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〚ぼくのほんとう〛

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 悟が、泣いている。
 ほろほろと、涙を、流している。あのときと同じように。あのときと、なにも変わらずに。
 しかし悟は確かに今、私の前に存在している。背を向けることなく。逃げ出すことなく。私と、必死に、向き合ってくれている。そんな悟を前にして、一体なにを隠せるのだろう。黙っておけるのだろう。橘がこうして設けてくれた機会を、無碍にできるというのだろう。

「悟。私も。お前が──好きなんだ。」

 声は、震えていた。
 誰かを好きになるということ。誰かを想うということ。それを私はこれまで、人生から徹底的に遠ざけていた。それでいいと思っていた。自分で自分を愛して。自分で自分を慰めて。それでいい、と思っていた。

「……私は、ずっと、怖かった。お前は誰をも平等に愛し、そして誰からも愛される。そんなお前に私が想いを寄せても、不相応だと思ってきた。関係を持ってからも、こんな性格が悪くて面倒な私など、お前はすぐに飽きて、離れるだろうと思っていた。だから最初からお前を諦めて……距離を、取るつもりでいた」

 けれど実際は、選ばれないことが怖くて、受け入れられないことが怖くて、なにもかもを、避けてきただけだ。私は誰も選ばないことで、自分自身を守ろうとしてきただけだ。それに気づいた。悟と触れ合って、その弱さを、私はどうしようもなく自覚した。私はこんなにも臆病な、我が身可愛さばかりの人間、だったのだと。

「それでも、会うたびに悟が私を求めてくれることが嬉しくて……私を抱いて、褒めてくれることが嬉しくて……お前に惹かれていった。お前ともっと特別な関係になれたらと……思う気持ちを、止められなくなった……」

 ……だが違う。今は、違う。選ばれずとも、受け入れられずとも、私は私を伝えたいと思う。そう想ってしまうほどの相手に、私は、出逢ってしまったのだから。言葉にして改めて思う。改めて、感じる。こんなにも、私は悟が好きなのだと。こんなに、こんなにも、私は、悟に、恋をしているのだと。

「だからこそ、伝えたいんだ。見苦しくても。浅はかでも。そんな私を、悟は好きになってくれた。セックスだけじゃない。お前が、自分自身をすべて曝け出して私に差し出してくれたから、私は、お前を好きになったんだ。だから私も同じようにしてやりたい。そんなお前だからこそ、私はお前に惹かれたんだと、言ってやりたい。お前だからいいんだ。今の、そんな、お前だから。……私は、悟を、好きになったんだ。」

 だから、私が伝えなければいけなかった。私が、示さなければならなかった。あのとき逃げ出したのが悟なら、あのときその手を離してしまったのが私だ。それならもう離さない。離したくない。結ぶ。想う。繋ぐ。かたく。かたく。我儘に。傲慢に。
 私のほしい、たったひとりへ、手を伸ばす。

「私は、私だって、お前に誇れるような人間じゃない。お前の過去に嫉妬して。そんな自分を嫌悪してばかりで。お前に説教したり説得できるような、立派な人間じゃないんだ。あのときだって間違った。悟を、傷つけてしまった……っ」

 私だって同じだ。
 私も、同じように、持っている。
 こんなに弱い私でも。
 それを乗り越えてでも。
 ……彼と、同じように。
 得たい想いが、ここに、あるから。

「だから……もしも。もしも……お前が。私を、まだ、見限っていないのなら。……あのときの返事を、させてくれ」

 視界が潤んでいた。
 私も泣いているのだと思った。息が詰まって。苦しくて。でも酷く、清々しかった。自分に素直になることは、自分に嘘をつかずにいられることは、こんなにも息がしやすいのだと思った。そんな自分を、誰でもない悟へ見せられていることが、自分が大嫌いで仕方ない私に、ほんの少しだけ、けれど確かな、勇気を与えてくれていた。
 その誇りを。その決意を抱き留めて。
 私は震えた喉で、……口を開いた。

「……悟。私も……。僕、も。ずっと、お前と一緒に、居たいんだ。」

 ……言った。告げた。
 私の。僕の。最上の願いを。
 彼へと、告げた。
 ああ。言えた。やっと。言えた。
 形にすると、まるで気が抜けたようになる。僕の中で抱えられていたすべてが外に放たれて、からっぽになって、しぼんでしまったような心地になる。でも。ああ。やっと。伝えられた。やっと。悟に。僕の想いを。言うことが、できた。ただそれだけなのに、僕自身が僕を労るように、これまでにない安堵が広がってゆく。堪えられずに、涙が目からこぼれてゆくのがわかる。ああ。僕は。ぼくは。やっと。自分の気持ちを。悟に……。

