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第二章 巡り合い
億姫と月女
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千里百条と謳われる露店出店を二人で縦横無尽に歩き回った。歩き回るとお腹が空く。
どこからともなく炊きあがったご飯のおいしそうな匂いが漂ってきた。
食べ物屋だけでもそれこそ山海の珍味が取り揃い、甘い匂いをさせている南国の水菓子や炊き込んだ芋や魚に獣肉などの様々な匂いが満ち満ちているというのに、その香りは立っていた。
このご飯を食べてみたい。そう思わずには居られないほどだ。
億姫は鼻の孔を膨らませると月女に問うた。
「このご飯の匂いのする屋台に行きたいです。場所分かりますか」
「はい。立ちすぎてはっきりと見えていますから、この香気。直ぐにでも」
億姫も月女もこの匂いにつられてみることにした。
月女の眼には、匂いが白い帯が棚引いているように見えている。
目的の場所は直ぐに分かった。
表通りから離れた、随分と奥まったさびしい場所にポツンと、質素な屋台が見えた。
古ぼけた土塀に囲まれた寂れた神社の脇に、提灯一つで、飾りらしい飾りは何もない。
その質素な屋台に結構な人が群がっている。
並んでいる人たちの様相はまちまちで、町人に武家、公家姿に御料さんお使いの小僧など老若男女の沢山の人たちがいた。
何を出しているのかと思えば、握り飯に野菜の汁椀だけのようだが、皆そわそわと、しかし、行儀よく並んで待っている。
ぞわりと何か気配が首筋を撫でる。
億姫はきらきら輝く綺麗な眼を見開いて驚き、月女は美しい弧を描いている眉をひそめて呆れ顔になった。
「あら、姫様あれを」
「はい。不思議で興味をそそられます。初めて見ました」
並んでいる人々の中に人ならざる者が混ざっているのだ。
それも一体二体ではない。
一瞥しただけで直ぐにわかった。変化の力を如何に使おうが装武士の目は全てを見抜く。
赤ら顔の男は長い舌をひらひらさせながら酒徳利の中を舐めている。あれは変化貉だ。
鬼ムカデの妖物は武ばった顔をした奴姿で、髻が虫の足と同じく蠢いてカサカサ音を立てている。力士姿の大男は夜叉であろうか。がちがちと噛み合わせる牙の隙間から火花が散って角が見え隠れしている。夜叉の吐く火花を迷惑そうに、扇で避ける貴人風の女性の着物は、風も無いのにユラユラと宙を舞っている。
性質の悪そうなものから、どこぞの名のある主であろうかと思うものまで、人に混ざってあるのだ。
頭を齧り取るわけでも無く、魂を吸い取ろうとするわけでも無く、屋台の順番を待っている。百鬼夜行になろうかというくらいの人外のもの達が大人しく並んでいることにも驚きだが、普通の人々が同じ場所に笑って居られることに更に驚いた。
炊煙から溢れる香気が瘴気を浄めている。ただのご飯を炊いている匂いである。
七神流は神の武である。形を持たぬ瘴気であっても祓い断ち切ることは出来る。
しかし、浄めて無害化するなどということは出来ない。
神の拵えし武神具を勇猛に振るう天下の真武七神流でも出来ないものは出来ないのだ。
瘴気を浄化する。滅するのではなく浄めてしまう。つまり害のないものへ転じているということだ。
そんなことが出来るとは。億姫は深く感じいった。どんな風にしたらあんなことが出来るのだろう。もし自分が同じことを出来たなら……。
億姫はドキドキした。
今日という日は何という日であろうか。永く求めているものが全てそこに在るようなそんな気すらしていた。
瞳を閉じて息を整える。
「月女。行きますよ」
「承りました。手前の二体は雑魚ですが、あの力士姿はかなり手強そうです。正面と脇から様子を伺い―― 」
億姫は笑いながら顔を横に振った。
「違います。討つのではなく並ぶのです。妖魔を討つという七神の掟は忘れてはいませんが、討つことだけが全てだとも思えません。現にああやってお行儀よく並んでいるではありませんか」
変化貉が酔っぱらってふらふらし、しゃんと立てないのを見かねた夜叉力士が、むんずと頭を掴んで直立させる。貉の前にいる杖を突いたお婆さんが夜叉力士に軽く会釈をした。あろうことか夜叉力士がお婆さんに会釈を返している。
