籠の鳥は愛を知る

ゆる

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第4章:陰謀の闇

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 エドワードの狂気に似た怒りが邸内に漂いはじめてから数日が経った。セレスティアは襲撃の際に負った擦り傷や打撲の手当を受けながら、なんとか日常を取り戻そうと努めていた。だが、彼女の瞳には常に「エドワードの暴走をどう止めればよいのだろう」という不安が翳っている。
 あの夜、彼が誓った「徹底的な復讐」という言葉が離れない。実際、彼は犯人の残党や陰謀の首謀者を探し出すべく、大量の金や人員を投入し始めており、敵貴族への報復は時間の問題だろう。護衛兵たちの間にも緊張が走り、屋敷の使用人たちまで張り詰めた空気に呑まれつつある。

 セレスティアは、何とかしてエドワードを説得できないかと試みた。少しでもその苛烈な暴走を鎮めてほしい、さらなる血を流してほしくない――それが彼女の切なる願いだった。しかし、彼に話しかけるたび、彼の瞳に宿る憎悪と焦燥が勝ってしまい、ろくに聞いてもらえない状態が続いていた。

 その夜、エドワードは執務室で書簡や地図を広げ、護衛兵や執事を相手に長い議論を続けていた。敵貴族が潜んでいると思われる邸や拠点の位置関係、そこに仕えている手勢の数――すべてを洗い出し、どう「叩き潰す」かを綿密に計画しているらしい。セレスティアは廊下の陰から、その様子をそっと窺っていた。

 (こんな深夜まで……。どうして、こんなにも憎しみに囚われてしまったの……?)

 胸が苦しくなる。もともとエドワードには冷徹な一面があり、愛を知らずに育ったゆえの不器用さを抱えていた。しかし、セレスティアがそばにいる間は、その孤独を和らげ、乱暴に見える執着も少しずつ愛へと変わっていくのだと信じていた。
 けれど、今回の襲撃で彼は“愛する者を奪われかけた”恐怖を味わい、さらには“狙った者への復讐心”を顕在化させてしまった。歯止めをかける術は、果たしてあるのだろうか。

 エドワードが執務室を出たのは、深夜もとうに過ぎた頃。護衛兵や執事を下がらせたあとも、彼は苛立ちを抱えたまま廊下を歩いている。セレスティアがそっと声をかけると、彼はかすかに眉をひそめた。

 「こんな夜更けに、どうした? まだ身体は休まっていないだろう」
 「それでも……あなたと話したいの。お願い、少しだけいいかしら」

 そう告げる彼女に、エドワードはわずかにためらった表情を見せるが、やがて無言で頷く。二人は屋敷の奥まった一室――かつてセレスティアが初めて“彼の幼い頃の手紙”を見つけてしまった私室とは別の、静かな客間へと足を運んだ。

 室内に入るなり、セレスティアは意を決して振り返る。明かりは小さなランプが灯るだけで、薄暗い。エドワードの顔は陰影に包まれ、その瞳には消え残る怒りの色が揺らめいていた。

 「エドワード様……私、あなたに守ってもらったことは心から感謝しているの。けれど、どうか、復讐だけを目的に生きるのはやめてほしいわ。あなたが、あなた自身を壊してしまうんじゃないかって……それが怖いの」

 震える声を抑えきれないまま、セレスティアは彼の手を取ろうとする。すると、エドワードは苦しげに目を伏せた。

 「復讐だけ、じゃない。俺は、お前を二度と危険にさらさないようにしているだけだ。……お前も見ただろう、あの男たちの所業を。のうのうと生きていれば、またいつ狙ってくるかわからない」
 「でも、血で血を洗うようなやり方は、あなたを孤立させるだけだわ。私のために戦ってくれるのは嬉しいけれど、あなたが誰かを殺して、傷ついて……」

 言葉を継げないほど、セレスティアの胸は痛む。エドワードは彼女の言葉を振り切るように、握りしめた拳を壁へ叩きつけた。小さな衝撃音が夜の静寂を破り、かすかに粉塵が舞う。

 「もう、俺は一人で大丈夫だと思っていた。でも、お前と出会って……お前が“唯一の存在”になった瞬間から、俺は強烈な恐怖を抱くようになった。もし、お前を奪われたら、どうなるか……想像しただけで正気でいられない」
 「エドワード様……」

 セレスティアの瞳から涙がにじむ。彼が抱える恐怖と孤独、そして狂おしいほどの執着が痛いほど伝わってくる。彼女はその胸の奥を理解できるつもりでいたが、彼の苦しみは自分の想像以上だったのだ。
 そっと、彼女はエドワードの背に腕を回し、自分の胸に抱き寄せる。彼は一瞬戸惑った様子を見せるが、やがて少しずつ肩から力が抜けていくのがわかる。

 「……あなたの復讐心は、私を守りたいって思いの裏返しだってわかってる。でも、そんなことを繰り返していたら、あなたは大切なものを見失ってしまうわ。……私よりも、あなた自身が傷ついて壊れてしまう」
 「俺は……お前を失うくらいなら、すべてを犠牲にしてもいいと思ってる。何もかも壊してでも、お前だけは守りたいんだ」

