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第一話 二
しおりを挟むそれでは、という別れの挨拶から静寂が訪れた。騒がしい女だった。と第一印象を振り返っていた帝位五位は、右手に纏わりついてきたあやかしの尾に意思を通した。
右前で神輿を担ぐ、一夜の気が通じてくる。
――可愛かった? おまえが人にそんな感想を抱くとは珍しいな。せっかくなら一目ぐらい見ておくべきだったか。
「五位様」
正面から声がする。まだ誰か居る。下女か。
「このような機会を設けてくださったのにも関わらず、大変お見苦しいところをお見せしました。申し訳ございません」
下女が畳に頭を擦りつけている、と一夜から通じる。
「気にするな。まさか見合い解禁初日に申し出があるとは思わなくてな。どんな女かと興味があっただけだ。普通なら、帝位二位と女帝二位が動くまでは、下位の女帝は様子を見るものだろう? 抜け駆けは、嫌がられるだろう」
ここ帝都に越して一年になる。一年目は、帝都での生活に慣れつつ食事会で全員と顔を合わせるまで。個人的な接触は二年目より解禁される。今日が解禁日で、まさか最底辺の百位から打診があるとは予想していなかった。下剋上かと思い、面白そうだから見合いを受けたものの、
「さっきの様子だと、そなたの独断か」
「……左様でございます」
百位は動揺していた。結婚する気は無いとも。
「何故だ?」
いかに底辺の女帝であっても下女は逆らってはならない。忠誠を誓っているはず。勝手な行動は処罰ものだ。
「このままでは、百位様のお体が持ちません。この見合いが、百位様、お嬢様の救いになると信じたからです」
この下女、ボロボロ。一夜からそう通じる。女の恐ろしさ。察するところがある。
「女帝九十九人に対し、帝位はたったの四人。女帝の夢は帝位の妻となること。なら、競争相手は一人でも減らさなければならない。そのために手段を選ばない女帝、もしくは女帝を支援する貴族らの思惑。百位という最底辺は、正直、死んでも誰も困らない。なら、見せしめには丁度良い人柱だ」
そんなこと、女帝はおろか、帝位である自分も承知の上だった。それを踏まえ、愛すべき女を見繕え。去年そんなことを偉そうに語られた。
「お嬢様はっ!」
怒鳴るような大声に思考が吸いつく。次に「お嬢様は」と言った声は、消えそうだった。
「……確かに、お嬢様は田舎の貧乏な農民にしかすぎず、女帝という地位に相応しくないのかもしれません。ですが、かと言って、このような仕打ち、あまりにも惨い。お嬢様は、まだ、やっと十四なのですよ……」
女帝は十四から二十四までと決まっている。だが、やっと十四ということは、帝都に来たときは十三。婚約は十六から。十四で出会い、十五で親睦を深め、十六で結婚。最年少の理想はこうだろう。数合わせに呼ばれた小娘。貴族育ちで苦労してきた女帝たちは、運だけで成り上がってきた百位のことが面白くないだろう。
――なら、だ。
「なら、退官すれば良い。死ぬ前に田舎に帰る。それだけのことだろう。結婚する気は無いと本人が口にしていた。俺も子供を見捨てることは嫌いだ。帰るのなら、それまで手を貸してやらんこともないが」
下女が顔を上げた、強い目だ。と一夜から通じる。
「お嬢様のお心を、私は守りたいのです」
反発するような声音だ。下女の意志は強い。
「それと女帝であることになんの意味がある」
「……誰にも言うなと、命じられておりますゆえ、お伝えできません」
「帝位五位が聞いている。女帝百位は足元にも及ばん」
「私が忠誠を誓うは女帝百位。例え首を刎ねられようが、お嬢様のお気持ちを尊重します」
本気だ。と通じてくる一夜が警戒し始めた。
「……いいだろう。これ以上は問わない。だが、帰らないのなら手は貸さん。おまえの思惑は、帝位の目が届くところであれば百位を守れるということだろう。女帝たちも帝位の目の前で悪さはできんだろうからな。だが生憎、忙しい身分でな。どこの誰の子かもわからん娘など、面倒は見きれん」
頭を下げた。と一夜が警戒を解く。
「は。まだ、わたしの体が動くうちに、妙案をこしらえてみせます」
それを別れの言葉と受け取り、五位は担ぎのあやかしに意思を通した。ぐらりと神輿が揺れ、移動が始まる。下女は頭を下げたまま、泣いていたと一夜から通じた。
――見合いなど、受けなければ良かったな。知らなくても良いことを知ってしまった。百位など、いや、五十位以下の女帝なぞ、本来であれば帝位の視界に入ることすら許されない。なのに百位からの見合い。覚悟を踏みにじりたくないと考えたのが間違いだったか。度胸がある女。興味をそそられたが、やはり俺には――。
しゅるり、右前担ぎのあやかし一夜の尾が伸びてくる。
――腹が減った?
