蒼空のイーグレット

黒陽 光

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Sortie-01:黒翼の舞う空

エピローグ:十センチ差の比翼連理/03

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 霧子が走り去っていった後、二人はそのまま徒歩で学院まで向かい、校門を潜って校舎内へと入っていく。
 昇降口の下駄箱で上履きに履き替えるのも……土足基本の合衆国から来たアリサは、最初の頃こそ戸惑っていたが。しかし今ではもう慣れたものだ。手早く履き替え、階段を昇り廊下を歩き。二人でそのまま自分のクラスに、二年A組の教室へと入っていく。
 席順はずっと変わっていない。窓際の最後尾がアリサで、そのひとつ前が翔一の座席。よっこいしょと前後の位置に座った二人は何気ない会話を交わしつつ、朝のホームルームまでの空き時間をだらりと過ごした。
 そしてホームルームが終わると、一限から四限の……午前の気怠い時間が始まり。それをどうにかこうにか乗り切れば、訪れるのは束の間の解放たる昼休みだ。
 昼休みが訪れると、アリサは翔一とともに教室を離れ。いつかのように屋上――――ではなく、別の場所にやって来ていた。
 学園校舎の裏手にある、日陰になっている一帯だ。少し前にアリサが見つけた場所で、普段から誰も居ない屋上よりも、更に人気ひとけがない。場所が物凄い果ての果てにあるだけに、まず間違いなく誰も寄りつかないような所だ。二人だけの秘密の場所、なんて言い方をすればロマンチックかもしれない。
 とはいえ、何故かベンチだけはそこにある。飲料メーカーのロゴが刻まれたプラスチック製の奴で、位置が位置だけに雨も当たらないのか、誰も寄りつかない場所の割に綺麗で、状態はかなり良い。
 アリサに連れられてきた翔一は、そのベンチに二人で横並びになって座る。
「ほら」
 そうしてベンチに腰を落とせば、彼女は翔一に何かを差し出してきた。結び目が上に来る形で布に包まれた、割に大きめなそれは……弁当箱?
「……これは?」
「お昼よ、お昼。……察しなさいよ、この馬鹿」
 戸惑った翔一がきょとんとして訊いてみると、少しだけ顔を赤くしたアリサは照れ隠しをするみたいに言って、少しだけ彼から目を逸らす。どうやら包みの中身は、思っていた通り弁当箱で間違いないらしい。
「もしかして……アリサが作ってくれたのか?」
「他に誰が居るってのよ」
「…………ああ、なるほど。今朝は妙に早起きだと思っていたけれど、こういうことだったのか」
 珍しく彼女が早起きをしていた理由に見当が付くと、ははーんと翔一は頷き、思わず顔を綻ばせてしまう。
 どうやら、早起きの理由はこの為だったようだ。チラリと彼女の方を見てみると、アリサもアリサで自分用の弁当箱を膝の上にに置いている。翔一のを作るついでか、自分のを作るついでに翔一のを作ってくれたのか。出来れば前者が良いなと翔一は思う。
 ちなみに全く関係ないが、彼女が弁当箱を置いている膝……というより、正確には太腿の上だが。チェック柄の制服スカートに黒のニーソックス、そこに繋げられた黒のガーターベルトの描くラインと、チラリと少しだけ垣間見える太腿の真っ白い色とのコントラストがやたらと綺麗で目を引く。まあ、こんなことは閑話休題にも程があるのだが。
 とにもかくにも、アリサが珍しく早起きした理由は、この弁当を作ることにあったらしい。外面に漂う雰囲気からして、割と手間が掛かっている感じだ。
「いいから、さっさと食べなさいな」
 アリサが作ってくれたと思うと、安易に開いてしまうのも勿体なく思えてしまって、まだ翔一は包みを開けていなかったのだが。それを見たアリサに言われて、彼はやっとこさ包みの結び目に手を掛ける。
 サッと包みを開き、蓋を開けると――――やはり中身は、割と手の込んだものだった。
