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第四話 三
しおりを挟む左から青、黄、赤、そして中、大、小、並んだのは九十三位の元下女たち。色違いの下女らが頭を下げる様を、百位は黙って見下ろしていた。
ひとまず下女らの傷は落ち着いてきた。まだまだ治療は続くが、顔の腫れや痣は幾分ましになった。相変わらず体は包帯をぐるぐる巻きにしていて痛み止めが手放せなさそうだが、ある程度の業務には復帰し始めている。
この下女らには色違いの着物を与えた。帝都では、名を明かすことを禁じられている。名を明かせるのは婚約を申し入れるときのみ。帝位や女帝を位で呼ぶのはそのためだ。女帝も下女も、人前で相手の名を呼ぶことは禁じられている。女帝になる前から顔見知りであった、そもそも家が有名な者ならば名を知られていることも多いが、こと下女に関しては、主人以外は名を知らないことがほとんどだ。これまでは下女が一人だけだったので、名を呼ばなくても不便は無かった。しかし、他所から三人の下女を引き取るとなれば、個別に用があるときになにかと不便だと考えた。
そこで三色に分け、色で呼ぶことにした。
中の背には青。青子。親が歌手らしい。やけに声が高いのは遺伝とか。
大の背には黄。黄子。親が狩人らしい。やけに槍が使えるのは仕込まれたとか。
小の背には赤。赤子。親が茶屋らしい。やけにぽっちゃりしているのは試食のしすぎとか。
百位が伝えた要件に顔を上げたのは黄子だ。まだ右目の包帯は外していない。
「百位様。無茶かと」
予想通りの回答だった。だが、ここで退くわけにはいかない。
「理由は?」
「は。九十三位様に札を貼り付けるとのことですが、まず、九十三位様は警戒心がお強い方でございます。下女が直に肌へ触れることも嫌います。他人が手の届く距離よりも内に入って来ることを嫌います。ましてや、いま敵対している百位様、または自分らが近づけば、おそらくやられます」
九十三位と下女らでは言い分が異なる。十一位に赤目の下女が居るかどうかだ。下女らには霊力は無いらしい。よって、あやかしに直接惑わされたという可能性は無い。考えられるのは、十一位か九十三位、どちらかがあやかしに惑わされて、居る者を居ないと思いこむ、その線だ。自分も直接十一位に確かめたいが、なかなか百位の身分で上位女帝に接触する機会が見つからない。ひとまず、九十三位から探ることにした。
しかし、警戒心が強いのはわかるが、札一枚貼るだけなら不可能ではないはず。
やられる、とはどういう意味だ。
「できるできないじゃなくて、やるしかないの。これはね、あんたらの忠誠を確かめるためでもあるの。このままでもいいの? 九十三位様は忠誠を無下にする主ってことになるわ」
ぐ、と黄子は唇を噛む。青子と赤子も横目に黄子の動向を見守っている。きつく左目を閉じた黄子が決断するまでに、そう時間はかからなかった。
「わかりました。ただし、札を貼り付けるのは、自分ら三人がやります。百位様は菊の人間ではありません。主に触れることは許しません。それで、お願い申し上げます」
床に額を擦りつけた三人に、百位は呪符を託すことを決心した。
作戦は九十三位が散歩へ出掛けるときに開始された。
百位も暮らす屋敷は、横にえらい長い。正門へ続く道が屋敷中央へ伸び、そこから左右に部屋が並ぶ。屋敷右奥が奇数位の女帝、左奥が偶数位の女帝で、百位は屋敷二階の一番左奥に自室がある。正門から自室まで、けっこう歩かされる羽目になる。屋敷一階中央には下駄箱があり、女帝も下女もそこで草履や下駄に履き替えている。下駄箱の奥にはこの屋敷で一番広い空間があり、そこは毎日の食事を用意するための厨房だ。日中はいつも屋敷裏の煙突から煙が出ている。
九十三位が一階の部屋から出た。九十三位は毎日一階の空き部屋に小一時間ほど引きこもる。自室で仕事をしたくないらしく、部屋での作業は空き部屋を借りてしているとのこと。百位は、屋敷を囲む白い塀の外から、積んだ木箱を足場にしてじっと様子を窺っていた。瓦屋根のような塀のてっぺんにしがみつく。直射日光で塀が熱々なので着物越しに掴む。勝負は下駄箱までの廊下だ。うまくやりなさいよ、と念を送る。
「お嬢様、大丈夫でしょうか、あの三人」
塀の下で木箱を支えてくれている下女から心配する声があがった。
「信じるしかないわよ。これはね、あの三人が無実を晴らす機会でもあるの」
返せば、下女の声音が暗くなる。
「無実はどうでしょうか。三人が、主に内密で独断行動したのも、お嬢様を虐げたのも事実。なぜ、お嬢様は、あの三人を……」
下女は言い切らなかった。だから返答はしなかった。廊下を五人の下女を連れて歩く九十三位に集中する。今日も銀杏色の着物で、朱色の裾をずるずる引きずっていた。
「びびんないでよ」
