心が担げば鸞と舞う桜吹雪

古ノ人四月

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第七話 七

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 十五位は、なにも考えてくれない頭でただ祈りを捧げた。祈りの言葉も忘れたが、それは、いま戦地に赴いた帝位四位に向けた祈りであることは間違いなかった。

 踏み込んだ四位の一撃は、巨漢が握っていた槍によって防がれる。

「あまぁぁぁぁぁあいっ!」

 巨漢が力任せに槍を振って四位をはじく。四位は後ずさりながらも巨漢の足元に三枚の呪符を撒く。呪符から雷のような閃光が放たれ、塀よりも高く爆炎が噴きあがり、巨漢が炎に包まれる。袖で火の粉から顔を守りつつ手応えを覗った四位の足元が、割れた。

「なっ!」

 四位が浮く。地面が盛り上がり、人間を丸飲みにできそうなほど大きい口が四位を襲う。
 地中からの噛みつきは空ぶる。九尾が四位を咥えて脅威から遠ざけた。四位が態勢を立て直せば、姿を現したのは巨大な蛇。蛇は涼しい顔をしている巨漢を包むように渦を巻いた。巨漢の男がすっぽり隠れてしまうほど太く長い蛇は、黒と赤色の市松模様に、金の猫目、上顎に六本牙、そして下顎には口に収まりきらないほど巨大な牙が二本生えていた。

大蛇おろち。厄介なあやかしを従えたな」

 大蛇がちゅるると伸ばした長い舌を、巨漢は指先でつつく。

「蛇の毒はとても好みだぁ。獲物を動けなくしてから、丸飲み。でも意識は飛ばさなぁい」

 巨漢が舐めるように眺めてくる。自分の体を抱きしめて視線に耐える。

「屋敷の女帝や下女らも貴様の仕業か」

 四位の声がおぞましい視線を剥がしてくれた。

「はやくしないと、死んじゃうかなぁ」

 巨漢はぐふぐふ笑いながら舌なめずりをする。

「さっさと殺さないのは趣味か?」
「あとから楽しめるかなぁってぇ」
「下衆が」

 九尾の尾が逆立った瞬間、九本の尾から眩い光線が放たれた。石で舗装された地面を粉々に抉る。だが、大蛇と巨漢に直撃する寸前で光線はいくつにも分散して消え去った。巨漢がぐふぐふと腹を抱える。

「どうせ結界を突破してくるのはぁ帝位だろうからぁ、霊力の対策はしてあるだぁ」
「霊珠、か。ある一定よりも強い霊力は、同じ強さの霊力とぶつかれば対消滅する性質がある。それを利用したものがそれで、まだ試作段階のものが数個あるだけだと聞いたが」
「財務大臣はぁ、孫娘が可愛くて仕方なかったみたいだぁ。便利だぁこれ。防護範囲はこの屋敷全体ぐらぁい広いだぁ。そのぶん霊力はたくさん使うがぁ、いっぱぁい、吸ったぁ」
「そのために女帝の屋敷で待ち伏せか。ずる賢い」

 会話についていけなくて、十五位は何回も乾いた唾を飲んだ。要は、霊力による攻撃は通じないということだろうか。もしそうなら、霊力を利用する呪符やあやかしの攻撃が効かない。

「余裕ぶってる場合かなぁ?」

 大蛇がシャアッと威嚇し、地を這い四位に迫る。九尾が尾から放った光線で迎撃、やはり大蛇に命中する直前に光線が分散した。九尾が飛び出し、大蛇の噛みつきを掻い潜って体当たり、あきらかな重量差にむしろ九尾が弾かれる。九尾に大蛇の長い胴が巻きつこうとしたが、九尾は飛び上がってそれを回避した。

 同時に、巨漢が槍を振りかぶる。

「そのきれいな顔、めっためったぁにしたるぅ!」

 圧倒的な体格差だ。叩きつけられた槍に膝が落ち、薙ぎった槍に踏ん張った足が滑る。防戦一方の四位は呪符を撒く。青白い稲妻が巨漢に直撃、かすり傷すらつかない。攻撃の手は全く緩まない。四位が踏み込もうが、力士のように重心を落とした巨漢は鮮やかに翠剣をさばく。

「そんな細い腕じゃあ、相手になんないなあ!」

 大振りの槍が四位の頬を掠める。四位は巨漢から距離をとった。追う巨漢は見た目からは想像できない俊敏な動きで肉薄する。
 四位が呪符を地に投げる。槍の穂先が呪符にぐいっと引き寄せられ槍が地に突き刺さる。「ぬおっ」と巨漢が体勢を崩した隙を四位は見逃さない。
 刺すように鋭く踏み込み翠剣が振られる、直前、巨漢が「んが」と糸を引く大口を開けた。
 飛び出すは唾液まみれの土壌色の蛇。毒牙を突き立てようとした蛇を翠剣が切り落とす。その一瞬で巨漢が肩を突き出す。蛇の屍もろとも四位は巨漢に体当たりされ吹き飛ぶ。倒れた四位目掛けて突進を仕掛ける巨漢、だが横から飛んできた光線が地を抉って石や砂を弾き飛ばし、それらに殴られた顔を守るため巨漢はしかめっ面で足を止めた。
 四位を守ろうとして隙ができたのか、九尾が大蛇の体当たりをくらって屋敷を囲う塀まで吹き飛ぶ。大蛇は胴に切り傷や噛み傷をつけてはいたが、どれも硬そうな鱗のせいで浅い。

 霊力による攻撃を封じられているなら力勝負をするしかない。四位は不利だ。そんなこと、戦いのことなど無知な十五位にでも察せた。

 それからも四位と巨漢、九尾と大蛇はそれぞれで争った。さきに膝を折ったのは、かつらを短くした四位だった。九尾も塀に追いやられ、大蛇が長い胴で逃げ道を塞ぎながら迫ろうとしている。
 吹き飛ばされた四位が滑ってきた。ボロボロになった四位を受け止めようとしたのに、強張った手は四位に触れることを容認しなかった。体のあちこちに切り傷を負った四位は、短くなったかつらを脱ぎ捨てる。

 四位は翠剣を握っていない。握っているのは一本の針と白紙の呪符だった。

「もぉう、終わりかなぁ?」

 どす、どす、巨漢が迫って来る。四位は背後に両手を回す。左手で摘まんでいた針を、貫通させる勢いで右手に突き刺した。

「どうせならぁ、婚儀を見届けてからぁ、殺そうかなぁ。参列者はいないのはぁ、寂しいだぁ」

 ぐふぐふと巨漢が笑う。四位が手探りで呪符に文字を書こうとしている。とてもじゃないが、その後ろ手の体勢では書けない。

 ――わからない。なぜ、見捨てて逃げない。なんで、そう、つい最近関わっただけの女に、この男はこれほど身を投げられる。謁見だって、ただの我儘だ。なんで、ずっと、ずっと、なんのために、その手を傷つける――。

 右手が勝手に伸びた。やっぱり駄目だった。こんな状況でも彼の手を握ることはできない。

 だから、垂れた赤い液体だけを受け取った。

 四位の体に触れることを容認しなかった手は、彼の血に触れることには抵抗しなかった。
 垂れた血を人差し指で受け止め、「四位」と声を絞り出す。

「……汝の元へ、絆は永遠に」
「なぁんてぇ? 聞こえないなああああああ!」

 特殊な霊文字を覚えようとしたのは、父と皇帝の会話がきっかけだった。内緒話を二人は読めない文字で筆談していて、仲間外れが嫌だったから。

 血まみれの呪符を四位に手渡す。呪符が青白く燃え始める。

 呪符の火に呼応したのは九尾。大蛇が身を引くほどに燃え上がった九尾は、空気が振動するほどの遠吠えを上げると、大蛇に向かって全速で駆けた。

 燃える呪符を掲げた四位に、巨漢は動じない。

「だからぁ! 無駄だって言ったああああああああああ!」

 地に落とされた呪符を、巨漢は跨ぐ。

 呪符の火と九尾の火は、同じ青白さ。

 召喚の呪符は、対象を〝強制移動〟させる。どれほど離れていようが、そこに移動させる。

 それは皇帝のうんちくだった。

 馬の全力疾走を追い越す速度で駆けた九尾がその速度を維持したまま、地の呪符から召喚される。

 巨漢の股下から、出現した。

 呪符の真上にあった股間に九尾の鼻先が食い込み、巨漢は目玉が飛び出そうなほど目を見開き、

「うぎゃああああああああああああああああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!」

 巨漢の悲鳴は星空にまで轟く。九尾は屋敷を飛び越えるほど天高く突き抜け、巨漢も共に宙を舞う。巨漢は、股間を突き上げられた形のまま静止すると真っ逆さまに落下した。

 巨漢を受け止めたのは大蛇の隠せない大きな牙で、胸を串刺しにされた巨漢は白目をむくと次第に動かなくなった。大蛇は、いくつかまばたくと動かなくなった巨漢をぱくりと丸飲みにしてしまった。

「か、勝ったのか?」

 安堵を漏らした十五位に、四位は首を振る。

「い、いえ、まだ大蛇がいます。主人が死んだいま、大蛇は自由になりました。そして、人の世で生きるため、霊力を欲します」

 シャアアアアアアアアアアアッと大蛇が激しく威嚇し始めた。興奮したように周囲を見渡し、長い舌をちゅるちゅる出して引っ込めるを繰り返す。その姿に、ふらつく九尾を見やった四位は、「まずいですね」と弱音を吐く。

「十五位さん、走れますか? 走れるなら、屋敷の奥へ。召喚、予想より消耗が激しくて」
「じゃ、じゃが、そちはどうするのじゃ?」
「行って」

 四位が立ち上がる。大蛇が四位を見据え、狙いを定めたように姿勢を低くした。
 女装をしていない四位の背を、ただただ見上げた。

 一緒に、逃げて。

 そう声がでなかったのは、刀を鞘に収める音色を聞いたから。

 正門に亀裂が入る。

 両断された正門から飛び込んできたのは、白くてのっぺらでふにゃってそうで子供みたいな大きさのあやかしだった。エイのような胸ビレから刀を生やすそれを四位は、十六夜、と呼ぶ。

 十六夜がばいんと飛び上がる。大蛇に天から斬りかかる。大蛇は顔面に発生させた障壁で斬撃を受け止める。障壁に波紋が広がった、瞬間、十六夜の背中から無数の刀身が発射され、障壁を迂回した何十本もの刀身が流れ星のような残像を残しながら大蛇の全身に突き刺さる。悲鳴のような叫びが上がったとき、障壁が割れ、十六夜はすでに大蛇を通り過ぎていた。

 大蛇は微動だにせず、十六夜の胸ビレから生えていた刀身が、にゅっ、と引っ込む。

 ぶるん、と揺れたとき、大蛇は賽子さいころの形に分離してバラバラになった。
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