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1章

第8話 煙の中から、コンにちは!

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 昼下がりの神社の境内。
 わたしに話しかけてきた青年は、わたしを誰かと人まちがいしているようだった。

「あのっ、知りあいのどなたかと、人ちがいされてますよ! わたしはあなたと、今、初めてお会いしたので……」

 わたしの言葉を聞いた青年(和服イケメン)は、信じられないというような表情をした。
 数秒間の沈黙ののち、彼はぽつりとつぶやく。

「……そなた、おぼえていないのか、この私を」

 それきり、また黙る。
 肩を落としてるし、みるからに、しゅんとした雰囲気。

 落ちこんでしまった人に言いづらい内容だけど、私は話を続けることにした。
 しゃべってる間中、胸がチクチクした(なにせ相手は、あからさまにガッカリしてるから、こっちの胸だって痛む)けど、告げた。
 しっかり説明しておかないと、誤解が長引きそうだったから。

 シンとした境内では――。声をなるべくおさえたわたしの言葉も、めだってしまったかもしれない。

「えっと、だから、おぼえている、いないではなく、『初対面』なんです」

 わたしが言い終えると、青年は低い声でたった一言つぶやいた。

「わかった」

(よかったー! わかってくれたんだ)

 ホッと安心するわたし。
 誤解も解けたことだし、この場から立ち去ろう。そう思った矢先。
 青年は、ついさっきまでと一転、とてもおだやかな笑みをたたえて言った。

「今の私の姿ではなく、そなたと初めて桜をみたときの姿になれば……きっと、そなたも私のことを思いだすだろう」

 ――ええっ!? この人、何を言いだすの!
 さっき、「わかった」って言ってくれたのは何だったんだ?
 まさかあれは、わたしがあなたのことを「忘れているということがわかった」の、「わかった」だったの……?

 というかなんで、「自分が人まちがいをしている」ではなくて、「相手が忘れちゃってる」ことが前提なの?
 自分は間違いなんてしないっていう確固たる自信があるとか?
 ……くやしいけど、はっきりいって、こんな美形なお兄さんに一度でも会ってたら、そこまで記憶力が高いわけじゃないわたしだって、絶対忘れていないと思う。

(これ以上、この人と話をつづけても、きっとわかってもらえない――)

 そう感じたわたしは、今日はもうアパートに帰ることにした。
 この神社の本殿に行こうという予定も変更。取りやめだ。

(……だって、今いる桜の樹のそばから離れても、境内にいるかぎり、この人はわたしを追ってくるかもしれない。自分の知りあい、しかも夜までいっしょにいるつもりの知りあいとカンちがいしたまま「忘れたなら、思いだしてくれ」って)

 もしも神社を去ってもついてくるようなら、もう一度「本当に人ちがいだ」と、はっきり告げる。
 それでも離れなかったら、そのときは――最終手段として交番に駆け込むことも想定しておいたほうがいい? 交番の場所なら神社に着く前に通ったから、おぼえてる。

 この人は悪い人じゃなくて、真実、知人とわたしを間違えてるだけなんだろうけど、何度言っても聞いてもらえないなら、第三者に入ってもらうしかないのかも。
 わたしとしても、なるべく大事おおごとには、したくない。だけど、悪い人でなくとも、この人、なんだか思いこみ激しそうだし。

(――というわけで、今日はもう帰ろう!)

 決意したわたしは、神社を後にするため、体の向きを変えようとした。――そのとき。
 和服イケメンの声が周囲に響いた。大きな声をだしたわけじゃないのに、なんというか……神々しさのある、独特の響き――だった。

 わたしには理解できない、呪文のような言葉を彼が唱えると……。青年の周囲に突然、白い煙がモクモクとあらわれる。なぜか全然煙たくなくて、むせたり、目がしょぼしょぼして痛くなったりもしない。

(煙? なんで、いきなり煙が『あらわれる』の!? どこからともなく煙が出現するなんて、そんなバカな……)

 あわてふためきながら、わたしは目撃する。
 青年のまわりをおおいつくした煙の中から――1匹のキツネがピョーンと飛びだしてきたのを!
 真っ白なキツネだったから、最初、キツネが煙からニュッと顔だけ出してきたときは、煙に動物の目と鼻と口があらわれたのかと早合点はやがてんしそうになったくらい。

(キツネ!? 煙の中からキツネが出てきた!)

