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第十三話 特訓

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 浜中は泳げないのではなく、潜れないのかもしれない。僕がそんな仮説を思いついたのは、浜中と一緒にプールに入ってすぐのことだった。

 浜中は、ビート板があれば不細工ながらも泳ぐことはできている。ただ、顔に水がかかるとパニック気味になって泳ぐどころではなくなるのだ。初めてプールにやって来た幼児みたいに慌ててしまっている。

 そこで僕は、まず潜る練習を浜中に提案したのだけれど、どんなに気合いを入れても浜中は顔を水につけることができなかった。僕が浜中の頭を無理やり手で沈めてやろうとしても、陸上部として鍛えられた浜中の体は動かざること山のごとしで、血走った目を見開いて僕の左手に抗う浜中の水への恐怖心は、なかなか手強い様子だった。

 僕は水の中でも右手を水着のポケットに入れていた。この右手も使えば浜中の強靭な首を折ってやれそうな気がしなくもなかったけど、見学席からじっと僕と浜中を見下ろしてくる奈々海さんの視線が気になって、水中から右手を出すことができなかった。

 奈々海さんは、見学席で課題をしながら浜中を見守っていた。万が一、浜中が溺れたりしたら、奈々海さんが教師を呼びに行く手筈になっている。浜中のほうが僕より体格が圧倒的に大きいので、もし浜中が溺れれば僕も巻き込まれるような気がしてならなかった。

 小一時間ほど潜らせる努力をしたけど、なにをやっても、浜中の顎から上が水面下に沈むことはなかった。

 これでは話にならない。やるせなさを感じ、浜中に休憩を提案した。浜中も覇気を失った顔で頷いたから、二人してプールサイドに腰かけた。

 無言で水面を見つめる浜中の隣で居心地の悪さを感じていると、背後から「二人とも、お疲れさまっ」と奈々海さんの声が聞こえた。

「はい、水分補給はしっかりだよ」

 振り返ると、ペットボトルを両手にそれぞれ握った奈々海さんが微笑んでいた。「あざす」と奈々海さんからペットボトルを受け取った僕は、ペットボトルの水を口に含んだ。

 今日は青空が見えないほどの曇天が広がっていた。午前十時のいま、気温は三十度まで上がっていないようで、大した泳ぎもしていなかったせいか濡れた全身に寒気を感じた。風が吹きつけてくる外より水中の方が温かい気もした。そんなことを考えていた僕の隣で、浜中はペットボトルの水をじっと凝視していた。

「すみません、迷惑かけて」

 浜中が前触れなく口を開いた。声音だけは水底に沈んでいた。

「いや……よく頑張っていると思うよ」

 この言葉が精一杯の励ましだった。頑張っている、と思うのは率直な感想だったから嘘は吐いていない。正直な気持ちさえ内心に閉じ込めておけば、浜中が傷つくことはないと確信していた。だからこそ、平気な顔をして浜中の肩を叩くことだってできるのだ。

 別に、泳げなくてもいいじゃないか。死ぬわけじゃあるまいし。

 そう伝えようとしたとき、奈々海さんが「ねっ、浜中くん」と声をかけた。

「なんでそこまで頑張るの? 泳ぎたい理由って、あるのかな?」

 幼い子に問うような、そんな優しい声音で問いかけた奈々海さんは、浜中の隣に腰を下ろすとサンダルを脱いだ両足をプールの中に入れた。「冷たっ」と笑った奈々海さんに、僕は開きかけた唇を固く結んだ。

 泳げなくても水に近寄らなければ死ぬことはない。でも、泳げないのに水の中に飛び込むのは自殺行為だ。なら、相応の覚悟がないとできないことのはず。なんで、浜中はそうまでして泳ぎにこだわるのだろう。

 覚悟の理由を知る前に諦めを問うのは、人として、どうなのだろう。

 浜中は、相変わらずペットボトルの水を凝視していた。なにか、水の中に探し物でもあるように、じっと水を見つめている。

「小学生のころ」

 鴉がガァと鳴きながら頭上で羽ばたいたとき、浜中が唇を震わせた。
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