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第八話 二
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行く当ては無い。水溜まりができるほど雨が降るときはなるべく外出は控える。そうしてきたはずなのに、担ぎ棒はもう雨を吸えないようで、垂れた水滴が飛び越えられないほど広がった水面に波紋を与えた。
金の鳥が生える屋根を無限に叩く雨が五月蝿い。騒がしさにざわつく胸が紛れる。まとまらない思考を落ち着かせるのに今日の天気が丁度良い。出歩く人影も少なく、気安く声をかけてくる知り合いは居ない――。
だからこそ、五位はその一点に目が吸われた。
軒先で、雨空の様子を窺う濃藍の髪を伸ばす小柄な女性は、東雲の十二単で着飾っていた。
藍染した絹の手拭いを渡せば、「ありがと」と緩々の唇から伝えられた。
「急に降ってきたから。お昼まで降ってなかったのに」
言いながら唇を尖らせた女帝百位は、長い濃藍の髪を拭きながら神輿の中で丸まっている。
「馬車で来たらよいものを」
「ふん、わたし専用の馬車はありませんよーだ」
ぷくっと頬を膨らませる顔に、頭も胸も穏やかにされる。百位は、濡れた裾に装束が触れないように試行錯誤していた。
「それで? なにをしていたのだ?」
「え? 十位様に聞いてたの。食事の管理」
「食事? ああ、この間の話か」
「そ。あんたが意味深に言うから気になったの」
ニカッとほころんだ笑みからは目を逸らしておく。
「それで? なにかわかったことはあったのか?」
百位は鼻で大きく溜息を吐いた。
「全然なにも。十位様は、帝都に運ばれた食材を各屋敷に届けるまでが仕事らしいの。調理は屋敷でするけど、配膳の量も十位様がきっちり決めて屋敷に届けるみたい。帝都に届く食材は女帝九十八人分、それと毒味役用の九十八人分。確かに一人分ずつ少ないけど、九十八人分を九十九人で分けるだけ。だから、わたしが食べる物が無くなる理由がわからないって言ってたわ。少なくとも十位様は、わたしの分もきっちり確保してたって。いまは、十一位様と九十三位様が退官してから、ちゃんと人数分の食材が届いているみたいだけど」
ならば、屋敷で調理する際、もしくは配膳するときになにかがあった。女帝の食事は下女も食べる。それは毒味のためだ。下女が厨房で受け取るのは、女帝と毒味用の二人分が合わさった食事で、それを下女が毒味用の皿によそって毒味役が食べたあとに、女帝はようやく食事ができる。当時、百位の下女は一人だけだった。毒味も一人でこなしていただろうが、あの下女も酷くやつれていた。
いずれにせよ、どこかに誰かの悪意があるということだろう。
「あの三人は関係なかったのか?」
「三色ウンコはウンコ投げてきただけみたい」
「うん……? ……そうか」
「わたしの下女もね、厨房に食事を受け取りに行ったときにはもう残っていなかったって。ククに聞いたら、いつもククの下女が受け取ったぶんで空になったらしいの。やっぱ、厨房が怪しいかなって思うわ」
健気だと思えた。こちらのことを疑いもせず、言われたことを真剣に考える。ただの協力者として見るのであれば、これほど都合の良い駒は居ない。
女帝ではなく、協力者。
女、では、なく。
――待て、最初、協力者として助けたはずだ。利用できると考えたはずだ。俺は、いつから、なぜ、なにを期待して――。
「あんたはなにしてんのっ? 神輿が腐るわよ」
すぐそばに居る現実から目を逸らせなくなったから上瞼を下ろした。
「特に。散歩だ」
「暇なのね」
「暇ではない。仕事ばかりしていても疲れる。息抜きだ」
「ふうん、なんの仕事?」
「病の調査だ」
話の流れに乗ってしまい、そこまで答えてはっとした。あまり、話題にするべきでない事柄だ。
「病?」
当然、食いついてくる。変に誤魔化すほうが面倒か。
「西のほうで流行り病だ。半年前か……そのあたりから流行りだしたらしい」
「え、西」
「ああ、四夜が病に効く薬を見繕っている。それを……、どうした?」
生唾を飲む気配がして上瞼を上げた。百位は唇をすぼめながら金の瞳をきょろきょろさせている。左拳を右手で覆う姿は、動揺にしているように見えた。
「う、ううん、なんでも、く、薬、効くのよね」
先程までの陽気さとは打って変わり、病に伏せたような顔色だ。わかりやすい女だと思う。
「……そなた、故郷はどこだ」
問うも「えっと」とどもって返答が無い。
「西か」
百位はうなだれるように顔を伏せ、消えそうな声で「うん」と答えた。
「医者はいないと言うておったな」
「でも、薬、作るのよね?」
「薬は医者に届ける」
「え」
百位は視線だけで縋りついてきた。慈悲を求めるように。
「心配なら文を出し、医者がいる村か町で過ごすように伝えろ」
「おじいちゃん、足が悪くて」
「……そうか」
それ以上の案を思いつかない口が塞がる。口角を引き下げる百位の表情に胸がぎしぎし軋む。そしてなぜか、背中が汗ばむほど体が火照った。喉が声を出そうと喉仏を圧す。軋む胸が気の利いた事を言いたがっている。西のほうで流行っているだけで、故郷に害は無いかもしれない。そんな楽観的なことでは安心させられない。違う。
――なぜ、俺が届けてやると言いたがる。なにを躊躇う。なぜ、丁度良いきっかけになると考えられない。
