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第四章『ファースト・ブラッド/A-311小隊、やがて少年たちは戦火の中へ』

Int.27:古き時代、古き英雄たちの瞳の先に

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「よっこい、しょっと…………」
 ――――その頃、京都士官学校・校舎地下のシミュレータ・ルームでは。
 夏休みで静まりかえっているはずのこのシミュレータ・ルームの中、先刻まで忙しなく動き回っていた"01"のシミュレータ装置がキャット・ウォーク近くのスタンバイ位置に戻ると、その上面にある乗降ハッチから漸うと這い出してきたのは、意外にも錦戸だった。
「どうだ錦戸、勘は取り戻せたか?」
 そんな錦戸に、あっはっは、なんて相変わらずな高笑いを上げながら、そんなことを言う西條が近づいてくる。ここが火気厳禁だというのに、忘れてか構わず煙草を吹かしている辺り、流石というべきか何というべきか。
 それに錦戸はキャット・ウォークの上へ降りながら、「いやはや」と苦く笑う。
「まだまだですね、勘を取り戻すまでは」
「そうか、まあ仕方ないさ。これだけのブランクがあるんだ、それにしては上出来だよ」
 キャット・ウォークの手すりにもたれ掛かる錦戸の隣へ、フッと笑みを浮かべながら西條もその隣にもたれ掛かる。そうしながら「ほれ」と、片手に提げていたミネラル・ウォーターのペットボトルを錦戸に手渡す。
「では、遠慮無く」
 ギンギンに冷えたソイツを85式パイロット・スーツのグローブに包まれた手で受け取り、開栓すると一気に喉へ流し込む。流れ込んでくる水と共に冷気が伝われば、冷えた感触が五臓六腑に染み渡り。久々の操縦で疲れた身体も、少しは癒えてくれたような気がする。
「ブランクというのは、恐ろしいものですな」
「全くだ」しみじみとした錦戸の言葉に、隣で煙草を吹かしながらの西條が頷く。
「それにしては、お前はやれてる方だよ。流石だ」
「あくまでシミュレータですからね。実機で実戦ともなれば、また話は別です」
「実機なら、割と結構乗ってるだろ?」
「ちょっとした対人訓練なんて、乗った内に入りませんよ」
 フッと小さな笑みを浮かべながら錦戸がそう返せば、西條は「ん」と言って、胸ポケットから出したマールボロ・ライトの箱を差し出してきた。箱から煙草が一本突き出ている辺り、吸えということだろう。
「少佐、ここは火気厳禁ですよ?」
「あっ」
 苦く笑いながら錦戸がそう言えば、どうやら西條は本気で気付いていなかったらしく。素っ頓狂な顔をすれば、煙草の箱を持っていた手を慌てて引っ込めた。
「しまった、すっかり忘れたよ」
 そんな風にひとりごちながら、バツが悪そうに西條は吸いかけの煙草を慌てて口から離し、懐から引っ張り出した携帯灰皿に放り入れる。
「ははは、少佐らしい」
 西條のそんな具合な仕草を横目で見ながら錦戸が笑えば、西條は「うるせーやい」と、誤魔化すようにぷいっとそっぽを向く。
「全く、煙草ぐらい好きに吸わせてくれればいいんだ」
「少佐が好きに吸い過ぎなんです」
 独り毒づく西條に向かって錦戸が苦笑いしながら言うと、西條は「ちぇっ」と小さく舌を打つ。
「…………それにしても、本当にブランクというものは怖いものですな」
「あと、加齢だろ?」
「それは言わないお約束です」
 錦戸が言えば、しかし隣の西條はニッと笑って、
「寄る年波には、勝てないってか?」
 悪戯っぽい顔でそんなことを口走るものだから、錦戸も「はぁ」と大きく溜息をつき、肩を竦めるしか出来ない。
「……にしても、私の腕も随分と衰えたものです」
「かもな」
 錦戸の言葉に相槌を打ちながら、手持ち無沙汰な両腕を組む西條。
「つっても、衰えてアレなら上出来も上出来だ。だろ?」
 大袈裟な手振りを交えながらそう言ってやれば、錦戸は「そうでしょうか……」と微妙な顔色で頷き、
「長く、教官職に慣れすぎた代償やもしれませんね」
