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3章

屋敷と城と招き猫

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 世田谷ボロいちに訪れているわたしと興常おきつねさん。
 ボロ市に出店している露店は、およそ700店にもなるらしく、一店一店じっくりみていたら今はまだ昼間だけど、日が暮れてしまいそう。
 ボロ市自体は夜になってもやっているから、仕事帰りに立ちよる人もいるそうだけど……。

 今わたしが立っている、通称ボロ市通りと呼ばれる通り。この通りを進んでいけば、じきに代官屋敷に到着するという。そして、この通りから別の道にでて、少し歩けばたどりつくという城跡がとっても気になる。
 あと興常さんがさっき口にした、豪徳寺といえば招き猫……みたいなセリフもなんだか気になった。豪徳寺がどんなところか知らないけれど、名前の響きがなんだか かっこよくて、ここから近いなら、そこへも行ってみたくなる。今日は冬日だから、これ以上気温がさがらないうちに。

 わたしは隣にいる興常さんに自分の要望を伝えてみた。

「ボロ市は夜になっても開催してるなら……暗くなる前に代官屋敷や城跡。豪徳寺にも行ってみたい」

「では、そうするか」

 興常さんは、あっさりOKしてくれた。
 今の興常さんは、和服を着た人間の若者の姿をしているけれど、彼はキツネのあやかし。何百年も生きていて、過去にも世田谷のボロ市に来たことがあるそうだ。
 そのころはまだ『ボロ市』って名前の市ではなかったらしいけど。

 なんにしたって8ヶ月前、世田谷区にある学生向け賃貸物件(もともとは下宿屋だったレトロな外観のアパート)に越してきたわたしの何倍も、興常さんは周辺の町々にくわしいのはたしかだ。

(わたしには、すごく小さなころ家族と世田谷に住んでいたときの記憶は、ほぼないし)

 というわけで、興常さんに聞いてみた。

「ちなみに豪徳寺はお寺の名前なの? それとも地名なの? あと、招き猫とどういった関係があるの?」

「豪徳寺は、寺の名だ。そして地名でもある」

「……寺院の名前でも地名でもある。うーん、それって豪徳寺というお寺やその周辺は、住所の町名も豪徳寺ってこと?」

「そうだ。豪徳寺と招き猫の関係というのは――」

「いうのは?」

 いよいよ豪徳寺と招き猫の関連を知ることができそうで、わたしは耳をそばだてる。(さっきボロ市通りにある招き猫をみて、興常さんが説明してくれようとしたとき、さえぎっちゃったのはわたしなんだけど……。ごめんなさい、今度こそちゃんと聞きます!)

「豪徳寺は招き猫の発祥はっしょうの地なのだ」

 えっ! 招き猫の発祥の地!?
 初めて聞く情報のせいで、おどろきをかくせない声のまま、わたしは言った。

「招き猫には、発祥の地なんて場所があったの? 昔から――いつのまにかあった縁起物とか開運和小物じゃなくて……」

 招き猫は可愛いし、縁起がよさそうだけど、どこかキャラクターグッズ的な印象を抱いていたわたしは『発祥の地』があることに新鮮な衝撃を受けていた。
 発祥の地じゃなくて、発生はっせいの地だったら、招き猫が大量発生しちゃったみたいな言い方になるけど『発祥』……つまり招き猫は、この近くにある場所が由来とかルーツとか始まりになってるってことだよね。
 びっくりしているわたしに対して、興常さんは冷静だ。

「ああ。豪徳寺は、招き猫発祥の地、そのひとつだといわれている」

 ……ん、そのひとつ?

「えっと――そのひとつということは、他にも発祥の地はあるって意味?」

「そうだ。招き猫発祥の地は、この国に複数ある」

 平然と答える興常さんに、わたしは疑問を口にする。

「発祥の地なのに、たくさんあるの? あ、でも興常さんなら……招き猫の本当の発祥の地はどこなのか知っていたりする?」

 興常さんは気真面目きまじめな口調で答えた。

「わからぬ。私は、招き猫発祥の場面に立ち会ったわけではないからな。どこに住む猫と人とのやりとりが、のちに招き猫のもとになったのかは知らない。知っているのは『豪徳寺は招き猫発祥の地のひとつとして有名』なことぐらいだ」

 興常さんは「知っているのは~ぐらいだ」と言いつつも、国内に複数ある、招き猫発祥の地それぞれに伝わる話をいくつか手みじかに教えてくれた。
 『ある人物が困っていて、でも猫がきっかけで運が向いてきた』……というエピソードが多かった。

 ……そっかぁ。何百年も生きてる興常さんだけど、『いままさに、今後招き猫と呼ばれる存在が誕生するきっかけとなる出来事が目の前でくりひろげられている』みたいな歴史的瞬間(?)に、実際に立ち会ってるわけじゃないんだ。
 興常さんはわたしとくらべると、いろいろなことを知っているあやかしだけど。すべてを見通せるわけじゃない。

 そもそも、興常さんが全部お見通しなら……。このわたし、谷沼 紗季音は人間ではなくて『自分があやかしであることを忘れてしまった、記憶喪失のタヌキのあやかしだ』なんて、とんでもないカンちがいを8ヶ月もしたままじゃないだろうし。
 興常さんをみつめながら、妙に納得するわたしだった。
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