心が担げば鸞と舞う桜吹雪

古ノ人四月

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第十話 六

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 帝都守備隊長は頭を悩ましていた。それは、あやかしの門広間の鉄門を封鎖するかどうかを。

 門広間は、女帝らが住まう屋敷がすっぽり収まってしまうほど幅があり、広間の一番奥は、視力には自信がある目でもぼやけてしまうほどに遠い。そんな広い空間には本来ならなにも無く、あるのは門柱を持たない朽ちかけた門だけだ。雨風に曝され続け、表面がささくれたように剥げた門は、地面に横たわっていた。それは、地下から通じるあやかしの世を塞ぐためだ。そしていま、あやかしの門は全開になっていて、門広間一帯におびただしく蔓延っているのは、多種多様なあやかしたちだった。

 犬のような四足動物は鋭利な牙を剥き出しにし、巨大な昆虫のような虫は酸を吐く。人のような骸骨は錆びた剣を振り回し、半透明の霊が嗤い続ける。角を生やす猛牛、獰猛な虎、ヒラヒラ舞う薄いなにか、化け猫、頭が釜、ケタケタ笑う老人、猿の顔に狸の胴、這う蛇、髪が長い人形、どろどろに溶けたなにか、一面に並んだあやかしたちは、幸いにもある一定の線からはこちらに進めていなかった。それは、急ぎ結界を張ってくれた帝位四位のおかげで、あやかしたちは薄緑の障壁を破ろうとひたすらに叩いている。

 様々な動物たちのような鳴き声が犇めき、様々な動物たちのような獣臭が混じる。

 膝をついた四位は、左手首を切り裂いていた。受け皿に垂らした血で呪符を書いていく。汗を滴らせる四位は、ぶるり身震いをした。

 地を這った氷のような冷気に足が竦む。守備隊長が見上げたその先で、争う巨大なあやかしが居た。

 女髪のような髭が揺蕩う長い口が開かれると、咽頭から雷が放たれる。
 氷柱がぶら下がる白毛を生やした凶暴な口が開かれると、咽頭から吹雪が放たれる。

 ぶつかった雷と吹雪は反発するように爆発し、白飛沫となって視界を悪化させる。白煙に映る影絵は、噛みつき合う巨大な牙のかみ合わせだ。爆発の余波で、結界に一瞬だけ罅が入る。すぐに修復されたものの、だんだん修復に時間がかかるようになっていた。

「四位様! あとどのくらい持ちますか!?」
「わかりません! 少なくとも、あの龍か熊の攻撃が当たらなければ、それなりには!」

 まばらに集まってきた衛兵たちに槍を握らせ隊列を組ませる。ただ、どの衛兵も新兵のように腰が引けていて士気が低い。無理もない。訓練のときには倍の味方が居たのに、いまは無傷の衛兵のほうが少ない。

 門広間で結界が張られていないのは鉄門だけ。頑丈な鉄門を閉じてしまえばまだ時間は稼げるだろう。ただし、広間を囲む防壁の結界も万能ではない。いずれ破られる。その場合、無作為にあやかしたちが広間から出てくるため、すでに半壊した帝都守備隊で帝都を防衛するのは不可能になる。だから、四位は門広間での防衛を提案し、結界を張ることで防衛の準備時間を稼いでくれているのだ。もはや戦力は限られる。だから、防衛箇所は一ヶ所に絞りたい。

 しかし、もうあやかしの数はおそらく千を超えている。衛兵は、百も居ない。とてもじゃないが、これで戦うのは――、

「くそっ! 霊が来ます! 気をつけて!」

 四位の警告に結界を見上げた。半透明の霊たちが輪になって結界に張り付いている。すると、輪の中心に穴が空く。容易く数体の霊が結界をくぐってきた。

 それを撃ち落とすのは九尾の尾が放つ光線だ。光線に貫かれた霊は溶けるように消える。しかし、光線は連射できないようで、十ほどの霊が一度に攻めてきたとき、数体の霊が衛兵に襲いかかった。

 霊に物理攻撃は効かない。槍で抵抗するも、霊は嘲笑いながら衛兵に憑く。衛兵は、九尾に痺れさせられるまで、奇声を上げ、耳を塞ぎながらのたうち回った。霊が祓われても、恐怖体験をした身に気力は戻らず、泣きながら逃げ出してしまう。

 逃げ出した衛兵に突き飛ばされた女性が居た。銀髪の髪と桔梗の着物、女帝十五位だ。

「え、十五位さん!? なにしに来たんですか!」
「な、なにって、どこも変な人形が暴れておるのじゃ! どうせ、逃げられん! わ、わっちも手伝う!」
「危険です! 隠れていてください!」
「どこにじゃ!」

