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得物にするは、知恵と不思議と意地ばかり

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 街道からの草津への入口に番屋は建っていた。
 街道の入口には随分と古い時分から、道祖神が祀られ、人々から大切にされ続けており、その道祖神の隣には、道行く人々が熱い盛り、日除けとして使っている大きな松の木が有る。
 番屋もその恩恵に随分と預かっていたのだが、今や番屋も道祖神の社も大きな松の木も、煙を燻しながら燃え滓とかしている。
 火消しの為に集まった人たちを遠巻きに眺めながら、お市も藤次郎も互いに掛ける言葉すら見つからない。
 息せき切って、此処まで休みなく走って来て、先程までは藤次郎などは、肩で息をしつつ泣き言を言っていたのに、そんな事さえ忘れて言葉を失って、立ち尽くしていた。

「皆、大丈夫なのかしら」

「分からない。辺りを探って見ないと……」

 お市は辺りをよく見まわして、番屋の燃えカスの中に、辰吉の大事にしている龍の容で拵えた大煙管が、真っ黒に焼けて転がっているのを見つけた。

「そんなっ、そんなっ」

 お市は悲鳴にも似た声をくぐもらせながら、今にも煙を燻らせている中に飛び込む勢いなのを、すかさず藤次郎が肩を強く抑える。

「姉さん、お願いだから堪えて……今は駄目だ」

「大丈夫……大丈夫。馬鹿な―― 真似はしない」

 お市は途切れ途切れに、藤次郎に言っているのか、自分に言い聞かせているのか分からない言葉を発した。
 心配そうに手を離す藤次郎は、耳元にそっと囁いた。

「火をつけた奴がこの辺りにまだ潜んでいるかもしれない。気を付けなければ駄目だよ」

 お市は辺りの様子を窺う藤次郎に深く感心し、自分が無鉄砲なことが出来るのは、藤次郎がしっかりしてくれているからこそだという事を改めて嚙みしめていた。
 そんな感謝されているなぞ、ついぞ思いもしない藤次郎は、火事を付け火だと確信していた。
 この火事は余りにも敵に都合がいい。
 敵。そうこれは最早戦だ。
 敵を知り己を知れば百戦危うからず。
 藤次郎は得意の金言を頭の中で呟き、近くにいる人々に話を訊いて廻ることにした。

「あの、何があったですか」

 藤次郎は口の軽そうな男に、少し馬鹿な振りをしつつ、子供全開で訊いた。
 男は近くの物売りらしい。待ってましたと言わんばかりに、ペラペラ喋って来た。

「何でもな、赤いしゃれこうべの着物を着たみょうちきりんな遊び人が、番所の十手持ちと喧嘩になって、その後番所が燃えちまったってえ話だ。その遊び人が腹いせに付け火したんだろうさ。幸いにして、焼けておっ死んだ人は誰も居ないらしい。ただ、番所の奴らが誰も居ないのはおかしんだけどなぁ。逃げ出したにしても、その辺に居る筈なんだがな。何処へ行ってるんだか。坊主も妙な野郎には気を付けろ」

 礼を述べながらも藤次郎は様々な事を頭に思い浮かべながら、手掛りを考えていた。

 遊び人風の男……目立つ格好で啖呵を切れば、余計に目立つ。
 敵の狙い通りなのだろう。実際に火付けをしたのも多分そいつだ。
 紅いしゃれこうべの着物を目立たせるだけ目立たせておいて、途中で着替えて、百姓や商人、物売り何でもいい。溶け込める姿になれば誰にも咎められない。
 そうして様子を見るのだ。
 恐らくは捕り方や人の集まりを探っていたのだろう。
 或いは、湯守り様の屋敷を襲うにあたっての釣り出しかもしれない。

 敵にしろ味方にしろ、始末をつけたなら、屍骸が横たわっているはずで、幸いにも一人もいない。
 此処ではだれも死んではいないということは、逃げ出した者たちを手ごろな所におびき出したとみるのが正しいだろう。
 人相や姿を見られておびき出して、始末をつけようというところだろうか。

 藤次郎は、僅か数歩の間に、様々な事を思い浮かべつつ、辰吉や清七の事が心配で、叫び声を上げたい自分を口の端から血が滲む程に何とか噛み殺しながら、お市へと歩み寄った。

 藤次郎があちらこちらに目を配っている間に、お市は一つ気付いた事がある。
 辰吉と共にしているアオの姿が無い。全くないのだ。
 仮に辰吉に何かあったとしたら、アオが姿を見せないはずが無い。
 何者かの手に掛かったとしたら、馬の亡骸など態々手に掛かるものを始末なんぞしない筈。
 賊徒なんぞに生きたまま無理矢理何処かへ連れて往かれる様な、のんびりした馬では当然に無い。
 嫌な気配をお市に向けて放つ生き物を欠片も容赦しない黒丸が、お市の側で警戒はしているものの普段の表情のままではある。
 お市は黒丸に訊いてみた。

「ねえ、黒丸。辰じいとアオの居場所はわかるかしら」

 わんっと一声、当然だと言わんばかりに快活に吼え、匂いを嗅ぎながら鼻先で示した処に、アオの蹄の跡があった。
 途中で途切れてはいるが、数頭の馬を引き連れて何処かへと向かったようだ。蹄の跡の深さから何かを乗せていたのが判る。
 お市は眼を閉じて大きく息を吸い込んだ。焦る自分を締め出して、落ち着きを取り戻す。
 藤次郎は姉の様子が変わったのを見て、

「何か見つけたのかい」

 と期待に満ちた表情で、食い入るように顔を寄せて来た。
 お市は藤次郎と黒丸を近くの茂みの中に引きずり込んで、

「いいえ、まだよ。これから見つけるの。アオが居ない、暴れた跡も無い。だから、辰じいはきっと大丈夫。藤次郎あんたの言う通り、あたしにはあたしにしか出来ない事をやるわ。近くにいる皆に、色々訊いて手掛りを探してみる。力を貸して」

 藤次郎は返事の代わりに力強く頷いた。
 お市はその様子にホッとした様子を浮かべると、大木の根っ子に腰かけて目を閉じた。近くにいる鳥獣を呼び寄せようと意識を集中させた。
 長くて綺麗な睫毛が風にそよぐ。
 お市は鳴き声や足音を聞き逃すまいと、目を閉じたまま耳を澄ました。
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