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目玉焼きが焼けなくて
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「君の焼いた目玉焼きが食べたいな」
それは異業種交流会という名目のいわゆる合コンで、公佳の隣に座った男が耳元でささやいた。
遊び慣れていそうで、ちょっと危うい雰囲気を身にまとったこの男、最初の自己紹介で業種はなんだと言っていただろうか。たしか名前は遊で、編集者――だったかな? 年齢の割に明るく染めた髪が、童顔気味の甘いマスクによく似合っている。
そもそもの発端は、からあげにレモンをかけるかかけないかの論争からだったはずだ。
コース料理に出てきた鶏のからあげのお皿を前に、参加者の一人がくし形のレモンのかけらを手に持ってみなに問いかけたのが始まりだった。
「みんな、からあげにはレモンはかける派? かけない派?」
「私は断然かける派」
「俺は酸っぱいの苦手だからかけない派だな」
みなが思い思いに自分の好みを告げていると、誰かが悪ノリを始める。
「じゃあ、キノコとタケノコならどっち?」
一気に場がヒートアップして、やれキノコだ、やれタケノコだと盛りあがる。
「他にはなんかある?」
「えー、じゃあ乾杯はビールかハイボールか!」
「ちょっとわからないから両方頼んでみる?」
そんなことを言いながら幹事がテーブルのタブレットを手に取りみなのおかわりを頼んでいった。
公佳はキノコ、ハイボール、と答えた気がする。
刺身に合わせるなら焼酎か日本酒かなんて話題の頃にはもうなんて答えていたのか、公佳の記憶も曖昧だ。
ただ「俺たち気が合うね」と隣に座っていた遊が言っていたのを覚えている。
遊は内緒話をするように肩を近づけてきて、公佳の耳元に口を寄せた。
「ね、目玉焼きには何つける?」
「うーん、塩胡椒かな」
「同じだ。じゃ、焼き方は?」
遊はクスクス笑いながらさらに顔を近づけた。遊の息が耳にかかってくすぐったい。
見た目の割に低めの声は、なかなかどうして好みの声をしている。
「焼き方かぁ。私ははじっこをカリッカリに焼くのが好き」
「へー、それは食べたことないや」
遊は眉をあげて大げさに驚いた顔をした。
「ふふ、やっと意見が違った?」
「そうだね」
遊は公佳の手に自分の手を重ねると、指をからめながら軽くにぎってくる。
「ね、君の焼いた目玉焼きが食べたいな」
「ふふ、なにそれ」
お誘いの言葉としてはチープ過ぎる。
けれど笑ってしまったので公佳の負けだ。
公佳は遊の手を軽く握り返した。
「いいよ」
「……じゃあ、このあと抜け出そっか」
公佳はわかったと伝えるように、遊の手をキュッと握り返した。
*****
公佳と遊は二次会に向かうメンバーの輪からこっそりふたりで抜け出した。
「俺の家、すぐそこだから」
遊の家は合コン会場から電車で三駅のところだった。
遊と手をつないで歩きながら、途中のコンビニに寄ってお酒とつまみを買い足す。
「卵は家にあったはず」
遊がそう言ったので卵は買わないでおいた。
駅からそう遠くないオートロック付きのマンションの3階にエレベーターで上がる。
「おじゃましまーす」
公佳がヒールを脱いで家に上がると、遊の家は案外綺麗に整えられていた。
持っていたカバンをリビングのソファの上に置いて、買ってきたものを冷蔵庫に入れていく。
整えられたキッチンのコンロ横の壁には、ドイツ製のフライパンがかかっていた。
「あ、これ! 良いなぁ。欲しいけど高いんだよねぇ」
「へー、使ってみる?」
「いいの? じゃあせっかくだからこれで目玉焼き焼こうか」
公佳は冷蔵庫から卵を一つ取り出した。
フライパンをあたためている間に卵の殻を割ろうとして違和感に気づく。
「あれ? これ、ゆで卵じゃない?」
「え?」
遊は一瞬怪訝な顔をして、それからすぐに大きくポンと手を打った。
「あ、そうだ。全部ゆで卵にしたんだった。忘れてた」
そのわざとらしい大げさな仕草に、公佳の胸の奥がざわりと波立つ。
頭の奥では警告音がピィピィ鳴り出している。
公佳が食器棚の中に素早く目をやれば、濃紺のマグカップとそろいの薄紫のマグカップが並んで置かれていた。
その隣には皿もお椀も同じ形のものがふたつずつ。
茶碗に至っては模様は同じだが色とサイズが違った。
公佳はそーっとキッチンから出ると、ソファの上に置いたカバンを手に取り足早に玄関に向かう。
「あれ? どうしたの……」
呼び止める遊の声を無視して急いで靴を履くと、公佳は遊の家から逃げ出した。
バタンと閉まった扉の向こうで遊がなにかを言っていた気がするけれどもう関係ない。
公佳は階段で一階まで一気にかけ降り、オートロックの扉を抜けて駅の方に向かって走りだした。
マンションが見えないところまで来てから、公佳はカバンからスマホを取り出す。
『女と住んでる家に女を連れ込むんじゃねーよ!! バーカ!!』
公佳は遊にメッセージを送って、すぐさまブロックをした。
ついでに今日の幹事に文句のメッセージと、一緒に参加していた友だちにも事情説明付きのメッセージも送っておく。
「はぁー、次、次!」
公佳はスマホをカバンに投げ入れ、浮気男に食われないで済んで良かったと自分をなぐさめながら帰路についた。
