿には何か考えがあるのだろう。
しかし王允の意図が全く読めないのだ。李儒は自分が人の思考を読むのに長けていると考えていた。
今回ばかりはお手上げだが、とにかく止めさせなければ。
李儒は話のついでに董卓本人に話を窺う事にした。
「閣下。これはついでとなりますが、最近王允殿と昼夜問わず親しくしておられるようで……」
「それがどうしたのだ」
聞いてもし怒るようなら止めようと考えていたが、問題はなさそうなので李儒は話を続けた。
「あまりのめり込むと政務に支障などございますので、ほどほどにしていただければと願います」
董卓は李儒が見た事もないくらい頬を緩ませた。錯覚かと驚いていると董卓は答えた。
「李儒そちの心配は無用じゃ。王允が『政務は怠ってはいけない』と申すのだ。これでは儂もさぼれん」
「しかし今はそうでございましても、常日頃から気を引き締めなくてはなりません」
李儒は懸命に警告した。
王允が何を考えているかは読めなくとも、止めなければいけないと、それだけはわかっていた。
「そちは儂が王允と遊んでばかりいると考えておるようだが、それは違うぞ。
ちゃあんと政務の話もしておる。王允は智もあり理解も早く善き話し相手だ。儂は最近政務が楽しい」
今何と言った? 政務が楽しい? 政務の憂さ晴らしに投降兵を煮て殺していた閣下が?
唖然とする李儒に対し董卓は、他に用がないなら下がるよう指示した。李儒は素直に従い一人になると、一時的停止した思考を解きほぐしながらこれまでの事を思い出した。
王允が側室になってからの出来事だ。大臣達の前で一人の兵が投降してきた。董卓はその兵を他所で処刑するように命じ、その通り執行された。
以前の閣下であれば、大臣らの目の前で舌でも抉っていたであろうな。
董卓の毒気が抜かれている。
なにか問題があるかと考える。
問題ではない。問題ではないが。
閣下から横暴さを抜いたらどうなる?
暴君だからこそ今の地位がある。それがなくなればどうなるのか。李儒には検討がつかなかったが、胸騒ぎがした。
ある日李儒は耐えきれず、董卓がいない隙を見計らい王允へ会いに丞相府を訪ねた。
「王允殿、そなた何を考えておる」
開口一番そう聞いた。
ここへ来た事が董卓に気付かれると不味いのだ、挨拶ぬきでも伝わるだろう。その時李儒は気付く、王允が大臣の服を着ている。
「王允殿? 何ゆえそのような格好をしておる」
王允は自身の服を見渡した。
「何かおかしいですか?」
「そなたはもう大臣ではなかろう」
正確に言えばまだ大臣の席はあるが。業務は何も行っていない。側室なのだから当然だ。
「董卓殿が……閣下がこの格好を好むので、着ておるのです」
一瞬頭が真っ白になる。王允は気にせず続きを話した。
「相変わらず大臣達が無理難題を吹っかけておるのでしょう。そのような時、閣下はこの服をご所望になられる」
最近、謁見の際機嫌が良いのはその為か。
李儒は目眩がし、ため息をつく。
王允は気遣うようすもない。
「そのような所におらず、もっと近う寄って下され。
このような所まで来られるとは、何か大事なことを尋ねに来たのでしょう」
それもそうだ。
話す機会は何度もあるわけではない。
李儒は仕切り直し、王允の元へ寄る。まともに聞いても答える訳がないので、他の質問をして、推測するのが得策だろう。
「その、何と言いますか。何ゆえ王允殿がこのような目に遭われておるのです」
