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第一話 五
しおりを挟むひとしきり泣きじゃくった百位は落ち着きを取り戻すと、首まで赤くさせた顔を九十九位から剥がした。九十九位がご満悦そうに、えへぇとにやける。もう誰かに慰められながら泣くような歳じゃないのに、と百位は腫らした目を袖で隠した。
「クク、妹、欲しかったんだぁ」
「べ、わ、わたしは、一人で良いわっ!」
「ええ~、勿体ないなぁ」
もう何年ぶりか、こうして人の胸に飛び込んだのは。それほどまでに疲弊していたのだろうか。まだ、自分はやれると思っていたのに。
やっぱり気恥ずかしくて九十九位の顔を見られない。と視線を逸らせば、そばの茂み、それこそさっき五位から逃げてきた木々の隙間で白っぽいなにかが、ぶるんと揺れた。
百位は咳払いをし、平静を装いながら九十九位に向きなおった。
「……クク、先、帰ってくれる?」
「え?」
「わたしと一緒だと、ククにも迷惑かかるから」
「迷惑なんか……」
九十九位にぎゅっと手を握られる。他人の体温は、冷え切った手には熱い。
「お願い」
百位も握り返した。大丈夫、と伝えたくて。
「もう、わかった。ちゃんと、残りも食べてね」
「うん、ありがと、クク」
九十九位は風呂敷を畳むと弁当箱を置いて立ち上がった。手を振りあえば、九十九位は屋敷に戻る道を歩み始めた。それでも時々振り返る彼女はなにか言いたげだった。
九十九位の姿を見失うまで手を振った。
「さて、出てらっしゃい」
木々に向かって腹から声を出した。九十九位が食べさせてくれた握りのおかげで力が出る。しばし待っていると、木の陰からぶるん、と白い物体が覗いた。
「はあ、ついてきたの? 五位に言われたの?」
ぺとぺと、とぶるぶるした胴体で出てきたのは五位の担ぎ手のあやかし、あの海のエイのような生き物だった。担ぎ手のあやかしは、百位が手を伸ばせば届く距離で立ち止まると、またぶるるんと震えた。
「なに? 言われて来たわけじゃないの?」
ぶるるん。
「……あっそ。わかんないけど、心配してくれたの?」
ぶるん。
「……そ。ありがと。あなた……えっと」
五位のあやかしは四体居た。時計回りにそれぞれ名があるが、見た目は同じだった。だが、なんとなく目の前のあやかしは一夜ではないような気がした。
あやかしの右手、もとい右胸ビレのほうが若干斜めに下がっていて、右足、もとい二股に分かれた右の尾ビレが一歩分引いていて、
「間違ってたらごめんねだけど、あなた、十六夜かしら?」
神輿の右前から一夜、四夜、八夜、十六夜。このあやかしは、若干、体の重心が右斜め後ろに下がっているような気がした。
ぶるんっ! とあやかしが震えたかと思えば、ポッ、と胸ビレがピンク色に染まった。
「ほっぺたそこなの……? ま、いいわ。十六夜ね。そう、ご主人様は?」
十六夜はピンク色の胸ビレを左右にぶるるんと振った。
「そ。帰ったら、ありがと、って伝えといてくれない? わたしは、たぶん、もう会いに行けないから」
十六夜がピンク色の胸ビレを上下にぶるんと振る。
「ふふ、あの男なんかより、ずっと可愛いわね。さっきは動揺しちゃったけど、あなたたちにもお礼、したいわ」
と言えば、十六夜から、ぐるる、と聞こえた。腹の音だろうか。
「なに? お腹空いたの? えっと、おにぎり食べる?」
十六夜はぶるるんと胴を左右に振った。それからピタッと静止すると、右の胸ビレがにゅっと伸びた。
それは人で言えば指差しだとなんとなく理解した。その胸ビレの先端が向いているのは自分の顔かとも思ったが、よくよく見れば頭上を指しているようだった。
振り返った。
目の前にいた老婆に、息が詰まった。
青白く透け、ぼさぼさに傷んだ白髪に、くり抜かれた目玉、しわくちゃに口角を上げるそれは、悪霊。
逃げろという脳の警告を、強張った全身が拒否した。
引き攣った頬を掠めたのが、二十本ほどの刀身の一つで。
わけがわからなかった。
老婆への恐怖から逃げようとした全身は、次に背後から伸びてきた二十の刃のせいでまた硬直させられた。体の隅々を掠めた刀身は笑う老婆を貫く。聞こえるはずのない老婆の悲鳴に、頭の中を直接振動させられた。
まさに断末魔の、呪いの叫びだった。
ぐるんと視界が回ったときには地面に倒れていた。豆腐のようにぶるぶるしたあやかしが立っていた。
老婆も、刀も、狭くなっていく視界にはどこにも映っていなかった。
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