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二章 出会いと別れ
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王宮に戻っても、はた目には何も変わりがないように見えた。
しかしよく見れば呪いの黒いもやが至るところで濃厚に漂っていて、呪いが見えないはずの人々もどこかそわそわと落ち着かない様子だ。
外出着から修道服に着替えようと騎士団寮のレオルドの部屋に急いで向かうが、ちょうど白騎士団の部下とみられる騎士がレオルドを見つけて叫んだ。
「レオルド様! 白騎士団に招集がかかっております。急いで来てください!」
「わかったすぐ行く! オーブリーは先に向かっていろ」
「はい!」
しかしそう言いながらもレオルドはソフィアに目をやり、しばし迷うそぶりを見せた。
「レオルド様、行ってください」
「しかし、ソフィア」
「私は大丈夫です」
「……わかった。メモリア、あとを頼む」
レオルドを送り出すようにソフィアが大きくひとつうなずくと、レオルドもようやく納得してくれたようだった。
身体を離しながら、レオルドはその指先が離れるのを名残惜しむように手を伸ばす。
そして指先が離れるほんの刹那、苦しげな顔をしたがすぐにくるりと向きを変えて走り去った。
(お気をつけて……)
遠ざかっていくきらめく金の髪に向かって、ソフィアは心の中で無事を祈った。
「ではソフィア様、お部屋までお送りします。申し訳ありませんがソフィア様の修道服は、後で部屋まで届けさせます」
「あ、はい。予備があるから大丈夫です。あの、メモリアさんも行って大丈夫ですよ?」
「いえ。しっかりお部屋まで送り届けないと、レオルド様に叱られてしまいます」
自室へと向かう途中に観察してみれば、やはり王宮の空気はどこかどんよりと澱んでいた。
コリウス陛下が倒れたのが事実だとしても、王宮全体にその情報が流れるのはまだ先のはずだ。
しかしそれでもどこか不穏な雰囲気は伝わるのだろう。
行き交う人々はみな不安な顔をしていた。
自室のドアの前までくると、メモリアが薄い表情の奥に心配をわずかににじませる。
「ソフィア様、くれぐれもお気をつけください」
「はい。ありがとうございます。メモリアさんもお気をつけて」
メモリアはソフィアに礼を取るとすぐに去っていった。
ソフィアは重い足取りのまま自室に入る。
(レオルド様の言うことが本当なら、近いうちにルーパス殿下が王太子になるのね……)
そうなるとソフィアが陰嫁になる日もおそらく早まるだろう。
陰嫁になって奥宮に居を移すことなんて、ずっと当たり前だと思ってきた。
それなのに、そのことを考えると今はこんなにも気が重い。
さっきまでの華やかだったレオルドの部屋とは違って、黒と茶からなる地味なソフィアの部屋にいると心がよりいっそう落ち込んでいく。
せっかくレオルドにあたためてもらった手の先も、今はもう熱を失ってしまった。
ソフィアは不安をふり払おうと、クローゼットの中から予備の修道服を取り出し着替え始めた。
薄紫の外出着を脱いで修道服に着替え、せっかく綺麗に結ってもらった髪もほどいて編み直す。
きれいに結われた水色の髪をほどいていると、レオルドの大きな熱い手が器用に動きながらソフィアの髪に触れていたのを思い出してしまう。
そしてその手が頭の後ろに差し込まれ、グッと押さえながら激しい口づけをしたことも。
「いやだ、何を思い出しているの……」
赤くなっているだろう頬を押さえようと手を持ち上げて、手首にはめられたブレスレットがシャラリと音を立てた。
スミレの飾りのブレスレットがきらりと光りながら花の香りをふりまく。
「あぁ、返しそびれてしまったわ。あとで服と一緒に返さないと」
ソフィアはブレスレットを丁寧にはずすと、レオルドにもらった練り香水の容れ物と花茶の金の箱の横に並べて置いた。
ふわりと花の香りが広がって、重苦しい空気の部屋の中でその一角だけがきらきらと輝いている。
その輝きがまるでレオルドの金の髪のようで、ソフィアはレオルドの唇の熱さを思い出しながらそっと自分の唇に触れた。
「レオルド様……」
コンコンコン。
するとどこか遠慮がちな音が聞こえる。
コンコンコン。
再び音がしたと思ったら、ドアの外から呼びかけられた。
「失礼します。ソフィア様はいらっしゃいますか?」
「は、はい!」
人が来ることなんて滅多にないため、ノックの音と気づかず聞き流してしまった。
あわてて扉を開けると、ルーパスのところの侍従が青い顔をして立っていた。
「ルーパス殿下からの言伝で、『今すぐ黒の礼拝堂に来るように』とのことです」
「わかりました。すぐ行きます」