口にした後、言い回しを間違えたと気づき、繕う。
「あ、いえ悪い訳ではなく。その、大臣の中でも元老であるそなたには似合わぬと、そういう意味だ」
王允は李儒と距離を詰め、身体が触れそうなほど傍で話す。
「そうですな。美しい側室が沢山いる中で、私は歳が行き過ぎておる」
李儒は手を王允の顔前で止め、会話を制止する。これ以上聞いても意味がないと直感した。
「いえ、そういう事ではなく、つまり経緯を知りたいのだ」
李儒の手が震える。
私は緊張しているのか、王允殿に。側室ごときに。
「そうでしたか。経緯と申されましても、大したことではありません。閣下が私をお気に召したのです」
「それはそうであろうが……きっかけがあったのではないか? たとえばそなたが誘ったとか」
王允は指を李儒の顎を持ち上げ、耳元で怒ったように囁く。
「それは私への侮辱ですかな?」
「あ……た、たとえばの話で。そうだと言う訳ではなく」
こんな女と同じ身になってでも、やはり大臣なのだと悟る。
王允は指で李儒の口元や髭を弄りながら、囁いた。
「そういえば先日お主と同じ服を着て閣下とまぐわった。いつもと比べて随分と激しかったが、何か気に入らぬ事でもしたのではないか?」
「な、に……?」
心当たりを巡らせる。あれかこれかと考えていると王允がぽつりとつぶやく。
「よく見ると、李儒殿は私の若い頃に少し似ておられる。閣下が気に入られたのかもしれませぬな」
李儒は青ざめ、否定する。
「まさか! そのような、私には妻と子も……」
「これ、滅多なことを言うでない。
それではまるで妻と子がこの世を去れば、私のようになってもよいと言っておるようではないか。
閣下に聞かれでもすれば、どうなるか」
王允の手を払い、一、二歩後ずさる。
「私はっそのような身に落ちる位なら死を選ぶ!」
王允はせせら笑う。
「私は他の大臣を守っておるのだ。私がいなくなればどうなる? 次はお主かもしれぬぞ」
そのような戯言を、と言い返そうとしたが声が出ず驚き口だけを動かした。自身の喉元を掴み息を吸い何とか声を絞り出す。
「も、もう、よい……」
がくりと頭を垂れて、逃げ出す力も出ずふらつきながら部屋を後にした。
李儒が部屋に来れるのだから、呂布も来れるのだろう。王允は呂布が来た場合を想定した。
李儒のように部屋で密会するのはあまり良くない。出入り口が一つしかないからだ。もし誰かに見つかった場合を考え、呂布が逃げやすいように裏庭の鳳儀亭へ移動しよう。距離を考えると、共に移動しては侍女に見つかる恐れがある。先に行って待つよう伝え――。
「王允殿」
王允の思考は中断された。声の主は紛れもなく呂布である。
きっと今日が会いやすい日であったのだろうな。
王允は少々驚きつつ考え通り、鳳儀亭で待つよう指示を出した。呂布が出て行くと着物を正し、身だしなみを整える。顔が見えるように大臣の帽を外すか悩むが、呂布が惚れた時の服だと思い出し被ったまま部屋を出た。途中出会った侍女へ「庭を歩いてくる」と伝え呂布のいる裏庭へと向かった。
董卓は隣でまだ横たわっている。
行為で痛む腸内を嫌でも感じながら、王允は自分を蔑んだ。
董卓を誘った時点で、覚悟していた事ではないか。次の行動に移さねばならぬ。
部屋を改めて見渡すと、小刀が飾ってある。
連環計などせず、隣で眠っている董卓を刺し殺せたら……。
そう考えたが、止めた。理由は簡単だ。
起きているな。董卓のやつめ、儂を試そうというのか?
