9 / 42
迫る陰
しおりを挟む
お市達がああだこうだと言いながら、草津へと着こうとしていた丁度その頃。
善光寺へ続く街道沿いにある、お市達がおにぎりを食べ団子を買い求めた茶屋の女主人は、首をすくめながら軒先に塩を撒いていた。
他人から「本当に爪の垢に灯を点しているのでは」と言われるほど大が付くほどのケチの割に、随分と豪儀な撒きっぷりであった。
怪訝な表情で、ちょいちょい顔を出す、馴染みの商人が声をかけた。
「おい、おい。一体どうなすったんだい。ここいらじゃあ高値の塩を、そんな豪勢に撒くだなんて、お前様らしくも無い」
「ああ、アンタかい。もうちょいと待っとくれ」
そういうと、また叩きつける様に地面に塩を撒いた。
「こりゃあ、よっぽどの事だな」
「さっきまで、目付きの悪い、浪人を装った侍連中に脅されてたんだよ」
「浪人を装うとは又奇々怪々な話だな。そういう事なら真っ先に番屋だ。塩を撒いている場合じゃあ無いだろうに」
「擦り切れていない着物に、黒光りする綺麗な鞘にやっ刀を納めて、態々浪人者の恰好をしている様な連中だよ。番屋のくたびれた下っ引き何ぞ、役に立ちやしないよ」
流石に長年、街道沿いで茶屋を営む女である。
それなりに、肝も据わっているし、人を見る目も備わっている。
「そいつらがさ。それはそれは居丈高に、こいつを寄越したのさ」
そう言って、胸元からクシャクシャになった書付を取り出して商人に手渡した。
「えーと、どれどれ。馬を連れた小娘に元服前の小僧と、爺さんに年増女の町人の四人組か。普通も普通、真っ当そうな面じゃないか」
「何だかは知らないけどねぇ。其の人たちが心配だよ。あんな宜しくない目付きの、危なそうな連中に、追い回されてるんじゃあねぇ」
女主人は塩の入った壺をしまうと、商人へお茶を出した。青竹の湯呑である。
商人は笑顔を浮かべ一息つくと、
「やっぱり、此処はこうで無いと」
満足気に香りを嗅ぎながら、お茶を啜った。
「それで、その侍連中は、そんなに危なそうな奴等なのかい」
「其のいけ好かない二本差しの連中は、刀に手を掛けながら、あたしをきっと睨んでさ。そいつを押し付け、態々血のこびりついた首桶を見せびらかしたのさ。けったくそ悪い。やり方がどこぞの役人みたいだよ」
首が伸びたのかと思う位深く頷いて、吐き捨てる様に言った。
「そいつはつまり……」
ごくりと商人は唾なのか茶なのかわからないが飲み込んで、首を手でさすった。
肝っ玉の座った茶屋の女ではあるが、威勢よく毒づいていても、顔色は青ざめている。恐怖の色を隠しきれないのだ。
商人の男は其れを見て、人の良さそうな顔に、心配げな表情を浮かべて、優しく話した。
「成程、無茶は出来ねえな。これから丁度街道を上るから、代官所のお役人に話してみるよ」
「本当かい。済まないねえ。よろしく頼むよ。気味悪くってさ」
女主人は済まなそうにぺこりと商人に頭を下げる。
「おいおい。よしてくんな。困った時は相見互いだろ」
商人もいい笑顔で応えると、立ち上がって、外へと向かうその途中に、振り返り何気なく問うた。
「それはそうと、その手配書みたいな書付のお歴々は実際、通ったのかい」
「ああ、その人たちは、此処でお茶を飲んでから、善光寺へと向かって行ったよ。良さそうな人達だった。あいつらには知らないって言っておいたけどね。お役人様にはしっかりと伝えておくれよ」
「あいよ。分かってるって。女将さんも気を付けて、な」
殊勝な事を口にしつつ茶屋を後にした商人であったが、街道へ歩みを進める其の顔には、愛想がいいとは程遠い表情を浮かべていた。
「善光寺か。安兵衛の一件に、代官所の侍が絡んでいると考えつく位の頭はあるようだ。しかし、使えねえ三一共だ。しょうがねえ……」
商人らしからぬ目つきを一瞬したが、直ぐに人好きのする表情に戻ると、善光寺の方向へ歩みを進めた。
善光寺へ続く街道沿いにある、お市達がおにぎりを食べ団子を買い求めた茶屋の女主人は、首をすくめながら軒先に塩を撒いていた。
他人から「本当に爪の垢に灯を点しているのでは」と言われるほど大が付くほどのケチの割に、随分と豪儀な撒きっぷりであった。
怪訝な表情で、ちょいちょい顔を出す、馴染みの商人が声をかけた。
「おい、おい。一体どうなすったんだい。ここいらじゃあ高値の塩を、そんな豪勢に撒くだなんて、お前様らしくも無い」
「ああ、アンタかい。もうちょいと待っとくれ」