 十五位は顔面蒼白だった。それでも、四位の左隣で膝を地面につける。白紙の呪符と筆を、震える手で握った。

「とっとと門を封じるのじゃろ!? なにが必要なんじゃ!」
「……わかりました。ただ、危なくなったら、逃げてください。守備隊長さん」
「は、四位様」

 呼びかけに、右膝をつけて答える。どんな命令にでも従うつもりで。

「封印の錠だけは僕が復活させます。あとは、鍵をかけなければなりません」
「ですが、鍵は――」

 結界の向こうで龍と争う白熊を見やった。雲まで凍らせる冷気の中に、門の鍵は見当たらない。

「五位のことです。なにか策は用意しているはず。だから、耐えなければなりません。二位と三位も来てくれるはずです。だから、……お願いしてもいいですか?」

 なにをお願いするのかは言わなかった。それは、若苗色の瞳を逸らしても口にできなかったようだ。なにをいまさら。そう思った守備隊長は、ニッと口角を上げると頭を下げた。

「この命、この帝都に捧げましょう」

 槍を握り、四位の前で仁王立ちをしたとき、はらり、白結晶が舞い降りてきた。体の芯に熱がたぎるが、肌は凍てつく。鼻の穴で鼻水が氷柱になっていたから手の甲で拭う。苦楽を共にしてきた同僚たちと肩を並べ、四位と十五位の姿をあやかしから隠す。手に染み出ていた汗が凍って槍と手のひらがくっつく。丁度良い。死んでも、槍は手放さない。

「ご加護を」

 祈りに答えたのは霊のあやかしたち。結界に空けられた小さな穴から、小動物ぐらいの大きさのあやかしがこっち側に溢れる。にやける成人男性を頭にする人面犬は、恐ろしく不快な見た目だったが、凍えた肌はすでにぶわりと鳥肌が立っていたため、改めて身震いする必要はなかった。

 長さがある十文字の槍は、馬を恐れさす長所はあるが、反面、すばしっこい小さな相手には長所が短所になる。ましてや、槍で子犬と戦う想定などしていない。

 空ぶった槍の柄を、人面犬がおっさんの声で嗤いながら駆け上がってきたため、咄嗟にその顔面をぶん殴る。戦闘が始まる前からすでに恐慌状態だった衛兵たちは、あっという間に戦列を乱し始めた。衛兵の首に噛みついていた人面犬を槍で突く。倒れた衛兵は動かない。蜘蛛の糸にからめとられた衛兵が結界の向こうに引きずりこまれて四肢をもがれる。毒蛇に噛まれた衛兵は泡を吹きながら人面犬に食われる。個々が自分のことしか考えられていない。これでは、戦列を維持することはおろか、戦列を組む意味が無い。

 こんな状態で、巨人の相手などできない。

 大仏が、結界をくぐろうとしている。顔の長さだけでも大人の身長ほどはあるそれは、青銅の頭を、霊がこじ空けた穴に無理やり突っ込ましていた。引っかかる肩を無理やり押し込み、結界の穴が徐々に広がってくる。九尾の光線が額を撃ったものの、鏡に跳ね返るように光線は散った。神の祟りだ、そう泣き叫んだ衛兵が尻餅をつく。両膝ががくぶると震えるのは寒さのせいで、決して恐怖のせいではない。自分が負ければ衛兵はみな敗走する。だからこそ、立ち向かわねばならない。例え、死ぬとわかっていても、死なせてきたこの命を、燃やさなければならないから。

「うおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!!」

 吠えた。我が生を誇示するため。

 その影は最初、自分の覇気が具現化したのかと思った。

 鳥。

 いや、棒だ。

 それと、少女の悲鳴。

「にゃああああああああああああああああああああああああああああ!!!」

 頭上を追い越していった二本の大黒柱と、少女の悲鳴が木霊したとき――、

 大黒柱が、めり込んだ。
 大黒柱が、貫通した。

 閉じられていた青銅の瞼を、担ぎ棒が粉砕していた。

「らっしゃああああああああああああああああああああああああああ!!!」

 そんな華奢な右腕を振りかぶったところで――、

 青銅の破片が鮮やかに散る。

 具現化した少女の覇気は白銀の正拳。

 大仏の顔よりも巨大な拳は、大仏の額を木端微塵に吹き飛ばした。

 大仏が地のあやかしたちを踏み潰しながら仰向けに倒れ、全身を粉々に砕け散らす。

 地に舞い降りてきた神輿の上で、右手を掲げる少女が居た。

 女神ではない。裾が短い寝巻用の白着物一枚だけを身に纏う農民の少女だ。

 少女の右手が、網膜を焼いてきそうなほど目映く輝いた。瞬間、結界を突破してきていた小型のあやかしたちがのたうち回り、まるで窒息するかのように息絶えて塵になった。命を残していた腑抜けた衛兵たちの目が、少女に吸い寄せられていく。

「うらああああああああああああああああああああああああああああ!!!」

 少女の咆哮に応えるかのごとく、右手の白銀が燃え上がった。炎の色は、刀身のような銀色で、その炎は少女の右手から右肩までを包むように、めらめらと揺らめく。外炎の先端は、少女の長い濃藍の髪が風になびくように、獣の尻尾のように揺らめいていた。そして、炎心にあるそれを認識した誰もかもが、膝から崩れ落ち、雪が溶けないほど凍てついた地面に額を擦りつけていた。
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