上 下
16 / 61

第三話 四

しおりを挟む
 
 翌日、女帝百位はぶるぶるとやって来た十六夜に馬小屋での成果を報告していた。

「ってな感じなんだけど、あれから九十三位も、ウンコ三姉妹も姿が見えないのよ。ククに聞いても知らないって言うし、夕飯も九十三位は食べてないみたいなの」

 自分のやったことを口にしてみれば、いささかやり過ぎだったような気がしなくもなかった。三人を正座させて説教して謝らせるだけでも良かったかもしれない。人にされて嫌なことは自分もするな、それをわからせてやりたかった。ただ、主人の九十三位まで汚してしまったのは予想外で、それは別件として怒られるかもしれない。

「でも、下女の管理は女帝の仕事だし、九十三位にも責任はあるわよね?」

 百位は茶をちゅうちゅう吸う十六夜に、永遠と内に溜めていたものを吐き出した。十六夜は話を理解しているのかわからなかったが、黙って聞いてくれていた。茶を飲んでいるだけかもしれないが。

 すると、廊下をドタドタ走る足音が聞こえた。

「お、お嬢様! 大変です!」
「わっ、どうしたの?」

 走ってきたのは下女だった。息を切らし、真っ青にした顔で大変です、と繰り返す。

「お、表で、九十三位様が!」
「え、な、なに?」

 ただならぬ下女の様子に、嫌な予感が胸中に渦巻いた。


 部屋を出て、廊下を駆ける。長い裾が鬱陶しい。空はどんよりとした分厚い曇天に覆われていた。じめっとした風がカビのような土のような臭いを運んでくる。一雨降りそうだ。正門前で人だかりができている。何人かの女帝や、たくさんの下女がひそひそと小声で話し込んでいる。何事かとそこに向かった百位は、その光景に絶句した。

「おお、百位。待っておったぞ。落とし前をつけるゆえ、見届けてくれるのよ?」

 九十三位は変わらない様子だった。銀杏色の袖口で口元を隠しながらニコニコしている。
 だが、その九十三位の後ろでは、あまりにも異質な様子が広がっていた。

 首根っこを掴まれ跪かされているのは、あの下女三人組だった。右から背の高い順に地面へ押し付けられている。下女らは白い着物に着替えていたようだったが、もう、着物がおぞましいほどに血まみれだった。
 顔は鈍器で殴られたように腫れあがり、腕や足も痣だらけ。血まみれの指には一枚も爪が残っていない。三人とも左腕に無数の釘が刺さっていて、凄惨すぎる姿をもはや直視できなかった。

 下女三人は、漆黒の甲冑を纏った武士にそれぞれ取り押さえられている。体格的に男だろうが、般若の仮面を被っていて表情は探れない。背の高い下女の傍らにはもう一人、刀を鞘から抜いた武士が立っていた。

「ちょ、ちょっと、なにしてんのよ!」

 唾を飛ばすほど声を大きくさせた百位は、九十三位の肩を揺さぶった。九十三位はきょとんと首を傾げる。

「よ? 落とし前をつけろとお主が」
「そうだけどっ、これはなにっ!?」

 九十三位がすっと目を弧の字に細める。笑う紫陽花の装飾花のような瞳が悍ましい。

「事実関係の確認よ。余の言い訳になるかもしれぬが、お主には伝えておくのよ。余はこの者らが粗相をしている事実を把握しておらなんだ。ほんとうに、申し訳ないことをした。この通りよ」

 九十三位が腰を折るように頭を下げた。誠意は感じるが、そういうことではない。

「いや! わかったけど、だからっ、これはなによ!」

 血まみれの下女らを指差す。九十三位はまた不思議そうに首を傾げる。

「落とし前と言ったであろう? この者らは余に無断で行動し、女帝であるお主を虐げた。それは紛れもない事実で、もはや取り返せぬ余の失態よ。白状させたが、理解に苦しむ言い訳や嘘ばかりでの。この者らにもはや価値は無いのよ」