王允は董卓の耳もとへ口元を寄せ囁いた。
「……お慕いしております」
頬へ優しく唇を落とした。すぐさま瞼を開けた董卓は、王允を抱きしめる。王允は驚くふりをした。
「私の所為で起きてしまったのですね、申し訳」
「よいよい。そちの本音が聞けた」
董卓へ寄りかかると、薬がまだ効いているか寝床へと押し倒される。
もう一度しようというのか? あのような行いを……っ
一瞬身体に緊張が入るが、すぐに解いた。頬笑み口を半開きにする。その時、大きな音を立て扉が開いた。
「閣下、そろそろお時間で……?」
入ってきた男と目が合った。知り合いだ。名を李儒という。董卓そっちのけで王允へ釘づけになっている。董卓はだるそうに立ち上がり侍女を呼び、身支度を整え始めた。李儒は扉の所で立ちつくしたまま、恐る恐る声かけてくる。
「王允殿か……? 何故、このような所へ」
どう返事をすればいいのか悩み、王允は返事はせず支度をしている董卓を見つめていた。董卓と目が合ったので微笑み返した。李儒の視線は刺さるほど痛いが、無視した。
「王允殿……?」
「これ李儒! 下がっておれ」
董卓に命じられ、李儒は大人しく部屋から出て行った。支度を終えた董卓は「すぐ戻る」と一言残し李儒と合流した。王允は侍女を下がらせると布団に身体を預ける。
李儒に感謝する日が来るとはの……。
女趣味の天蓋を見上げて、もうどうしようと後戻りは出来ないのだと恨めしく思う。ただ、本来ここにいるのは我が娘貂蝉だったのだ。
本当なら今頃、恨まれていたのは儂の方か。
娘を差し出そうとした、これがその天罰だと言うのなら耐えきろう。王允は再び訪れるであろう董卓の事を考えながら、身体を休めた。
「閣下、閣下!」
「なんじゃ李儒、騒々しい。聞こえておるわ」
謁見が終わり急ぎ帰る董卓を李儒は捕まえた。
「先程は急いでおりましたので聞きそびれましたが、王允殿はなぜあのような所においでなのです」
あの部屋は、傍に広い池もあり美しい場所ではあるが客人をもてなす場所ではない。
「儂が迎え入れたのだ」
「何ゆえですか。王允殿には自宅もありましょう」
あの部屋は普段董卓が寝室としている部屋なのだ。無論、部屋を空けて他の者を泊まらせようと構いはしないのだが、今日見たあの様子では、まるで。
「迎え入れたと伝えたであろう。王允は儂の物だ」
李儒の動きが止まる。あの女好きの董卓が何故。
男に興味を示したのか? いや、それ自体は問題ではない。
「正気ですかっ王允殿は大臣ではないですか。それにお歳も召しておられる。目を覚まして下され閣下!」
董卓はけだるそうに返事をした。
「代わりを見繕えばいいだけだ。大臣が一人いなくなろうと問題あるまい。
つい先日一人処刑したが、何か影響があったのか!?」
「い、いえそれは……ありませぬが」
董卓の形相に怯み、言い返せなくなる。話は終わりとばかりに董卓は李儒を去って行った。
一人残された貂蝉は謁見が終わった頃を見計らい呂布を訪ねた。知らせを受けた呂布は、訪ね人が王允の娘と聞き急ぎ出向いた。
「呂将軍! 将軍……!」
尋常ではない様子の貂蝉に驚いた呂布は事情を聞いた。
「どうなされた貂蝉殿。そのように慌てて」
「お義父様が……閣下に」
袖で口を覆い、涙を流す。
「王允殿がどうなされたのです!」
貂蝉は落ち着きを取り戻し経緯を話す。
「昨日突然閣下が家へ参られ私を献上するよう要求してこられたのです。
私は既に嫁入りが決まっており父はそれを理由に断ったのですが……代わりに、父が閣下に連れて行かれて」
話しながら、再び泣きじゃくる貂蝉の肩を呂布が支えた。
「……まさか、董卓は王允殿を処刑しようというのかっ」
呂布は貂蝉を残し、急ぎ董卓へ会いに行った。
王允はそろそろ董卓が戻ってくる頃だろうと、窓際で髪を梳いて待っていた。すると遠くに人影を見つける。
呂将軍……? 想定より行動が早いぞ。
董卓が帰って来る可能性はあったが、王允は身体を震わせ袖を目元へ当てた。
涙を流さねば、悲しい事を……。