 いったいこのキツネと煙は何なの? と、思ったのも、つかのま。
 煙は、キツネが飛びでるとすぐに消えてしまった。
 キツネのほうは空中で1回、大きくを描いてから、地面にきれいに着地する。動物って、運動神経いいなぁ。

 煙が跡形もなく消えてしまった今、わたしの視界にうつるのは、このキツネ1匹だけ。
 ……うん? 『キツネだけ』って、和服をきた男の人は、いったい、どこに行っちゃったの? この短時間で。

 煙で周囲が見えづらくなってたのは、ほんの数秒だけだったはず。
 疑問だらけのわたしに向かって、目の前のキツネが口を開け、しゃべった・・・・・

「さあ、これで『そなた』も思いだしたであろう」

 な、何も思いださないよっ。わたしにキツネの知りあいは、いないもの!
 ……あ、『そなた』って、このキツネも、ついさっきまでここにいた和装イケメンと同じ二人称で、わたしのこと呼びかけてくるのね。

 ――それと、この声。
 同じだ。わたしのことを自分の知りあいと間違えてる、思いこみの激しそうな青年と、いっしょの声してる。

 まさか、まさか――。
 さっきの人と、このキツネは同一人物ならぬ同一人狐!? (そんな言葉があるかは知らないけど)

 おどろきのあまり呆然しているわたしに、キツネは語りかける。
 やさしい声で、そして、いつくしみに満ちた目でみつめながら。

「これからは、私がそなたを守るぞ」

 これから?

「……だ、大丈夫です! わたしなら平気です。それと――」

 キツネはわたしの言葉を不思議に思ったかのように、きょとんと首をかしげる。
 わたしが「大丈夫」と言い切ったのを疑問に思ったのか。もしくは……「それと――」の後に続く言葉が何なのかが謎で、首をかしげた、とか?
 どっちなのかは、わからないけど、わたしは続けた。

「それと、わたし、本当にあなたの知りあいじゃないんです。わたしにはキツネの知りあいは、いないので……それじゃあ」

 はっきり言い切ると、わたしはキツネに完全に背を向け、神社を去った。
 アパートまでの帰り道――。
 わたしは途中何度か、うしろを振り返った。
(神社で出会った摩訶不思議な存在が、今も背後から ついてきてたら、どうしよう……)
 と、ビクつきながら。

 だけど。
 たくさんの人が出歩いている商店街でも。まばらに人が歩いている住宅街でも。

 真っ白なキツネの姿も。和服を着た青年の姿も。
 そこにはなかった。

 誰も、わたしの後をついてきてはいない。
 それでも、わたしの心はホッとなんてできなかった。

 とても信じられないようなことだけど。わたしは、とんでもない場面に遭遇してしまったんだ。
 不思議な青年が呪文を唱えると煙があらわれ、そしてその煙から飛びだしたキツネは――人の言葉でしゃべりかけてきた。

 状況から考えて、青年とキツネは同じ存在。
 たとえ、別々の存在同士がわたしをからかうために手を組んでイタズラをしかけたのだとしても……あのキツネは言葉を話すことができていた。

 間近でキツネと会話したわたしは、あのキツネが精巧に出来た『おしゃべりぬいぐるみ』なんかじゃない、たしかに生きている、そして言葉を話す生物なんだって認めざるを得ない。

 以前、音声認識機能つきのぬいぐるみを持ってる友達がいたけど、話す機能があるぬいぐるみってレベルじゃなかったもの……、今日、神社で会った、あの白狐しろぎつねは――。

 アパートは、すぐそこだというのに、わたしの心の中はザワザワ、ザワザワし続けている。
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