 中身を具体的に全部並べていくと、日が暮れる勢いなので……ある程度は省くが。ざっくり言うと、やはり基本は洋風中心だ。とはいえ和食系の物も混ざっている辺り、彼女も日々進化しているということだろう。前から暇を見て和食の作り方に関してはちょくちょく翔一が教えてやっているのだが、まさにその教えが生きている感じだ。弁当箱に入っている和食系は全部翔一が前に教えた物で、ともすれば彼も嬉しくなってしまって。知らず知らずの内に頬が綻んできてしまう。
「…………凄いな、全部君が作ったのか?」
「アタシしか居ないでしょうに。どうかしら? 揚げ物と野菜に関しては、ちょっと寝ぼけて軽く手が滑っちゃったから、その……ちょっとだけ形は悪いけれど」
「手が滑ったって……怪我でもしたのか!?」
「ばっ……! ンなワケないでしょうっ!?」
 手が滑ったと言われて、翔一は血相を変えて隣に座るアリサの手を取る。
 が、そこに傷の類はない。生傷を覆う絆創膏にまみれた、ありがちな見た目の手はそこにはなかった。長くて華奢な、真っ白い綺麗な指がそこにあるだけだ。
「ったく、アタシがそんなヘマするわけないっての」
 血相を変えた翔一に手を取られた一瞬、驚いたアリサは顔を真っ赤にしていたが。しかしすぐに落ち着きを取り戻すと、過剰反応気味な彼に対し、やれやれと呆れっぽく肩を竦める。
「ともかく、早く食べちゃいなさいな。それに手握られっ放しだと、アタシも食べられないから」
「あ、ああ……すまないアリサ。僕としたことが、変に取り乱したみたいで」
「…………そういうトコなのよ、アンタがズルいのは」
「えっ?」
 顔を逸らしながら、ほんのりと頬を朱に染めてアリサが呟いた独り言が聞き取れず、翔一はきょとんとして訊き返すが。しかしアリサは「なんでもないっ!」と返すのみで、もう一度言ってくれはしなかった。
 まあ、とにかくだ。折角アリサが早起きをして作ってくれたもの、確かに早く食べたい気持ちはある。
 そういうことで、翔一は傍らの彼女と取り留めのない会話を交わしながら――――彼女がくれた弁当箱の中身に手を付け。次々と口に運んでいくと、作った本人とほぼ同じタイミングで平らげてみせた。
 見事に完食だ。味は凄く良かったが、量が割と多かったもので本当に満腹といった感じ。腹が膨らみすぎて、眠気すら覚えてしまうぐらいだ…………。
「ふわーあ……」
 食後の穏やかな眠気に襲われ、翔一が欠伸をしていると。するとそれを見たアリサは「ったく……ホントにアンタは、仕方のない子ね」と言って、おもむろに翔一の肩へと手を伸ばし。そうすれば、アリサは――――そのまま肩を引っ張って翔一の身体を自分の方に倒してしまい、彼の頭を自分の太腿の上へ強引に乗せてやった。
 いわゆる膝枕の格好だ。突然引き倒されて寝転がされて、最初の数秒は何が起こったのか分からず思考停止していた翔一だったが。しかしある時ハッと我に返ると、彼は「……アリサ、これはどういうつもりだ?」と困惑気味に問いかける。
「いいから、暫くこうしてなさいな。眠たいんでしょう?」
 すると、彼女から返ってくる言葉はそんな具合で。翔一はどうにも腑に落ちなかったが……しかし、迫り来る眠気には抗えず。「まあ……いいか」とだけ呟いて、また欠伸をすると、翔一はアリサの太腿を枕にしたまま、重い瞼をゆっくりと閉じた。
 そんな風に瞼を閉じた彼の頭を、華奢な指先でそっと優しく撫でながら。まるで赤子をあやすように、指先で優しく撫でながら……彼以外の誰にも見せたことのない、柔らかな微笑みを浮かべて。アリサは頭を撫でながら、そっと彼に囁きかける。
「…………あの時、アンタが無茶を承知で助けに来てくれなかったら、アタシはもう此処にはいない」
「結果論だよ……僕の無鉄砲が、たまたま良い方向に働いただけだ」
「あの後は、二人して要司令に大目玉食らうかと思ってたけれど。でも、そんなことはなかったわね」
