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8の扉 デヴァイ
秘密の千里
しおりを挟む少し、眩しい。
ズンズン進んで行くその手に引かれながら、庭園に出た私達。
早かった足が緩んで、ゆっくりとした足音になる。
ここの、煉瓦は。
歩くとコツコツと、乾いたいい音がするのだ。
「………お兄、さん?」
「ブラッドと、呼べと。言っただろう?」
「あ。」
そうだった。
あの、灰色の神殿、大きな柱の陰で。
こっそりと、白い石の床を見ながら練習した筈だ。
それを思い出して、懐かしくなる。
そう、前の事でも無いのだけれど。
クスクスと笑う私の手を離したブラッドフォードは、気が付くとピタリと足を止め私の背後を凝視している。
ん?
釣られてくるりと、振り返った。
「あっ。せ…」
おっと、まずいまずい。
そこには、狐の姿に戻った千里が、いたのだ。
多分、「千里」とは呼ばない方がいいだろう。
そう一瞬で判断すると、しゃがみ込もうとしてふと気が付く。
そう、今日はドレスだ。
あまり豪華な物では、無いけれども。
やはり、この格好で道端にしゃがむのは体裁が良くないだろう。
それを察したのだろう、千里は可愛いらしいペットの様なフリをしながら、尻尾を揺らしピョンと私の腕の中に飛び込んできた。
やはり、軽い。
きっと見た目には可愛いらしいペットの狐を抱いた状態の、筈。
そうして少し、後ろを向くと私はコソコソと話し始めた。
「何、どうしたの?大丈夫?」
「まぁな。だって俺はお前を守る為にここへ来たのだから。意味が無いだろう、ウイントフークに付いていても。それに、あいつは大丈夫だしな。」
「ふぅん?まあ千里がそう言うなら。いいけど、バレない?これ。」
「多分?思いもしないだろうな、アレが、こうなったなんて。」
「まぁ、確かにそうかも………。」
後ろを向いて、コソコソと話していた私達。
とりあえずは大丈夫そうだと、チラリと振り返って、見た。
ん?
んん?
お兄さん?
そこには、ベオグラードにそっくりな青い瞳を大きく開いたブラッドフォードが、いた。
「どうか、しました?」
彼に近寄り、その青い瞳を覗き込む。
しかしいきなり近付き過ぎたのか、ブラッドフォードは半歩後ろに、下がった。
そうして彼の視線の先に気が付いた私。
ん?
もしかして、千里?
そう、多分私の抱いている「これ」が問題なのだろう。
その彼の瞳と、わたしに近づこうとしない様子からそう判断できる。
さっきの、私の腰を抱いていた彼とは。
随分と、違う態度だ。
「あ、の?」
しかし、千里の何がいけないのかは分からない。
もしかして、「狐」が駄目?
猫はたしかいるって言ってたよね………。
それなら「毛色の違う猫です」とでも。
言っておけば、いいだろうか…。
いや、そんな事ないか。
じっと見つめていても、ブラッドフォードの視線は千里に釘付けのままだ。
ふと、悪戯心が疼いて千里を抱いた両手を、ぐいと彼の前に突き出した。
「うっ。なんだ、これは。もしかして………。」
「いや、まさか…。」
「ちょっと、珍しい毛色ですよね?」
試しに、そう言ってみた。
その反応を見て、出方を決めようと思ったのだ。
しかし、その作戦は失敗に終わった。
「ちょっと、来い。」
そう言って私の腕をグイと掴むと。
再び、彼に引かれて足早に歩いて行く事になったからだ。
何処へ行くのかと思っていたが、行き先はそう遠くなかった。
どうやらここは、庭園内の東屋らしい。
いや、西洋式の庭園だと、東屋とは言わないのかもしれないけど。
しかし私の頭の中にはそれを表す言葉が無く、「なんて言うんだっけ?」というぐるぐるの中、ブラッドフォードに肩をトンと押されベンチに腰掛けた。
そうして徐ろに少し屈み込んだ彼が、発した言葉は。
「それは。もしかして、スピリットか?」
「………そう、ですけど?」
ただならぬ雰囲気、しかし当たり前の事を訊かれて私の頭はぐるぐるしていた。
東屋、スピリット、東屋………スピリットって?