先手は背が高い黄子。黄子が言うには、手で貼り付けるのは危険だし、近づけば近づくほど警戒されると。よって、九十三位の意識外から札を貼り付けることが、最も確実であると。
黄子は廊下を箒で掃いている。箒の柄の先端には呪符がくっついている。なるほど、掃除しているふりをして、長い棒で呪符を貼る。
――いや、いくらなんでも箒、長すぎない? なんか、天井すれすれまで柄が伸びてるけど。それ怪しすぎない? ほら、九十三位様も口元を袖で隠しながら怪訝そうに箒を見上げてるけど。
そんな心配をしていれば、九十三位が箒の間合いに入った。すると、あからさまに黄子が足を滑らせ、
「ああああ危ないいいいい」
と棒読みで黄子が箒を九十三位へ振り下ろした。九十三位は箒を見上げたまま動かず、呪符が九十三位にそのまま――。
百位は瞬いた。その一瞬で理解できたのは、箒の柄の長さが、本来の長さにまで短くなったことだけだった。九十三位は気にする素振りもなく黄子を通り過ぎる。廊下に突っ伏した黄子は、散らばった箒の柄をぽかんと眺めていた。呪符が付いていた先端は庭に転がっていた。
「ちっ! 役立たず!」
四つん這いのまま黄子がこちらに視線を飛ばしてきた。失敗しました、と。
――なるほど、生身で近づけば体が三枚おろしにされるのね。どうやったのかしら。
九十三位は進み続ける。次は青子だ。
青子は黄子とは異なる意見で、九十三位は配下の者を見捨てないはずと。もし、曲がり角で偶然にもぶつかってしまったのなら、受け止めてくれるはずと。勢いが大事だと甲高い声で語っていた。
偶然ぶつかった拍子に呪符を貼り付ける。考えは悪くない。だが、廊下は一直線で曲がり角は存在しない。どうするつもりだ。
と、九十三位の行く先で空き部屋の引き戸がすすっと開く。青子だ。
――曲がり角の代わりに、部屋から出たときにぶつかる作戦ね。でも、その手に握ってる麻縄はなにに使うのよ。頭上から垂れているみたいだけど、天井に結んでいるのかしら。あ、奥まで下がった。
九十三位の姿を確認した青子は、空き部屋の奥まで下がると、
「えんんんだあぁあぁあぁあぁあぁあぁあぁあぁあぁ!」
青子は助走で目一杯に加速すると麻縄にしがみつき、そのまま振り子のように勢い良く廊下へ飛び出した。天高く響く力強い裏声は、芸術的なほど等間隔に音高が上下し、それは道行く者の足を止めさせてしまうほどだった。
立ち止まった九十三位の鼻先を青子が横切り、勢いに耐えられなかった麻縄が引きちぎれ、青子はそのまま庭に顔から飛び込む。青子は地面に顔をうずめたまま動かなくなった。
青子の尻を見下しながら九十三位は通り過ぎる。
「けっ! 役立たず!」
――あんなに叫んだら気づかれるに決まってるじゃない! ちょっと聞き入っちゃったけど!
三番手は赤子。赤子は、ここは油断を誘うべきだと鼻息を荒くさせていた。九十三位は甘味が好物らしい。特に餡子、餡子が大好物だと。ここ帝都の食生活はかなり健康志向で管理されており、あまり甘味系の菓子が出ない。長らく餡子を食べていない九十三位は、餡子に飢えている。赤子はそう睨んでいた。
九十三位の視線が前方に釘付けになった。廊下の端に小さな机と、小さな椅子に腰かける赤子が居る。そして、机に載せられた小皿には、餡子入りの甘味があった。
「餡子入りの饅頭、いかがですかぁ」
――あ、九十三位が急にゆっくりになった! 後ろの下女らがぶつかりかけて仰け反ったわ!
「いまならみたらし団子もありますよぉ」
――うわすっごい見てる! 体は進んでいるのに、顔だけは置いていかれているくらいすっごい見てる!
「なんと、和三盆もありますよぉ」
――いけ! 手を伸ばせ! そうしたら、赤子が呪符を貼り付ける! もう一押し!
だが、九十三位は足を止めることはなく、赤子を通り過ぎていく。これでも駄目か、そう思ったとき、赤子が立ち上がった。
赤子は廊下の中央に陣取ると、パアン! と手を鳴らし、
「あああああああどすこいどすこいどすこいいいいいい!」
押し相撲のようにドタドタと九十三位に突撃した。振り返った九十三位が立ち止まる。
日差しを反射させる銀色が赤子の突進を阻止した。九十三位の右手の袖から伸びていたのは刀身。手に持っているわけではなく、手首から生えているようにも見える磨かれた刀身は、その先端を赤子の首元に突きつけている。赤子は、無言で反転すると、そのまま一人押し相撲をしながら廊下をどこまでも進んでいった。
「へっ! 役立たず!」
赤子を見送った九十三位は、赤子が落としていった呪符を拾いあげた。まじまじと血文字を眺めている。
――やばい、逃げなきゃ。
その判断は遅かった。呪符を手にした九十三位と目が合う。
九十三位は、手招きをしていた。
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