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第十話 三

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 帝都の正門は、片方の物見やぐらが水溜まりに沈んでいたものの、帝都を囲む塀を含め、正門はまだ無傷のようであった。混乱が入り乱れている。女帝や下女が、徒歩や馬車で正門へと殺到し、都の市民が安全地帯を求めて正門へ殺到し、混乱を制御しようとした衛兵を木製の人形が襲っている。走り回る人々のせいで剣を振りかぶれない衛兵に対し、木製の人形は無差別に人々を切り裂いていく。まだ雨が乾かない正門が血濡れに染まっていく。

 この状況に、馬小屋から馬を拝借して駆けてきた黄子、青子、下女を背負った赤子の三人は顔を見合わせた。帝都内の塀や門は破壊されているのに、帝都を囲む塀と正門だけはどこも無傷だ。万が一にも正門を奪取され、防御陣地を構築でもされれば、援軍は帝都内に入れなくなる。そう考えた黄子は、馬から降りると転がっていた槍を拾った。

「とにかく、非戦闘員はいっぺん帝都の外に避難すべきや!」

 黄子の怒鳴りに、青子が頷き、素早く焦げ臭い空気を吸った。

「帝都にあやかしがいまああああす! みなさまあ! 外に逃げてくださああああい!」

 甲高くも活舌をはっきりさせた声が喧噪の中を駆け巡る。正門でぶつかり合っていた人の流れが外だけに向く。流れに乗ればたやすく正門の近くにまで寄れた。さっさと衛兵らと意思疎通を取りたかった黄子の行く手を、人形が塞ぐ。

「邪魔や!」

 剣を握る人形に対し、長さで有利な槍で突く。十文字の鋭利な穂先で脚の関節を貫き、膝を折った首を打つ。次に槍を構える人形が迫る。穂先を穂先で弾く。上に弾いた槍の柄に十文字の穂先を突き上げるように引っ掛け、人形が握る槍を上に持ち上げ下へ潜り込む。そのまま人形の頭部を突く。人形はどれも動きが鈍く、戦い方も素人同然だ。混乱さえ落ち着けば退けられるはず。

「大変! たくさん来るよ!」

 赤子の叫びに振り返れば、道一杯に広がった人形が行進してきていた。一寸もずれない隊列の踏み込みは地響きとなり、水溜まりの水飛沫は海岸にうちよせる大波のようで、腰を引いてしまう威圧感がある。戦列を率いる人形が居た。目を失い、右耳から顔面が罅割れた人形だ。その顔に腸が煮えたぎるような感覚に襲われた黄子だったが、まだ頭だけは冷めたままでいてくれた。

 青子の先導で人々を逃がす。衛兵と協力して散らばっていた人形を倒す。人形の戦列部隊が迫る前に、黄子らは雨に濡れた天守閣を屋根にする正門を確保していた。
 まだ無傷で戦えそうな衛兵は、たったの十人だけ。対し、人形はざっと百、それ以上は居る。しかもお頭まで来ている。狙いは間違いなく正門だ。とりあえず衛兵に槍を握らせ一列に並ばせたものの、みな腰が引けていた。

「くそ、門は内からしか閉めれねえ。閉まった門を外から破るには相当な時間がかかるや。ここだけは死守や。おまえら、やれるかや?」

 衛兵らは頷きこそはしたが、どの槍も穂先が震えていた。早馬が援軍を呼びには行っている。だが、帝都はおろか、都全体が混乱している。帝都内の攻撃具合を見るに、おそらく先手で軍への攻撃がされたはず。果たして、どれだけの兵が無傷のまま、いつ来てくれるのか。予想なんてできなかった。

 だからこそ、黄子は正門の死守に命を懸けることにした。



 人形の槍も衛兵の槍も、同じ形、同じ長さだった。十文字の鋭利な銀の穂先に、一馬身の長さがある柄だ。一列に並んだ十人の衛兵が腰と重心を落とすと、十体の人形が突っ込んでくる。

 十文字が十文字に受け止められる。人形の質量では、重心を落とした男を押せない。脚を濡れた地面に滑らせて進めなくなった人形の眉間を、三本の矢が貫く。弓を引いたのは黄子、青子、赤子の三人だ。さらに三本の矢がそれぞれ人形の頭を貫通、相手が居なくなった十文字が隣の人形の首を狩る。第一波はそれだけで終わった。

