109 / 111
四章 青空と太陽
8.青空と太陽-1
しおりを挟む
麗らかな午後の日差しの差し込む部屋で、ソフィアは刺繍をしながらそわそわと何度も窓の外の様子をうかがっていた。
耐えきれなくなって、そばに控えるメモリアに話しかける。
「ねぇ、メモリアさん」
「奥様、メモリアとお呼びください」
「あ、はい。えっと、メモリア。レオルド様のお帰りはまだかしらね?」
「奥様のために多少の無茶をしてでもお早くお帰りになるでしょうから、そろそろではないでしょうか」
メモリアが胸元から懐中時計を取り出し時間を確認する。
パチンと蓋を閉じると、そこにはレオルドとソフィアの顔が刻まれていた。
「そう。そうよね」
ソフィアは手元に目を落とし刺繍を再開した。
レオルドの持ち物に小さくスミレの意匠を刺繍して、いつだって自分のことを忘れないで欲しいとの願いを込める。
ソフィアは少しだけ針を動かすと、また手を止めて外の様子をうかがった。
メモリアが小さくため息をつく。
どうやら今日はもうこれ以上手は進まないだろうと予想して、ソフィアに話しかけた。
「ソフィア様にお礼を申し上げます」
「何をですか?」
イムソリア辺境伯となったレオルドと結婚し、この屋敷の女主人になったのだからメモリアに対してももっと主人然とするべきなのだが、この女主人はなかなかこれまでの癖が抜けないらしい。
メモリアが目の奥でほんのわずかに苦笑する。
そんな目の奥の表情に気づいたのか、ソフィアが恥ずかしそうに目を伏せた。
「ごめんなさい。なかなか慣れなくって」
「奥様が努力してらっしゃるのはわかるので、少しずつで大丈夫です。お礼を申し上げたいのは、レオルド様の呪いのことです」
「忘却の呪いのこと?」
「ええ。呪いの依代の納められていた洞窟からお戻りになったおふたりの姿を私は見てしまっていたので、魔女の血筋ではない私はすぐにおふたりのことを忘れていってしまいました」
「でも全然そんなそぶりを見せなかったわ?」
「紙に記録したことなら覚えていられましたから。でも衝立越しの会話でレオルド様やソフィア様の顔を見られないまま過ごし、もう一生この顔しか思い出せないかもしれないと覚悟しておりました」
メモリアが手の中の懐中時計をながめる。
「ソフィア様のおかげで忘れずにすみました。ありがとうございます」
「いえ、それだって、私のせいです」
あの時、レオルドはソフィアのことをこれ以上忘れないようにと決してソフィアのそばを離れなかった。
元々レオルドにも忘却の呪いがかかっていたので、ソフィアと一緒になって人前に顔を出せないでいるうちにレオルドも人々から忘れられる羽目になっていた。
呪いに耐性のないメモリアなら尚更だっただろう。
しかしソフィアを放っておけば、レオルドは人前に顔を出せたはずだ。
だからソフィアのせいで、レオルドのことを忘れてしまったとも言える。
「ソフィア様、私は本来ならレオルド様の下で働けるような身分ではありませんた。今頃どこかの街の片隅で、野垂れ死んでいてもおかしくなかったのです。しかしソフィア様を手に入れるために必要だからとレオルド様がこの能力ごと買ってくださり、私を拾って仕事を与えてくださいました」
これまでメモリアの過去の話など聞いたことがなかったので、驚いてソフィアがパチパチと目を瞬かせる。
その可憐なさまに、メモリアが目の奥でわずかに微笑んだ。
かつて誰にも気づかれず、目立たずに忘れられてばかりだった魔女は、たっぷりの愛情を浴びるようにその身に受けて今では可憐な花を咲かせている。
「私の能力を必要とした理由も『忘却の呪い』に対抗するためだけではなく、ソフィア様のことをすべて覚えて残しておくためです。私が今ここにいるのは、レオルド様とソフィア様のおかげです」
「そんな! 私は、何も……。でも、メモリアが今ここにいて良かったと思えるのなら私も嬉しいわ」
メモリアに向かって花がほころぶように笑う。
いつも悲しそうにうつむくばかりだったソフィアも、今では顔を上げてにっこりと微笑むことができるようになっていた。
ふと何かを気づいたように、ソフィアが目をさまよわせた。
耐えきれなくなって、そばに控えるメモリアに話しかける。
「ねぇ、メモリアさん」
「奥様、メモリアとお呼びください」
「あ、はい。えっと、メモリア。レオルド様のお帰りはまだかしらね?」
「奥様のために多少の無茶をしてでもお早くお帰りになるでしょうから、そろそろではないでしょうか」
メモリアが胸元から懐中時計を取り出し時間を確認する。
パチンと蓋を閉じると、そこにはレオルドとソフィアの顔が刻まれていた。
「そう。そうよね」
ソフィアは手元に目を落とし刺繍を再開した。
レオルドの持ち物に小さくスミレの意匠を刺繍して、いつだって自分のことを忘れないで欲しいとの願いを込める。