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「王允殿? 泣いておるのか」
王允は涙を拭き、呂布から見えぬ位置へ移動した。
「閣下がもう来られぬと、思うておりました」
「儂がそのように薄情に見えるのか?」
見えるが、王允は本音を押し殺す。
「本日李儒殿に私の事をご説明されませんでした」
「ああっそれか、違うぞつい忘れていただけだ。後でちゃんと説明をしておいたぞ! 王允殿は儂が迎え入れたと」
董卓はそう口にし、自分が何を言ったのか理解したのか固まった。
やっと理解したか。現職の大臣を、側室と同じにしたという事実に。
王允は顔を綻ばせ喜んだ。
「私は嬉しゅうございます。このご恩どうお返しすればいいのか見当もつきません」
董卓は王允の髪に触れ撫でた。
「お返しするのは儂の方だろうに。王允殿、欲しい物は何でも侍女に言うのだぞ、全てそちの物だ」
国税を使って何を言っているのかと憎悪しながら、王允は髪に触れる董卓の手に、自分の手を重ね優しく包んだ。
「閣下、ありがとうございます」
王允がそう親しげに礼を伝えると、董卓は少々不機嫌になる。
失礼だったかと王允は内心焦ったが、董卓は王允を寝床へ誘導し隣り合わせに座った。
「……その閣下というのは止めてくれ。そちにそう呼ばれると、まるで政務をしているようだ」
何故そのような事で不機嫌に?
と疑問があるが、王允は恐る恐る董卓の名を呼んだ。
「それでは、董卓様とお呼び致しましょうか」
「様はいらん。字でよいのだが、そちには難しいか?」
董卓に言われ、王允はどうするか悩む。
董卓の字は確か仲穎だ。
「ちゅう……ん、董卓殿」
あえて言い渋り、目を伏せ照れたように顔を赤らめる。
「まぁそれでよいか……では儂も王允と呼ぼう」
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まだ薬の効果が切れていないのだな。
そう王允が考えているのも知らず、董卓に押し倒される。
もう助けは、来ない。
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とにかく王允殿には何か考えがあるのだろう。
しかし王允の意図が全く読めないのだ。李儒は自分が人の思考を読むのに長けていると考えていた。
今回ばかりはお手上げだが、とにかく止めさせなければ。
李儒は話のついでに董卓本人に話を窺う事にした。
「閣下。これはついでとなりますが、最近王允殿と昼夜問わず親しくしておられるようで……」
「それがどうしたのだ」
聞いてもし怒るようなら止めようと考えていたが、問題はなさそうなので李儒は話を続けた。
「あまりのめり込むと政務に支障などございますので、ほどほどにしていただければと願います」
董卓は李儒が見た事もないくらい頬を緩ませた。錯覚かと驚いていると董卓は答えた。
「李儒そちの心配は無用じゃ。王允が『政務は怠ってはいけない』と申すのだ。これでは儂もさぼれん」
「しかし今はそうでございましても、常日頃から気を引き締めなくてはなりません」
李儒は懸命に警告した。
王允が何を考えているかは読めなくとも、止めなければいけないと、それだけはわかっていた。
「そちは儂が王允と遊んでばかりいると考えておるようだが、それは違うぞ。
ちゃあんと政務の話もしておる。王允は智もあり理解も早く善き話し相手だ。儂は最近政務が楽しい」
今何と言った? 政務が楽しい? 政務の憂さ晴らしに投降兵を煮て殺していた閣下が?
唖然とする李儒に対し董卓は、他に用がないなら下がるよう指示した。李儒は素直に従い一人になると、一時的停止した思考を解きほぐしながらこれまでの事を思い出した。
王允が側室になってからの出来事だ。大臣達の前で一人の兵が投降してきた。董卓はその兵を他所で処刑するように命じ、その通り執行された。
以前の閣下であれば、大臣らの目の前で舌でも抉っていたであろうな。
董卓の毒気が抜かれている。
なにか問題があるかと考える。
問題ではない。問題ではないが。
閣下から横暴さを抜いたらどうなる?
