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第三話 二
しおりを挟む女帝百位は長い裾を引きずりながら屋敷の廊下を歩いていた。女帝は、十位ごとに一つの屋敷で生活している。帝都中心から最も遠いのが九十一位から百位までが住まう屋敷だ。ただ底辺の屋敷でも馬鹿みたいに広い。無限に続きそうな廊下に無数の部屋。柱や壁は白や赤色の塗料で塗られている。二階が女帝の部屋で、一階が下女の部屋になる。木造建築で防音性は皆無だが、女帝の個室を挟む部屋は必ず空き部屋になっているおかげでわりと静かに暮らすことができる。個室も故郷の一軒家より広い空間が確保されている。掃除だけで一日が終わりそうな屋敷を、百位は下女を連れてすたすた歩く。
今日は十二単の装束ではなく、身軽な普段着だ。身軽であれど、裾の長い袴と、ぶかぶかで袖口が広い着物は着なければならない。それでも何枚も重ね着しないだけで動きやすいと心底思う。着物には目立つ刺繍はしていない。貴族なら家柄を表す紋様やお飾りで草花模様を刺繍していることが多いが、農民の自分には無地の着物で充分だ。長い濃藍の髪はうなじのあたりで緩く結んだ。下女は丈が短い無地で紺色の着物を着て、褪せた茶髪はお団子にしてまとめている。女帝も下女も、どこも似たような服装だ。
「お嬢様、九十三位様です」
「来たわね」
正面から集団が迫ってきている。一人の女帝と八人の下女。百位と下女は、道を譲るように廊下の端に寄った。
女帝がちらりと一瞥してきたものの、興味無さげに目線を伏せられる。真ん中分けしたすべすべの黒髪と、広いおでこでちょこんと存在感を主張する筆で書かれた眉の丸点。朱色の袴と銀杏色の着物に菊の紋様が金糸で刺繍されている。黒髪に挿した簪には菊花の飾り。平均くらいの身長の彼女は、女帝九十三位、菊一族の娘だ。菊一族は古くから宮殿に従う一族で、裏での暗躍稼業を生業としていると聞く。宮殿とは、国の運営を任されているお偉い様が働く場所で、政治の最終決定権を持つ皇帝も普段は宮殿に住んでいる。つまり、この女帝は皇帝直属の手足、と言っても過言ではなく、女帝らはみな九十三位のことを警戒している。変に怒らせれば、彼女の一存で首が飛ぶかもしれない。
それにしても、宮殿に仕えているというのに九十三位とは。彼女は女帝の中でも政治への干渉力が非常に強いはず。女帝の選抜基準がいまいちよくわからない。
百位は頭を下げながらも薄眼に九十三位を観察した。九十三位の顔がはっきり見える距離まで近づく。
居た。ウンコ三姉妹。
最後尾を横並びでついていく水色の着物を着た下女三人に視線を固定した。下女三人は頭一つずつ身長に差があり、左から中大小で並んでいる。いつもこう。一番背が高い下女が仕切っているようで、あいつが真ん中、両脇を背が低い二人が挟む。真面目な顔で九十三位に仕えている。三人とも明るめの茶髪で、髪をお団子にしている。背が低いほど体の幅が横に大きくなる。
――二日以内に下女の指示役を探せ。
昨日、十六夜が運んできた文に書かれた無茶ぶりを思い出した百位は、心の中で舌打ちをした。五位曰く、やはり宮殿に仕える九十三位がわざわざ嫌がらせを指示するとは思えないとのこと。あの女なら直接襲ってくるとか意味がわからないことを長々と文に書いていたが、そんな野蛮な女には見えない。いまも怯えたように口元を袖で隠しながら前を過ぎ去ろうとしている。もし、剃った眉があれば、きっと八の字になっていそうだ。
目の前まで九十三位がやって来た。誰もこちらを警戒していない。もはや視界にすら入っていない。自分も九十三位が虐げを指示しているとは思っていない。あるとすれば、九十三位が他の誰かに指示されて仕方なく下女にやらせている、とかだろう。まずは九十三位の立ち位置を探る。
女帝九十三位を正面に捕捉した女帝百位は、素早く息を吸い、点の眉に向けて解き放った。
「おいウンコ」
という一言を。
ギッと廊下が軋むと、九十三位は足を止めていた。
紫陽花の装飾花のような瞳が揺れ、口が半開きになるまで顎を落とし、眉間に皺を寄せながらゆっくりとこちらに首を回した。信じられない、と顔に書いてありそうで、「よ、よ、よ」と困惑が口から漏れていた。
