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52.最後のトリガー②

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 控えめに言っても、やり過ぎたわね……。

 夜空を朱く照らす王宮を見上げながら、ミランダは難しい顔で腕組みをした。

 王宮の資産を保全するよう命じられていた反乱軍は、必死で対応に当たるが、貴賓室から吹き出す炎に難航し、思うように消火が進まない。

 更には地下監獄から捕虜が脱走した知らせまで入り、反乱軍の現指揮官ワーナビーが奔走するものの、燃え盛る王宮の消火に手を取られ、現場は混乱しとても指揮するどころではなかった。

「これは……怒られるわね」

 外に避難し、ちょっぴり冷や汗を搔きながら眺めていると、傍らで立ち尽くしていた貴賓室の見張り兵が、上を見上げ大きく声を上げた。

 雨で緩くなった地面へ向かい、王宮の一角が、ぐらりと傾く。
 血に塗れ、数多の死屍を礎に権勢を誇ったグランガルド王国……王の住まう宮殿が、瓦礫の様にガラガラと、音を立てて崩れ落ちる。

「殿下、ご無事ですかッ!?」

 聞きなれた懐かしい声に振り返ると、護衛騎士のロンがミランダ目掛けて駆けて来た。

「……無駄に死ぬ必要は無いわ。止めておきなさい」

 慌てて戦闘態勢に入った反乱軍の兵士達を制すると、気付いたダリルとヴィンセントもまた、ミランダの方へと走り出す。

 ミランダの元に集った騎士達との、実力差は歴然。
 剣を構えながらも攻撃しあぐねていると、反乱軍の指揮官ワーナビーがこちらに気付き、慌てて駆け寄った。

 制圧の体を為すためだけに留め置かれた反乱軍……平民の騎士達に続き、戦い慣れていない急造の兵士達。

 反乱軍の被害状況が掴めないほど混乱を来しているこの状況で、これ以上続ける意味が果たしてあるのかと、ミランダはワーナビーに視線を向ける。

 そうこうするうち、水晶宮の方角が騒がしくなり、あちこちで交戦する音が聞こえた。
 睨み合いを続ける一団に目を留め、水晶宮から来たアシム公爵もまた、ミランダの元へと駆けて来る。

「水晶宮から引き連れた戦闘員と地下監獄の捕虜達……それに追加で投入した兵士達により、ほぼ制圧が完了しました」

 アシム公爵の言葉に、ワーナビーは目を伏せた。
 それもその筈、反乱軍が制圧した時の主力メンバーは、皆レティーナと共に去ってしまったのだから。

「旗色が変わる事があれば、その時は迷わず投降しなさいと命じたはずよ」

 ワーナビーの葛藤を見透かすように、ミランダは告げた。

「身の内に入れた者は守ると約束します。無駄な血を流す必要はないわ」

 揺らめく炎に照らされて、ミランダの金の瞳が宵闇に怪しく浮かび上がる。
 突風が吹き、流れるようにふわりと舞い上がった髪をミランダがそっと耳に掛けると、先程崩落した部屋の両壁が、再び音を立てて地に崩れ落ちた。

「魔女……」

 反乱軍の一人が、ぽつりと漏らした声を聞きつけ、ミランダの頬がピクリと引き攣る。

 それを受け、隣にいたもう一人の兵士もまた、震える声で呟いた。

「ファゴルの、魔女だ……」

 燃え盛る王宮を背に、暗闇に浮かび上がるが如く佇むミランダを前に、戦意を喪失し呆然と立ち尽くす兵士達。

 ワーナビーは諦めたように自らの剣を地に置き、徐に口を開いた。

「……反乱軍に告ぐ! 全て武器を捨て、投降せよ!」

 立場が逆転し、捕縛され、地下監獄へと連行されていく。

 次第に強まる雨脚は、崩れ落ちた王宮内部を洗い流すように降り注ぎ、プスプスと音を立てながら熱の断面へと沁み込んでいった。


 ***


「殿下! ご無事だったのですね!」

 水晶宮を心配するあまり、取りも直さず向かったミランダを出迎えたのは、アサドラ王国のドナテラ王女と、ミランダの専属侍女三名。

 間違いがあってはいけないと、ずっと着ていた血塗れのワンピースに目を留め、しばし絶句していた彼女らだったが、「すぐに湯浴みの準備を致します!」と、一番初めに我に返ったルルエラが叫んだ。