暴君だからこそ今の地位がある。それがなくなればどうなるのか。李儒には検討がつかなかったが、胸騒ぎがした。
ある日李儒は耐えきれず、董卓がいない隙を見計らい王允へ会いに丞相府を訪ねた。
「王允殿、そなた何を考えておる」
開口一番そう聞いた。
ここへ来た事が董卓に気付かれると不味いのだ、挨拶ぬきでも伝わるだろう。その時李儒は気付く、王允が大臣の服を着ている。
「王允殿? 何ゆえそのような格好をしておる」
王允は自身の服を見渡した。
「何かおかしいですか?」
「そなたはもう大臣ではなかろう」
正確に言えばまだ大臣の席はあるが。業務は何も行っていない。側室なのだから当然だ。
「董卓殿が……閣下がこの格好を好むので、着ておるのです」
一瞬頭が真っ白になる。王允は気にせず続きを話した。
「相変わらず大臣達が無理難題を吹っかけておるのでしょう。そのような時、閣下はこの服をご所望になられる」
最近、謁見の際機嫌が良いのはその為か。
李儒は目眩がし、ため息をつく。
王允は気遣うようすもない。
「そのような所におらず、もっと近う寄って下され。
このような所まで来られるとは、何か大事なことを尋ねに来たのでしょう」
それもそうだ。
話す機会は何度もあるわけではない。
李儒は仕切り直し、王允の元へ寄る。まともに聞いても答える訳がないので、他の質問をして、推測するのが得策だろう。
「その、何と言いますか。何ゆえ王允殿がこのような目に遭われておるのです」
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「あ、いえ悪い訳ではなく。その、大臣の中でも元老であるそなたには似合わぬと、そういう意味だ」
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李儒は手を王允の顔前で止め、会話を制止する。これ以上聞いても意味がないと直感した。
「いえ、そういう事ではなく、つまり経緯を知りたいのだ」
李儒の手が震える。
私は緊張しているのか、王允殿に。側室ごときに。
「そうでしたか。経緯と申されましても、大したことではありません。閣下が私をお気に召したのです」
「それはそうであろうが……きっかけがあったのではないか? たとえばそなたが誘ったとか」
王允は指を李儒の顎を持ち上げ、耳元で怒ったように囁く。
「それは私への侮辱ですかな?」
「あ……た、たとえばの話で。そうだと言う訳ではなく」
こんな女と同じ身になってでも、やはり大臣なのだと悟る。
王允は指で李儒の口元や髭を弄りながら、囁いた。
「そういえば先日お主と同じ服を着て閣下とまぐわった。いつもと比べて随分と激しかったが、何か気に入らぬ事でもしたのではないか?」
「な、に……?」
心当たりを巡らせる。あれかこれかと考えていると王允がぽつりとつぶやく。
「よく見ると、李儒殿は私の若い頃に少し似ておられる。閣下が気に入られたのかもしれませぬな」
李儒は青ざめ、否定する。
「まさか! そのような、私には妻と子も……」
「これ、滅多なことを言うでない。
それではまるで妻と子がこの世を去れば、私のようになってもよいと言っておるようではないか。
閣下に聞かれでもすれば、どうなるか」
王允の手を払い、一、二歩後ずさる。
「私はっそのような身に落ちる位なら死を選ぶ!」
王允はせせら笑う。
「私は他の大臣を守っておるのだ。私がいなくなればどうなる? 次はお主かもしれぬぞ」
そのような戯言を、と言い返そうとしたが声が出ず驚き口だけを動かした。自身の喉元を掴み息を吸い何とか声を絞り出す。
「も、もう、よい……」
がくりと頭を垂れて、逃げ出す力も出ずふらつきながら部屋を後にした。
