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第十話 カナヅチ

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 プールサイドにしがみついてバタ足をしている浜中を、階段状になっている見学席から遠目に応援していた僕は、「どう思う?」と奈々海さんについ聞いてしまった。

「どう思う……って、なにが?」

 奈々海さんは、岸に打ち上げられた魚みたいに下半身をばたつかせる浜中を眺めながら、問いかけに反応してくれた。菅野先生が「おらぁ! ビビってんじゃねえぞ!」とおらびあげる。

「たったの三日でさ、泳げるようになると思う?」

「……どうだろ? わたしも……いま泳げるかわかんないし……。うん、わかんないや」

 透明な管を鼻に挿している奈々海さんは両手をぎゅっと握った。もし、酸素ボンベと一緒に生活する必要がなければ、奈々海さんも泳ぎたいのだろうと思えた。いまの奈々海さんにとって、呼吸を止めるという行為そのものが体にとんでもない負担をかけてしまうことを、僕はなんの知識を持っていないながらも勝手に想像した。

 わざわざ追加で酸素を吸引しているのなら、たぶん、奈々海さんは一生泳ぐということができないのだろう。

 そんなことも思考の片隅に浮かんだけど、そんな暗い想像は頭を振って考えないようにした。

 いまは奈々海さんのことより、浜中のこと……、というよりかは、菅野先生からの頼みのことについて考えなければならない。

 浜中はカナヅチである。泳げないのだ。そのことを本人はかなり気にしているらしく、なんとかこの夏で泳げるようになりたいらしい。ただ、市民プールに行くのは恥ずかしい。そこで、水泳部が泊まり込みで合宿に行っている間だけ学校のプールが空くから、その間にある程度泳げるようになりたい。

 水泳部の合宿は三日間。浜中はプールの使用許可を求めて菅野先生に頭を下げたらしく、菅野先生は断り切れなかった。ただ、泳げない人間を一人で訓練させるのはさすがに危ない。でも、菅野先生はバレーボール部の顧問をしなければならないし、しかも明日、バレーボール部は練習試合だから菅野先生は不在らしい。

 そこで、誰か代わりに浜中が溺れていないかを監視する人手を菅野先生は探している。

 そんな話を菅野先生から聞いたとき、なんで僕がそんなことを、と思ったのが正直な感想だった。僕も泳げるには泳げるが、特段得意というわけでもないし、というより素人が集まることこそ危ないような気もした。こういうときこそ教師がしっかり見守ってやるべきでは? と考えつつも、菅野先生が真剣な顔でお願いしてくるものだから断ることができず、明日の午前中だけ、という条件で引き受けることになった。

「でもさ、浜中くんも頑張ってるからさ、そこは応援してあげたいよ」

 奈々海さんの呟きに思考の渦から意識を戻した僕は、「そうだね」と同意した。

 同意はするけれども、心の奥底では無理だろうという内なる声があった。高校三年生になっても泳げない人間が、三日間の訓練で泳げるようになるわけがないだろう。

 この思いは口が裂けても言わないけど、僕の表情筋には内なる気持ちが表れていそうだった。

 なんで、菅野先生は僕に……、しかも奈々海さんにまで声をかけたのだろう。

 菅野先生は言った。おまえらも、気分転換になるだろうと。

 別に晴らしたい憂鬱なんか、ないのに。

 浜中がプールの端で藻掻く姿を真剣に見つめる奈々海さんを見た僕は、文句の一つも言えなくなった。

 あまり深く考えるのはやめておこう。

 水着、どこにしまったっけ?

 ひとまず、明日を乗り切ることだけに集中することにした。
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