結局、なにも言えぬまま屋敷に到着した。百位は「ありがと」とぼそり呟き、裾が水溜まりに沈むのも気にせずに神輿から飛び降りる。振り返ることもなく、駆けていった。
金の鳥が生える屋根を無限に叩く雨が五月蝿い。騒がしさにざわつく胸が紛れる。まとまらない思考を落ち着かせるのに今日の天気が丁度良い。出歩く人影も少なく、気安く声をかけてくる知り合いは居ない――。
だからこそ、五位はその一点に目が吸われた。
軒先で、雨空の様子を窺う濃藍の髪を伸ばす小柄な女性は、東雲の十二単で着飾っていた。
藍染した絹の手拭いを渡せば、「ありがと」と緩々の唇から伝えられた。
「急に降ってきたから。お昼まで降ってなかったのに」
言いながら唇を尖らせた女帝百位は、長い濃藍の髪を拭きながら神輿の中で丸まっている。
「馬車で来たらよいものを」
「ふん、わたし専用の馬車はありませんよーだ」
ぷくっと頬を膨らませる顔に、頭も胸も穏やかにされる。百位は、濡れた裾に装束が触れないように試行錯誤していた。
「それで? なにをしていたのだ?」
「え? 十位様に聞いてたの。食事の管理」
「食事? ああ、この間の話か」
「そ。あんたが意味深に言うから気になったの」
ニカッとほころんだ笑みからは目を逸らしておく。
「それで? なにかわかったことはあったのか?」
百位は鼻で大きく溜息を吐いた。
「全然なにも。十位様は、帝都に運ばれた食材を各屋敷に届けるまでが仕事らしいの。調理は屋敷でするけど、配膳の量も十位様がきっちり決めて屋敷に届けるみたい。帝都に届く食材は女帝九十八人分、それと毒味役用の九十八人分。確かに一人分ずつ少ないけど、九十八人分を九十九人で分けるだけ。だから、わたしが食べる物が無くなる理由がわからないって言ってたわ。少なくとも十位様は、わたしの分もきっちり確保してたって。いまは、十一位様と九十三位様が退官してから、ちゃんと人数分の食材が届いているみたいだけど」
ならば、屋敷で調理する際、もしくは配膳するときになにかがあった。女帝の食事は下女も食べる。それは毒味のためだ。下女が厨房で受け取るのは、女帝と毒味用の二人分が合わさった食事で、それを下女が毒味用の皿によそって毒味役が食べたあとに、女帝はようやく食事ができる。当時、百位の下女は一人だけだった。毒味も一人でこなしていただろうが、あの下女も酷くやつれていた。
いずれにせよ、どこかに誰かの悪意があるということだろう。
「あの三人は関係なかったのか?」
「三色ウンコはウンコ投げてきただけみたい」
「うん……? ……そうか」
「わたしの下女もね、厨房に食事を受け取りに行ったときにはもう残っていなかったって。ククに聞いたら、いつもククの下女が受け取ったぶんで空になったらしいの。やっぱ、厨房が怪しいかなって思うわ」
健気だと思えた。こちらのことを疑いもせず、言われたことを真剣に考える。ただの協力者として見るのであれば、これほど都合の良い駒は居ない。
女帝ではなく、協力者。
女、では、なく。
――待て、最初、協力者として助けたはずだ。利用できると考えたはずだ。俺は、いつから、なぜ、なにを期待して――。
「あんたはなにしてんのっ? 神輿が腐るわよ」
すぐそばに居る現実から目を逸らせなくなったから上瞼を下ろした。
「特に。散歩だ」
「暇なのね」
「暇ではない。仕事ばかりしていても疲れる。息抜きだ」
「ふうん、なんの仕事?」
「病の調査だ」
話の流れに乗ってしまい、そこまで答えてはっとした。あまり、話題にするべきでない事柄だ。
「病?」
当然、食いついてくる。変に誤魔化すほうが面倒か。
「西のほうで流行り病だ。半年前か……そのあたりから流行りだしたらしい」
「え、西」
「ああ、四夜が病に効く薬を見繕っている。それを……、どうした?」
生唾を飲む気配がして上瞼を上げた。百位は唇をすぼめながら金の瞳をきょろきょろさせている。左拳を右手で覆う姿は、動揺にしているように見えた。
「う、ううん、なんでも、く、薬、効くのよね」
先程までの陽気さとは打って変わり、病に伏せたような顔色だ。わかりやすい女だと思う。
「……そなた、故郷はどこだ」
問うも「えっと」とどもって返答が無い。
「西か」
百位はうなだれるように顔を伏せ、消えそうな声で「うん」と答えた。
「医者はいないと言うておったな」
「でも、薬、作るのよね?」
「薬は医者に届ける」
「え」
百位は視線だけで縋りついてきた。慈悲を求めるように。
「心配なら文を出し、医者がいる村か町で過ごすように伝えろ」
「おじいちゃん、足が悪くて」
「……そうか」
それ以上の案を思いつかない口が塞がる。口角を引き下げる百位の表情に胸がぎしぎし軋む。そしてなぜか、背中が汗ばむほど体が火照った。喉が声を出そうと喉仏を圧す。軋む胸が気の利いた事を言いたがっている。西のほうで流行っているだけで、故郷に害は無いかもしれない。そんな楽観的なことでは安心させられない。違う。
――なぜ、俺が届けてやると言いたがる。なにを躊躇う。なぜ、丁度良いきっかけになると考えられない。
結局、なにも言えぬまま屋敷に到着した。百位は「ありがと」とぼそり呟き、裾が水溜まりに沈むのも気にせずに神輿から飛び降りる。振り返ることもなく、駆けていった。
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