SIX RULES

黒陽 光

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第四条:深追いはしない。

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 街の外れにある白く大きな家屋。一階部分がガレージになっていて、二階部分が探偵事務所になったその家の前に軽快な二ストローク・サウンドと共に滑り込んできたのは、赤と白のカウルが眩しいレーサー・レプリカのバイクだった。1988年式のホンダ・NSR250R、通称"88NSR"だ。
「……えーと、此処なの?」
 そのNSRに跨がる和葉がフルフェイス・ヘルメットのバイザーを上げながら振り向いて問うと、後方に着けられた申し訳程度なタンデムシートに座るハリーが「ああ」と頷く。
「俺の事務所だ」
「事務所?」
「いいから、とにかく中に入ろう」
 ハリーは懐に隠し持っていたリモコンを使い一階ガレージのシャッターを遠隔で開き、その中に和葉とNSRをいざなう。
「……ありがとね」
 膝に着けたボロボロのプロテクターとフルフェイス・ヘルメットを脱いだ和葉が相棒のカウルをそっと撫でながら小さく呟いていると、シャッターを閉じつつ既に内階段を昇り始めていたハリーが「こっちだ」と彼女の方を見下ろしながら声を掛けてくる。
「あ、うん」
 そうして和葉を連れて内階段を昇り、通用口のドアを潜れば、ハリーは久方振りに暮らし慣れた五条探偵事務所へと戻ってきた。
「……驚いた、ハリーの本業は探偵さんだったんだ」
 事務所の中を見回しきょろきょろと目移りさせる和葉の言葉に、しかしハリーは「いや」と首を横に振ると次にこう答えた。
「探偵業はあくまでも表向きと税金対策。そっちの仕事もやらんワケじゃないが、やっぱり本業はこっちの方だ」
 と、彼女の方に振り向きながら、右の指で拳銃の形を作ってみせる。
「ま、まあそうでしょうね……」
 そんなハリーの仕草を眺め、和葉が苦笑いしながら頷いた。
「疲れただろう、とりあえずシャワーでも浴びてくるといい」
 そう言って、とりあえずハリーは疲れた和葉に事務所のシャワーを貸してやることにした。この五条探偵事務所は三階部分にもちゃんとした居住スペースはあるが、二階の事務所部分でも生活できるようになっているのだ。睡眠を摂る為のベッドもあれば汗をシャワーもあり、キッチンと冷蔵庫もある。事実、ハリーはこっちの事務所で寝泊まりすることの方が多い。
 遠くから和葉がシャワーを浴びるささやかな水音を聞きながら、その間にハリーは汚れたスーツから新しい物に着替えた。といっても見た目もワイシャツやネクタイとの組み合わせも全く同じで、違いは汚れているかクリーニング済みかというぐらい。
 ピンっと糊の効いたジャケットをデスク前の椅子の背もたれへと掛ければ、清潔なワイシャツの袖を折り。襟首とネクタイを緩めながら、ハリーはその椅子にスッと腰掛けた。流石に疲労が溜まっているのか、座った途端に「ふぅ」と小さな溜息が零れる。
 そしてふと窓の方を見ると、ブラインドの開いた窓からは茜色の夕陽が差し込んでいた。追跡を懸念しかなり大回りして此処まで逃げてきた結果、思っていたよりもかなり時間を食ってしまっていたらしい。
「ごめんね、シャワー貸して貰っちゃって」
 としていると、浴室から出てきた和葉がそんな風に声を掛けてくる。
「それにしても、気持ち悪いぐらいにサイズピッタリね……」
 自分の格好を見ながら、続けてそんなことを言う和葉の格好は先程までの美代学園のブレザー制服ではなく、ラフな私服姿だった。黒いTシャツに袖を折ったちょっとした濃緑色のミリタリー・ルックスなジャケットと、そして下にはデニム地の丈が短いホット・パンツを履き、脚は黒っぽく濃い色をしたデニールの厚いタイツで覆うといった具合だ。
「流石に仕事が良いな、ミリィは」