ソフィアは少しだけ針を動かすと、また手を止めて外の様子をうかがった。
メモリアが小さくため息をつく。
どうやら今日はもうこれ以上手は進まないだろうと予想して、ソフィアに話しかけた。
「ソフィア様にお礼を申し上げます」
「何をですか?」
イムソリア辺境伯となったレオルドと結婚し、この屋敷の女主人になったのだからメモリアに対してももっと主人然とするべきなのだが、この女主人はなかなかこれまでの癖が抜けないらしい。
メモリアが目の奥でほんのわずかに苦笑する。
そんな目の奥の表情に気づいたのか、ソフィアが恥ずかしそうに目を伏せた。
「ごめんなさい。なかなか慣れなくって」
「奥様が努力してらっしゃるのはわかるので、少しずつで大丈夫です。お礼を申し上げたいのは、レオルド様の呪いのことです」
「忘却の呪いのこと?」
「ええ。呪いの依代の納められていた洞窟からお戻りになったおふたりの姿を私は見てしまっていたので、魔女の血筋ではない私はすぐにおふたりのことを忘れていってしまいました」
「でも全然そんなそぶりを見せなかったわ?」
「紙に記録したことなら覚えていられましたから。でも衝立越しの会話でレオルド様やソフィア様の顔を見られないまま過ごし、もう一生この顔しか思い出せないかもしれないと覚悟しておりました」
メモリアが手の中の懐中時計をながめる。
「ソフィア様のおかげで忘れずにすみました。ありがとうございます」
「いえ、それだって、私のせいです」
あの時、レオルドはソフィアのことをこれ以上忘れないようにと決してソフィアのそばを離れなかった。
元々レオルドにも忘却の呪いがかかっていたので、ソフィアと一緒になって人前に顔を出せないでいるうちにレオルドも人々から忘れられる羽目になっていた。
呪いに耐性のないメモリアなら尚更だっただろう。
しかしソフィアを放っておけば、レオルドは人前に顔を出せたはずだ。
だからソフィアのせいで、レオルドのことを忘れてしまったとも言える。
「ソフィア様、私は本来ならレオルド様の下で働けるような身分ではありませんた。今頃どこかの街の片隅で、野垂れ死んでいてもおかしくなかったのです。しかしソフィア様を手に入れるために必要だからとレオルド様がこの能力ごと買ってくださり、私を拾って仕事を与えてくださいました」
これまでメモリアの過去の話など聞いたことがなかったので、驚いてソフィアがパチパチと目を瞬かせる。
その可憐なさまに、メモリアが目の奥でわずかに微笑んだ。
かつて誰にも気づかれず、目立たずに忘れられてばかりだった魔女は、たっぷりの愛情を浴びるようにその身に受けて今では可憐な花を咲かせている。
「私の能力を必要とした理由も『忘却の呪い』に対抗するためだけではなく、ソフィア様のことをすべて覚えて残しておくためです。私が今ここにいるのは、レオルド様とソフィア様のおかげです」
「そんな! 私は、何も……。でも、メモリアが今ここにいて良かったと思えるのなら私も嬉しいわ」
メモリアに向かって花がほころぶように笑う。
いつも悲しそうにうつむくばかりだったソフィアも、今では顔を上げてにっこりと微笑むことができるようになっていた。
ふと何かを気づいたように、ソフィアが目をさまよわせた。
1
お気に入りに追加
109
あなたにおすすめの小説
どうやら夫に疎まれているようなので、私はいなくなることにします
文野多咲
恋愛
秘めやかな空気が、寝台を囲う帳の内側に立ち込めていた。
夫であるゲルハルトがエレーヌを見下ろしている。
エレーヌの髪は乱れ、目はうるみ、体の奥は甘い熱で満ちている。エレーヌもまた、想いを込めて夫を見つめた。
「ゲルハルトさま、愛しています」
ゲルハルトはエレーヌをさも大切そうに撫でる。その手つきとは裏腹に、ぞっとするようなことを囁いてきた。
「エレーヌ、俺はあなたが憎い」
エレーヌは凍り付いた。
断る――――前にもそう言ったはずだ
鈴宮(すずみや)
恋愛
「寝室を分けませんか?」
結婚して三年。王太子エルネストと妃モニカの間にはまだ子供が居ない。
周囲からは『そろそろ側妃を』という声が上がっているものの、彼はモニカと寝室を分けることを拒んでいる。
けれど、エルネストはいつだって、モニカにだけ冷たかった。
他の人々に向けられる優しい言葉、笑顔が彼女に向けられることない。
(わたくし以外の女性が妃ならば、エルネスト様はもっと幸せだろうに……)
そんな時、侍女のコゼットが『エルネストから想いを寄せられている』ことをモニカに打ち明ける。
ようやく側妃を娶る気になったのか――――エルネストがコゼットと過ごせるよう、私室で休むことにしたモニカ。
そんな彼女の元に、護衛騎士であるヴィクトルがやってきて――――?
