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Execute.03:ノエル・アジャーニ -Noelle Adjani-
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時間は過ぎ、その日の昼下がり。
今日は土曜日というだけあって、学園は休みだ。転入して早々に早速休日になってしまうというのも、ノエル的には割とつまらないものではあったが。しかし転入したタイミングが丁度金曜日だったのだから、これは間が悪かったとしか言いようがない。誰も責めることは出来ないし、暇なら暇でこの余暇を謳歌するだけだ。
「とはいえ、やることがなあ……」
そう、余暇を満喫しようにも、手持ち無沙汰なのだ。
運び込んだ荷物といえば着替えやら色々、必要な物ばかりで、暇を潰せそうな物はあまりない。日本語が分かっても、国事情が分からないだけにお昼のバラエティ番組なんかをテレビで眺めていてもつまらないし。かといってここら一帯の勝手がまるで分からぬ以上、今は零士を伴わずして外に出歩くのも憚られる。
「……暇なら、俺の本棚を漁るといい。君の好きに読んで構わないから」
肝心の零士はそう言うと、昼食もそこそこに、ノエルの前から姿を消してしまっていた。
それから暫くの間、ノエルは零士に言われた通りに彼の自室――今は彼女の寝室になってしまった部屋の本棚を漁り、読書に耽っていた。幸いにして日本語は普通に扱えるので、読む方も問題ない。
とはいえ頭を捻らせるのも億劫だったので、読んでいたのは本棚から適当に探り当てた日本のライトノベルだ。レイモンド・チャンドラーやダシール・ハメット、ミッキー・スピレーンなんかのハードボイルド小説の和訳版も数多く取りそろえられていたが、あの辺りは英語の原文版を読んでしまった方がノエルにとっては楽だった。
とまあ、そうして読書に耽ること暫く。流石に眼が疲れてきたノエルはそれも中断し、栞を挟んだ本をベッドの傍らに置けば起き上がり。姿を消した零士を探しに、家の中を軽く探し始めた。
この家の地下には拳銃用シューティング・レンジや武器庫、ささやかだがトレーニング・スペースもある地下階層が隠されていることは、昨日の段階で零士に直接案内されて踏み入っているから、ノエルも知っている。きっとそちらに彼は居るのだろうと思っていたが、彼の姿をノエルが発見したのは、意外にも一階のガレージでのことだった。
「レイ、何してるの?」
零士は何やら、彼の物と思われるあの純白の古いスポーツカーの前に立っていて。跳ね上げたボンネットの隙間から身体と手を滑り込ませれば、工具片手に何やら調整に耽っているようだった。
アイドリング状態で回り続けるエンジンを相手に、零士は黒いTシャツにジーンズといったラフな格好で挑んでいて。少しだけ肌に汗を滲ませた彼の、作業に耽る背中にノエルが声を掛けると。零士は「ん?」と作業の手を中断し、ノエルの方に振り向いてくれた。
「何だ、ノエルか。読書はもういいのか?」
「うん、何だか眼が疲れちゃって。……それで、何やってるの?」
「ああ、これか」
零士は車のフェンダー辺りに軽く寄りかかると、その白いボディをとんとん、と叩いた。
「キャブの調整だよ」
「きゃぶ……?」
説明してくれたものの、彼の言葉の意味が分からず。ノエルは首を傾げる。すると零士は「そうか、そうだよな」なんて具合にフッと笑えば、続けてノエルにも分かりやすく、説明をしてくれた。
「キャブレター。今の電子制御が入ったインジェクション装置になる前の、機械的な燃料噴射システムさ」
「つまり、古いってこと?」
「そうなるな」
アイドリングで唸り続ける淑女の、パールのように白く煌めく純白の肌を軽く指先で撫でつつ、零士が頷く。
「ノエルの歳なら、知らなくても仕方ないさ」
「それを知ってる君の方が、色んな意味でどうかしてるけどね……」
あはは、とノエルは苦笑いで彼の言葉に応じる。タイプライターといい、この明らかに年代物な旧車のスポーツカーといい。零士はどうやら、随分と懐古趣味な人間のようだ。
とはいえ、ノエルは彼のそんなところ、嫌いではなかった。寧ろ、今まで薄くしか感じてこなかった人間味を深く感じる。最強と名高い伝説のエージェント、サイファーとて、一皮剥けば人間なのだ。それも、随分と偏屈なアンティーク趣味の。