 第二波は十体ずつの二列が突っ込んでくる。放った矢が三体仕留める。一列目に空いた穴を二列目が埋める。さらに矢が三体を貫く。そこで槍と槍がぶつかる。戦列は衝撃に動じない。二列目の四体が一列目を足場にして飛び込んできた。空中の三体は矢で撃ち落とす。だが最後の一体が衛兵の肩に槍を突き刺す。悲鳴に戦列が乱れた。すぐさま黄子が槍で衛兵に槍を突き立てた人形を突く。青子と赤子は矢を放ち、一列目を射抜く。そして空いた槍がまた隣を援護した。刺された衛兵はまだ歩けたが、左肩を失ったため外に逃がす。なんとか自力で止血してもらう。

 一人欠けたところへ第三波が迫る。今度は三列が攻めてくる。矢で迎撃するも、一本が弾かれ、一本が外れ、一体しか倒せない。突撃態勢に入った人形だったが、迷いに足をもつれさせた。

 赤子の腕力で飛び上がるは槍を構えた黄子。突撃のため駆けていた一列目が宙の黄子を狙う、が、突然止まった一列目は、二列目と三列目に背を押され、隊列を乱す。そこに黄子の槍が振られ、三体の首が千切れる。九人の衛兵が逆に突撃を仕掛け、九体の頭が貫かれる。人形の戦列に潜り込んだ黄子はぬかるんだ地面を這いつくばり、渾身の力で槍を薙ぎる。脚を折った人形たちがさらに戦列を乱す。それを衛兵の槍が追撃する。殲滅は時間の問題だった――、
 のに、黄子は突然迫った罅割れた人形には反応できなかった。

 拳が鳩尾にめり込む。猛牛に体当たりされたように吹き飛び、二人の衛兵を巻きこむ。胃液を撒き散らしながら転がった黄子が顔を上げるころ、七人の衛兵は槍と拳で血飛沫を吹かしていた。

 なんとか立ち上がった黄子だったが、胃がひしゃげたような鋭い圧迫感のせいで、内股になった膝を震わせた。青子と赤子が矢を使い切った弓を捨て、十文字の槍を構える。二人とも眉間に皺を寄せている。さきほど一緒に吹き飛んだ衛兵二人も槍を構えたが、肩を上下に揺するほど息を荒くしていては、踏ん張ることもできなさそうだった。そして道の端から端までを埋めるほど並んだ人形たちは、その数を減らすどころか増やしていた。
帝都の外には泣き叫ぶような悲鳴と倒壊する木造建築の音が連続するだけで、集団の足音も、馬の蹄鉄の音も、求める気配はどこにも存在しない。

 だが、まだ時間を稼げる。
 黄子は一歩を踏み出した。そして、袖から取り出した札を――、隠し持っていた呪符を掲げた。

「え、ちょっとどういうつもりよ!」

 青子が甲高く叫び、肩を掴もうとしたようだったが、その右手は遮られた。

「だ、だめ! やめて!」

 赤子が体当たりしたが、そのふくよかな体は遮られた。

「あとは、任せたや。なんとかして、正門を閉じれないようにするんや。壊してもいいから。それまでは、耐えてやる」

 宙に浮いた呪符は、黄子だけを帝都に閉じ込めた。障壁の呪符は、空間に透明な壁を作り、行く手を阻むために使われる。こうやって道を塞いだり、こうやって時間を稼ぐために用意していた。いざというとき、主を逃がすために。

 青子と赤子が泣き喚いている。振り返らない。ドンドンと障壁が叩かれている。そんなことではびくともしない。背後への意識は全て遮断し、ずらっと並んだ人形たちに集中する。顔面が罅割れた人形が、カタカタ顎を開閉している。嗤っている。

