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2章

第5話 無事に帰宅できそう

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 興恒おきつねさんは、正面から向かいあったわたしにささやく。

「サキ……」

 興恒さんが、なんで急に、わたしの名前を口にしたのか、わたしには、よくわからない。
 ただ単に名前を呼んでみたっていうより、これから伝えたいことがあるって雰囲気だ。

「えっと、なに? 興恒さん」

 興恒さんがどんなことをしゃべりたいのかわからなくて、わたしは身構えてしまう。
 今は人間の青年の姿になっているけれど、興恒さんはキツネのあやかし。一般的な人ならば、言わないような少々ずれたセリフも時おり口にする。

 しかもここは、わたしたちが暮らしているアパートの一室ではない。公道だ。
 薄暗がりの、人もまばらな大通りで、わたしたちのすぐ近くには通行人はいない……ようにみえるけど、油断は禁物。
 興恒さんが何を言うつもりなのか予想のつかないわたしは、彼の言葉に耳をかたむけることに意識を集中させる。

 長身の興恒さんは少し身をかがめ、わたしの目をみつめながら、ささやいた。いつもはりんとした興恒さんの声が、ちょっとせつなげにわたしの耳に響く。

「サキ、そなたが無事でよかった」

(え?)

「……ぶ、『無事』って……わたし、ちょっと黒っぽい色をしたハトを黒い霊体だとカンちがいしちゃってただけだよ。それなのに、わざわざここまで来てくれた興恒さんには感謝とごめんなさいって気持ちでいっぱいだけど――でもでも、無事なのはあたりまえだって! ごく普通のハトだったんだから」

 自分で言っていて、恥ずかしくなる。
 いまから数週間前の春休みのこと。現在、わたしと興恒さんが同居中のアパートの入り口手前で――。わたしは謎の黒い霊体につかまってしまった。(文字通り、手足をつかまえられてしまった)

 それを助けてくれたのが、今、目の前にいる興恒さんなんだけど……。
 さっきのわたしは、大通りにあらわれた、ただの黒っぽいハトを黒い霊体だと見間違えてしまって――それなのに興恒さんはわたしの『危機や恐怖の感情が伝わってきた』から、ここに来てくれたという。

 ああ、思いだすだけでも、もうしわけないやら、なさけないやら……。せっかく助っ人として参上してもらったのに、単なるハトだったなんて。

 これが、あの有名なことわざ、
『幽霊の正体見たり枯れ尾花』
 って、やつだ。

 ビクビク恐がってると枯れたススキだって、恐ろしいものに見えてきちゃう。
 いくら実際に正体不明の霊に襲われかけたことがあるっていっても、わたしには興恒さんという力強い味方がいる。彼は、神通力を持ったあやかしだ。
 それなのに必要以上に、ビビってしまうのは、よくないかも。わたしが恐がるたびに、興恒さんに出動してもらうことになってしまう。
 
(ただでさえわたし、ヘタレな部分が多いからなぁ。気をつけよう!)

 わたしがそう決意したとき。興恒さんと目があった。
 彼は、なんというか慈愛に満ちたまなざしで、わたしをみつめていた。

(……興恒さんは、以前わたしを黒い霊から救出してくれたから、「人間にとって『良い』あやかし」だと思うんだけど――でも、だからって「慈愛に満ちたまなざし」って表現は、どうよって思わなくもないんだけど――)

 それでもなお、彼が目をほそめて、わたしをみつめる様子はやさしげであたたかみがあって、でも少しせつなげで……。
 なんというか、見返りをもとめない無償の愛情のようなものを連想させてしまう。

 そう、連想してしまうだけ。
 興恒さんがわたしの身をあれこれ心配したり、助けたりしてくれるのは――。

 わたしを人間ではなく「あやかし」だとカンちがいしているから。
 何度も何度も「わたしはあやかしではなく、ただの人間だ」と訴えたけど、興恒さんはわたしを「あやかしだった記憶も神通力も失ってしまい、自分を人間だと信じているあやかし」だと思っている。

「サキ」

 興恒さんが再びわたしに呼びかけた。
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