上 下
36 / 111
二章 出会いと別れ

1.-2

しおりを挟む
 王宮に戻っても、はた目には何も変わりがないように見えた。
 しかしよく見れば呪いの黒いもやが至るところで濃厚に漂っていて、呪いが見えないはずの人々もどこかそわそわと落ち着かない様子だ。
 外出着から修道服に着替えようと騎士団寮のレオルドの部屋に急いで向かうが、ちょうど白騎士団の部下とみられる騎士がレオルドを見つけて叫んだ。

「レオルド様! 白騎士団に招集がかかっております。急いで来てください!」

「わかったすぐ行く! オーブリーは先に向かっていろ」

「はい!」

 しかしそう言いながらもレオルドはソフィアに目をやり、しばし迷うそぶりを見せた。

「レオルド様、行ってください」

「しかし、ソフィア」

「私は大丈夫です」

「……わかった。メモリア、あとを頼む」

 レオルドを送り出すようにソフィアが大きくひとつうなずくと、レオルドもようやく納得してくれたようだった。
 身体を離しながら、レオルドはその指先が離れるのを名残惜しむように手を伸ばす。
 そして指先が離れるほんの刹那、苦しげな顔をしたがすぐにくるりと向きを変えて走り去った。

(お気をつけて……)

 遠ざかっていくきらめく金の髪に向かって、ソフィアは心の中で無事を祈った。

「ではソフィア様、お部屋までお送りします。申し訳ありませんがソフィア様の修道服は、後で部屋まで届けさせます」

「あ、はい。予備があるから大丈夫です。あの、メモリアさんも行って大丈夫ですよ?」

「いえ。しっかりお部屋まで送り届けないと、レオルド様に叱られてしまいます」

 自室へと向かう途中に観察してみれば、やはり王宮の空気はどこかどんよりと澱んでいた。
 コリウス陛下が倒れたのが事実だとしても、王宮全体にその情報が流れるのはまだ先のはずだ。
 しかしそれでもどこか不穏な雰囲気は伝わるのだろう。
 行き交う人々はみな不安な顔をしていた。
 自室のドアの前までくると、メモリアが薄い表情の奥に心配をわずかににじませる。

「ソフィア様、くれぐれもお気をつけください」

「はい。ありがとうございます。メモリアさんもお気をつけて」

 メモリアはソフィアに礼を取るとすぐに去っていった。
 ソフィアは重い足取りのまま自室に入る。

(レオルド様の言うことが本当なら、近いうちにルーパス殿下が王太子になるのね……)

 そうなるとソフィアが陰嫁になる日もおそらく早まるだろう。
 陰嫁になって奥宮に居を移すことなんて、ずっと当たり前だと思ってきた。
 それなのに、そのことを考えると今はこんなにも気が重い。
 さっきまでの華やかだったレオルドの部屋とは違って、黒と茶からなる地味なソフィアの部屋にいると心がよりいっそう落ち込んでいく。
 せっかくレオルドにあたためてもらった手の先も、今はもう熱を失ってしまった。

 ソフィアは不安をふり払おうと、クローゼットの中から予備の修道服を取り出し着替え始めた。
 薄紫の外出着を脱いで修道服に着替え、せっかく綺麗に結ってもらった髪もほどいて編み直す。
 きれいに結われた水色の髪をほどいていると、レオルドの大きな熱い手が器用に動きながらソフィアの髪に触れていたのを思い出してしまう。
 そしてその手が頭の後ろに差し込まれ、グッと押さえながら激しい口づけをしたことも。

「いやだ、何を思い出しているの……」

 赤くなっているだろう頬を押さえようと手を持ち上げて、手首にはめられたブレスレットがシャラリと音を立てた。
 スミレの飾りのブレスレットがきらりと光りながら花の香りをふりまく。

「あぁ、返しそびれてしまったわ。あとで服と一緒に返さないと」

 ソフィアはブレスレットを丁寧にはずすと、レオルドにもらった練り香水の容れ物と花茶の金の箱の横に並べて置いた。
 ふわりと花の香りが広がって、重苦しい空気の部屋の中でその一角だけがきらきらと輝いている。
 その輝きがまるでレオルドの金の髪のようで、ソフィアはレオルドの唇の熱さを思い出しながらそっと自分の唇に触れた。

