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8の扉 デヴァイ
新しいお客様
しおりを挟むその人は、暫く何も喋らない。
ただ、ソファに浅く腰掛け、姿勢良く私が淹れたお茶を飲み、そこへ座っている。
お茶の感想くらいは、訊いていいだろうか。
でも。
多分。
何か、相談があって来たか、何かを買いに来たのか。
できれば本人が口を開くのを待ちたい私は、ゆっくりと部屋の中を彷徨いていた。
窓際のハーブ達がサワサワと噂するのを、聴きながら。
「どこの家かな」
「さあ」「でも年の頃は」「いいや」
「僕は茶だと思うよ」
「どうして」「だって」「ああそうか」
「でもさ」
いや、私にもどうして茶だと思うのか教えて欲しいんだけど………。
さて。
そろそろ?
話しかけた方が、いい………?
チラリと、振り返ってそのクリーム色のワンピースの女性を、見た。
栗色の髪を緩く結い上げ、小さな飾り帽子を着けている。
あれは可愛いから、私も欲しいと言っていたらガリアに「老けるわよ」と言われたやつだ。
どうやらここでは、既婚女性が出掛ける際に飾りとして着けることが多いらしい、それ。
見た目は中々可愛いので、デザインを変えて自分もやってみても良いのではないかと思っている。
だって、私の仕事は「自由」だからだ。
そんな事をつらつらと考えていると、赤茶の瞳と目が合った。
そう大きくはないが、澄んだ丸い瞳は既婚と言えど彼女を少し幼く見せている。
しかしきっとここでは私の世界より、結婚は早いに違いない。
意外と年齢も、若いのかも知れない。
流石に目は逸らし辛かったのか、その人はやっとそこで自分の名を名乗り始めた。
「あ、の…。茶の家のシリカと申します。入り口ではすぐに案内して頂いたので………申し遅れましてすみません。」
合ってる!
ハーブ達の観察眼に驚きつつも、確かにうちの人達は敵意や害意がない人は警戒せずに案内するだろうな…と思いつつ、クスリと笑ってしまった。
きっとこの人は、銀の家に身構えて来たのだろう。
そんな様子が、ありありと見て取れるのである。
お嬢様らしくないかと思ったが、私は気を取り直してそのまま、口を開いた。
「緊張しなくて大丈夫ですよ。うちは。ちょっと、変わってますから。」
ニッコリと笑ってそう言うと、シリカも可愛らしい笑顔が出た。
安心したのだろう。少し深く座り直して、手を握り直している。
さて、何の話なのだろうか。
これは待ってて、いい感じだよね………?
「あ、の。」
「はい。」
うん。
なぁに?
口を開いては閉じ、また開く。
しかし中々言い出し辛い、話なのか。
逆にそんな話を私が何とかできるのか、そっちが気になってきてしまった。
大丈夫かしら、これ。
「あの。あの、魔法の袋を幾つか。幾つか…欲しいのです。」
「うん?はい?そんなもんでいいんですか??」
全くもってお嬢様らしからぬ返事をした私に、気がつく様子がない程必死な表情のシリカ。
一体どうしたと言うのだろうか。
「えっ?何か問題があって?必要なのですか?大丈夫ですか?」
ポンポンと質問する私に責められている様に感じたのか、下を向いてしまった。
勢いが良すぎたろうか。
いつもこれで叱られる私としては、大分心当たりがある。
しかし、ゆっくりとシリカが小さな声で話し始めたのは。
私にとっては、驚きの理由だった。
「お金が。無いんです。」
うん?
お、お金??
待って?デヴァイの人ってみんなお金持ちなんじゃないの??
頭の中は「???」である。
これは、根掘り葉掘り訊いていい様な内容だろうか。
しかし、聞かない事には始まらないのも、確かである。
朝かベイルートさんいないかな………なんか私一人だと失礼な事言っちゃいそう………。
不安はあるが、こんな時に二人は不在だ。
部屋の隅にはきっと寝ているフォーレスト。
起こしてまで、癒しを求めてはいない。
とりあえず、訊いていいかな………。
シリカの様子はまだ緊張の中の様だ。
とりあえずの目的は口に出せたからだろうか、さっきよりは幾分マシになっている拳の具合。
ギュッと握られていたのが、少し緩んでいる。
しかし、ずっと待つばかりでも話は進まなそうだ。
私は勢いが出ない様に、小さな声を心掛けながらとりあえず口を開いた。
「私は他の家の事は分からないんですが。自由になる、お金が無いって事ですよね?」
顔を上げたシリカの瞳は既に潤んでいる。
ヤバい。
泣く程?泣いちゃう感じ??
それならあげてもいいんだけど、そういう問題じゃ、無いんだよね???