「弱いものを傷つけるものであれば躊躇いませんが、駄目でしょうか?」
億姫の迷いのない瞳が真っ直ぐに月女の瞳を覗き込む。気負いもなく悲しげでもなく心の内を素直に月女へ、唯それのみを伝えたい。
ふっと月女の表情が緩む。
月女は億姫のきれいな頬に掌でそっと触れた。
「子供なのは随分昔の話なのですね。すっかり成長されました。流石は私の姫様。お仕えのし甲斐があるというもの」
月女は嬉しそうでもあり寂しそうでもあった。
「妖にも心や痛みがあり、中には人の味方をしてくれるものもいます。掟や定法他人の話のみならず、ご自身のお考えで見て聞いてご判断下さりませ」
億姫は真顔で頷く。
「でも用心は忘れてはなりません。人でないものはやはり気持では推し量れないことが多く、危険なことに変わりはありませんので」
「月女みたいに、常に隙が無くという訳には私は参りません。己の未熟さ故に。だから……」
月女のたおやかな指が億姫の唇をそっと塞ぐ。
「だから、お傍にわたくしが常に控えております。何かありましても、この月女が必ず、姫様の身と貞操は命に代えましてもお守り致しますので、どんとご安心ください」
月女が笑う。億姫も笑う。
「命に代えては駄目です。怪我をしてもいけません。あと貞操だけは余計な心配です。私は不埒ではありません。月女と違って恋多き女でもありませんし、お嫁に行く予定もありません」
月女は御祖父様の書状をぴらぴらさせた。
「あら、そんな事を言って。この書状を書いたお方は『かわいい孫が生んだ曾孫をこの手で抱いてから死にたいのう。月女何とかならぬか』と仰っておりましたが」
色っぽくたわわな胸元を強調すると億姫に流し目をする。
億姫は顔を真っ赤にして慌てた。
「そそそ、そんなことを、御祖父様がおお、仰るわけがありません。不埒ですよ月女」
「いつまでも初心でねんねでは困りますぅ。艶っぽいお話も出来るようにしましょうね。うふふっ。では女の立話はここまで。お腹も空きまくっている事ですし、妖魔も虜にするご飯いただきに参ると致しましょう。瘴気をも浄める香気の秘密と、その香気のお蔭で狂暴になった姫様のお腹の虫を退治する為に」
二人は笑いながら列の後ろに並んだ。
妖も並ぶ屋台へ向かうその姿は勇ましい装武士ではなく、ただ仲の良い姉妹のようであった。
どこからともなく炊きあがったご飯のおいしそうな匂いが漂ってきた。
食べ物屋だけでもそれこそ山海の珍味が取り揃い、甘い匂いをさせている南国の水菓子や炊き込んだ芋や魚に獣肉などの様々な匂いが満ち満ちているというのに、その香りは立っていた。
このご飯を食べてみたい。そう思わずには居られないほどだ。
億姫は鼻の孔を膨らませると月女に問うた。
「このご飯の匂いのする屋台に行きたいです。場所分かりますか」
「はい。立ちすぎてはっきりと見えていますから、この香気。直ぐにでも」
億姫も月女もこの匂いにつられてみることにした。
月女の眼には、匂いが白い帯が棚引いているように見えている。
目的の場所は直ぐに分かった。
表通りから離れた、随分と奥まったさびしい場所にポツンと、質素な屋台が見えた。
古ぼけた土塀に囲まれた寂れた神社の脇に、提灯一つで、飾りらしい飾りは何もない。
その質素な屋台に結構な人が群がっている。
並んでいる人たちの様相はまちまちで、町人に武家、公家姿に御料さんお使いの小僧など老若男女の沢山の人たちがいた。
何を出しているのかと思えば、握り飯に野菜の汁椀だけのようだが、皆そわそわと、しかし、行儀よく並んで待っている。
ぞわりと何か気配が首筋を撫でる。
億姫はきらきら輝く綺麗な眼を見開いて驚き、月女は美しい弧を描いている眉をひそめて呆れ顔になった。
「あら、姫様あれを」
「はい。不思議で興味をそそられます。初めて見ました」
並んでいる人々の中に人ならざる者が混ざっているのだ。
それも一体二体ではない。
一瞥しただけで直ぐにわかった。変化の力を如何に使おうが装武士の目は全てを見抜く。
赤ら顔の男は長い舌をひらひらさせながら酒徳利の中を舐めている。あれは変化貉だ。
鬼ムカデの妖物は武ばった顔をした奴姿で、髻が虫の足と同じく蠢いてカサカサ音を立てている。力士姿の大男は夜叉であろうか。がちがちと噛み合わせる牙の隙間から火花が散って角が見え隠れしている。夜叉の吐く火花を迷惑そうに、扇で避ける貴人風の女性の着物は、風も無いのにユラユラと宙を舞っている。
