蒼空のイーグレット

黒陽 光

文字の大きさ
上 下
127 / 142
Sortie-02:騎士たちは西欧より来たりて

第八章:This moment, we own it./15

しおりを挟む
 …………楽しかった時間も、いつかは終わりのときが来るもので。それは彼らにとっても例外ではなく。四人で過ごした楽しい時間は終わりを告げ、そうすれば、どうしたって帰らなければならないのだ。住み慣れた、あの天ヶ崎市に。そして、あの島に――――H‐Rアイランド、蓬莱島に。
 ―――――そんな、帰り道のハイウェイ。
 真っ赤な夕焼けに照らし出される中、西から差し込む強烈な夕陽を背にしながら、漆黒の一九六九年式ダッジ・チャージャーR/Tが風を切って夕刻のハイウェイを突っ走っていた。
 バリバリとした重低音を惜しげもなく響かせながら、四速トップ・ギアに入れっ放しで巡航するそのチャージャーのステアリングを握っているのは、勿論アリサだ。大きなティアドロップ型のサングラスを掛けて、左肘をドアの窓枠に掛けながら。そんなラフな片手ハンドルのスタイルで夕焼け空の下をチャージャーに突っ走らせる彼女の真横、助手席では翔一が少し疲れ気味な顔をしている。
 そんなアリサたちの背後、チャージャーの後部座席では宗悟とミレーヌが二人揃って寝息を立てていた。
 中央で寄り添うようにして瞼を閉じている二人は……宗悟がミレーヌの肩に、ミレーヌが自分の肩にある彼の頭に寄りかかる格好で。そんな風に、二人は揃って穏やかな表情で眠っている。
「疲れて寝ちゃってるわ、あの二人」
 そんな二人の姿を、平和そのものな寝顔をバックミラー越しにチラリと見て、アリサはサングラスの下でフッと小さく笑みを浮かべる。
「二人とも、よっぽど楽しかったんでしょうね」
「ああ……みたいだな」
 翔一もチラリと後ろを振り向いて、後部座席で眠る宗悟たちを見ながら……やはり穏やかな笑みで、隣のアリサに頷き返す。
 すぅすぅ、という寝息がこちらにまで微かに聞こえてくる。どちらも、本当に安らかな寝顔だ。こうして見ていると、とてもこの二人がエース・パイロットだなんて思えない。宗悟もミレーヌも、どちらの寝顔も……今こうしている分には、どうしようもないほどに年相応のものでしかないのだ。
 眠っている間は、全てを忘れていられる――――。
 例えそれが壮絶な過去であろうが、ただ苦く辛いだけの記憶であろうが。命懸けの戦いの中に日々、その身を投じているという現実であっても……決して変わることはない。眠りの中では皆平等、誰もがこの常世での苦い気持ちなんて、現実なんて忘れていられるのだ。
 それを知っているからこそ、アリサも翔一も後ろの二人を起こそうとはしなかった。それに何よりも、二人ともこんなに幸せそうな顔で寝ているのだ。それを起こすなんて無粋すぎる真似……出来るワケがない。
 だから、後ろから聞こえるのは寝息だけ。他に聞こえるのはチャージャーの440マグナム・エンジンが上げるバリバリとした唸り声と、タイヤが路面を切り裂くロードノイズに、ドデカいボディが温まった空気を切り裂く僅かな風切り音。後はカーステレオから流れている穏やかなメロディ、エリック・クラプトンの『Tears in Heaven』ぐらいなものだ。
 風を切って走るチャージャーの中、後部座席で眠る二人の穏やかな寝息を聴きつつ……翔一は何気なく、隣でステアリングを握るアリサに話しかけていた。後ろの二人を起こさないように、少しだけ抑えた声音で。
「また……」
「ん?」
「……また来よう、今度は僕とアリサの二人だけで」
 翔一が言うと、アリサは横目の視線をチラリと向けながら、また小さく笑みを浮かべ。頬にほんの少しだけ朱色を差しながら、彼にこう言葉を返した。
「アンタが良ければ……別に構わないわよ? その、アタシは別に」
 と、やっぱり何処か照れくさそうな感じで。
 そんなアリサの返答に、翔一は「なら、良かった」と満足げに頷き。それから少しの間を置いた後、また別の言葉を彼女に語り掛けてみる。
「アリサは……僕を後ろに乗せて飛ぶの、嫌じゃないか?」
 彼の呟いた言葉を、アリサは「そんなこと」と言って即座に否定した。
 そうして否定した後で、彼女はこうも続けて隣の翔一に呟く。
「そりゃあ……最初は、そうだったけれど。でも今は違うわ。アンタになら、アタシの全部を預けられる。アンタじゃないと……翔一が後ろに居てくれないと、一緒に居てくれないと、アタシはもう飛べないかもしれない。それぐらいなのよ、今はもう」
「…………そうか」
「だから、翔一は翔一の飛びたい空を飛べばいいのよ。もう何も気にしなくていい。アンタの行きたいところ、飛びたい空。アタシが何処へでも連れて行ってあげる。地上でも、空の上でも。宇宙の果てだって……アタシが、アンタを連れて行ってあげるから」
「……ありがとう、アリサ」
 素直に礼を言われたのが、少しだけ小っ恥ずかしくて。アリサは翔一から小さく目を逸らしつつ、こうも彼に言ってみる。もののついでではないが……折角こんな話題になったのだ。前々から言おうと思っていて、でも中々タイミングが見つけられなくて、切り出せなかったことを。それを今こそ、彼に伝えておこうと。
「ねえ翔一、それとさ…………初めの頃は色々と強く当たっちゃって、悪かったわね」
「気にしないでくれ、君の立場なら当然の反応だ。寧ろ、受け入れてくれてありがとう、と……僕の方から君にお礼を言いたいぐらいだよ」
「アタシにお礼なんて、そんな。……アンタはもう、本当になんて言うか。究極のお人好しって奴かもね」
「僕は構わないと思っているよ、お人好しでも。誰かに優しく出来ないのなら、ヒトの痛みが分からなくなるぐらいなら……僕は、お人好しのままでいい。そう思って、今日まで生きてきたつもりだから」
「…………本当にヒトが良すぎるっていうか、何というか。でも、そんなアンタだから、アタシは――――」
 その先の言葉は、まだ少しだけ心の準備が整っていないから、口に出すことは出来ないけれど。でも抱いている気持ちは、きっと彼と同じはずだ。敢えて言葉の形にしなくても、それは何となく分かる。
 だから、今はまだ……もう少しだけ、このままでいさせて欲しい。あと少しだけ、心の準備が出来るまでは。
 アリサはそう思って、先の言葉を紡ぎ出すことはせず。ただひたすらに、ハイウェイをチャージャーに走らせ続けていく。
 ――――穏やかで、楽しかった時間はもうおしまい。
 少しだけ名残惜しいけれど、でも胸にあるのは清々しくて温かい気持ちばかりだ。別に今日がこれっきり、最後というワケじゃない。また来ればいいのだ。皆で、そして二人きりで……。生きてさえいれば、次は必ず訪れるのだから。
 安らかに寝息を立てる二人を後部座席に乗せ、アリサの駆る漆黒のダッジ・チャージャーが夕暮れに染まるハイウェイを駆け抜けていく。ゆっくりとした巡航速度で、何処か名残惜しそうに。でも――――自由に伸び伸びと、楽しそうに風を切りながら。




(第八章『This moment, we own it.』了)
しおりを挟む

処理中です...