 価値は無い。その言葉に、百位は武士が手にしていた刀を凝視してしまう。風景を反射するまでに砥がれた刀身は、ぞくりとするぐらい切れ味が良さそうだった。

「な、なら、もう充分でしょ? あ、あんなに痛めつけたら、もう反省したでしょ? だ、だから」
「責任は命で払うものよ」

 九十三位に言葉を被せられる。切っ先のように鋭利な視線に、百位はたじろいだ。

「よ。時間が勿体ないのよ。要領良く、斬れ。雨が降る前に片づけよ」

 九十三位が手をパチンと鳴らせば、武士は刀の先端を黒影はべらす曇天に向けた。そして足元で跪く背の高い下女を見下ろし――。

「お、お待ちくださいっ! 九十三位さまぁ!」

 叫んだ背の高い下女に武士は動きを止める。武士はちらりと九十三位の顔色を窺ったようだった。

「まだそんな元気があったか。……拾ったときも、元気だったのよ」

 光を反射させない九十三位の目は、いましがたパラパラと振り始めた雨よりも冷たかった。下女を見下ろす様は、冷酷以外では表現できなかった。

 食らいつくように背の高い下女は吠える。

「この一件、すべて自分に責がありまする! ゆえ、自分の首の代わりに、二人の命だけはお慈悲を!」

 背の高い下女は九十三位を見上げた。右目は腫れあがったせいで眼球が見えない。だが充血した左目にはまだ光が残っている。横に並んだ二人の下女も顔を上げた。二人とも泣いていた。顔からの出血と涙が混じって地に垂れ落ちる。

「ならん。三人とも独断で行動し、女帝を虐げた。発端がお主であっても、他二名もお主に従った。余でなく、お主に。菊一族としてあってはならぬ裏切り行為。生かす余地は無いのよ。とっとと斬れ」

 背の高い下女は藻掻きながら、お願いします、お願いします、そう叫び続けた。九十三位は耳を貸さない。武士が刀を構える。武士を見上げた下女は、大粒の涙を零す。

 そのとき、大粒の一滴が百位の鼻先に落ち、弾けた。冷たさに体が驚き、反射的に首元を沈めたとき、強張っていた喉の自由を手に入れた。

 武士が刀を振り下ろす。

 肺の空気をすべて声帯にぶつけた。

「ちょっと待てっ!」

 力一杯の叫びが武士の動きを今一度止めた。刀身をうなじに触れさせた下女は、真っ青な顔で歯を食いしばっている。急な叫びに喉が擦れたようにじんとした。バクバクと騒ぐ胸にまた空気を溜め込む。

「ちょっと待ちなさい。女帝の命令よ」

 武士は百位を一瞥したあと九十三位に視線を飛ばした。九十三位は不機嫌そうに眉間に皺を寄せている。

「よ? なにをしておる。余は、斬れと申したぞ」

 一段と声を低くした十五位には構わず、刀を握る武士を睨んだ。

「待てって言ってんのよ。帝都で女帝と帝位の言葉は絶対。それは、いかなる理由においても背けない。これは皇帝のご意思であり、帝都の法。そして女帝の位は十位ごとに強くなる。九十三位と百位は同等。女帝であるなら、家が偉いかどうかなんて関係無い。それを理解していないなんてこと、菊一族ならありえないわよね。こんな公衆の面前で処刑なんてすれば、あなたの主は咎められるわ。それでもいいの?」

 九十三位は大きく見開いた目で睨んできていた。九十三位の遠い背後で稲妻が雨雲から打ち下ろされ、閃光の影に九十三位の顔は淀む。

 ザアッと素肌を痛める勢いで豪雨が天から叩きつけ、雷鳴がゴロゴロと揺れるほどに轟く。

「殺すのは許さないわ。こいつらには用があった」
「生かすのは許さん。こやつらは我が菊を穢した」
「刀を収めなさい。帝都では女帝の意志は絶対よ」
「刀を構えよ。どこであろうと主の意志は絶対よ」
「直ちに下がりなさい。この帝都での無許可の処刑は打ち首になる。貴方が」
「直ちに断罪せよ。菊の主に叛くことは裏切りであり死罪に値する。お主が」