「ッ──。なんで……ッ。……なんでそういうことっ、言うのっ!?」
「ッ、え?」

 けれど、僕の糸が切れたような安穏は長く続かなかった。がたん、と荒々しく悟が椅子から立ち上がったからだ。大声。咆哮。まるで僕とは正反対になにかが琴線へ触れてしまったように突然叫ぶ悟の行動に、僕は驚いて悟を見つめてしまう。けれど悟はこちらを睨んだまま、更に語気を強めるだけだ。

「俺っ、おれがッ、見限るわけ、ないじゃん!?今更……っ、いまさら吉乃さんのことッ、そんな風に扱うわけ、ないじゃんっ!!吉乃さんのっ、バカッ!!!」
「あ……さ、悟……っ?」
「ほんとっ、ほんとさぁっ!!プライド高くてっ、要求高くてっ、いっつも、俺に、無茶ばっか言ってくるのに……っ。ほんとっ、仕事以外は、自己評価低いんだからさぁっ!!!俺っ、おれはっ、こんな……っ、こんなに……っ、吉乃さんのことが、好きなのにッ!!!!」
「!」

 立ち上がった悟が、座ったままの僕の横へ来る。悔しさともどかしさと苦しさ、そしてなにより、吹っ切れたような怒りを纏った雰囲気に、僕は、気圧されてしまう。こんな悟を見たことがない。こんなにも激しく、こんなにも感情を荒らげる悟を、一度も見たことがない。手を取られる。強く、握られる。周囲の目が完全にこちらに向かっていて。けれど僕も悟も、もうお互いしか見えていなかった。熱い体温。悟の体温。びりびりとしびれるような痛みにも似た感覚が、僕の中を駆け巡る。

「思うわけ、ないじゃん。見限るとか。飽きるとか。そんなばかなこと、するわけ、ない。なんで、わかんないのかな。どうして、わかんないの?俺がっ、どんだけ、あなたを、好きか。どんだけ言えば、わかって、くれる?」
「ぁ、あ」
「離さないよ。俺は、ぜったい、吉乃さんを離さないし、吉乃さんから、離れない。吉乃さんがいやになったって、離して、あげない。だから、何回だって言ってあげる。吉乃さんがいやになるまで。何回も、何回も、何回だって、吉乃さんに、好きって言う。大好きだって。愛してるって。俺にとってあなた以上のひとなんて、もう、これから、現れないんだって。一生かけて、言い続ける!」
「さ、悟……っ。お……落ち着け」
「落ち着かないよ!吉乃さんがこんなに本音を伝えてくれたのに。俺、もう、逃げたくないよ!ねぇ。吉乃さん。俺にも。言わせて。ちゃんと。言わせてよ。」
「ッ」

 悟が僕の目の前で片膝をついて跪く。まるで陳腐なプロポーズでもするように。そこでようやく理性が少し戻って、一体を何をしているんだと叱りつけたくなった。けれど真剣な、こんなにも真剣な悟を見ていると、身動きがとれない。何も言葉にすることが、できない。

「俺にも、選ばせてよ。吉乃さんを、選ばせてください。やっと選びたいって思ったんだ。やっと、誰かひとりを選んで、そのひとと、歩いていきたいって思ったんだ。俺、それが、うれしいんだ。そう思えて、うれしいって思えてるんだ。あんなに苦しかったのに。今も、こんなに、切ないのに。それなのに。でも。だけど。俺。吉乃さんを、好きになって。なんにも、後悔っ、してないんだよ」
「っ──、」

 後悔。ああ。そうだ。僕だって、そうだ。僕だって。あんなに悩んだのに。あんなに苦しんだのに。お前を好きになったことを、なにひとつ、後悔、していない。お前からあんなにもたくさんのものを貰えたことを、一生の宝物にしてしまいたいほど、大切に、大切に思っている。悟。僕も。ぼくだって。おまえを。きみを。

「だから、……吉乃さん。」
「っ。」

 低く紡がれる音色に、ざわりと全身が戦慄く。この肉体の奥底まで、何度も何度も刻まれて注がれた彼の細胞が、その遺伝子が、まるで呼応するように僕へとさざめく。それは予兆。そして確信。
 僕が。ただひとり。そのひとりに。
 間違いなく。選ばれる、ための──。

「……好きです。あなたが、大好きです。」
「ぁ、あ……っ、」
「俺も、あなたを、愛しています。晦──吉乃さん。」
「さと……っ、んンっ!♡」

 そっと身体を起こして、ふれる唇。押し付けるだけの。誓いのような。それは僕が初めて受けた、告白のキス。そして──。

「っん……ッ♡うぁ……♡僕……っ。僕も、好きだ……っ♡好き……っ♡愛してる、悟……っ♡」

 僕が初めてひとの愛を受け入れた。
 かけがえのない──、キスだった。
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