「飯なら見合い前に与えただろう」
小腹が空いた。と通じる。我儘なあやかしだ。
「ん? なに? 近くに馬小屋があるから寄っていいか? ああ、予定よりも見合いが早く終わったからな、まあ、いいだろう」
この辺りは底辺女帝の住まい。馬小屋が近いとは酷な環境だろう。世話も底辺女帝の下女らであるだろうし、さぞ鬱憤を溜めているはずだ。
神輿は一寸も揺れることなく進む。屋根に吊るした鈴が鳴れば担ぎ手の飯抜きにして以降、各段に乗り心地が改善した。目を閉じていると、動いているのか時々わからなくなるくらいだ。担ぎのあやかしに進路を任せ進んでいると、たまに「五位様、ごきげんよう」と左右から女の声がする。底辺女帝だろう。
「い、五位様! お待ちを!」
前方を塞がれた。知らない下女が三人、水色の着物に菊の刺繍。と一夜から通じる。
「五位様! この先、少々道が汚れていますゆえ、お戻りになられたほうがよろしゅうございます!」
――やけに必死だな。
「何故、道が汚れる」
「そ、それは、さきほど、うっかり糞入れの桶を落としてしまい、それが道を汚しております。ゆえ、このままお進みになると、五位様の御神輿を汚してしまいます!」
――うっかり、か。
「一つ聞く。この道の先にはなにがある?」
「は。馬小屋があり、その奥には女帝の屋敷でございます」
「何位の屋敷だ」
「は。九一から百でございます」
――このような仕打ち、あまりにも惨い。お嬢様は、まだ、やっと十四なのですよ……――
顔も知らない下女の悔しさを滲ませる声が鮮明に鼓膜に残っていた。
「付き人の馬の調子が悪くてな、馬を一頭借りたいのだが」
「は、は! では、一番の馬をここへ――」
「いや、己の目で決める。だが、道が汚れているのは仕方がない。うっかり、汚れを踏まぬよう、案内してくれないか?」
「承知しました!」
――でたらめを言って、なにをしようとしている、俺は。
一夜からはなにも通じてこない。神輿が動き始めたとき、チリン、と鈴が鳴ったが、思慮に集中していた五位は気づかなかった。
馬小屋に到着して早々、五位は案内を務めた下女らを追い払った。もし残るのなら、主人の位を言え、と脅せば慌てふためくように逃げていった。と一夜から通じる。
道が糞まみれ、とも一夜が続ける。鼻を突く異臭が立ち込めている。
「小娘は?」
いない。
「帰ったのか?」
違う。
「なに? 道から外れた? 神輿が通れない?」
一夜から通じたことは、おそらく百位は糞を浴びた後、木々の間を通り抜けて行った、ということ。足跡と装束を引きずった跡が残っているらしい。この道は、両脇に木々が生い茂っている。そして、この先は木々が邪魔で神輿が通れない。
ここまでする必要があるのか、と自問自答が巡る。今日は、見合いだった。百位との、見合いだった。見合いの結果がいずれにしろ、きちんと送り届けてやるのが男だ。帝位らしく振舞え。そうしつこく言われてもいる。
「通る道が無いのなら、切り開け」
告げたとき、葉吹雪が舞った。ほんの少しだけ瞼を上げた五位は、舞い散る青葉と道の脇に横たわるように並べられた木を見て、肌荒れなどしたことがない眉間に皺を寄せながら溜息を吐いた。
水のせせらぎを聞いて、なんとなく川か、と五位は察した。汚されたから川で洗う。理にかなっている。しかし、一夜から通じたことは、いない、という一言だけだった。
「足跡が消えた? 川で?」
川に沈んでもいないのに背中がひやりとした。
「川下に向かえ」
と言ったのに、向きを変えた神輿は進まなかった。ただ、一夜から、どうする? とだけ通じる。
「なにをどうするのだ?」
見て、決めろ。
「命令するな、主人は、俺だぞ」
だからこそ。
担ぎのあやかしに口答えされたのはいつぶりか。仕方なく、五位はずっと閉じたままだった両の目をこじ開けた。
藻掻きながら空気を求める少女に、五位は絶句した。
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