ドアの外から忍び込んできた黒いもやが、ソフィアの手の先に絡みついてくるような気がした。
しかしよく見れば呪いの黒いもやが至るところで濃厚に漂っていて、呪いが見えないはずの人々もどこかそわそわと落ち着かない様子だ。
外出着から修道服に着替えようと騎士団寮のレオルドの部屋に急いで向かうが、ちょうど白騎士団の部下とみられる騎士がレオルドを見つけて叫んだ。
「レオルド様! 白騎士団に招集がかかっております。急いで来てください!」
「わかったすぐ行く! オーブリーは先に向かっていろ」
「はい!」
しかしそう言いながらもレオルドはソフィアに目をやり、しばし迷うそぶりを見せた。
「レオルド様、行ってください」
「しかし、ソフィア」
「私は大丈夫です」
「……わかった。メモリア、あとを頼む」
レオルドを送り出すようにソフィアが大きくひとつうなずくと、レオルドもようやく納得してくれたようだった。
身体を離しながら、レオルドはその指先が離れるのを名残惜しむように手を伸ばす。
そして指先が離れるほんの刹那、苦しげな顔をしたがすぐにくるりと向きを変えて走り去った。
(お気をつけて……)
遠ざかっていくきらめく金の髪に向かって、ソフィアは心の中で無事を祈った。
「ではソフィア様、お部屋までお送りします。申し訳ありませんがソフィア様の修道服は、後で部屋まで届けさせます」
「あ、はい。予備があるから大丈夫です。あの、メモリアさんも行って大丈夫ですよ?」
「いえ。しっかりお部屋まで送り届けないと、レオルド様に叱られてしまいます」
自室へと向かう途中に観察してみれば、やはり王宮の空気はどこかどんよりと澱んでいた。
コリウス陛下が倒れたのが事実だとしても、王宮全体にその情報が流れるのはまだ先のはずだ。
しかしそれでもどこか不穏な雰囲気は伝わるのだろう。
行き交う人々はみな不安な顔をしていた。
自室のドアの前までくると、メモリアが薄い表情の奥に心配をわずかににじませる。
「ソフィア様、くれぐれもお気をつけください」
「はい。ありがとうございます。メモリアさんもお気をつけて」
メモリアはソフィアに礼を取るとすぐに去っていった。
ソフィアは重い足取りのまま自室に入る。
(レオルド様の言うことが本当なら、近いうちにルーパス殿下が王太子になるのね……)
そうなるとソフィアが陰嫁になる日もおそらく早まるだろう。
陰嫁になって奥宮に居を移すことなんて、ずっと当たり前だと思ってきた。
それなのに、そのことを考えると今はこんなにも気が重い。
さっきまでの華やかだったレオルドの部屋とは違って、黒と茶からなる地味なソフィアの部屋にいると心がよりいっそう落ち込んでいく。
せっかくレオルドにあたためてもらった手の先も、今はもう熱を失ってしまった。
ソフィアは不安をふり払おうと、クローゼットの中から予備の修道服を取り出し着替え始めた。
薄紫の外出着を脱いで修道服に着替え、せっかく綺麗に結ってもらった髪もほどいて編み直す。
きれいに結われた水色の髪をほどいていると、レオルドの大きな熱い手が器用に動きながらソフィアの髪に触れていたのを思い出してしまう。
そしてその手が頭の後ろに差し込まれ、グッと押さえながら激しい口づけをしたことも。
「いやだ、何を思い出しているの……」
赤くなっているだろう頬を押さえようと手を持ち上げて、手首にはめられたブレスレットがシャラリと音を立てた。
スミレの飾りのブレスレットがきらりと光りながら花の香りをふりまく。
「あぁ、返しそびれてしまったわ。あとで服と一緒に返さないと」
ソフィアはブレスレットを丁寧にはずすと、レオルドにもらった練り香水の容れ物と花茶の金の箱の横に並べて置いた。
ふわりと花の香りが広がって、重苦しい空気の部屋の中でその一角だけがきらきらと輝いている。
その輝きがまるでレオルドの金の髪のようで、ソフィアはレオルドの唇の熱さを思い出しながらそっと自分の唇に触れた。
「レオルド様……」
コンコンコン。
するとどこか遠慮がちな音が聞こえる。
コンコンコン。
再び音がしたと思ったら、ドアの外から呼びかけられた。
「失礼します。ソフィア様はいらっしゃいますか?」
「は、はい!」
人が来ることなんて滅多にないため、ノックの音と気づかず聞き流してしまった。
あわてて扉を開けると、ルーパスのところの侍従が青い顔をして立っていた。
「ルーパス殿下からの言伝で、『今すぐ黒の礼拝堂に来るように』とのことです」
「わかりました。すぐ行きます」
ドアの外から忍び込んできた黒いもやが、ソフィアの手の先に絡みついてくるような気がした。
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