心が担げば鸞と舞う桜吹雪

古ノ人四月

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第一話 六

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 目が覚めれば自室の天井だった。天井の染みが知らない誰かの叫び顔みたいだ。

「お嬢様」

 かすむ目を泳がせた百位は、脇で頭を下げる下女に焦点を合わせた。いつの日も無気力な黒い瞳が揺れている。

「……あれ、戻って、きてる」
「お嬢様、お疲れのようで。正門でお倒れになられておりました。申し訳ございません。お嬢様が無理をなされているというのに、今日は……」

 夢、ではないようだ。隅で干された東雲の装束、机上の九十九位の弁当箱、まだしっとり濡れている濃藍の髪――そういえば、簪、小川の中で落としちゃった。
 まだ耳の中に老婆の叫びが残る。あの悪霊、間違いなくあやかしだった。なんで、あんなところに。
 あやかしは、時に人に憑つくと聞く。憑つき、弱らせ、心を喰らう。

 寒い。

 下女が着替えさせてくれたのだろう白い寝巻の胸元を締め上げた。

「お嬢様、体調が優れないようでしたら、お医者様を」
「……大丈夫だから。寝てれば治るから、もう、寝るわ」

 下女から顔を背けた百位は、掛けられていた布団を頭が隠れるまで引き上げた。

「ですが、お夕飯を」
「ふん、どうせろくなもん出ないでしょ。それに、さっき食べたから。あ、残った握りね、お腹一杯で食べれないから、代わりに食べといて」
「そういえば、こちらのお弁当箱は……」
「知らない。誰かの落とし物」
「……さくらんぼが、かわいいお弁当箱ですね。また、落とし主の方を探しておきます。そして、礼も。必ず、この命に代えても」
「勝手にして」

 下女は声を上ずらせていた。それを聞いた百位もまた、枕を濡らしていた。
 とんだ一日になった。感情が上下に激しく揺さぶられたせいか、肉体へではない疲労感に襲われる。目元がしわしわになりそうだ。
 人肌を求める右手を左手で握りしめた百位は、明日が来るまで瞼を無理やり閉じ続けた。

 ***

 蝋燭を掲げているのはエイのようなあやかし。それを神輿の中から見下ろしているのは帝位五位の蒼髪の美男子。夕陽のような瞳に蝋燭の火が灯る。

「憑かれていた、だと? 十六夜、いつ気づいた」

 左手に纏わりついていた十六夜の尾をやや強引に引く。すぐに弁明が通じてくる。

「川から引き上げたとき、か。なぜ言わなかった。なに? 言う前にあいつが逃げたから? 違う、なぜ俺に報告しなかった」

 霊力が弱すぎて確信できなかった。
 十六夜から通じてきたその言葉の意味を、五位は整った顔をしかめさせながら舌の上で転がした。

「それでか。念のため、見送ってくると言ったのは。なるほどな、十六夜でも感知しきれないほど弱いあやかし。それほど弱ければ、帝位はもちろん、帝都の結界にも引っ掛からんか。潜伏はできるが、力も無い。ゆえ、標的が死ぬその瞬間まで乗っ取ることはできない……」

 頭の中で点と点が繋がっていく。蝋燭の火に遠い視線を合わせたまま、五位は紅布に覆われた神輿の椅子に背中を任せた。

「面倒なことが、いや、面倒な者が動いているかもな。あまりにも脆弱なあやかしは、帝位一位のいない今、門を抜けることは容易いだろう。しかし、霊力が存在しないこちらの世界では数歩しか歩けず、存在が抹消されるはず。最底辺の百位は門広間に立ち入ることすらできない。なら、何者かが百位まであやかしを運ぶ必要があり――」

 十六夜の尾を離す。宙で尾がうねうねと渦を巻く。

「かつ、あやかしの憑依が完了するまで百位に接触しなければならない。となると、怪しいのはあの下女か。ん? なんだ?」

 再び十六夜の尾が左手に纏わりつく。十六夜の思考が通じる。

「ほう、九十九位。なるほどな、友人、か。下女か友人、忠誠か友情。どちらかは偽り。調べる必要がある。来週、帝位と女帝、全員揃っての食事会があるな。仕掛けてみるか? なんだ? ずいぶん嬉しそうだな、十六夜」

 十六夜がぶるんっと震える。頬がピンク色に染まっていた。

「まあいい。十六夜。今回の件は不問にしてやろう。飯抜きは勘弁してやる。ただし、次からは必ず報告すること。いいな?」

 十六夜がぶるぶる震えたことを了承と認識した五位は十六夜の尾を払った。寝るか、と瞼を下ろせば蝋燭の火がフッと消える。

 ――なぜ、百位を狙う? あのような地位の体を手に入れてもできることは限られるはず。それに、いざ手に入れたとして、あのように細すぎる体では人一人も殺せんだろうに。誰が、なんのために、百位にどのような価値がある。いくら女帝同士の争いとはいえ、明らかに百位への仕打ちはやりすぎだ。そもそも下女が女帝に馬糞を浴びせるなど気がおかしい。嫌がらせではなく、じんわりと息の根を止める、いや、わざと目立たせている可能性も――。

 瞼の裏に残っていたのは、まだ幼い少女の羞恥に悶える顔。そして、鼓膜の奥にも艶やかな悲鳴が聞こえる。
 なにか超えてはいけない一線を超えたような気がした。

 気になって寝つきが悪かった。
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