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2章

第7話 そのポジティブ思考はどこからやってきてどこへいく

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「サキは、私のこともリンのことも、大切に思ってくれているのだな」

(……へっ?)

 薄暗がりの駅前の大通り。
 わたしは、自分の向かいに立っている興恒おきつねさんのささやきに、首をかしげてしまう。

 今は人間の若者の姿をしているとはいえ、興恒さんはキツネのあやかし。
 わたし、谷沼たにぬま 紗季音さきねのように、ごくごく普通の人間では、よく理解できないセリフを言われることは、ままある。

 だから最近は、興恒さんが、わたしにはあまりわからないことを言っても『またか』って感じで、いちいち首をかしげることも、なかったんだけど――。

(いまのは、さすがに頭の中がハテナマークだらけになるよ……)

 だって興恒さんがしみじみとした口調で、たった今「サキは、私のこともリンのことも、大切に思ってくれているのだな」と告げる直前に、わたしが口にした言葉といえば――。

『じゃあ、そろそろアパートに戻ろっか。あ、興恒さん。リンちゃんは、今アパートでひとりでお留守番してくれてるんだよね? 退屈してるかも……』

 ただ、これだけ。
 リンちゃんのことは、留守番で退屈してるかも……とは言ってるものの、この言葉のどこに、「興恒さんを大切にしてる感」がでてるの?

(たとえば興恒さんが『いっしょに暮らすようになってまだ一月《ひとつき》たっていないが、サキにとってリンは大切な同居人のひとりのようだな? ……ときに、もうひとりの同居人のことは、どの程度大切に思っている? 答えてみよ』と言いながら「もうひとりの同居人」である自分を指さして質問してくる、とかなら、ある意味想定の範囲内で、もうそこまで おどろかないと思うんだけど……)

 興恒さんの、『自分はサキに大切にされている』っていう自信は、いったいどこからあふれでているの?

 そもそも、興恒さんはわたしのことを『記憶を失い、自分があやかしであることを忘れ、人間だと思いこんでいるタヌキのあやかし』だと信じている。
 わたしが何度、『自分はただの人間であやかしではない』と否定しても、わたしを記憶喪失のあやかし――しかも長いあいだ離れ離れになっていた彼の恋人のあやかしだと思いこんだまま。

(もし、もしもだよ。わたしが本当に興恒さんの恋人のあやかしで記憶を失ってたとして――。彼と恋人だったときの記憶はない、再度、彼と恋に落ちるっていうわけでもなかったら……『自分はサキに大切にされている』とは、思えなさそうだけど――)

 向かいにいる興恒さんに目をやると、彼はニコリと、ほほえんだ。

(あやかしって、イメージに反してポジティブ思考なものなの? それとも、あやかしであるなしにかかわらず、興恒さん個人が逆境にめげない超ポジティブさん?)

 それとも、あやかしのあいだでは大福を贈ることは『あなたを大切に思っています』とか『あなたという「大」切な存在と出会え、とても幸「福」です。「大福」だけに』とか、そういう意味あいでもある、特別な行為とか?

 ……たとえばヨーロッパでは『永遠の愛を誓う』って意味でマロングラッセを贈る風習がある――って、いつかどこかで聞いたような気がする。
 マロングラッセ、とっても美味しいものね。つくるのに、てまひまかかるらしいし。

 あ、ヨーロッパに住んでいるあやかしたちのあいだでは恋愛対象の相手にマロングラッセをあげる ならわしがあるって意味じゃなくて、人間の風習で。
 たしか、昔々、王様(世界史の教科書にも出てくる、すごく有名な大王)が愛する妃に贈ったからだとかなんとか。

 ……うーん、なんか心配になってきた。
 興恒さん本人に、大福を贈る行為には何か特別な意味があったりするの? って聞いてみたほうがいいかも。
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