夜空に浮かんだ目玉焼きみたいにまん丸な月が、公佳の頭上を照らしていた。
それは異業種交流会という名目のいわゆる合コンで、公佳の隣に座った男が耳元でささやいた。
遊び慣れていそうで、ちょっと危うい雰囲気を身にまとったこの男、最初の自己紹介で業種はなんだと言っていただろうか。たしか名前は遊で、編集者――だったかな? 年齢の割に明るく染めた髪が、童顔気味の甘いマスクによく似合っている。
そもそもの発端は、からあげにレモンをかけるかかけないかの論争からだったはずだ。
コース料理に出てきた鶏のからあげのお皿を前に、参加者の一人がくし形のレモンのかけらを手に持ってみなに問いかけたのが始まりだった。
「みんな、からあげにはレモンはかける派? かけない派?」
「私は断然かける派」
「俺は酸っぱいの苦手だからかけない派だな」
みなが思い思いに自分の好みを告げていると、誰かが悪ノリを始める。
「じゃあ、キノコとタケノコならどっち?」
一気に場がヒートアップして、やれキノコだ、やれタケノコだと盛りあがる。
「他にはなんかある?」
「えー、じゃあ乾杯はビールかハイボールか!」
「ちょっとわからないから両方頼んでみる?」
そんなことを言いながら幹事がテーブルのタブレットを手に取りみなのおかわりを頼んでいった。
公佳はキノコ、ハイボール、と答えた気がする。
刺身に合わせるなら焼酎か日本酒かなんて話題の頃にはもうなんて答えていたのか、公佳の記憶も曖昧だ。
ただ「俺たち気が合うね」と隣に座っていた遊が言っていたのを覚えている。
遊は内緒話をするように肩を近づけてきて、公佳の耳元に口を寄せた。
「ね、目玉焼きには何つける?」
「うーん、塩胡椒かな」
「同じだ。じゃ、焼き方は?」
遊はクスクス笑いながらさらに顔を近づけた。遊の息が耳にかかってくすぐったい。
見た目の割に低めの声は、なかなかどうして好みの声をしている。
「焼き方かぁ。私ははじっこをカリッカリに焼くのが好き」
「へー、それは食べたことないや」
遊は眉をあげて大げさに驚いた顔をした。
「ふふ、やっと意見が違った?」
「そうだね」
遊は公佳の手に自分の手を重ねると、指をからめながら軽くにぎってくる。
「ね、君の焼いた目玉焼きが食べたいな」
「ふふ、なにそれ」
お誘いの言葉としてはチープ過ぎる。
けれど笑ってしまったので公佳の負けだ。
公佳は遊の手を軽く握り返した。
「いいよ」
「……じゃあ、このあと抜け出そっか」
公佳はわかったと伝えるように、遊の手をキュッと握り返した。
*****
公佳と遊は二次会に向かうメンバーの輪からこっそりふたりで抜け出した。
「俺の家、すぐそこだから」
遊の家は合コン会場から電車で三駅のところだった。
遊と手をつないで歩きながら、途中のコンビニに寄ってお酒とつまみを買い足す。
「卵は家にあったはず」
遊がそう言ったので卵は買わないでおいた。
駅からそう遠くないオートロック付きのマンションの3階にエレベーターで上がる。
「おじゃましまーす」
公佳がヒールを脱いで家に上がると、遊の家は案外綺麗に整えられていた。
持っていたカバンをリビングのソファの上に置いて、買ってきたものを冷蔵庫に入れていく。
整えられたキッチンのコンロ横の壁には、ドイツ製のフライパンがかかっていた。
「あ、これ! 良いなぁ。欲しいけど高いんだよねぇ」
「へー、使ってみる?」
「いいの? じゃあせっかくだからこれで目玉焼き焼こうか」
公佳は冷蔵庫から卵を一つ取り出した。
フライパンをあたためている間に卵の殻を割ろうとして違和感に気づく。
「あれ? これ、ゆで卵じゃない?」
「え?」
遊は一瞬怪訝な顔をして、それからすぐに大きくポンと手を打った。
「あ、そうだ。全部ゆで卵にしたんだった。忘れてた」
そのわざとらしい大げさな仕草に、公佳の胸の奥がざわりと波立つ。
頭の奥では警告音がピィピィ鳴り出している。
公佳が食器棚の中に素早く目をやれば、濃紺のマグカップとそろいの薄紫のマグカップが並んで置かれていた。
その隣には皿もお椀も同じ形のものがふたつずつ。
茶碗に至っては模様は同じだが色とサイズが違った。
公佳はそーっとキッチンから出ると、ソファの上に置いたカバンを手に取り足早に玄関に向かう。
「あれ? どうしたの……」
呼び止める遊の声を無視して急いで靴を履くと、公佳は遊の家から逃げ出した。
バタンと閉まった扉の向こうで遊がなにかを言っていた気がするけれどもう関係ない。
公佳は階段で一階まで一気にかけ降り、オートロックの扉を抜けて駅の方に向かって走りだした。
マンションが見えないところまで来てから、公佳はカバンからスマホを取り出す。
『女と住んでる家に女を連れ込むんじゃねーよ!! バーカ!!』
公佳は遊にメッセージを送って、すぐさまブロックをした。
ついでに今日の幹事に文句のメッセージと、一緒に参加していた友だちにも事情説明付きのメッセージも送っておく。
「はぁー、次、次!」
公佳はスマホをカバンに投げ入れ、浮気男に食われないで済んで良かったと自分をなぐさめながら帰路についた。
夜空に浮かんだ目玉焼きみたいにまん丸な月が、公佳の頭上を照らしていた。
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