狂闘イファニオン

葵樹 楓

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第3話

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「ここは息が詰まるなぁ」



 地の底に似合わない、若い男の艶のある声だ。白髪の囚人に声をかけているようだったが、独り言にも似たその言葉に、返事はされない。



「生きているんでしょ。知っているよ」



 指が一本通るほどの小さな隙間から、茶色いローブが覗く。



「起きているし、痴呆にもなっていない。命が消える寸前でもない。むしろまだ寿命の半分にもなっていない。体のどこも悪くない」



 檻の外から、白髪の囚人の様子を淡々と語られる。すべてお見通しだ、とでも言いたげであった。



「聞こえているんだろ。返事くらいしてくれてもいいじゃないか。私とお前の仲だろう」



 だが、白髪の囚人は答えなかった。指先一つとして動かさず、依然として、黙って時が経つのを待っていた。



 少しの沈黙が流れる。だがまたすぐに、檻の外の男は語りだした。



「三年の間で何があったのか知らないが」



 そう言う声には、少しの嫌悪感が含まれていた。



「今や、再び動く必要がありそうなんだ。協力してくれないか?」



 疑問形ではあるが、男の口調には、どこか確信めいた雰囲気があった。有無を言わせぬ威圧が含まれていた。



 囚人は黙っている。空間を切るかのような鋭い沈黙が降りている。



「…………」



 どこかでまた誰かの発狂が聞こえた。檻の外の男は気にも留めずに、囚人の返事を待った。



「…………」



 檻の中の空気がかすかに震える。男は直感的に、囚人が何か言おうとしているのだろうと察した。



 囚人が口を動かすも、そこから漏れるのはただの吐息のみであり、唾液も出なくなった口内からは一切の音を発することができない。



 男は溜息をついた。そしてあきれたように顔をしかめ、足で檻をトントン、と小突く。囚人は動かない。



「どこまで無愛想なんだ……」



 囚人に聞こえないように小さく舌打ちをし、男はかがんで檻に右手を近づける。



 綺麗な爪が青い塗料に染められていた。整えられた小奇麗な手が、一瞬、曲線を描き、檻に触れられる。青色の爪の先から、淡い光がこぼれた。指先は囚人の方を向いていた。



 やがて男が檻から手を離すと、囚人が咳き込みだした。少しむせただけのようであったが、囚人にとっては辛いものらしく、グッと胸を抑えてうずくまる。



 囚人の口の端から唾液が漏れた。



「……ぁ」



 囚人が喉を震わせると、かすかながら音が出始めた。



 灰色になった白髪を床に垂らし、顔を下に向かせたまま、囚人はようやく口を利く。




「……いやだ」



 その声に一番驚いたのは囚人自身だった。こんな声をしていたのか、と、彼の脳が軋みながらも働きだしていた。彼の中でさまざまな記憶が流れて移ろい、眉を寄せる。



「いやなんだ」



 吐息が多く含まれた、ささやくような声色だった。



 檻の外の男は一つも表情を変えずに、何故、と言う。白髪の囚人は、首を横に振った。灰色の長い髪が床を撫でる。



「もうなにもしたくない」



 囚人は長い息を吐いた。



 その態度、言葉から、陰鬱な空気が放たれている。心から漏れ出る黒いものが、そのまま音となり人影となっているようだった。男は黙って、檻の方へ顔を寄せた。



 俯いた顔は長い灰色の髪に隠れている。骨にへばりついている皮膚は黒ずみ、関節の形までくっきりと表していた。水分が足りていない髪は枝分かれして曲がっており、伸びきった黄色い爪が割れている。



 身にまとう囚人服は黄土色に黒をにじませたようであり、ボロ雑巾よりも悪質なものだった。形は綺麗に残っているものの、ふとした瞬間に崩れてしまいそうなほどである。



 男は思わず口元を覆った。檻の中から一際ひどい悪臭がしたのだった。その劣悪さの噂は聞いていたが、まさかこれほどまでとは。



 数歩後ずさり、檻から距離を置いて、男は息を吸った。



「……だが、そうやっていつまでもその中にいるわけにもいかないでしょ」



 数秒だけ待ったが、返事はない。



「お前の心変わりには少し驚いたよ。……まぁ三年もすれば人は変わるものかもしれないけど。でも、今は協力してくれないと困る。私にとっても、お前にも……」



 そう話しているうちに、囚人から空気を揺るがすような笑いが漏れていた。喉を鳴らしたような、人を嘲るような笑いだ。男は怪訝そうに、檻の方に注意を向ける。



「……またか」



 囚人のしゃがれた声が侮蔑していた。



「またイファニオンか」



 男は一瞬、口を閉ざした。表情には出ていないものの、その内心では憎悪の炎が燃えている。



 汚らしい下種の分際で何が分かる。



 そんな軽蔑の言葉を胸に次々と浮かべては、すぐに消していく。しかしそのような素振りはおくびにも出さず、彼は静かに自嘲の笑みを浮かべていた。



「そうだな。まぁ三年前からずっと言ってきているし。……というかそうでもなければ、あんな真似をするわけないだろ」



「またくりかえすのか」



 珍しく、囚人が言葉をすぐに返した。ようやく囚人の時間が三年前と同じように流れ始めたようだった。



 囚人はゴキゴキと首を鳴らし、錆びついた鉄骨を直すかのように、重々しく頭を上げる。灰色になった白髪の隙間から、囚人の骸骨のような顔が覗いた。



「あれはしっぱいした」



 死神と見まがうかのような顔であった。瞼が半分閉じ、まつ毛には小さな羽虫の死体が絡まっている。もとから薄かった唇はもはや消えうせ、開いた口からは、気味が悪いほど綺麗に並んだ歯がうかがえた。



 頬はやせこけ、頭蓋骨の形がよく分かる。斬首となった者の首の方が、まだ生命力があった。



「そんなに心配しなくても、禁忌はもうしないさ。まぁ、この国が亡んでしまうその時は、また挑戦してもいいかもしれないけど」

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