李儒が部屋に来れるのだから、呂布も来れるのだろう。王允は呂布が来た場合を想定した。
李儒のように部屋で密会するのはあまり良くない。出入り口が一つしかないからだ。もし誰かに見つかった場合を考え、呂布が逃げやすいように裏庭の鳳儀亭へ移動しよう。距離を考えると、共に移動しては侍女に見つかる恐れがある。先に行って待つよう伝え――。
「王允殿」
王允の思考は中断された。声の主は紛れもなく呂布である。
きっと今日が会いやすい日であったのだろうな。
王允は少々驚きつつ考え通り、鳳儀亭で待つよう指示を出した。呂布が出て行くと着物を正し、身だしなみを整える。顔が見えるように大臣の帽を外すか悩むが、呂布が惚れた時の服だと思い出し被ったまま部屋を出た。途中出会った侍女へ「庭を歩いてくる」と伝え呂布のいる裏庭へと向かった。
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悪役令息シャルル様はドSな家から脱出したい
椿
BL
ドSな両親から生まれ、使用人がほぼ全員ドMなせいで、本人に特殊な嗜好はないにも関わらずSの振る舞いが発作のように出てしまう(不本意)シャルル。
その悪癖を正しく自覚し、学園でも息を潜めるように過ごしていた彼だが、ひょんなことからみんなのアイドルことミシェル(ドM)に懐かれてしまい、ついつい出てしまう暴言に周囲からの勘違いは加速。婚約者である王子の二コラにも「甘えるな」と冷たく突き放され、「このままなら婚約を破棄する」と言われてしまって……。
婚約破棄は…それだけは困る!!王子との、ニコラとの結婚だけが、俺があのドSな実家から安全に抜け出すことができる唯一の希望なのに!!
婚約破棄、もとい安全な家出計画の破綻を回避するために、SとかMとかに囲まれてる悪役令息(勘違い)受けが頑張る話。
攻めズ
ノーマルなクール王子
ドMぶりっ子
ドS従者
×
Sムーブに悩むツッコミぼっち受け
作者はSMについて無知です。温かい目で見てください。
秘花~王太子の秘密と宿命の皇女~
めぐみ
BL
☆俺はお前を何度も抱き、俺なしではいられぬ淫らな身体にする。宿命という名の数奇な運命に翻弄される王子達☆
―俺はそなたを玩具だと思ったことはなかった。ただ、そなたの身体は俺のものだ。俺はそなたを何度でも抱き、俺なしではいられないような淫らな身体にする。抱き潰すくらいに抱けば、そなたもあの宦官のことなど思い出しもしなくなる。―
モンゴル大帝国の皇帝を祖父に持ちモンゴル帝国直系の皇女を生母として生まれた彼は、生まれながらの高麗の王太子だった。
だが、そんな王太子の運命を激変させる出来事が起こった。
そう、あの「秘密」が表に出るまでは。

目覚ましに先輩の声を使ってたらバレた話
ベータヴィレッジ 現実沈殿村落
BL
サッカー部の先輩・ハヤトの声が密かに大好きなミノル。
彼を誘い家に泊まってもらった翌朝、目覚ましが鳴った。
……あ。
音声アラームを先輩の声にしているのがバレた。
しかもボイスレコーダーでこっそり録音していたことも白状することに。
やばい、どうしよう。

鬼上司と秘密の同居
なの
BL
恋人に裏切られ弱っていた会社員の小沢 海斗(おざわ かいと)25歳
幼馴染の悠人に助けられ馴染みのBARへ…
そのまま酔い潰れて目が覚めたら鬼上司と呼ばれている浅井 透(あさい とおる)32歳の部屋にいた…
いったい?…どうして?…こうなった?
「お前は俺のそばに居ろ。黙って愛されてればいい」
スパダリ、イケメン鬼上司×裏切られた傷心海斗は幸せを掴むことができるのか…
性描写には※を付けております。
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