壁越し

連

　扉を開いた。
　体を求めた。
　名を求めた。
　相手は、見上げながら俺を見る。長い前髪がそこでようやくはらりと崩れて、相手の眼が露わになる。切れ長で睫毛の長いそれは。想像したよりもずっと……綺麗な瞳、だった。

「ぅあ゛♡僕はっ♡はざま、連……ッ♡」
「ッ──狭間連ッ！？」

　告げた代わりに告げられる名へ、俺の声は素っ頓狂に裏返った。当然だ。覗きをする前は毎日のように本を読み返してた、今一番気に入ってるホラー作家の名前がまさかここから出てくるなんて、一体誰が想像する！？

「ッあんたがっ、狭間、連……ッ、あ゛ッ！」

　狼狽える俺を一切構わず、連は乱暴に俺の腕を引く。

「僕にも教えてくれ。……君の名前は？」
「っ……」

　濁っているくせにまったく自信に満ちて、俺を一直線に覗き込む瞳に沈黙を守れるほど俺は強くない。ただでさえ目の前に居るのは、唸るほどに好んでいた作家先生だ。そんな相手を前に、こんな俺が、口を噤める──はずもない。

「ッ……境囲、迅」
「そうか。迅。……境囲迅」

　俺の名に、そっと、連の目が光る。

「迅。今日から君は僕の共犯者だ。もし可笑しな真似をしたら君を犯罪者の覗き魔として君の関わるあらゆる人間関係へ暴露する」
「っ……。」

　突然投げられる明確で理不尽な脅迫は、書かれた小説から俺が想像していた通りの狭間連だ。冷たくて醒めていて人間嫌いの孤独な鬼畜。でもそれは俺への福音だった。俺の脳内だけに棲んでいた狭間連が、実在の狭間連とほぼ等しいという証明だったからだ。

「みっ……見返りは？」
「僕に執筆させてくれ」
「……なに、を？」

　俺の掠れた問いに、連は笑った。それは俺が初めて視る連の笑顔で、そのまったく慣れていない笑顔が、やはり俺の感情と劣情を同時に掻き立てた。狭間連は間違いなく俺の好いた作家なのだという確信。今からこの男とセックスをするのだという確信。それらは俺を掻き立て、俺の想いのすべてを狭間連へと繋ぎ止める。
　そして連はそんな俺の感情こそを掬い取るように嬉しげにチロチロと舌を泳がせて、この上ない狂喜を、その口元へ綻ばせた。
「それは、勿論」


「これまでとこれからの。──僕らが営む、狂った日々を……ッ♡」