「その代わり、始末書地獄は僕持ちだ……。まだ半分近く残ってる」
「だったら手伝うわよ、始末書」
「良いのか?」
「アンタが無理矢理にでもアタシを助けてくれた、その事実に変わりはない。アタシはね、翔一。借りた借りはキッチリ返す主義なのよ」
「……なら、お願いしようかな」
「ええ、そうしなさいな」
 二人の元に、涼しい風がふわっと吹き込んできて。横たわって、彼女に身を預けながら瞼を閉じる翔一と、そんな彼の頭をそっと撫でるアリサ。穏やかなときを過ごす二人の肌を、吹き込んだ風がそっと柔に撫でる。
 本当に、穏やかだ。静かで緩やかな、そんな午後の昼下がり。この後の授業なんかサボってしまって、このままずっと……二人で此処に居たいような気分だ。二人の周りにあったのは、それぐらいに穏やかで……ただただ、優しい時間だった。
 そんな静寂と安堵に包まれた中、慈悲深い視線と優しげな指先で、彼の頭をそっと撫でつけながら。アリサはふと……小さく、彼にこんなことを呟いていた。
「……あの時、アンタが言い掛けていたこと。翔一がアタシに何を言いたかったのか……何となく、分かってるつもりよ」
「…………一目惚れしたんだよ、僕は君に」
「それ、普通このタイミングで言うかしら?」
 うつらうつらと船を漕ぐ彼の口から、段々と寝ぼけ始めたような彼の口から飛び出してきたのは……そんな、唐突にも程がある言葉。
 アリサはそれを耳にした瞬間、ドキリと胸が高鳴るのを感じたが。しかしそれよりも、こんな変なタイミングで言ってくれたことが、なんだかおかしくて。まさに乙女のようなときめきを感じながらも、でも……彼らしいそんな部分に安心してしまって。だから彼女の口から出てきたのはそんな、呆れたような……でも、嬉しそうな声音での一言だった。
「伝えたいことは、伝えたいと思った時に伝えておけって。でないと、伝えたいと思っても、伝えられなくなってしまうから…………」
 そんな彼女に、そっと頭を撫でられながら。でも太腿に当てた耳から、彼女の鼓動がドキンと高鳴ったのも感じつつ。翔一はポツリと、うわ言のように呟いた。
「昔、父さんが僕によく言っていた言葉なんだ」
「そう……良い言葉ね」
 彼に相槌を返し、彼の頭をそっと指先で撫でながら。頬を小さく朱に染めながら……アリサはふと、頭上の蒼穹そらを見上げてみた。白い雲の点々と浮かぶ、青々とした蒼穹そらを。
「伝えたいことを、伝えたいと思った時に、か…………」
 今の彼の言葉を、翔一が父から伝えられ……そして、アリサに伝えたその言葉を。それを反芻するように独り呟くと、アリサはそっと翔一の方に視線を落とし。
「ねえ、翔一。アタシも、アタシもアンタのことを――――」
 と、言い掛けた時だった。自分の胸に秘めた、でも何だかんだバレバレかも知れないこの気持ちを、確たる言葉の形として彼に伝えようとした、その時だった。
 ――――桐山翔一とアリサ・メイヤード。二人の頭の中を、耳鳴りのように甲高い感触が襲ったのは。敵襲を知らせる、その感覚が唐突に襲ってきたのは。
「……このタイミングで、か」
「勘弁して欲しいわね。少しぐらい、空気読んでくれたって良いのに」
「レギオンが空気を読むような相手なら、気配りの出来るナイスガイだったとしたら……きっと今頃、世界は平和かもな」
「違いないわね」
「……さてと、行こうかアリサ」
「ええ、急ぐわよ翔一」
 名残惜しいが、敵襲とあっては仕方ない。
 膝枕の格好から翔一は起き上がり、アリサもさっさとベンチから立ち上がって。互いの顔を見やって頷き合った二人は、そのまま全速力で駆け出した。
 …………駆け出した二人が、向かう先だって?
 そんなもの、敢えて言わずとも――――最初から、決まり切っているではないか。
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