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1章

第32話 それが、約束なの

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「サキ、今日からともに暮らすにあたって、そなたに約束してほしいことがある。聞いてくれるか?」

 オキツネサマがわたしに約束してほしいこと……って、何?

 沢樫荘の2階、201号室。
 わたし、谷沼たにぬま 紗季音さきねは、今日から訳あってこのアパートで、あやかしの青年、オキツネサマ、そして人の言葉を話す青い炎、りんかのリンちゃんといっしょに住むことになってしまった。

 たったいま、わたしはオキツネサマから「約束してほしいことがある。聞いてくれるか?」と言われたわけなんだけど……。
 オキツネサマが何を約束させたがっているのか皆目見当がつかず、わたしはおもわず彼の隣で、ポカンとしてしまう。

 いくら今のオキツネサマは和服を着た人間の姿(耳としっぽはキツネ)だといっても、彼はキツネのあやかし。
 ごく平凡な人間であるわたしには、まだまだ理解不明な点が多々ある。
 オキツネサマの言った『聞いてくれるか』は、約束してほしい内容を話すから聞いてくれるか……って意味? それとも――。

 「聞く」って、「言いつけを『聞く』」みたいに「したがう」的な意味あいで使うこともあるよね。
 そっちの意味で、『聞いてくれるか』って質問してきたの?

 もしそうなら、内容を聞く前に約束なんてできない。
 わたしはちょっと警戒しながら、オキツネサマに告げた。
 六帖の和室に、わたしの緊張した声が響く。

「約束してほしいことって、どんなこと? わたしが約束できるかできないかは、内容によると思う……」

「うむ、それもそうだな」

 あれ? オキツネサマは、あっさりわたしの意見を聞き入れた。
 わたしが神経質になってただけ?

 オキツネサマの横でプカプカ浮かんでいる青い炎、リンちゃんはことのなりゆきを静かに見守ってる雰囲気。
 オキツネサマは声色をさらに真剣にして、告げる。

「私がサキに約束してほしいこと、それは――」

 それは? オキツネサマの言葉の続きが気になり、わたしはゴクリと つばを飲み込んだ。

「料理は私にまかせてほしい」

 ……はい!? 料理……?
 オキツネサマが何を約束させたがってるのか、全然予想できなかったわたしだけど、でも急に料理のことを言われるとは思わなかった。

 オキツネサマの言葉が予想外で、わたしはおどろきのあまりポツポツとしか話せなくなる。

「……りょ、料理って……。えっと、料理――というか、そもそもオキツネサマは、人間と同じ食事でも、平気なの……?」

 わたしのとぎれとぎれの質問に、オキツネサマではなくリンちゃんが答える。

『なーんだ、サキっちはそんな心配してるんすかぁ? オキツネサマは人間が食べる料理も好物だし、つくるのだって、めちゃ上手っす! 和食はもちろん、異国の料理だって、つくれちゃうっす!』

 オキツネサマが料理が得意というのも初耳だけど、そういえば、リンちゃんのお食事って?

「リンちゃんは、人間が食べる料理で、平気? それとも、べつの……」

『おれっちだって、人間が食べる料理、好きっす! 食べかたが人間とは違うから、食べてるようにはみえないかもしれないけど――、問題なく食事を楽しめるっす』

 ……どういう食事方法なんだろう、『食べてるようにはみえないかも』って。今日の夕飯にでもリンちゃんのお食事する様子を見るかもしれないけど、気になる。
 リンちゃんって全身青い炎のような姿だけど、おもいきり近くによっても全然、熱くないし……。

 そもそもリンちゃんって、何者なの? 自分では『りんかのリン』と名乗っていたけど。『りんか』って、いったい何?
 こんな風にわたしがリンちゃんについてあれこれ思いをめぐらせていると――。
 今度は、オキツネサマが口を開いた。

「リンが説明したとおり、私は人の世で食べられている料理もつくることができるぞ。というわけで、サキ、そなたにもう一度、聞く。料理はすべて私に まかせてくれるか」

「……え、えっと――」

 わたしは肯定も否定もできなかった。
 だって……謎すぎるから。

 なんでオキツネサマは、こんなにも、すすんで料理担当になりたがってるの?
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