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第八話 五

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 首を通る血管と気道を締め上げられた百位は、血走った目を見開く九十九位の顔をぼやけながら狭くなる視界一杯に捉えた。

 抵抗する気力も湧かなかった。呼気を殺される。やれたことは、袖から取り出した呪符を九十九位の腹に叩きつけることだけ。

「うぎゃっ!」

 全身を痙攣させた九十九位は、上瞼まで栗色の瞳を持ち上げるとそのまま倒れこむ。むせ返った百位は、這いつくばりながら茶室の隅から隅を見渡した。

 なにも起こらない。殺意の感覚が残る首をさすっていると、茶室の戸が乱暴に開く。

「百位さん! いま、呪符が!」

 飛び込んできたのは息を切らす四位で、百位はふらつきながら立ち上がって叫ぶ。

「ねえ! あやかしが出てこない!」

 四位が垂れ目を見開く。

「違う! 百位さん危ない!」

 振り返ったとき、いつの間にか立ち上がっていた九十九位が短刀を振り下ろ――、

 身構える猶予は無かった。
 間一髪だったのは、白くてのっぺらでふにゃった生き物が飛び込んできたから。
 短刀が砕かれたという目の前の出来事を認知することもなく、百位は十六夜に突き飛ばされた。

 四位に受け止められたとき、胸ビレから刀を生やす十六夜と、刀身が折れた短刀を握りしめる九十九位が睨み合っていた。折れた短刀を投げ捨てた九十九位は、長い袴をたくし上げると、太ももに縛り付けていた短刀を取り出し、長い裾を切り裂き始める。

「な、なんで、クク、憑かれて、ないの?」
「えへ、ヒャクちゃんは馬鹿だなぁ」

 膝下が露出するまで袴を千切った九十九位は、次に袖と丈の短い唐衣を脱ぎ、

「しゃあっ!」

 それを十六夜へ放り投げた。唐衣の裏地に張り付くのは呪符。閃光。目が焼かれ視界が眩む。十六夜がびりびり突っ張ったとき、九十九位が姿を消し――、
 天井に蜘蛛みたいに張り付いた九十九位が、歯を剥き出しにしながら逆さ四つん這いで真上まで迫っていた。

「百位さん! 目、閉じて!」

 四位の叫びに反射的に目を庇う。後ろに引っ張られた瞬間、火薬が爆発したような轟音と衝撃波に顔を殴られる。庭園に敷き詰められた砂利道に落ちたとき、天井を吹き飛ばされた茶室と、すぐ隣でうずくまる四位と、燃える表着を脱ぎ捨てる九十九位を見た――、
 のも一瞬で、捨てられた表着が落ちるよりも先に、九十九位が踏み込みで弾いた砂利がすでに頬を掠め――、

 真横から突っ込んで来た大黒柱に肩を打ちぬかれた九十九位が吹き飛ぶ。池の水面を水切り石のように跳ね、庭園を囲む白い塀を割るように体を叩きつける。金ピカの神輿を制動しようと一夜と四夜と八夜が砂利道を抉りながら踏み止まる。木が焦げる臭いが漂ってきたとき、止めていた呼吸を百位は再開させた。

 もう、がくぶると震える脚に力は入らない。

「いった……、助かりました、五位」

 腰を押さえながら四位が起き上がる。着物の背が焦げていた。

「十六夜が麻痺させられた。しばらく動けん。しかし、厄介だ。忌み子いみごとはな」

 五位が神輿の覗き窓を開けて見下ろしてきた。目が合えば、五位は唇を引っ込める。

「しかも身体強化系、九位さんと似てますね。よくもまあ、宮殿から隠れられたものですよ。二位と三位も呼んでおけば良かったですね」

 四位は呪符から取り出した翠の剣を構える。さらに、背から這い出てきた九尾が燃え続ける青白い炎の火力を強め、威嚇を始めた。

「逸材だな。力の使い道を見誤るとは」

 一夜も胸ビレから刀を生やす。帝位二人は、いまむくりと起き上がった女に対して臨戦態勢だった。

 ――なんで?

 もう、知っている顔ではない。頭から血を流し、ぶらぶらする右腕はそのままに、左手に短刀を握って地に顎が擦るほど腰を曲げた九十九位は、交戦意志が目に見えてあった。

「や、やめて」

 蚊の羽音よりも小さい声は、誰にも届かない。

 九十九位が加速した。池の水面を駆けた。九尾の尾から光線が放たれるも、左右に小刻みに進路を変えられて避けられる。迎え撃ったのは、四夜。
 刀身同士がぶつかる音が五回。散った火花が水面に吸われる。刀を振るった方向が抉れる水面のおかげで理解できる。四夜が両胸ビレから斬撃を繰り出す。九十九位は左腕一本で全て弾く。水面で自在に体をくねらせ、四夜が後ずさりするほど短刀が乱打される。九十九位が三人に分裂したように見えた。
 九尾の援護射撃は池を蒸発させるだけで掠りもしない。それどころか、眩しい光線に隠れたせいで九十九位の動きを一瞬見失う。前触れなく池に沈んだ呪符は、池の水が全て吹き飛ぶほどの爆発を起こし、それに四夜は巻き込まれ、水飛沫に九十九位は隠れ――、

 砂利を滑る音に振り返れば、九十九位が短刀を振り下ろす瞬間だった。

 左腕は振り抜かれた。

 なのに、銀色の刀身は遠かった。

 生温かい液体が顔をびしゃりと濡らし、思わず目を瞑った。口腔内から肺にまで満ちた鉄のような臭いに薄目を開けば、体が真っ赤にべたついていた。斬られた、そう思って全身をまさぐるも、どこにも傷が無い。だから百位は、涙と血が混ざりあう金の瞳を上に回した。

「……くく?」

 左目に映ったのは歯を食いしばりながら目を見開く九十九位で、右目に映ったのは綺麗な肉の切断面で、そこから鼓動のようにぶしゅっと吹き出した血液を胸で受け止めたとき、砂利が敷き詰められた地面から半透明の刀が生えていることに気がついた。

 こつん、こつん、階段を上がるように地面から姿を現したのは、半透明の武士で――、

 武士は、妖刀を構えた。
 九十九位は、目を見開いたまま動かない。

 妖刀が振られたのと、にへらと頬が緩んだのは同時だった。

「やめてっ!」

 叫びに、妖刀は途中で止まる。

 ぽかんと見下ろしてきた栗色の瞳と視線が入れ違う。

 瞬くと、いきなり歯が剥き出しになった。

 噛みつこうとしてきた九十九位に十六夜の尾が絡まる。鼻先を噛み合わせが掠れば九十九位は遠くなり、簀巻きのようにされた状態でじたばたと藻掻く。やがて血溜まりができれば呼吸を浅くさせて、眠るように瞼を落とした。

「おうおう、派手にやったのぉ」

 ズガズガと歩いてきたのは金髪の帝位三位、それとのんびり歩いてくるのは白髪の帝位二位だった。半透明の武士が溶けるように消える。「来ていたのですか」と驚いたのは帝位四位で、「遅いぞ」と呑気に声をかけたのは帝位五位で。

 安堵の空気感の中、百位はただ一人、顎先から血を滴らせていた。

 半開きのまま閉じられない口の中に彼女が入り込んでくる。舌の上で、彼女は冷えていく。分離した左腕が落ちている。刀身に反射した自分は、真っ赤な涙を流していて。

 ぷつん、そこで記憶が途切れた。
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