「で、なんで調整してるのさ?」
「最近、気候が急に変わっただろ? そのせいか、グズり始めてな。こうして調整する羽目になってるってワケさ」
ノエルの質問に、微かな笑顔で答えると。零士はまたくるりと彼女に背中を向け、ボンネットの奥底へと手先と視線を戻していった。ノエルもそんな彼の傍へと近寄り、作業を見学させて貰うことにする。
零士が弄るその古いマシーン――――1970年式の初代ダットサン・フェアレディZは、中でもタダのZではない。モデル名Z432、伝説の直列六気筒・ツインカム仕様エンジンの「S20」を心臓部とした、今も尚語り継がれる伝説のマシーンなのだ。
タダでさえ長い鼻を更に長くする、オプション装備のGノーズと呼ばれる延長フロントバンパーを始めとし、零士の手に渡ってからフルレストアが為されたこの淑女だが、心臓部たるS20エンジンだけは、オーヴァー・ホールなどで整備をしつつも、基本は当時のままだ。
S20エンジンは、レース用のGR8エンジンを公道向けにデチューンした代物だ。レーシング・スペックに近いこの排気量二リッターのツインカム、七千回転で一六〇馬力、最大トルク十八キロのエンジンは、正に当時最強のエンジンだった。
初代スカイラインGT-R、通称ハコスカの心臓に積まれていたことで有名な逸品だが、同様にそれをZに載せたのが、このZ432だ。四バルブ・三キャブ・二カム。Z432の特別なネーミング自体が、この特別なエンジンから取られている。
その名に違わず、零士の所有する純白の淑女もまた三連キャブレターを積んではいるが、しかしオリジナルのソレックス製ではなく。今のZ432に積まれているキャブレターは、零士の手でウェーバー社製の新品に交換されていた。
「…………」
そんなウェーバー・キャブを相手に、零士はマイナス・ドライバー片手に黙々とジェット調整に耽っていて。そんな彼の手元と横顔とを交互に見比べつつ、ノエルはすぐ真横から彼の作業を黙って眺めていた。
こうしているのは、無為な時間かもしれない。しかし、ノエルは決して嫌な気分ではなかった。
寧ろ、楽しいぐらいだ。昼下がりの陽光が、開いたシャッターの向こう側から微かに差し込んできて。夏を少しばかり先に待ち構えた日差しと、排気熱の混ざった小さな熱気。遠くには鳥のさえずりが聞こえてくるだけで、街の喧騒は遠く。そんな中で零士と二人きり、黙々とした彼を隣で眺めている今は、何処か非日常的で。何だか、時間がゆっくりと流れているような気さえしてくる。
「マシーンは、手入れさえ怠らなければ、決して俺たちを裏切るような真似はしない」
そうして、黙ったままどれだけの時間が流れたことだろうか。ふとした折に、零士は隣のノエルの顔を見ないまま、そんなことを口走った。
「昨日も言ってたよね、そんなこと」
昨日、銃のメンテナンスをしながらで彼が同じようなことを言っていたのを思い出しながら、ノエルが言えば。零士は「ああ」と頷く。
「銃も、車も同じだ。相手が機械なら、手入れすればするだけ、俺たちに必ず答えてくれる」
「そういうものなの?」
「そういうものなんだ。……尤も、車に限って言えば、ここ暫くは手出し出来なくなってきたが」
零士の言うことは、その通りだった。
彼の弄るZ432、それぐらいの時代の車で搭載された電気的な装備といえば、バッテリーとカーステレオぐらいなものだ。しかし時代が進むにつれて、段々と電子部品の介入は進み始め。今では車が勝手に自分の状態を診断するどころか、ハイウェイ限定で、擬似的ながら半自動運転も可能になっている。
つまり、車のパソコン化だ。それだけ便利になったのは事実だが、しかし代償として、乗り手側から何かしらのアプローチを仕掛けることがほぼ不可能となってしまったのも、また事実だ。それこそ、今零士がやっていることのように。
車が便利になることは構わない、寧ろ良いことだとは思う。しかしそれを許容出来ないのが、椿零士という男のどうしようもない偏屈さだったのだ。結局のところ、彼はコンピュータというものを何処か信用し切れていない節がある。言ってしまえば、奇妙な性格なのだ。