「レオルド様……」

 コンコンコン。

 するとどこか遠慮がちな音が聞こえる。

 コンコンコン。

 再び音がしたと思ったら、ドアの外から呼びかけられた。

「失礼します。ソフィア様はいらっしゃいますか?」

「は、はい!」

 人が来ることなんて滅多にないため、ノックの音と気づかず聞き流してしまった。
 あわてて扉を開けると、ルーパスのところの侍従が青い顔をして立っていた。

「ルーパス殿下からの言伝で、『今すぐ黒の礼拝堂に来るように』とのことです」

「わかりました。すぐ行きます」

 ドアの外から忍び込んできた黒いもやが、ソフィアの手の先に絡みついてくるような気がした。
しおりを挟む
感想 2

あなたにおすすめの小説

月の後宮~孤高の皇帝の寵姫~

真木
恋愛
新皇帝セルヴィウスが即位の日に閨に引きずり込んだのは、まだ十三歳の皇妹セシルだった。大好きだった兄皇帝の突然の行為に混乱し、心を閉ざすセシル。それから十年後、セシルの心が見えないまま、セルヴィウスはある決断をすることになるのだが……。

夫の色のドレスを着るのをやめた結果、夫が我慢をやめてしまいました

氷雨そら
恋愛
夫の色のドレスは私には似合わない。 ある夜会、夫と一緒にいたのは夫の愛人だという噂が流れている令嬢だった。彼女は夫の瞳の色のドレスを私とは違い完璧に着こなしていた。噂が事実なのだと確信した私は、もう夫の色のドレスは着ないことに決めた。 小説家になろう様にも掲載中です

仲の良かったはずの婚約者に一年無視され続け、婚約解消を決意しましたが

ゆらゆらぎ
恋愛
エルヴィラ・ランヴァルドは第二王子アランの幼い頃からの婚約者である。仲睦まじいと評判だったふたりは、今では社交界でも有名な冷えきった仲となっていた。 定例であるはずの茶会もなく、婚約者の義務であるはずのファーストダンスも踊らない そんな日々が一年と続いたエルヴィラは遂に解消を決意するが──

娼館で元夫と再会しました

無味無臭(不定期更新)
恋愛
公爵家に嫁いですぐ、寡黙な夫と厳格な義父母との関係に悩みホームシックにもなった私は、ついに耐えきれず離縁状を机に置いて嫁ぎ先から逃げ出した。 しかし実家に帰っても、そこに私の居場所はない。 連れ戻されてしまうと危惧した私は、自らの体を売って生計を立てることにした。 「シーク様…」 どうして貴方がここに? 元夫と娼館で再会してしまうなんて、なんという不運なの!

今夜は帰さない~憧れの騎士団長と濃厚な一夜を

澤谷弥(さわたに わたる)
恋愛
ラウニは騎士団で働く事務官である。 そんな彼女が仕事で第五騎士団団長であるオリベルの執務室を訪ねると、彼の姿はなかった。 だが隣の部屋からは、彼が苦しそうに呻いている声が聞こえてきた。 そんな彼を助けようと隣室へと続く扉を開けたラウニが目にしたのは――。

後宮の胡蝶 ~皇帝陛下の秘密の妃~

菱沼あゆ
キャラ文芸
 突然の譲位により、若き皇帝となった苑楊は封印されているはずの宮殿で女官らしき娘、洋蘭と出会う。  洋蘭はこの宮殿の牢に住む老人の世話をしているのだと言う。  天女のごとき外見と豊富な知識を持つ洋蘭に心惹かれはじめる苑楊だったが。  洋蘭はまったく思い通りにならないうえに、なにかが怪しい女だった――。  中華後宮ラブコメディ。

(R18)灰かぶり姫の公爵夫人の華麗なる変身

青空一夏
恋愛
Hotランキング16位までいった作品です。 レイラは灰色の髪と目の痩せぎすな背ばかり高い少女だった。 13歳になった日に、レイモンド公爵から突然、プロポーズされた。 その理由は奇妙なものだった。 幼い頃に飼っていたシャム猫に似ているから‥‥ レイラは社交界でもばかにされ、不釣り合いだと噂された。 せめて、旦那様に人間としてみてほしい! レイラは隣国にある寄宿舎付きの貴族学校に留学し、洗練された淑女を目指すのだった。 ☆マーク性描写あり、苦手な方はとばしてくださいませ。

愛しの婚約者は王女様に付きっきりですので、私は私で好きにさせてもらいます。

梅雨の人
恋愛
私にはイザックという愛しの婚約者様がいる。 ある日イザックは、隣国の王女が私たちの学園へ通う間のお世話係を任されることになった。 え?イザックの婚約者って私でした。よね…? 二人の仲睦まじい様子を見聞きするたびに、私の心は折れてしまいました。 ええ、バッキバキに。 もういいですよね。あとは好きにさせていただきます。

処理中です...