性質の悪そうなものから、どこぞの名のある主であろうかと思うものまで、人に混ざってあるのだ。
頭を齧り取るわけでも無く、魂を吸い取ろうとするわけでも無く、屋台の順番を待っている。百鬼夜行になろうかというくらいの人外のもの達が大人しく並んでいることにも驚きだが、普通の人々が同じ場所に笑って居られることに更に驚いた。
炊煙から溢れる香気が瘴気を浄めている。ただのご飯を炊いている匂いである。
七神流は神の武である。形を持たぬ瘴気であっても祓い断ち切ることは出来る。
しかし、浄めて無害化するなどということは出来ない。
神の拵えし武神具を勇猛に振るう天下の真武七神流でも出来ないものは出来ないのだ。
瘴気を浄化する。滅するのではなく浄めてしまう。つまり害のないものへ転じているということだ。
そんなことが出来るとは。億姫は深く感じいった。どんな風にしたらあんなことが出来るのだろう。もし自分が同じことを出来たなら……。
億姫はドキドキした。
今日という日は何という日であろうか。永く求めているものが全てそこに在るようなそんな気すらしていた。
瞳を閉じて息を整える。
「月女。行きますよ」
「承りました。手前の二体は雑魚ですが、あの力士姿はかなり手強そうです。正面と脇から様子を伺い―― 」
億姫は笑いながら顔を横に振った。
「違います。討つのではなく並ぶのです。妖魔を討つという七神の掟は忘れてはいませんが、討つことだけが全てだとも思えません。現にああやってお行儀よく並んでいるではありませんか」
変化貉が酔っぱらってふらふらし、しゃんと立てないのを見かねた夜叉力士が、むんずと頭を掴んで直立させる。貉の前にいる杖を突いたお婆さんが夜叉力士に軽く会釈をした。あろうことか夜叉力士がお婆さんに会釈を返している。
「弱いものを傷つけるものであれば躊躇いませんが、駄目でしょうか?」
億姫の迷いのない瞳が真っ直ぐに月女の瞳を覗き込む。気負いもなく悲しげでもなく心の内を素直に月女へ、唯それのみを伝えたい。
ふっと月女の表情が緩む。
月女は億姫のきれいな頬に掌でそっと触れた。
「子供なのは随分昔の話なのですね。すっかり成長されました。流石は私の姫様。お仕えのし甲斐があるというもの」
月女は嬉しそうでもあり寂しそうでもあった。
「妖にも心や痛みがあり、中には人の味方をしてくれるものもいます。掟や定法他人の話のみならず、ご自身のお考えで見て聞いてご判断下さりませ」
億姫は真顔で頷く。
「でも用心は忘れてはなりません。人でないものはやはり気持では推し量れないことが多く、危険なことに変わりはありませんので」
「月女みたいに、常に隙が無くという訳には私は参りません。己の未熟さ故に。だから……」
月女のたおやかな指が億姫の唇をそっと塞ぐ。
「だから、お傍にわたくしが常に控えております。何かありましても、この月女が必ず、姫様の身と貞操は命に代えましてもお守り致しますので、どんとご安心ください」
月女が笑う。億姫も笑う。
「命に代えては駄目です。怪我をしてもいけません。あと貞操だけは余計な心配です。私は不埒ではありません。月女と違って恋多き女でもありませんし、お嫁に行く予定もありません」
月女は御祖父様の書状をぴらぴらさせた。
「あら、そんな事を言って。この書状を書いたお方は『かわいい孫が生んだ曾孫をこの手で抱いてから死にたいのう。月女何とかならぬか』と仰っておりましたが」
色っぽくたわわな胸元を強調すると億姫に流し目をする。
億姫は顔を真っ赤にして慌てた。
「そそそ、そんなことを、御祖父様がおお、仰るわけがありません。不埒ですよ月女」
「いつまでも初心でねんねでは困りますぅ。艶っぽいお話も出来るようにしましょうね。うふふっ。では女の立話はここまで。お腹も空きまくっている事ですし、妖魔も虜にするご飯いただきに参ると致しましょう。瘴気をも浄める香気の秘密と、その香気のお蔭で狂暴になった姫様のお腹の虫を退治する為に」
二人は笑いながら列の後ろに並んだ。
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