 シャロンとモニカが慌てて水を汲みに井戸へ走ろうとするのを制し、ミランダは静かに口を開いた。

「……アナベル様は?」

 裏切り者、ヘイリー侯爵の娘アナベル。
 反乱軍が王宮内に蔓延る中、負傷者が逃げ込んだ水晶宮に留まるとは思えず問いかけると、ドナテラは「こちらへ」と案内をする。

 ドナテラ、ミランダに続き侍女三名とアシム公爵、ロンが共に二階へ上がると、こちらは重傷者だろうか。
 各部屋から呻き声が聞こえ、中には痛みで叫ぶ者もいた。

「ここから先は、取り分け容態が不安定な重傷者が収容されています。もしご気分が優れない場合は、すぐに仰ってください」

 入口に立つ兵士が扉を開けると、使用人の共同部屋だろうか。
 幾つも並ぶベッドの上に、包帯代わりの布を巻いた兵士達が、無造作に転がっている。

 こんなところに、アナベルが?

 ミランダが眉を顰めていると、部屋の奥から、くぐもった音が聞こえた。

 ゴリゴリと何かを擦るような低い摩擦音。
 仄かな灯りに照らされて、座っていたのはアナベルと、その脇に困ったように佇むザハド。

「ヘイリー侯爵の一件……運ばれてくる重症の兵士達が、何人も水晶宮で亡くなりました。それを目にして以来ずっと……寝食以外、ずっとあの調子です」

 机の上には、薬草園のサンプルを作成するため、ミランダがザハドを通じ取り寄せた石製の薬研やげん

 その軸を両手で掴み、アナベルはゴリゴリと前後に動かしていた。

「……アナベル様」

 ミランダの声に、ビクリと肩を震わせ、それでも振り返らずに薬研車を回し続けるアナベル。

「アナベル様」

 傷を負った兵士達の為、乾燥させた薬草を押し砕き、粉末状にする回転軸……掴む両手に粗末な布が巻かれている。

 もう一度声を掛け、ミランダが自分の手を重ねても、アナベルはその手を止めなかった。

「……っ、……うっ」

 何度も何度も泣いたのだろう。
 最後に見た時は、あれほど美しく装っていたというのに、素顔のまま乾いた涙で目元を赤く腫らし、ただ一心に挽き続ける。

 どれほど繰り返したのだろうか、マメが潰れ、手に巻いた布には血が滲んでいる。

「ごっ……、ごめんなさ……ッ」
「……もう、いいのです」

 丸い目からポロポロと雫をこぼすアナベルにそう言って、ミランダはそっと抱き締めた。

「もう、いいのですよ」

 貴女のせいではないのです。

 ミランダの腕にしがみつき、泣き出したアナベルの背中をさすりながら、もう一度優しく告げた後、入口に佇むドナテラ達へと元気一杯に宣った。

「さぁ、みんなよく頑張ったわ! ドナテラ様にお預けした水晶宮、ここからは私が引き受けましょう!」

 ミランダに褒められ、嬉しそうに笑い合う専属侍女達。
 ドナテラも、護衛騎士のギークリーと顔を見合わせ、照れくさそうに微笑んだ。

 いつも通りのミランダを、どこかホッとしたように見つめるロンと、アシム公爵。

 遅れてやってきた『エトロワ』の三騎士達も、その様子を穏やかに見守っている。

「くれぐれもやり過ぎないでくださいよ……」

 そもそも、その血塗れの服は一体何なんですかとブツブツ言うザハドを一睨みすると、鼻水と涙でグシャグシャのアナベルが腕の中で、クスリと笑う声が聞こえた。

「……そういえば、うっかり王宮を燃やしてしまったのだけれど」

 その言葉に固まる水晶宮女性陣。

「今夜はどこで寝ようかしら?」

 にっこりと微笑むミランダに、燃え盛る王宮を目にしたばかりの男性陣は溜息を吐き、半ば諦めたように目を伏せるのだった――。





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