 その囁きに、セレスティアは胸が詰まる。危うくて、狂気的で、けれど痛いほど純粋な愛情。その一方で、放っておけば大勢の命を奪いかねないほどの憎悪が、彼の中で渦巻いている。彼の孤独と怖れが合わさり、破滅へ向かう暴走エンジンと化しているのだ。

 「……ねえ、私が本当に求めているのは、あなたが誰かを殺める姿じゃないわ。こんなに血の匂いをまとった、あなたを見たくないの。あなたの手が血で汚れるたび……私の心も痛むのよ」
 「セレスティア……」

 エドワードの声はわずかにかすれ、彼女の言葉を正面から受け止める。怒りと絶望のはざまで、ぐらつく心をどう処理していいのかわからないのかもしれない。セレスティアは最後の決め手となる言葉を絞り出すように口にした。

 「私は……“復讐”よりも、あなたの笑顔が見たいの。あなたが穏やかに生きられる世界を守ってほしい。そのためなら、私も努力するわ。逃げたりしないし、私にできる限りのことをする。だから……あなたはもっと、私の気持ちを大切にしてほしいの」

 長い沈黙が落ちる。エドワードはセレスティアの背中に手を回しながら、激しく揺れる胸の内を抑え込もうとするかのように、低い吐息を何度も繰り返した。彼女の言葉が心の奥底を掻き乱し、復讐だけに凝り固まっていた思考に小さな亀裂を走らせる――そんな気配をセレスティアは感じ取る。

 「……わかった。わかった、セレスティア。俺は、お前のことをもっと大事にするために復讐をすると決めたけど……“お前が望まない”というのなら、少しやり方を考える」

 どこか不満げで苦しそうな声音。それでも妥協点を探り合おうとする意志が見えたことに、セレスティアは密かに安堵する。彼はまだ激しい怒りを抱えているが、狂気を爆発させる手前で何とか踏みとどまれる可能性がある。

 「ありがとう、エドワード様……」

 セレスティアは小さく微笑み、彼の首筋に顔を預ける。その瞬間、彼女の耳に聞こえてきたのは、激しい鼓動。彼もまた孤独や不安に呑まれ、心が千々に乱れている証拠だ。彼女は思わずその胸に腕を回し、より強く抱きしめた。

 「……お前を放す気はない。けれど、血まみれの世界を見せるつもりもない。俺は、お前を守る方法を……もっと、考えてみる」

 彼の言葉は途切れがちだが、その一言一言が凍りつきかけた狂気をほんの少しずつ溶かしていくように感じられた。もしかすると、これが「愛のために残された最後の戦い方」を模索する始まりになるのかもしれない。

 ***

 翌日、エドワードは早速動きを見せた。敵貴族の素性や目的を探るため、暗躍する兵士や密偵を“徹底的に取り締まる”と宣言はしたが、“皆殺しにする”という極端な方針は撤回し、必要以上の流血を避ける道を模索する意向をちらりと示したのだ。まわりの護衛兵たちも驚いた様子だったが、セレスティアは胸を撫で下ろすような思いだった。

 (本当に、あの人は少しずつ変わってくれるのね……)

 もちろん、まだ火種は消えていない。彼の心に根づいた孤独と憎悪が、完璧に払拭されたわけではないのだから。それでも、セレスティアの一言一言が、彼を“復讐よりも私を守ってほしい”という方向へ導き始めている。このままなら、エドワードは破滅的な狂気に身を委ねずに済むかもしれない。

 そう信じるセレスティアの思いがどこまで届くのか、まだわからない。彼女自身、刺客のトラウマや身体の痛みに苦しめられながらも、屋敷の外へ出るたびに危険がつきまとう状況は変わらない。陰謀の闇はまだ消えてはいない。

 けれど、一歩前へ進んだことは確かだ。セレスティアは、自分の声が彼の血塗られた道をほんの少しでも照らすならば、迷わず手を伸ばそうと決意する。彼女の望みは、彼が誰も傷つけず、自分自身も傷つかずに愛を貫いてくれること。
 そして、エドワードはそんな彼女の願いを“できるだけ”叶えようと、一度は固めた復讐心を少し抑える道を選び始めた――。「陰謀が解決する」までには、多くの障害が待ち受けているかもしれないが、二人の世界にはわずかに“理性と愛の狭間”を模索する余地が生まれつつある。

 こうして、セレスティアが望んだ「復讐よりも私を守ってほしい」という説得は、エドワードの暴走を小さく食い止めるきっかけとなった。闇に潜む敵を排除する方法は、単なる血みどろの暴力だけではないと、彼が理解し始めるまで、もう少し時間がかかるかもしれない――しかし確かなことは、セレスティアの揺るぎない愛が、彼の心をつなぎ止めているという事実だ。

 あの日のように、もし再びセレスティアが危機にさらされることがあれば、エドワードはどう動くだろう。完全な平和が訪れぬまま、暗い陰謀はまだくすぶっている。しかし、二人が手を取り合うたび、その闇をも照らし出すほどの“熱い愛”が、血に染まった未来をそっと縫い合わせるかもしれない――。

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