壺中の天に愛誦

ゆし

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中は思いの外落ち着いていて、橙や茶が基調の温かい雰囲気が広がっている。


カジノ、が一番わかやすいだろう。


鼻につくタバコの臭いやウイスキーの香り。笑い声や楽器の演奏。混在したオトナの世界はすんなりと私を包むのになじませてはくれない。子供だからしかたがないのだろうけど。


「こんな落ち着いているのね」

「そうですね」

「貴方…、亜喜はここによく来るの?」

「仕事柄で」

「そう」


スタスタと歩く私の後ろを彼は追いかける。ピッタリと離れないと言うほどに近くに居るけど初対面でもないしなんやかんや慣れてしまった。


周りを見渡しても騒がれている様子も『トキネ』という名前も聞こえない。今日はいないのかな。というよりも、人の前に出ないと聞くからどこか違う部屋にいるのかもしれない。


ここの作りも分からなければ相手の顔も分からない。無謀にも程がある。


どうすればいいのか分からず初々しさを隠しもせずにあたりを見渡し、溜息をつく。高揚と緊張が疲れとなって私を襲い始めた。


「ちょっとそのへんで休む」

「ご自由に」


周囲を見渡してから小さく溜息を溢し空いた席に。


「なんでみんなここに来るの」


周囲の様子を見ながらポツリと溢した声に亜喜の視線は静かに動いた。私の中の、奥の奥を見据えるような瞳は怖くて生温い。


「夢を買うんですよ」

「夢じゃなくて春じゃないの」

「そうとも言います。ただここで買うのは夢、ですよ」


その違いが分からない。しかし安定感のある声で紡がれる言葉は芯を持ち私に絶対的な『当たり前』を一つ与える。


「くれぐれも商品にならないように注意してくださいね」

「私はそんな安くないの」

「もちろん、高値がつくと思いますよ」

「そういう意味で言っていない」

「わかってます。ただ貴方のような人は狙われやすい」


子供扱いか。


遊ばれているような感覚に若干の苛立ちが生まれる。入れるようになったからってこのドアマンの子供扱いは変わらなかった。

「いい加減にっ!」


振り返って怒ろうと口を開いたその時、最後の声を飲み込んだ。


目の前に広がるのは端正な顔。見た目によらず長いまつげは近づかないとわからないほど。


触れてはいないものの息がかかり、誰かが直ぐ側に居ると緊張でカサつき始めた唇が教えてくれた。



「ほら」


たった二文字。


それなのにぐっと心臓を掴まれたような感覚に視界が揺れる。心臓の音かそれとも私自身が揺れているのか。ぐわんと歪むように世界が変わる。



「なっ…」

「初心」

「……っ」



その瞬間に世界に星屑が降ったように視界が驚きでチカチカとした。


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