だから、私物として乗り回すのはこんな、謂わば旧車なのだ。通学で酷使しているVT250Fだって、似たようなものでもある。どちらも昭和の時代の、言うなれば過去の産物だ。普通の感性をした人間ならば、とても乗る気にならないような。
「……そっか」
そんな零士の感性を、正直に言ってノエルは分からなかった。物は新しければ良いとまでは言わないが、しかしわざわざ面倒を背負ってまで古い物を使う気にはなれない。零士の独特な感覚は、ノエルにはとてもじゃないが分からない。
だが、分からないからこそ。だからこそ、ノエルは余計にそんな彼に対し、魅力のようなモノを感じてしまっていた。
違うが故に惹かれる、とでも言うのか。自分と違うモノを持っているが故に、惹かれてしまうのだ。それこそ、どうしようもないほどに。
「暇なら好きなだけ見ていても良いけど、退屈じゃないのか?」
零士は、隣に立つ彼女がそんな気持ちを抱いているとも知らずに、ぶっきらぼうな顔をして言う。ノエルは「大丈夫だよっ」と笑顔で頷くと、
「僕もね、そういうのを眺めてるのは、嫌いじゃないんだ♪」
「……そうか、なら良いんだが」
チラリと視線を向けてくれた零士の微笑みは、今まで見てきた何よりも柔らかく、優しげに砕けた笑顔だった。
「ふふっ……♪」
そんな微笑みを彼が向けてくれたことが、何故だか無性に嬉しくなって。ノエルは心底楽しげに、柔らかく彼に微笑み返す。
…………今は、まだ。今はまだ、この気持ちは胸の内に収めておこう。まだ、何もかもが早すぎるから。もっともっと、お互いを知りたいのだから。
「? 変な奴だな、まあいいさ」
「いいの、僕が楽しくて見てるんだから」
「楽しいなら結構。好きなだけ見てってくれ」
「うんっ、そうする♪」
二人で笑い合い、そうすればまた沈黙が訪れ。零士は黙々と、目の前の作業に集中していく。ノエルはそんな彼の横で、彼の手先を、彼の横顔を。いつまでも眺めていたいと思っていた。ひとえに、純粋な心で。
――――今はまだ、このままの関係でいい。一歩を踏み出すのは、もっと彼のことを知ってから。もっともっと、自分のことを知って貰ってからで良いんだから。
柔らかい日差しの照り付ける、休日の昼下がり。低く唸る淑女の鼓動と、二人の息遣いは。いつまでとも知れず、広いガレージに聞こえ続けていた。
今日は土曜日というだけあって、学園は休みだ。転入して早々に早速休日になってしまうというのも、ノエル的には割とつまらないものではあったが。しかし転入したタイミングが丁度金曜日だったのだから、これは間が悪かったとしか言いようがない。誰も責めることは出来ないし、暇なら暇でこの余暇を謳歌するだけだ。
「とはいえ、やることがなあ……」
そう、余暇を満喫しようにも、手持ち無沙汰なのだ。
運び込んだ荷物といえば着替えやら色々、必要な物ばかりで、暇を潰せそうな物はあまりない。日本語が分かっても、国事情が分からないだけにお昼のバラエティ番組なんかをテレビで眺めていてもつまらないし。かといってここら一帯の勝手がまるで分からぬ以上、今は零士を伴わずして外に出歩くのも憚られる。
「……暇なら、俺の本棚を漁るといい。君の好きに読んで構わないから」
肝心の零士はそう言うと、昼食もそこそこに、ノエルの前から姿を消してしまっていた。
それから暫くの間、ノエルは零士に言われた通りに彼の自室――今は彼女の寝室になってしまった部屋の本棚を漁り、読書に耽っていた。幸いにして日本語は普通に扱えるので、読む方も問題ない。
とはいえ頭を捻らせるのも億劫だったので、読んでいたのは本棚から適当に探り当てた日本のライトノベルだ。レイモンド・チャンドラーやダシール・ハメット、ミッキー・スピレーンなんかのハードボイルド小説の和訳版も数多く取りそろえられていたが、あの辺りは英語の原文版を読んでしまった方がノエルにとっては楽だった。
とまあ、そうして読書に耽ること暫く。流石に眼が疲れてきたノエルはそれも中断し、栞を挟んだ本をベッドの傍らに置けば起き上がり。姿を消した零士を探しに、家の中を軽く探し始めた。
この家の地下には拳銃用シューティング・レンジや武器庫、ささやかだがトレーニング・スペースもある地下階層が隠されていることは、昨日の段階で零士に直接案内されて踏み入っているから、ノエルも知っている。きっとそちらに彼は居るのだろうと思っていたが、彼の姿をノエルが発見したのは、意外にも一階のガレージでのことだった。