「貴様九十三位様になんて無礼かやっ!」
叫んだのはウンコ三姉妹の一番背が高い細目の下女だった。九十三位と五人の下女が固まる中、最後尾の下女三人だけが割って入るように飛んできた。主を隠すように立ちふさがる。
「なによ。なにも言ってないわよ」
しらばっくれてやった。
「とぼけるな! さっき聞きました!」
中くらいのそばかす下女が甲高い声で喚く。
「なによあんたら。いつも人に投げているものが返ってきたんじゃないの?」
小さいがふくよかな下女がびくりと肩を跳ねさせ、九十三位に向きなおる。
「九十三位様! このような愚民と関わってはなりません! 先を急ぎましょう!」
すれば、九十三位は百位の全身を上から下まで眺めてから頷き、眉間に皺を寄せたまま歩き始めた。ウンコ三姉妹は犬のように威嚇しながら立ち去っていく。
静寂が訪れる。
「ふん、九十三位は関係なさそうね。ウンコを理解できていなさそうだったわ」
溜息混じりに感想を口にすれば、青ざめた百位の下女が震え声を出す。
「お、お嬢様。死ぬかと思いました。あと下品です」
「こんなのでびびってたら田舎では生きていけないわよ」
「田舎はそれほど危険地帯なのですか」
「うん、熊とか出るし」
「熊」
「まあでも、女帝が関わっていないなら、もうちょっと強気に行けるわね。やられたぶんはやり返しても文句なしよ。しばらくしたら馬小屋を襲撃するわ」
ぐふふ、と笑みがこぼれてしまう。もっと早く反撃していれば良かった。いままでは馬小屋が億劫で仕方なかったが、いまでは足取りが軽く感じる。
五位の文にはこう書いてあった。
――もし、九十三位が指示を出していなければ、下女が独断で行動している可能性がある。菊一族は忠誠心にいささか厳しい。下女が主人以外の指示に従うことは考えにくい。九十三位がなにも知らなければ、女帝は虐げに関わっていないかもしれん。ならば、虐げる奴らよりも女帝である百位のほうが上。いくら九十三位でも、もし下女が独断で恥をさらすようなことをしていれば確実に咎められる。まずは九十三位の立場を確認し、それから下女が虐げを始めた真意を探れ。仮に外部からの指示に下女が従っていれば菊一族が黙っていない。むしろ九十三位はそなたの味方になる。多少強引でも構わん。ある程度までは俺の名を出すことを許す。ただし、あくまでもそなたは自力で虐げを克服すべきだ。俺のことはなるべく伏せるようにしてくれ。二日後に十六夜を向かわせる。それまでに答を用意しておけ――。
もし、下位の女帝が菊一族に嫌がらせを受けていると知れば誰だって距離を置くだろう。主人の九十三位は、周りから恐れられているのも相まっていつも一人だ。九十三位に虐げをやめるよう具申する勇気ある女帝は、少なくとも底辺女帝の中にはいないはず。九十三位とて、農民の百位が糞まみれでも気にかけないはずだ。馬小屋の管理も当番制であるし、自分の下女がそんなはしたない行為を振るうとは考えまい。ウンコ三姉妹以外の五人の下女は主人に付きっきりだし、外の情報が本人に入らないのかもしれない。
しかしそう考えれば、いよいよ虐げしてくる意図がわからない。農民が運で女帝に成り上がったことへの嫉妬とかだろうか。だからウンコを……。
「お嬢様、お時間でございます」
「そう、行くわよ」
自室で待機していた百位は下女を引き連れて馬小屋に向かった。九十三位は日々同じ動きを繰り返している。さっきすれ違ったのも狙ってやったこと。昼下がりに九十三位はいつも散歩に出掛ける。その後、九十三位が屋敷に戻ると、あのウンコ三姉妹は馬小屋の作業へ向かう。下女が九十三位の戻りを確認した。なら、あいつらはいま馬小屋に居るはずだ。
復讐とはつまらぬものだ。と有名な偉人が言っていたが、反撃ならどうだろうか。こっちは死にかけるぐらいにやられたのだ。一発くらいなら神様も許してくださるだろう。
信じられないくらい軽い足が心地良い。百位は期待感を胸一杯に膨らませていた。
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