そういうと、また叩きつける様に地面に塩を撒いた。
「こりゃあ、よっぽどの事だな」
「さっきまで、目付きの悪い、浪人を装った侍連中に脅されてたんだよ」
「浪人を装うとは又奇々怪々な話だな。そういう事なら真っ先に番屋だ。塩を撒いている場合じゃあ無いだろうに」
「擦り切れていない着物に、黒光りする綺麗な鞘にやっ刀を納めて、態々浪人者の恰好をしている様な連中だよ。番屋のくたびれた下っ引き何ぞ、役に立ちやしないよ」
流石に長年、街道沿いで茶屋を営む女である。
それなりに、肝も据わっているし、人を見る目も備わっている。
「そいつらがさ。それはそれは居丈高に、こいつを寄越したのさ」
そう言って、胸元からクシャクシャになった書付を取り出して商人に手渡した。
「えーと、どれどれ。馬を連れた小娘に元服前の小僧と、爺さんに年増女の町人の四人組か。普通も普通、真っ当そうな面じゃないか」
「何だかは知らないけどねぇ。其の人たちが心配だよ。あんな宜しくない目付きの、危なそうな連中に、追い回されてるんじゃあねぇ」
女主人は塩の入った壺をしまうと、商人へお茶を出した。青竹の湯呑である。
商人は笑顔を浮かべ一息つくと、
「やっぱり、此処はこうで無いと」
満足気に香りを嗅ぎながら、お茶を啜った。
「それで、その侍連中は、そんなに危なそうな奴等なのかい」
「其のいけ好かない二本差しの連中は、刀に手を掛けながら、あたしをきっと睨んでさ。そいつを押し付け、態々血のこびりついた首桶を見せびらかしたのさ。けったくそ悪い。やり方がどこぞの役人みたいだよ」
首が伸びたのかと思う位深く頷いて、吐き捨てる様に言った。
「そいつはつまり……」
ごくりと商人は唾なのか茶なのかわからないが飲み込んで、首を手でさすった。
肝っ玉の座った茶屋の女ではあるが、威勢よく毒づいていても、顔色は青ざめている。恐怖の色を隠しきれないのだ。
商人の男は其れを見て、人の良さそうな顔に、心配げな表情を浮かべて、優しく話した。
「成程、無茶は出来ねえな。これから丁度街道を上るから、代官所のお役人に話してみるよ」
「本当かい。済まないねえ。よろしく頼むよ。気味悪くってさ」
女主人は済まなそうにぺこりと商人に頭を下げる。
「おいおい。よしてくんな。困った時は相見互いだろ」
商人もいい笑顔で応えると、立ち上がって、外へと向かうその途中に、振り返り何気なく問うた。
「それはそうと、その手配書みたいな書付のお歴々は実際、通ったのかい」
「ああ、その人たちは、此処でお茶を飲んでから、善光寺へと向かって行ったよ。良さそうな人達だった。あいつらには知らないって言っておいたけどね。お役人様にはしっかりと伝えておくれよ」
「あいよ。分かってるって。女将さんも気を付けて、な」
殊勝な事を口にしつつ茶屋を後にした商人であったが、街道へ歩みを進める其の顔には、愛想がいいとは程遠い表情を浮かべていた。
「善光寺か。安兵衛の一件に、代官所の侍が絡んでいると考えつく位の頭はあるようだ。しかし、使えねえ三一共だ。しょうがねえ……」
商人らしからぬ目つきを一瞬したが、直ぐに人好きのする表情に戻ると、善光寺の方向へ歩みを進めた。
0
お気に入りに追加
1
あなたにおすすめの小説
裏長屋の若殿、限られた自由を満喫する
克全
歴史・時代
貧乏人が肩を寄せ合って暮らす聖天長屋に徳田新之丞と名乗る人品卑しからぬ若侍がいた。月のうち数日しか長屋にいないのだが、いる時には自ら竈で米を炊き七輪で魚を焼く小まめな男だった。
石榴(ざくろ)の月~愛され求められ奪われて~
めぐみ
歴史・時代
お民は江戸は町外れ徳平店(とくべいだな)に夫源治と二人暮らし。
源治はお民より年下で、お民は再婚である。前の亭主との間には一人息子がいたが、川に落ちて夭折してしまった。その後、どれだけ望んでも、子どもは授からなかった。
長屋暮らしは慎ましいものだが、お民は夫に愛されて、女としても満ち足りた日々を過ごしている。
そんなある日、徳平店が近々、取り壊されるという話が持ちあがる。徳平店の土地をもっているのは大身旗本の石澤嘉門(いしざわかもん)だ。その嘉門、実はお民をふとしたことから見初め、お民を期間限定の側室として差し出すなら、長屋取り壊しの話も考え直しても良いという。
明らかにお民を手に入れんがための策略、しかし、お民は長屋に住む皆のことを考えて、殿様の取引に応じるのだった。