「レイ、何してるの?」
零士は何やら、彼の物と思われるあの純白の古いスポーツカーの前に立っていて。跳ね上げたボンネットの隙間から身体と手を滑り込ませれば、工具片手に何やら調整に耽っているようだった。
アイドリング状態で回り続けるエンジンを相手に、零士は黒いTシャツにジーンズといったラフな格好で挑んでいて。少しだけ肌に汗を滲ませた彼の、作業に耽る背中にノエルが声を掛けると。零士は「ん?」と作業の手を中断し、ノエルの方に振り向いてくれた。
「何だ、ノエルか。読書はもういいのか?」
「うん、何だか眼が疲れちゃって。……それで、何やってるの?」
「ああ、これか」
零士は車のフェンダー辺りに軽く寄りかかると、その白いボディをとんとん、と叩いた。
「キャブの調整だよ」
「きゃぶ……?」
説明してくれたものの、彼の言葉の意味が分からず。ノエルは首を傾げる。すると零士は「そうか、そうだよな」なんて具合にフッと笑えば、続けてノエルにも分かりやすく、説明をしてくれた。
「キャブレター。今の電子制御が入ったインジェクション装置になる前の、機械的な燃料噴射システムさ」
「つまり、古いってこと?」
「そうなるな」
アイドリングで唸り続ける淑女の、パールのように白く煌めく純白の肌を軽く指先で撫でつつ、零士が頷く。
「ノエルの歳なら、知らなくても仕方ないさ」
「それを知ってる君の方が、色んな意味でどうかしてるけどね……」
あはは、とノエルは苦笑いで彼の言葉に応じる。タイプライターといい、この明らかに年代物な旧車のスポーツカーといい。零士はどうやら、随分と懐古趣味な人間のようだ。
とはいえ、ノエルは彼のそんなところ、嫌いではなかった。寧ろ、今まで薄くしか感じてこなかった人間味を深く感じる。最強と名高い伝説のエージェント、サイファーとて、一皮剥けば人間なのだ。それも、随分と偏屈なアンティーク趣味の。
「で、なんで調整してるのさ?」
「最近、気候が急に変わっただろ? そのせいか、グズり始めてな。こうして調整する羽目になってるってワケさ」
ノエルの質問に、微かな笑顔で答えると。零士はまたくるりと彼女に背中を向け、ボンネットの奥底へと手先と視線を戻していった。ノエルもそんな彼の傍へと近寄り、作業を見学させて貰うことにする。
零士が弄るその古いマシーン――――1970年式の初代ダットサン・フェアレディZは、中でもタダのZではない。モデル名Z432、伝説の直列六気筒・ツインカム仕様エンジンの「S20」を心臓部とした、今も尚語り継がれる伝説のマシーンなのだ。
タダでさえ長い鼻を更に長くする、オプション装備のGノーズと呼ばれる延長フロントバンパーを始めとし、零士の手に渡ってからフルレストアが為されたこの淑女だが、心臓部たるS20エンジンだけは、オーヴァー・ホールなどで整備をしつつも、基本は当時のままだ。
S20エンジンは、レース用のGR8エンジンを公道向けにデチューンした代物だ。レーシング・スペックに近いこの排気量二リッターのツインカム、七千回転で一六〇馬力、最大トルク十八キロのエンジンは、正に当時最強のエンジンだった。
初代スカイラインGT-R、通称ハコスカの心臓に積まれていたことで有名な逸品だが、同様にそれをZに載せたのが、このZ432だ。四バルブ・三キャブ・二カム。Z432の特別なネーミング自体が、この特別なエンジンから取られている。
その名に違わず、零士の所有する純白の淑女もまた三連キャブレターを積んではいるが、しかしオリジナルのソレックス製ではなく。今のZ432に積まれているキャブレターは、零士の手でウェーバー社製の新品に交換されていた。
「…………」
そんなウェーバー・キャブを相手に、零士はマイナス・ドライバー片手に黙々とジェット調整に耽っていて。そんな彼の手元と横顔とを交互に見比べつつ、ノエルはすぐ真横から彼の作業を黙って眺めていた。
こうしているのは、無為な時間かもしれない。しかし、ノエルは決して嫌な気分ではなかった。