 そんな和葉の様子と格好を眺めながら、椅子に座るハリーが小さく笑う。彼女が今着る服は何か不測の事態があった時の為にと、ミリィ・レイスが置いておいてくれたものなのだ。
「ミリィ?」すると、聞き慣れない名を耳にした和葉が首を傾げる。
「ミリィ・レイス、腕利きの情報屋で、コンピュータ関連のプロフェッショナル。機会があれば、逢うこともあるかもな」
「へぇー……。色んな知り合いがいるのね」
 語尾を間延びさせながらの和葉に、ハリーは「まあな」と頷きつつ立ち上がる。
「ところで、珈琲でもどうかな?」
「頂くわ」
 応接用の黒い革張りのソファに腰掛けた和葉の前にある低いテーブルへスッとコーヒーカップを差し出しつつ、ハリーもまたデスクの上に自分の分のカップを置き、二人揃って熱々の珈琲を啜り始める。
「……ところで」
 と、珈琲を啜る音以外は沈黙が支配していた中、和葉が何かを思い出したみたいに口を開いた。
「そういえばさ、さっきの」
「ん?」椅子の背もたれを倒し、デスクの上に両脚を乗せる不作法な格好のままで珈琲を啜るハリーが反応する。
「クララ、とか言ってたっけ。……さっきの女の子みたいな敵、知り合いなの?」
 どうやら、彼女は学園で遭遇したハリーの知り合い――――クララのことについて訊きたいらしかった。
「まあな」
 今更になってクララのことを彼女に隠す理由も無いので、ハリーは小さく頷きながらコーヒーカップをデスクの上に置くと。それから、ゆっくりと口を開いた。
「昔、アメリカで今みたいな仕事をやってた頃にコンビを組んでた」
「アメリカ?」眼を丸くしながら、訊き返す和葉。「……驚いた、貴方海外で暮らしてたの?」
「この稼業を最初に始めたのは向こう、西海岸でだ。
 ……それより、煙草吸ってもいいか?」
「此処はハリーの事務所よ、好きにして頂戴。それに、私もバイトで嗅ぎ慣れてるから」
 和葉の了解を得たところで、ハリーはデスクへ無造作に置いてあった煙草の紙箱とジッポーを手繰り寄せる。吸い慣れたマールボロ・ライトの煙草を口に咥え、ジッポーで火を付けた。カチン、といぶし銀のオイルライターの蓋が閉じる音が、事務所の中に木霊する。
「クララは……」
 ふぅ、と一度大きく紫煙混じりの白い息を吐き出した後、煙草を咥え直してからハリーが話し始めた。
「――――クララ・ムラサメは、俺の師匠であり。そして……この俺、ハリー・ムラサメの名付け親でもある、そんな女だよ」
「……お姉さん?」と、和葉が訊き返す。クララのファミリーネームがハリーと同じなことを意外そうに思いながら、もしかしたら兄妹かもと思ったらしい。
「血縁があるワケじゃない」
 しかし、ハリーは紫煙を燻らせながら、即座にそれを否定する。
「……だがまあ、似たようなモノかもな。アイツと血縁関係はないが、まあ俺にとっては……そうだな、アイツは姐さんみたいな存在だった」
「そんな人が、なんでアイツらと一緒になって?」
「分からん」正直に答えるハリー。「が、多分雇われてるんだろう。俺たちは基本的にそういう人種だ。まかり間違えば、俺とクララの立場はまるで逆だったかもしれん」
「そう……」
 昔を懐かしむような眼でのハリーの言葉に、和葉は小さく珈琲を啜りながら、ただ短く頷くだけだった。
(ハリーの、過去か……)
 気にならないといえば、それは嘘になってしまう。自分を護りに来たという男、絶体絶命の所を救ってくれた男の過去が気にならないといえば、それは和葉にとって自分自身に対し嘘をついていることになる。
「……ハリー?」
 そう思えば、和葉には思い切って彼に訊いてみる以外の選択肢は無かった。純粋に興味が湧いてしまったから。彼が、ハリー・ムラサメという男がどう生きてきたかを。彼の、その生き様を。
「良かったら、聞かせてくれないかしら。クララのことを、貴方のことを」
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