〝行くな!〟と懸命に止める夫に哀しく微笑み、〝約束の1年が過ぎたから、きっとお前さんの元に帰ってくるよ〟と残して―。

ふたりの旅路
三矢由巳
歴史・時代
第三章開始しました。以下は第一章のあらすじです。
志緒(しお)のいいなずけ駒井幸之助は文武両道に秀でた明るく心優しい青年だった。祝言を三カ月後に控え幸之助が急死した。幸せの絶頂から奈落の底に突き落とされた志緒と駒井家の人々。一周忌の後、家の存続のため駒井家は遠縁の山中家から源治郎を養子に迎えることに。志緒は源治郎と幸之助の妹佐江が結婚すると思っていたが、駒井家の人々は志緒に嫁に来て欲しいと言う。
無口で何を考えているかわからない源治郎との結婚に不安を感じる志緒。果たしてふたりの運命は……。

法隆寺燃ゆ
hiro75
歴史・時代
奴婢として、一生平凡に暮らしていくのだと思っていた………………上宮王家の奴婢として生まれた弟成だったが、時代がそれを許さなかった。上宮王家の滅亡、乙巳の変、白村江の戦………………推古天皇、山背大兄皇子、蘇我入鹿、中臣鎌足、中大兄皇子、大海人皇子、皇極天皇、孝徳天皇、有間皇子………………為政者たちの権力争いに巻き込まれていくのだが………………
正史の裏に隠れた奴婢たちの悲哀、そして権力者たちの愛憎劇、飛鳥を舞台にした大河小説がいまはじまる!!
柿ノ木川話譚4・悠介の巻
如月芳美
歴史・時代
女郎宿で生まれ、廓の中の世界しか知らずに育った少年。
母の死をきっかけに外の世界に飛び出してみるが、世の中のことを何も知らない。
これから住む家は? おまんまは? 着物は?
何も知らない彼が出会ったのは大名主のお嬢様。
天と地ほどの身分の差ながら、同じ目的を持つ二人は『同志』としての将来を約束する。
クールで大人びた少年と、熱い行動派のお嬢様が、とある絵師のために立ち上がる。
『柿ノ木川話譚』第4弾。
『柿ノ木川話譚1・狐杜の巻』https://www.alphapolis.co.jp/novel/793477914/905878827
『柿ノ木川話譚2・凍夜の巻』https://www.alphapolis.co.jp/novel/793477914/50879806
『柿ノ木川話譚3・栄吉の巻』https://www.alphapolis.co.jp/novel/793477914/398880017
織田信長IF… 天下統一再び!!
華瑠羅
歴史・時代
日本の歴史上最も有名な『本能寺の変』の当日から物語は足早に流れて行く展開です。
この作品は「もし」という概念で物語が進行していきます。
主人公【織田信長】が死んで、若返って蘇り再び活躍するという作品です。
※この物語はフィクションです。
梅すだれ
木花薫
歴史・時代
江戸時代の女の子、お千代の一生の物語。恋に仕事に頑張るお千代は悲しいことも多いけど充実した女の人生を生き抜きます。が、現在お千代の物語から逸れて、九州の隠れキリシタンの話になっています。島原の乱の前後、農民たちがどのように生きていたのか、仏教やキリスト教の世界観も組み込んで書いています。
登場人物の繋がりで主人公がバトンタッチして物語が次々と移っていきます隠れキリシタンの次は戦国時代の姉妹のストーリーとなっていきます。
時代背景は戦国時代から江戸時代初期の歴史とリンクさせてあります。長編時代小説。長々と続きます。

土方歳三ら、西南戦争に参戦す
山家
歴史・時代
榎本艦隊北上せず。
それによって、戊辰戦争の流れが変わり、五稜郭の戦いは起こらず、土方歳三は戊辰戦争の戦野を生き延びることになった。
生き延びた土方歳三は、北の大地に屯田兵として赴き、明治初期を生き抜く。
また、五稜郭の戦い等で散った他の多くの男達も、史実と違えた人生を送ることになった。
そして、台湾出兵に土方歳三は赴いた後、西南戦争が勃発する。
土方歳三は屯田兵として、そして幕府歩兵隊の末裔といえる海兵隊の一員として、西南戦争に赴く。
そして、北の大地で再生された誠の旗を掲げる土方歳三の周囲には、かつての新選組の仲間、永倉新八、斎藤一、島田魁らが集い、共に戦おうとしており、他にも男達が集っていた。
(「小説家になろう」に投稿している「新選組、西南戦争へ」の加筆修正版です)
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる