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第二話 五
しおりを挟む今日も散々な一日だった。百位は、ずるずると装束を引きずりながら、一人、夕陽に照らされる帰路を歩いていた。
あれから食事会は中止されすべての食事が検査された。結果、毒入りだったのは十位の食事だけであった。十位の食事を配膳したのは二から十位までの下女たちだったらしく、手分けしたらしい。なので、複数の上位女帝の下女が絡んでいる。下女らも衛兵に連行され事情聴取を受けていた。百位は単純に巻き添えをくらっただけと判断され、追い返されることになった。連行された十位とは会えず、助けてくれた九位とも会えなかった。せめて、九位にはお礼が言いたかった。
最近、お礼ができてない。
「わたしが、なに、したって、言うのよ……」
ずっとぐるぐると回っていた思考が口から零れる。
「死にたく、ない」
本音が涙と一緒に溢れてしまって、止められなくなった。袖でどんなに拭っても、両目から溢れてくる。水だって、そう、のめ、ない、の、に。
「……あれ?」
ぐにゃぐにゃに輪郭が曲がって目の前がどんどん暗くなってくる。膝の感覚が消える。血が、頭から、首から、上半身から引いていく。
立っていられなくなった百位は、石造りの道にうつ伏せで倒れこんだ。
「……ちから、でない、おなか、すいたな」
起き上がろうと試みるも全身が腑抜けていた。お腹と背中がくっついているような感覚だけはある。夕陽を眩しくすら思わない。むしろ夜みたいだ。明かりが一つもない灰色の世界。虫の息のような呼気だけが聞こえる。
下女を先に帰らせたのは間違いだった。
今夜はみな屋敷で待機するようにと指示があった。いま外を出歩いているのは、事情聴取を受けている者だけだろう。下位女帝は誰も事情聴取を受けていない。なら、下位への屋敷へ向かう者は、誰もいない。
一人ぼっち。
――わたし、頑張った。頑張ったよね。
ねえ、おと――。
「昼寝か? 百位」
チリン、鈴が鳴った。視野が狭まった目玉を動かしてみれば、大きな大きな神輿が傍にあった。浮いている神輿を地から見上げても、神輿の中は見えなかった。
「なにをそう、立ち向かおうとする」
別に立ち向かってなんかいない。上に歯向かうつもりなんてないし。
「なぜ逃げない」
でも、逃げるつもりもない。諦めることなんてできない。
「百位など、捨てても誰も責めはせん」
捨てられない。百位である必要がある。
「死ぬぞ」
死にたくない。
「もし、故郷に帰りたいのなら、連れていってやる。顔見知りが痛めつけられ、死にゆく様を見届けるのは、後味が悪いからな」
死にゆく様を見届けるのは、後味とかでは済まない。一生、引きずることになる。
一生、いつだって、いまも。
コトッ。なにかが石造りの道に置かれた。気力で首を動かしてみれば、ギリギリ手が届かないところに丼が置いてあった。ほくほくと湯気が上っている。
「百位にしがみつくのなら、食え。食って自分の足で歩け。故郷に帰るのなら、もう寝てろ。両親のもとへ帰してやる」
ほんとムカつく男だ。男なら、倒れた女性を無償で助けてあげれば良いのに。こんないちいち試すような男に、惚れる女はいない。
こんな男、故郷に見せたくない。
「うる、さい、わね」
怒りが火を点けた。右腕が伸びる。
「帰らない、ことが、親孝行よ」
這いつくばってやる。女帝らしさなんて生きるのに必要ない。
「わたしがね、お父さんと、お母さんに、会う日はね」
十二単の装束が重い。命の重さだ。
「それはね、死ぬときよ」
死にたくない。
まだ、死ねない。
だから、どんな手を使ってでも生き延びてやる。
利用できるものがあるのなら、利用してやる。
生きる道がある限り、進んでやる。
「助けてくれて、ありが、とっ!」
目の前の食い物を食え、という脳からの指令が全身を奮い立たせる。乾いていた口から涎が垂れる。無様な姿だろうが、恥に構っていられない。起き上がり、丼を掴む。丼の中はお粥だった。鮭入り。ほくほくの湯気が鼻腔を通っていく。っと、箸もなにも無い。
しゅるり、蓮華があやかしの尾に巻かれて運ばれてきた。十六夜が胸ビレをピンク色に染めていた。
「ふふ、ありがと」
蓮華を受け取った百位は一心不乱にお粥を胃に流し込んだ。内臓が歓喜するように血が巡り始める。体の芯で体温がぐんと上がる。あっという間にお粥を平らげた百位は、神輿に向かって丼を突き出した。
「おかわりっ!」
「は?」
肘をついていた五位が顔を上げた。
「おかわりっ!」
「いや、そんなもの、ないが……、なんだ、元気だな。ふっ……」
澄まし顔が緩むとハハハと笑みがこぼれる。好青年が笑っていた。心配して損をしたな、ともごもご言っていた。
「粥のおかわりは無いが、握りならやろう。ほれ」
五位は神輿の椅子の下をまさぐると藁に包まれた握りを投げてきた。普通の大きさの握りが三つ入っている。
「食べていいの?」
「ああ、今宵、十六夜が我慢する」
「え?」
十六夜がぶるぶるぶると震えながらつぶらな瞳を潤していた。この握り、十六夜の夕食なのか。
さすがに気が引けた百位は握りを返そうとしたが、十六夜の尾がしゅるりと伸びてきた。尾が手に添えられる。
「……いいの?」
十六夜は夕陽を見やった。ぶるんと震えた背中が語っていた。なんとも気まずい空気だが、背に腹は代えられぬ。
百位は、三つの握りから一つだけ口に放り込むと残りは五位に投げ返した。
「なんだ。一つで良いのか」
「我慢するわ」
握りにおかずは入っておらず、ただの白米だった。塩もかかっていない。それでも、じわっと広がる純粋な白米の甘みというものが、どんな菓子よりも舌を喜ばせてくれた。「ありがと」と感謝を伝えれば、十六夜はぶるんっと震えた。
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