 そんなことを遠い目で呟けば、「それは私も同じさ」と西條が即座に言い返す。
「まあでも、十何年振りでこれなら上々も上々だ。後は実戦で勘を取り戻せばいい」
「やはり、それが最善ですね」
 肩を竦めながら言う西條の言葉に錦戸も同意して、また同じように大袈裟な手振りで肩を竦める。
「…………錦戸」
「はい」すると、急に西條はシリアスな声色になって呼びかけてくるものだから。錦戸もまた神妙な顔付きと声音に変えて反応する。
「万が一となったら、アイツらのことはお前に任せる」
「元より、承知の上です。それに、彼らは私にとっても大事な教え子たちですからね」
「それを聞いて、安心したよ」
 西條はまたフッと小さな笑みを浮かべ、心底安心したように小さく息をついた。
「……本当なら、私が出たいところだが」
「しかし、それは状況が許しません」
「だな」冷静な錦戸の言葉に頷きながら、西條は至極参ったように指で眉間を押さえる。
「だから、アイツらのことはお前に任せる。私は私で、後方指揮に専念するよ。――――だがね」
 もし、本当に万が一の万が一、真面目にヤバいような状況になった時は――――。
「この私が、直接矢面やおもてに立つ。そんな状況になってしまえば、くだらないしがらみなんか知ったことじゃないからな」
「いやはや、全く」
 ははは、なんて笑いながら、ニヤニヤとする錦戸は何度も頷いてそんな錦戸に同意した。しかし、その後で再び声を潜めると、
「……しかし、そんな最悪の事態は、訪れないに越したことはありません」
「全くだ」頷く西條。「私が出るような状況ってことは、つまりこの京都が燃えるような状況ってコトだからな。そんなの、私だって見たくないさ」
「しかし、少佐。いざとなれば――――」
「分かってるよ、錦戸」
 自分より少し背の高い、そんな錦戸の肩を叩きながら見上げる西條の顔は、何処か不敵な色の笑みに染め上がっていた。
「いざとなれば、この私が全部平らげてやる。白い死神も、そして私たちの≪ブレイド・ダンサーズ≫も。何もかも、まだ死んじゃいないってことを、あの間抜けな虫っころ共に教えてやらにゃならん」
 そんな風に、自分の顔を見上げながらニッと不敵に笑う西條の顔に、錦戸は嘗てのスーパー・エース、"関門海峡の白い死神"と呼ばれていた若かりし頃の彼女の面影とを重ね、言い知れぬ頼もしさを感じつつ。しかし何処かに、不意に崩れそうなぐらいの危うさをも感じ取っていた。まるで、抜けば二度と鞘に戻らぬ諸刃の剣のような、そんな危うさを。
(……少佐、やはり貴女は昔も今も、まるで変わらない)
 強いお人だ、とても気高く、強いお人だ。そして、脆いお人だ――――。
(ならばこそ、私が護らねばならないのですね)
 貴女も、そして貴女の子供たちも。二度と死神が剣を抜くことのないよう、私が護らねばならない――――。
 西條に気取られることなく、錦戸はそんな静かな決意を、胸の内でそっと固めていた。それは嘗ての≪ブレイド・ダンサーズ≫の副官として。そして、十数年来の古い親友としてやらねばならないことだと、そう錦戸は感じていたのだ。
(A-311小隊構想……。こんなもの)
 ――――現実に、ならないのが一番です。
 しかし、時代の流れは、どうやらそれを許してくれなさそうでもあった。光の矢の如き速さで流れゆく時代の大河は、次なる英雄を欲している。嘗ての西條がそうであったように、潮流の向きすらをも変えてしまうだけのちからを持つ、次世代の英雄を……。
 だからこそ、だからこそ錦戸は、その流れに逆らおうと心に決めていた。これからの時代に、英雄はもう必要無い。自分たちが全て終わらせ、そして遺してやるのだ。子供たちへ、次の世代へ、再び平和となった世界を――――。
(……ならばこそ、私は)
 盟友と並び立ち、しかし男が独り決意を胸に秘める中、しかし刻《とき》の流れは無情であり。そうしている間にも、夜は段々と更けこんでいくのだった…………。
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