私としては、タダだっていいくらいの魔法の袋。
いや、フリジアに材料代は渡さないといけない。
しかし、基本的にそれ以外に元手はかかっていないのだ。
強いて言うなら、「祈り代」?
そんなの要らないし??
うーーん??
状況が見えないが、他人の家の話をどこまで訊いていいのかはやはり微妙だ。
色々私に話した事で、シリカの立場が悪くなってもいけない。
なにしろなんとかできるのならば、きっと普通にお金を持ってやって来ただろうから。
所謂、「お小遣い」が無い、みたいな感じって事だよね………?
それなら?
バイト?無い無い。どこで。
いや?でも何か代わりのものを私が貰えば、良くない?
それはアリ。
うーーーん?
代わりのもの…………。
じっと、シリカを観察する。
すると小さく窄められていた唇が開いた。
「ガリアの、家が。違うんです。」
「えっ?」
何が?
そうしてまた閉じられてしまった唇をじっと見つめて見たけれど、再び開く気配は無い。
でも、ガリアと言えばお馴染みのあの茶髪ボブの………ガリア、だよね?
黙っていても埒があかない。
とりあえずは疑問を口にしてみる。
「ガリアの家が、違うって言うのは………私が行った時は普通?いや、普通が分かんないな…。そう、「何が」違うんですか?家格?でも………。」
シリカも大分身なりは良い。
多分、そう変わらない印象だけれど。
「空気、が。違うんです。」
「空気??」
私の独り言の様な質問に、返事が返ってきた。
しかしよく意味が分からなくて、被せ気味に訊き返す。
しかし。
空気が、違うという事は………。
「魔法の袋と、アレの所為かな………。」
ガリアには私の石を渡してある。
もしかしたら。
再びじっとシリカを観察すると、緩くはあるが後毛の無い髪、ワンピースの細部も凝った刺繍が施され手入れが行き届いた張り具合だ。
きっちりアイロンを当てているのか、手入れはどうしているのか。
お茶のカップの置かれた角度もピッタリとして、再び手に取りやすい取手の向き、スプーンの置き方。
やはり、この人は。
膝に広げられたハンカチを注意深く見ると、やはり手刺繍だと思う。
「あの。このハンカチの刺繍って?」
「はい、私が。あまり上手くはないんですが。」
いやいや、これかなりの腕前よ??
私の袋に刺繍してもらっても良いしな?
まじないの糸を渡す?
それもいいね………。
「あの………?」
「あっ、はい。」
まずい。
一人ニヤニヤしていた所を、不思議そうな瞳に尋ねられてしまった。
そう、多分、私の見たところ。
このシリカはきっと、ガリアの家の空気が澄んでいる様に感じるのだろう。
ここデヴァイは私にとって、少し薄暗い黒い空間だ。
各家の区画は、その家々でまた違うのだがやはり空気は軽くない。
だがこの間、ガリアの家に遊びに行った時「あれ?」と思ったのだ。
明らかに家の中の空気が軽く、明るい。
石をあげたのは少し前、その後には魔法の袋も勿論新しいものに目がないガリアは一番に手に入れた筈だ。
「シリカさんって。この、糸の向きとか気になるタイプですよね?色味とか、同じ様でも違うものを、多く持っている。」
「………どうして。分かるんですか?」
だって。
私も、そのタイプだから。
繊細な刺繍に、揃った糸の向き、微細な色の違いのグラデーション。
滑らかな曲線の美しい花が刺繍されているそれは、チラリと見ただけでもかなりの代物だ。
私も、そのくらいやりたいと思うけれど。
多分、途中で違うものに手を出しそう………。
細かいけれど、飽きっぽい私にとってはこの刺繍は大作だ。
これだけ縫えて、この範囲に刺繍できるのならば根気もあるし商品にしても何ら差し支えない。
えーと、そしたら………どう、すれば良い?
気を遣わせると遠慮されちゃいそうだし??
え…私これ系向いてないんだけどな………。
基本勢い勝負の私に、繊細な交渉ごとは向いていない。
内気そうなシリカに、仕事を請け負ってもらい魔法の袋を交換する。
そのミッション、どうするかな………。
その時、キラリと助っ人が現れた。
と言うか、飛んできた。
そう、まるでヒーローの様に、だ。
「ベイルートさん!いい所に!」
あれ?でも?
話しちゃ駄目設定だっけ?
青の家ではもう普通に話しているベイルートを見ていた私は、ついそう呼び掛けて「しまった!」と思ったのだけど。
しかし丁度、シリカは自分のハンカチを繁々と見つめていてどうやらこの玉虫色には気が付いていない様だ。
しめしめ。
そうして私はベイルートを自分の髪の下に隠すと、「コホン」と咳払いをして交渉を始める事に、したのだ。
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