 ――あのときは、父の背を見送った。

 迫った三本の十文字を掻い潜って三体の脚を薙ぐ。

 ――あのときは、三人で三人の父の背を見送った。

 五本の十文字が攻める瞬間をずらして交互に刺してくる。槍を投げて一体仕留め、そこに飛び込み拾った槍を真横に振るう。飛び込んだとき、左腕を十文字が掠めた。

 ――あのときは、まだ戦い方も知らなくて、なにもできなかった。

 刀を振りかぶった人形たちに肉薄される。槍の間合いより内に入られ、柄で斬撃を弾く。三つの刀に襲われ、柄が折れ、右の鎖骨から鳩尾までを刃が掠る。

 ――あのときは、盗賊団から村を守るために戦おうとした。

 刃が掠めたとき、血の気が引く感覚も背を掠めたが、短くなった槍で刀と打ち合い、体当たりするように一体に穂先を突き刺した。そのとき、なにかに舐められた背中が燃えるように熱くなった。

 ――あのときは、逃げ場を失った子供たちが後ろで怯えていた。

 人形から刀を奪い、やみくもに振った回転斬りで一体両断した。人形は血も涙も無いはずなのに、地面にびちゃっと鮮血が散る。背中がじんじんと燃え、踵まで生温い液体が垂れていく。

 ――あのとき、願った。誰か助けに来てと。

 また刀を振りかぶった人形が迫る。刀を握った右腕を切り落としてやったとき、地面がひっくり返ったように平衡感覚があやふやになった。刀を落とした人形の左腕に首を掴まれ、押し倒される。

 ――あのとき、願いが通じた。

 尻餅をつき、障壁に叩きつけられ、背中を噛み千切られたような鋭さに抉られる。人形の左手が首を一周し、硬い木が喉仏を潰そうとしてくる。

 ――あのとき、下駄の音に振り返った。

 袖から取り出した呪符を人形の顔面に叩きつけた。それは、自決用の呪符で、肉片も残さないほどの爆発をする呪符で、菊の誇りを抱いたまま死ぬための呪符だった。

 ――あのとき、妖艶な菊花が咲いていた。

 さらに五体の人形が刀を振りかぶって飛び込んでくる。貼り付けた呪符の血文字に焔が宿った。

 ――あのとき、菊花が咲いていたのは。

 呪符が燃えたとき、歯を見せびらかすように嗤ってやった。菊の威厳を知らせるため、最後まで戦意を示せと教えられたからこその、最期に放つ遺言は、

「我が菊と共に散れ! 玩具どもお!」

 呪符の血文字を火がなぞる。


 かこん。


 ししおどしのような音色が響き渡った。

 聞き慣れた音だったから、下駄の音色だとわかった。

 あのときと同じ菊花が右耳を掠めていた。

 菊花は、反った刀身の波模様を繋ぐように等間隔で咲く。大波のような刃文と見た者を恐怖で狂わす妖艶な菊花は、その輪郭を、紫式部のように赤みがかった渋い紫色で輝かせていた。

 人形の頭ごと貫かれた呪符は、その効力を発揮することなく沈黙する。

 五体の人形が斬りかかってきたとき、背後から突風が吹く。

 粉々になった障壁と、四肢を切断された人形たちが竜巻のような突風に巻かれる。


「よ」


 からんころん。下駄が鳴る。


「よよ」


 点の眉と、口紅と、紫陽花の装飾花のような瞳は、紫。


「よよよ」


 菊花を咲かせる着物が大胆にはだけ、さらしを巻いた胸と、右肩の菊紋身がさらけ出されている。


「目の無い人形。木製。右耳から顔面に罅」


 菊花の簪を挿し、さらさらとなびく黒髪の合間から覗くのは、十字傷を刻んだ菊花。


「ようやくよ。お主に会いたかったのよ」


 十字傷の菊花が示すのは、宮殿の暗殺部隊。

 〝菊花隊〟きっかたい

 付き従うは、漆黒の甲冑に全身を隠した武士たち。

「あ、あるじ、さま――、りつ、さま」

 思わず、呼んでしまった。泣く子をさらに泣かせるその名を。

「よよ。覚悟はできておるか? お主の皮、丁寧に一枚ずつ削いでやるのよ」

 あのときと同じだった。


 菊一族の娘、菊花隊頭領〝元〟女帝九十三位が肉を削るための八重歯を剥き出しにしていた。
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