 青白い閃光に包まれれば、一寸遅れて雷鳴の轟音と地響きが地を揺らす。ずぶ濡れになった九十三位から化粧が崩れ落ち始め、筆で書いた点の眉が溶けていく。九十三位は黒い涙を流しているようで、素の彼女はまるで人殺しのように表情が凍っていた。

 斬れ、その一言が再び武士を突き動かす。

 もはやこれは自分の虐げを解決する範疇を超えた。ならば、伏せておく必要も無い。

「十六夜っ! 来なさいっ!」

 宙からくるくると回転しながら、白くてふにゃってそうなぶるぶるの物体が百位の隣に落ちてきた。水しぶきを上げながら着地したそれを武士が視認した瞬間、飛びかかるように百位と九十三位の間に滑り込み、百位に対して刀を構えた。
 下女らを地面に抑えていた他の武士たちも、下女らを突き飛ばし鞘から刀を抜く。

「やめんか!」

 一際甲高く叫んだ九十三位に武士たちはビクリと動きを止めた。そして、九十三位に言われるがまま刀を鞘に収める。九十三位は左頬だけをぴくぴくと引きつらせながら、いま現れたあやかしを見下ろした。

「そやつ、帝位五位のあやかしのよ。なぜ、お主が?」

 九十三位は口元をずぶ濡れの袖で隠しながら訝しげに眺めてくる。百位は、拳を強く握りしめ九十三位を見返した。

「あんたがそれを知る必要は無いわ。三人に用があるのは帝位五位様。引き渡しなさい」
「引き渡すのは構わんぞ。だがの、用、が終われば斬るぞよ」
「斬れないわ。三人は、わたしの下女として仕えることになるわ。それは帝位五位様も承認している。女帝の下女を斬ればどうなるか、言わなくてもわかるわよね?」

 九十三位は左頬を一杯にまで引きつらせる。ギチギチと食いしばる歯が丸見えだった。肉を食いちぎるために生々しく尖った八重歯に身の毛がよだつ。

「……良かろう。認めよう。だが、帝位らの婚約が決まれば、残った未婚の女帝の地位は失われる。そうなれば、百位、お主もただの農民よ。この礼は、そのときに必ず、そやつらと共に払ってもらうぞよ」

 吐き捨てた九十三位はずるずると裾を引きずりながら屋敷へ戻っていった。五人の下女が慌てたようについて行く。それを見送ってから振り返れば、武士の姿は溶けたように消え失せていた。事の成り行きを見守っていた野次馬たちは、小声で話し込みながら解散していく。
 残ったのは、百位と下女、十六夜、そしてうずくまる三人の下女だった。三人とも、ガクガクと全身を震わせながら嗚咽している。

 雨が洗い流した血で、地が赤黒く染まっていく。

 十六夜は百位からの感謝を聞いたあと、ぺとぺとと五位の元へ帰っていった。三人のボロボロの下女は、百位の下女に言われるがまま屋敷へ入る。
 光を失った下女らの瞳は、どうして、と無言の問いを投げていた。

 百位は、汗ばむほど火照った体をしばし雨で労わった。
しおりを挟む
1 / 5

この作品を読んでいる人はこんな作品も読んでいます!

スマホの力で異世界を生き残れ

ファンタジー / 連載中 24h.ポイント:14pt お気に入り:235

吸血鬼のいる街

ファンタジー / 連載中 24h.ポイント:0pt お気に入り:4

最果ての恋

BL / 連載中 24h.ポイント:0pt お気に入り:8

静かなる戦い

恋愛 / 完結 24h.ポイント:28pt お気に入り:111

無慈悲なシャワーは青年スパイを叩きのめす

BL / 完結 24h.ポイント:7pt お気に入り:4

終わりの始まり

ホラー / 完結 24h.ポイント:0pt お気に入り:0

婚約破棄されたので帝国へ留学に行きます。

恋愛 / 連載中 24h.ポイント:28pt お気に入り:474

悪役令嬢の私は王子をサイボーグにしたのでした

恋愛 / 連載中 24h.ポイント:0pt お気に入り:9

クリーチャー

ファンタジー / 完結 24h.ポイント:0pt お気に入り:1

処理中です...