婚約者の本性を暴こうとメイドになったら溺愛されました!
柿崎まつる
恋愛
世継ぎの王女アリスには完璧な婚約者がいる。侯爵家次男のグラシアンだ。容姿端麗・文武両道。名声を求めず、穏やかで他人に優しい。アリスにも紳士的に対応する。だが、完璧すぎる婚約者にかえって不信を覚えたアリスは、彼の本性を探るため侯爵家にメイドとして潜入する。2022eロマンスロイヤル大賞、コミック原作賞を受賞しました。
身代わり婚~暴君と呼ばれる辺境伯に拒絶された仮初の花嫁
結城芙由奈@コミカライズ発売中
恋愛
【決してご迷惑はお掛けしません。どうか私をここに置いて頂けませんか?】
妾腹の娘として厄介者扱いを受けていたアリアドネは姉の身代わりとして暴君として名高い辺境伯に嫁がされる。結婚すれば幸せになれるかもしれないと淡い期待を抱いていたのも束の間。望まぬ花嫁を押し付けられたとして夫となるべく辺境伯に初対面で冷たい言葉を投げつけらた。さらに城から追い出されそうになるものの、ある人物に救われて下働きとして置いてもらえる事になるのだった―。
贖罪の花嫁はいつわりの婚姻に溺れる
マチバリ
恋愛
貴族令嬢エステルは姉の婚約者を誘惑したという冤罪で修道院に行くことになっていたが、突然ある男の花嫁になり子供を産めと命令されてしまう。夫となる男は稀有な魔力と尊い血統を持ちながらも辺境の屋敷で孤独に暮らす魔法使いアンデリック。
数奇な運命で結婚する事になった二人が呪いをとくように幸せになる物語。
書籍化作業にあたり本編を非公開にしました。

【完結】呪いを解いて欲しいとお願いしただけなのに、なぜか超絶美形の魔術師に溺愛されました!
藤原ライラ
恋愛
ルイーゼ=アーベントロートはとある国の末の王女。複雑な呪いにかかっており、訳あって離宮で暮らしている。
ある日、彼女は不思議な夢を見る。それは、とても美しい男が女を抱いている夢だった。その夜、夢で見た通りの男はルイーゼの目の前に現れ、自分は魔術師のハーディだと名乗る。咄嗟に呪いを解いてと頼むルイーゼだったが、魔術師はタダでは願いを叶えてはくれない。当然のようにハーディは対価を要求してくるのだった。
解呪の過程でハーディに恋心を抱くルイーゼだったが、呪いが解けてしまえばもう彼に会うことはできないかもしれないと思い悩み……。
「君は、おれに、一体何をくれる?」
呪いを解く代わりにハーディが求める対価とは?
強情な王女とちょっと性悪な魔術師のお話。
※ほぼ同じ内容で別タイトルのものをムーンライトノベルズにも掲載しています※

今夜は帰さない~憧れの騎士団長と濃厚な一夜を
澤谷弥(さわたに わたる)
恋愛
ラウニは騎士団で働く事務官である。
そんな彼女が仕事で第五騎士団団長であるオリベルの執務室を訪ねると、彼の姿はなかった。
だが隣の部屋からは、彼が苦しそうに呻いている声が聞こえてきた。
そんな彼を助けようと隣室へと続く扉を開けたラウニが目にしたのは――。
不器用騎士様は記憶喪失の婚約者を逃がさない
かべうち右近
恋愛
「あなたみたいな人と、婚約したくなかった……!」
婚約者ヴィルヘルミーナにそう言われたルドガー。しかし、ツンツンなヴィルヘルミーナはそれからすぐに事故で記憶を失い、それまでとは打って変わって素直な可愛らしい令嬢に生まれ変わっていたーー。
もともとルドガーとヴィルヘルミーナは、顔を合わせればたびたび口喧嘩をする幼馴染同士だった。
ずっと好きな女などいないと思い込んでいたルドガーは、女性に人気で付き合いも広い。そんな彼は、悪友に指摘されて、ヴィルヘルミーナが好きなのだとやっと気付いた。
想いに気づいたとたんに、何の幸運か、親の意向によりとんとん拍子にヴィルヘルミーナとルドガーの婚約がまとまったものの、女たらしのルドガーに対してヴィルヘルミーナはツンツンだったのだ。
記憶を失ったヴィルヘルミーナには悪いが、今度こそ彼女を口説き落して円満結婚を目指し、ルドガーは彼女にアプローチを始める。しかし、元女誑しの不器用騎士は息を吸うようにステップをすっ飛ばしたアプローチばかりしてしまい…?
不器用騎士×元ツンデレ・今素直令嬢のラブコメです。
12/11追記
書籍版の配信に伴い、WEB連載版は取り下げております。
たくさんお読みいただきありがとうございました!
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる