心が担げば鸞と舞う桜吹雪

古ノ人四月

文字の大きさ
上 下
31 / 61

第六話 三

しおりを挟む
 顎から汗が滴り、悪いことをしたと自覚する胸がバクバクと鳴る。息を切らした百位は大広間の入口にまで辿り着いた。
 入口の見張りが百位に気づくと、右膝を地につける。

「これは女帝百位様。えー、一体、なにが?」

 衛兵は、鼻下にだけ髭を生やす中年男性だった。緑色の甲冑は傷だらけでところどころ緑色が剥げ、胴前面を守る胸板から地の鉄板が露出し錆びている。十二単の装束よりも肩が凝りそうな甲冑を装備する体は、少々、頼りなく感じた。垂れた口角の力みは、弱音なぞ吐かぬと宣言しているようだ。

「わたし、っのこと、わかる、の?」
「は。自分、帝都守備隊長であります。女帝の皆様を見分けられないようでは務まりません」
「そ、そう、なら、話が早いわ。これ、渡してきて」
「は? ……これはっ、魏!?」

 守備隊長は食い入るように琥珀石に顔を寄せた。「なぜ、これが」と、声を震わせる。

「詳しいことは、あとで、とにかく、渡してきて」
「えー、そうですね、そう、するべき、ですが――」

 守備隊長の歯切れが悪い。ぼさぼさの眉は片方だけ上がっている。

「なによ。はやくして」
「……百位様。申し上げにくいのですが、いま、皇帝がお見えになっております。おいそれと、皇帝の御前へ足を踏み入れることなど、不敬にもほどがあります」
「じゃあ、わたしが行くから、開けて」
「お待ちください! 女帝と言えど、あなたは百位様でございます。皇帝に謁見する権利はありません。百位様であっても、無許可では通れません!」
「じゃあどうすんのよ! これがここにある意味わかってる!?」

 怒鳴っても仕方ない。空気が足りない頭でもそれはわかっている。しかし、時間が無いという焦りに急かされる。
 もう、魏の返還は始まっているかもしれないのに。

「皇帝の御前に立ち入られる方は限られます。それも、公の場で、です。あのお方であれば、もしかすれば」

 守備隊長は立ち上がった。拳を胸に抱き、「ご加護を」と天を仰いだ。



 大広間入口の門は屋根付きで、四本の角柱を脚にしていた。門をほんの少しだけ守備隊長は開ける。隙間から中の様子を覗く。

 どうやら、帝位二位が皇帝と言葉を交わしている最中だ。声までは聞き取れない。まだ魏の返還は始まっていないようだ。

「百位様、すぐ左手の最前列、お見えになりますか?」
「あの、紫の髪かしら」
「そうです。女帝十五位様でございます」

 その女帝は、紫色に紅色を混ぜたような紅桔梗色の髪を伸ばしていた。桔梗柄の十二単も紫が基調になっていて、後ろに付き従っている下女らよりも一回り小さい体格だ。後ろ姿しか見えず顔の造形まではわからない。

「女帝十五位様は、皇帝の遠い親戚でございます。皇帝も、女帝十五位様と直接の面識があります。女帝十五位様であれば、皇帝の御前にも立ち入れるでしょう」
「なるほどね、なら、とっとと呼んできてくれる?」
「いえ、少々、問題が、ありまして」

 また守備隊長の歯切れが悪くなる。さっさと事実を喋ってほしい。

「女帝十五位様はですね、その、大の男嫌いでありまして」

 男嫌い。女帝なのに男嫌いとは、なにをしに女帝になったのだ。

「え、なにそれ」
「相手が帝位様であっても、男は嫌いだそうで。手渡しは絶対に不可能です。おそらく、発狂します。暴れます」
「え、なにか、膳とか、台に載せるとか」
「渡すものが魏だと悟られてはなりません。袖に隠し、こっそりと渡さねば」

 ここまで来てこんな障害があるとは。なんとか、せめて五位に気づいてもらえられれば。

「自分、妙案がございます」
「え、ちょっと」

 守備隊長はゆっくり静かに門を開けると何食わぬ顔で大広間に入った。それを門から見守る。守備隊長は女帝十五位の傍で膝をつき、「女帝十五位様」と呼びかけた。女帝十五位は、それを無視している。

「女帝十五位様、脱いでください」

 百位は門に側頭部をぶつけ、十五位は仰け反った。



 大広間から出てすぐそばにあった小屋に入った。大広間で使う絨毯などの備品置き場だ。埃っぽくて鼻がむずむずする。そこで百位は、大きな木箱に腰かけ膝を組む女帝十五位と向き合っていた。百位の背後には膝をつく守備隊長と十五位の下女らが並んでいる。

「なるほどのぉ。わっちに成り代わり、四位の元へと」
「はっ。背格好は似ております。皇帝とは距離がありますゆえ、顔を伏せていれば問題ないかと存じます」

 十五位は紅桔梗のもみあげをくるくる手で回しながら怪しげな笑みを浮かべていた。白粉をつけていない肌にはシミもできものも一つとて無く、輪郭に幼さが残るわりには、やけに口調が年寄りくさい。ぱっつん前髪の下にある灰褐色の瞳にじとじと物見される。

 守備隊長の妙案とは、百位が十五位に変装して石を届けるということであった。それを守備隊長は、脱げ、と一言でまとめたらしい。話を端折りすぎではあるが、確かに妙案だ。桔梗柄の十二単さえ貸して貰えられれば――。

「なら、二つ、貸しじゃ」

 十五位は、立てた人差し指と中指を鋏のように動かした。

「貸しってなによ! 状況わかってる!?」

 思わず大声を出せば、十五位が口紅を塗った唇に人差し指をつける。

「わっちはあの男共にしろ、女帝共にしろ、知ったことではないのじゃ。はよう帰ってわっちの楽園を作りたくてのぉ。体が疼くのじゃ」

 ぬふふふふとだらしない口角で自分の体を抱きしめる十五位に、誠意は伝わらないと直感した。

「あー、もう! 時間が無いの! 貸しって、なにしたらいいのよ!」
「それはいますぐの話ではないぞ。考えておくからの」

 十五位が唇を、ちゅ、と鳴らす。その姿に悪寒が走る。

「わ、わかったから、はやくっ、脱げっ!」

 そう吠えたときだった。「ほう?」と目を細めた十五位の灰褐色の瞳がきらり光る。

「ほうほうほうほうほう」
「な、なによ」

 十五位が木箱から立ち上がると一歩近づいてきた。ほとんど変わらない目線の高さに、百位は後ずさりをした。

「一つ、思いついたのじゃ。それとこの姿が引き換えじゃ。他のものは、出ろ」

 出ろ、と言ったときの声音は、胸に響きそうなほどに低かった。嫌な予感がして救いの目を守備隊長に向けたときには、小屋の引き戸は無慈悲に閉まっていた。

「ちょ、ちょっと、なによ」
「なんじゃ? この姿が、わっちが欲しいのじゃろ?」
「な、なんで、そう、近づいてくるのよ」
「ここの女帝にはときめかなくての。最初は期待で胸が一杯だったのじゃが、どいつもこいつも甘ったるい香水、厚い化粧、わっちはもっとこう、素朴な感じが好みなのじゃ。そち、なかなかぁ、よいのぉ」

 壁際に追い詰められれば壁を叩くように十五位が迫った。なんとか顔だけは遠ざけたくて後頭部を壁に擦れば、むふっと熱々の吐息に鎖骨を弄られる。

「え、うそ、あんた、ちょっと、まって、わたし、そんな趣味ないっ」
「無理強いはせん。じゃが、さきまで暇で暇で、頭で昂らせておったのじゃ。ほんの少しだけ嗅がせてくれのぉ。そんな汗だくの薄着、誘われてしまうじゃろぉ」
「ひっ、やだ」
「のう、めくってもよいか?」
「駄目に決まってんでしょ! もう、いやあああああああああああああああ!」

 ぬへへへへと抱きつかれた百位は、いつぞやのときと同じ羞恥の叫びをあげた。



 ぷるぷる震える百位は頬を真っ赤に染めてはいたものの、桔梗柄の十二単を身に纏っていた。裾の短い着物一枚になった十五位は、ぬふっと頬を上気させている。百合のような甘ったるい匂いがむわりと漂ってきて胸が焼けそうだった。

「わっちの装束、高いからの。汚さぬように。汗ならいくらでも吸わせて構わんぞぉ。寝巻にするのじゃ」
「うっさいし――――っ! くたばれ!」
「おおうよいぞぉ百位! 気に入ったのじゃ!」
「うるさい!」
「百位様。あとは髪さえなんとかすれば」

 十五位は紅桔梗色だがこちらは濃藍色だ。髪を染めるのはさすがに。なにか、被り物でもして誤魔化すしかないだろう。と考えていると、十五位が自分の髪をまさぐり始めた。

「ああ、百位。髪をまとめるのじゃ。ほれ」

 一瞬、頭皮を引きはがしたのかと思った。十五位が両手に抱えているのは紅桔梗色の髪で、彼女の頭に固めるようにまとめられていたのは銀色の髪で、

「えっ、かつらだったの!?」

 驚きが声に出れば、十五位は初めて目を逸らした。

「わっちは地毛が銀での。故郷では、不吉だと評判が悪いのじゃ。全く、大昔のあやかしが銀色だったのなんだの、くだらない逸話じゃ」

 十五位からかつらを受け取った下女に手早く地毛をまとめられ、かつらを被せられる。百位が下女にされるがままになっていたのは、銀の髪を解いた十五位がおとぎ話のような存在に見えてしまったからだった。

 地毛を晒してから物静かになった彼女には、きっと、雪景色が似合う。朝陽を反射させる雪の上で、白傘を掲げ、空を見上げて――。

「おお、百位様、これは十五位様ですぞ!」

 守備隊長の歓喜に、幻想から現実に引き戻される。自分ではいまいちよくわからないが、守備隊長の感心ぶりから変装に成功したことがわかる。十五位は、まただらしなく口角を緩めていて、さっき浮かんだ雪景色は幻覚だったのだと思えた。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

裏切りの代償

中岡 始
キャラ文芸
かつて夫と共に立ち上げたベンチャー企業「ネクサスラボ」。奏は結婚を機に経営の第一線を退き、専業主婦として家庭を支えてきた。しかし、平穏だった生活は夫・尚紀の裏切りによって一変する。彼の部下であり不倫相手の優美が、会社を混乱に陥れつつあったのだ。 尚紀の冷たい態度と優美の挑発に苦しむ中、奏は再び経営者としての力を取り戻す決意をする。裏切りの証拠を集め、かつての仲間や信頼できる協力者たちと連携しながら、会社を立て直すための計画を進める奏。だが、それは尚紀と優美の野望を徹底的に打ち砕く覚悟でもあった。 取締役会での対決、揺れる社内外の信頼、そして壊れた夫婦の絆の果てに待つのは――。 自分の誇りと未来を取り戻すため、すべてを賭けて挑む奏の闘い。復讐の果てに見える新たな希望と、繊細な人間ドラマが交錯する物語がここに。

隣の家に住むイクメンの正体は龍神様でした~社無しの神とちびっ子神使候補たち

鳴澤うた
キャラ文芸
失恋にストーカー。 心身ともにボロボロになった姉崎菜緒は、とうとう道端で倒れるように寝てしまって……。 悪夢にうなされる菜緒を夢の中で救ってくれたのはなんとお隣のイクメン、藤村辰巳だった。 辰巳と辰巳が世話する子供たちとなんだかんだと交流を深めていくけれど、子供たちはどこか不可思議だ。 それもそのはず、人の姿をとっているけれど辰巳も子供たちも人じゃない。 社を持たない龍神様とこれから神使となるため勉強中の動物たちだったのだ! 食に対し、こだわりの強い辰巳に神使候補の子供たちや見守っている神様たちはご不満で、今の現状を打破しようと菜緒を仲間に入れようと画策していて…… 神様と作る二十四節気ごはんを召し上がれ!

椿の国の後宮のはなし

犬噛 クロ
キャラ文芸
※毎日18時更新予定です。 架空の国の後宮物語。 若き皇帝と、彼に囚われた娘の話です。 有力政治家の娘・羽村 雪樹(はねむら せつじゅ)は「男子」だと性別を間違われたまま、自国の皇帝・蓮と固い絆で結ばれていた。 しかしとうとう少女であることを気づかれてしまった雪樹は、蓮に乱暴された挙句、後宮に幽閉されてしまう。 幼なじみとして慕っていた青年からの裏切りに、雪樹は混乱し、蓮に憎しみを抱き、そして……? あまり暗くなり過ぎない後宮物語。 雪樹と蓮、ふたりの関係がどう変化していくのか見守っていただければ嬉しいです。 ※2017年完結作品をタイトルとカテゴリを変更+全面改稿しております。

【完結】生贄娘と呪われ神の契約婚

乙原ゆん
キャラ文芸
生け贄として崖に身を投じた少女は、呪われし神の伴侶となる――。 二年前から不作が続く村のため、自ら志願し生け贄となった香世。 しかし、守り神の姿は言い伝えられているものとは違い、黒い子犬の姿だった。 生け贄など不要という子犬――白麗は、香世に、残念ながら今の自分に村を救う力はないと告げる。 それでも諦められない香世に、白麗は契約結婚を提案するが――。 これは、契約で神の妻となった香世が、亡き父に教わった薬草茶で夫となった神を救い、本当の意味で夫婦となる物語。

父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

四季
恋愛
父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

アデンの黒狼 初霜艦隊航海録1

七日町 糸
キャラ文芸
あの忌まわしい大戦争から遥かな時が過ぎ去ったころ・・・・・・・・・ 世界中では、かつての大戦に加わった軍艦たちを「歴史遺産」として動態復元、復元建造することが盛んになりつつあった。 そして、その艦を用いた海賊の活動も活発になっていくのである。 そんな中、「世界最強」との呼び声も高い提督がいた。 「アドミラル・トーゴーの生まれ変わり」とも言われたその女性提督の名は初霜実。 彼女はいつしか大きな敵に立ち向かうことになるのだった。 アルファポリスには初めて投降する作品です。 更新頻度は遅いですが、宜しくお願い致します。 Twitter等でつぶやく際の推奨ハッシュタグは「#初霜艦隊航海録」です。

おっ☆パラ

うらたきよひこ
キャラ文芸
こんなハーレム展開あり? これがおっさんパラダイスか!? 新米サラリーマンの佐藤一真がなぜかおじさんたちにモテまくる。大学教授やガテン系現場監督、エリートコンサル、老舗料理長、はたまた流浪のバーテンダーまで、個性派ぞろい。どこがそんなに“おじさん心”をくすぐるのか? その天賦の“モテ力”をご覧あれ!

思い出さなければ良かったのに

田沢みん
恋愛
「お前の29歳の誕生日には絶対に帰って来るから」そう言い残して3年後、彼は私の誕生日に帰って来た。 大事なことを忘れたまま。 *本編完結済。不定期で番外編を更新中です。

処理中です...