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第四十一話 翔とわたし

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 かけるが自転車とぶつかったのは、サッカーの練習試合から帰っているときだった。原因は自転車側の一時停止無視。信号が無くて、車が一台通るのがやっとな交差点を歩いていたとき、わたしの隣にいた翔が自転車に跳ね飛ばされた。

 まず横から突っ込んで来た自転車が翔にぶつかった。並んで歩いていたわたしも巻き込まれる形になったけど、わたしは尻餅をつくぐらいで済んだ。自転車にぶつかる寸前、翔がわたしのことを押したから、わたしは無傷だった。その代わり、翔は蹴飛ばされた石ころみたいに吹っ飛んだ。

 カラカラと車輪が空回りするそばで、翔はぐったりしていた。

 どんなに声をかけても翔は反応しなかった。自転車に乗っていた高校生らしい男も、事故が起きたことを吞み込めていないようで、呆然と座り込んでいた。動けるのはわたしだけだった。

でもわたしは、なにもできなかった。

 頭の中が真っ白になるというのを初めて経験した。わかんなくなる。ここがどこで、なにをしていて、なにが起きて、どうするべきなのか。全ての記憶が吹っ飛んだ。網膜に映った景色が、映像として認識できなかった。なにもかもがわからなくなった。ただ、目の前で息をしていない弟の名前しか出てこなかった。

 救急車の呼び方なんて、わからなかった。

 神様お願い翔を助けて。

 そう祈ったときだった。勝が駆け寄ってきたのは。

 最初、金髪の怖そうな男の人が来て、こんなチャラそうな人じゃ翔は助からないって思った。

 でも、勝は十秒もかけないうちに翔の状態を見極めて、イヤホンマイクで救急車を呼びながら心臓マッサージをしてくれた。救急車が来るまで、ずっと。汗だくになって、頬を紅潮させて、息を切らして、全力で翔を助けようとしてくれた。

 あんなに誰かをカッコイイと思ったのも、久しぶりだった。

 勝のおかげで、翔は助かった。

 翔が退院したあと、勝にお礼を言いにいった。勝は気にしないで、とは言っていたけど、命の恩人だからと無理やり会いにいった。翔が無事に元気になって安心したわたしは、とにかく勝に会いたくて仕方がなかった。

 勝が医者の卵だということは、そのときに聞いた。

 だからわたしも、看護師になろうと思った。

 勝のそばに居たかったから。

 誰かを助けたいとか、どうでもいい。

 自分を助けたいの。

 勝のそばに居られれば、将来は安泰なの。医者なら稼ぎも良いし、なにかあっても助けてくれる。

 誰かのために行動しようとする。それはね、もう自分の未来が短いからこそできることじゃないのかな。奈々海さんみたいに、もう長生きできないとわかったら、思いつくことでしょ。

 自分の身の安全が保障されていない状況で、誰かのために動くことなんてできないよ。

 ママが離婚を急いだ理由、知ってるよ。ママ、好きな人がいるもんね。実はね、わたし、その人と会ったことがあるの。向こうからこっそり会いにきた。ママと仲良くなりたいから、手伝ってほしいって。おじさんだったけど、お金持ちっぽいよね。聞いたよ。弓道クラブで知り合ったって。

 でもママ知らないでしょ。わたし、その人からセクハラされてるの。最初は気にしすぎかなって思ったけど、もうお尻まで触られたらそういうことだよね。あのおじさん、ママじゃなくてわたしのことばっか見てるよ。思い返せば、わたしが弓道クラブに顔を出したときも、おじさんはいた。そのときからずっと見られてた。

 マジで気持ち悪い。

 吐きそう。てか煙草吸う人まじ嫌なんですけど。

 ママがあのおじさんと再婚して一緒に暮らすことになれば、たぶんわたしの人生は終わる。力で勝てっこないし、盗撮でもされたらもう抵抗もできないから――

 だからわたしは離婚に反対した。もちろんママは聞いてくれなかった。だから家から逃げた。もう家が安全な場所ではないから。

 家から離れるには県外に就職するしかない。一人で生きるしかない。

 できれば翔も連れていきたい。弟だけは守りたい。翔は、いつだってわたしに笑いかけてくれる。ママとパパが喧嘩して気が重くなったときだって、翔だけはわたしに笑ってくれる。弟を、ママとあのおじさんなんかに任せたくない。

 そうだ。県外に就職して、翔も県外の高校を受験してもらおう。大変だろうけど、最悪パパに援助してもらおう。パパは口こそは悪いけど、話が通じないわけではないから、わかってくれるはず。

 だからこの一本勝負、負けられない。
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