あ、そうか。
こっちには。
いないって、言ってた??
パッと顔を上げ青い瞳を確認する。
私をじっと見ているその目は、もう誤魔化せないだろう。
言わない方が、良かったろうか。
「あの………本当に、一匹も…一人?一匹?まあいいか…いないんですか?」
「うん?一人?一匹?」
いかん。
余計な事は言わないに限る。
「いいえ、忘れて下さい。あの、一匹も?」
「ああ、いない。いつからいないのか、ハッキリとはしないが多分、今健在の者で見た事のあるやつはいないだろうな。」
「………。」
なんと言っていいのか、分からない。
とりあえず失言をしない様に、黙っていたのだけど。
ブラッドフォードの視線が私から千里に移り、慣れてきたのかジロジロと観察を始めた彼。
なんとなく、キュッと腕に包んで隠してみるけれど、隠れる程小さくもない。
別に、見られたからといって流石にさっきの彼だとは。
判らないと、思うのだけど。
でもなぁ。
この、眼。
目立つよね………。
流石にバレないとは、思うけど。
チラリと目を合わせた極彩色は、私の腕の中で満足気だ。
なんだかその顔を見て、隠すのも馬鹿らしくなった私はそのまま「どうぞ」という風にブラッドフォードと自分の間に千里を座らせた。
これでゆっくり、観察して下さいよ…。
そうして不満気な紫の眼を無視して、自分はここからの景色を楽しむ事にしたのである。
白の煉瓦と合わせたのか、白い石で出来たこの東屋は円形のベンチに屋根が付いた居心地の良い空間だ。
広い庭の中で、少し視界が遮られるこの場所は、恋人達の相引きの場所にもなりそうだ。
「相引きって…。」
自分でツッコミを入れながら、辺りを見渡しているとやはり少なからず人通りがあるのが分かる。
あまり目立たない方がいいだろう。
それに、ここからは花壇と噴水、白い煉瓦の、道。
もう既に見た景色しか、見えなかった。
そうしてストンとベンチに座ると、それを待っていた様にブラッドフォードが話し始めた。
「多分、噂になる。」
「えっ?せ………いや、この狐がですか?」
「そうだ。ウイントフークは知っているのか?」
「はい。」
「それならまあ。何か、考えがあるんだろう。それにしても。コレは、お前にくっついて来てるんだろうな…。しかし…なんだ。驚かされてばかりだな。」
「そうですか?でも、とりあえずあんまり目立たない方がいいですよね?」
「いや。ここでは、大丈夫だ。一応これでも、次期当主だからな。婚約の事を知って無駄口を叩くやつはいない。」
「やっぱり。みんなもう、知ってるんですか?」
「まぁな。噂は風の様だぞ?この、狭い世界だ。」
「ですよね………。」
何か、訊かなきゃいけない事が、ある気がするけど。
あの時感じた視線が、気の所為ではない事が分かって少し心が重くなる。
あの、視線が。
「ブラッドフォードの婚約者」に対して、向けられていたものだということ。
どんな意味があるのかは、分からない。
ハッキリと、目が合ったわけでも、無いからだ。
しかし、一つだけ、訊いておこうと思い立った。
これだけ分かれば。
多分、大丈夫だと、思うんだけど。
「あの、お兄さんって。あ、ブラッドは私と婚約する前に…って言うか、婚約発表?うん?まぁ、どちらでもそれはいいか…。この、知られる前に。婚約者って、いましたか?」
少しキョトンとした瞳になったブラッドフォードは、可笑しそうにこう答えた。
「いいや?なんだ、そんな事を心配していたのか?」
「いや、心配?はしてなかったんですけど気になったというか何というか………うん。」
モゴモゴと口籠る私を楽しそうに見ているブラッドフォード。
なんだか居た堪れない。
いや、私は、ただ。
ここでも、アラルの様な思いをしている子がいたならば。
やはり、耐えられないと思うから。
そう、別にお兄さんの事気になるとかそういう事じゃ無いから。
うん。
気を取り直して、話題を変える事にした。
そう言えば、銀の区画について教えてくれると。
言っていたのでは、なかったか。
「ああ、そうだったな。すっかりこれに。気を取られていた。」
そう言って千里の頭をポンと撫でると。
ブラッドフォードは銀の区画について、話を始めた。
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