寧ろ、楽しいぐらいだ。昼下がりの陽光が、開いたシャッターの向こう側から微かに差し込んできて。夏を少しばかり先に待ち構えた日差しと、排気熱の混ざった小さな熱気。遠くには鳥のさえずりが聞こえてくるだけで、街の喧騒は遠く。そんな中で零士と二人きり、黙々とした彼を隣で眺めている今は、何処か非日常的で。何だか、時間がゆっくりと流れているような気さえしてくる。
「マシーンは、手入れさえ怠らなければ、決して俺たちを裏切るような真似はしない」
そうして、黙ったままどれだけの時間が流れたことだろうか。ふとした折に、零士は隣のノエルの顔を見ないまま、そんなことを口走った。
「昨日も言ってたよね、そんなこと」
昨日、銃のメンテナンスをしながらで彼が同じようなことを言っていたのを思い出しながら、ノエルが言えば。零士は「ああ」と頷く。
「銃も、車も同じだ。相手が機械なら、手入れすればするだけ、俺たちに必ず答えてくれる」
「そういうものなの?」
「そういうものなんだ。……尤も、車に限って言えば、ここ暫くは手出し出来なくなってきたが」
零士の言うことは、その通りだった。
彼の弄るZ432、それぐらいの時代の車で搭載された電気的な装備といえば、バッテリーとカーステレオぐらいなものだ。しかし時代が進むにつれて、段々と電子部品の介入は進み始め。今では車が勝手に自分の状態を診断するどころか、ハイウェイ限定で、擬似的ながら半自動運転も可能になっている。
つまり、車のパソコン化だ。それだけ便利になったのは事実だが、しかし代償として、乗り手側から何かしらのアプローチを仕掛けることがほぼ不可能となってしまったのも、また事実だ。それこそ、今零士がやっていることのように。
車が便利になることは構わない、寧ろ良いことだとは思う。しかしそれを許容出来ないのが、椿零士という男のどうしようもない偏屈さだったのだ。結局のところ、彼はコンピュータというものを何処か信用し切れていない節がある。言ってしまえば、奇妙な性格なのだ。
だから、私物として乗り回すのはこんな、謂わば旧車なのだ。通学で酷使しているVT250Fだって、似たようなものでもある。どちらも昭和の時代の、言うなれば過去の産物だ。普通の感性をした人間ならば、とても乗る気にならないような。
「……そっか」
そんな零士の感性を、正直に言ってノエルは分からなかった。物は新しければ良いとまでは言わないが、しかしわざわざ面倒を背負ってまで古い物を使う気にはなれない。零士の独特な感覚は、ノエルにはとてもじゃないが分からない。
だが、分からないからこそ。だからこそ、ノエルは余計にそんな彼に対し、魅力のようなモノを感じてしまっていた。
違うが故に惹かれる、とでも言うのか。自分と違うモノを持っているが故に、惹かれてしまうのだ。それこそ、どうしようもないほどに。
「暇なら好きなだけ見ていても良いけど、退屈じゃないのか?」
零士は、隣に立つ彼女がそんな気持ちを抱いているとも知らずに、ぶっきらぼうな顔をして言う。ノエルは「大丈夫だよっ」と笑顔で頷くと、
「僕もね、そういうのを眺めてるのは、嫌いじゃないんだ♪」
「……そうか、なら良いんだが」
チラリと視線を向けてくれた零士の微笑みは、今まで見てきた何よりも柔らかく、優しげに砕けた笑顔だった。
「ふふっ……♪」
そんな微笑みを彼が向けてくれたことが、何故だか無性に嬉しくなって。ノエルは心底楽しげに、柔らかく彼に微笑み返す。
…………今は、まだ。今はまだ、この気持ちは胸の内に収めておこう。まだ、何もかもが早すぎるから。もっともっと、お互いを知りたいのだから。
「? 変な奴だな、まあいいさ」
「いいの、僕が楽しくて見てるんだから」
「楽しいなら結構。好きなだけ見てってくれ」
「うんっ、そうする♪」
二人で笑い合い、そうすればまた沈黙が訪れ。零士は黙々と、目の前の作業に集中していく。ノエルはそんな彼の横で、彼の手先を、彼の横顔を。いつまでも眺めていたいと思っていた。ひとえに、純粋な心で。
――――今はまだ、このままの関係でいい。一歩を踏み出すのは、もっと彼のことを知ってから。もっともっと、自分のことを知って貰ってからで良いんだから。
柔らかい日差しの照り付ける、休日の昼下がり。低く唸る淑女の鼓動と、二人の息遣いは。いつまでとも知れず、広いガレージに聞こえ続けていた。
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