夏服と雨と君の席

神楽耶 夏輝

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不審者の正体

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 相手は凶器を持っているかもしれないのだ。チープなビニール傘一本で太刀打ちできるだろうか。しかし、シンジはそんな弱気に尻込みするわけにはいかなかった。
 これは、大惨事を食い止める絶好のチャンスなのだ。運命を変えられるかもしれない。
 幸いにも雨は小康状態に入ったのか、ぱらつく程度になっている。
 アプローチを駆け抜けて沿路に出ると、坂を猛スピードで逃げていく男の影が見える。追手を察知したようだ。
「どこだ? 不審者は?」
 シンジにつられて駆け寄った晃の手には、金属バットが握られている。
「あっちです」
 シンジは不審者が逃げた方を指さし、一目散にひさしの下に置いた自転車を取りに行った。
 下り坂なら断然走っている人間より自転車の方が早い。
「それ、借ります」
 シンジが指さした方向に走る晃の手から金属バットをひったくり、その代わりにビニール傘を彼の足元に放り投げた。
 目上の人に対して失礼な態度である事は百も承知の上だが、緊急事態だ。
 走って追いかけても追いつかない。自転車のシンジの方が先に追いつくはずである。
「警察に電話してください」
 シンジは晃に向かってそう叫び、自転車のペダルを思い切り踏み込んだ。
 自転車はさっきよりも随分軽々とスピードを上げる。
 この道は一本道。この先に必ず不審者がいるはずなのだ。車輪はノンブレーキで水しぶきを上げ、気持ちいいほど軽快に滑る。

 右手に金属バット。左手でハンドルを操作し、5分ほど走っただろうか。
 坂を降り切った麓でシンジは自転車を止めた。道が二手に分かれている。
 人影はまるで幻だったかのように、不審者の姿はない。
 ここまでで追いつかないはずなどないのに――。
 シンジは狐につままれたような気持ちで辺りに目を凝らした。
 道路の脇には、竹林がバケモノのように居座っている。
 そうか。この中に入り込んでしまえば姿は見えなくなるのか。
 まんまと取り逃がしたとは、認めたくないシンジは、自転車をUターンさせ今度はゆっくりと進んだ。自転車のライトを竹藪に当て、蛇行しながらバランスを取る。
 遠くでパトカーのサイレンが聞こえ始めた。
 その時だ。

 ガサっと竹藪から物音が聞こえた。
 シンジは、おもむろに自転車を止め、音の方へライトを向ける。
 びっしりと竹が生い茂る藪には、風通しのような狭い通路があった。獣道か?
 ――いた!
 全体的に黒っぽい、ダボっとした格好。
 髪は雨に濡れたのかテカリが見える。
 間違いなく、さっき水戸の家の前で不審な動きをした人物だ。
 自転車のライトに気付いた様子でこちらに顔を向けた。意外にも男の顔は引きつっていて、怯えているかのように見える。年はイメージよりも老けている。
 シンジは、自転車を飛び降りた。
 ガシャンと派手な音を立てて自転車は横転。構う事なく金属バットを握り締めて男に詰め寄る。
 一歩、一歩と藪に侵入して、金属バットの先を男に向けた。
「お前は誰だ? さっき、水戸の家の前で何してた?」
「ひぇっ。ごめんなさい。許して。見逃してください」
 ドサドサドサっと音を立てて、男の足元に何かがばらけて落ちた。
「は? 真竹?」
「全部お返ししますから、許して」
 シンジは、一気に魂まで持って行かれるかと思うほど脱力した。
 ダボっとした格好に見えたのは、上下作業用の合羽を着ていたせいで、決してラッパーぽくはない。どう見てもみすぼらしい中年だ。
 しかもストーカーというわけでもない。
「はぁ、筍泥棒か」
 水戸の私有地である竹山に入って真竹を盗んだらしい。
 パトカーのサイレンは大きくなり、赤々とサイレンを鳴らしながら背後を通過する。数台が通り過ぎるのを確認して、再び男に視線をやると、こちらに歯向かってくる様子も見受けられない。
 怯えた様子で、地べたにひれ伏している。
 水戸の母親は優しそうな人だったから、ちゃんと謝れば許してくれそうだが、とっつかまえて差し出すのも可哀そうな気がした。

 シンジは男の傍に屈み、真竹を拾い上げる。
「ごめんなさい。ごめんなさい。港での日雇いの仕事が、クビになっちまって故郷の母ちゃんに仕送りもあって――」
 男は涙ながらにそんな泣き言を口にした。
 勝手に人の山に入り、筍を取る事は森林窃盗罪という犯罪である事ぐらいは子供でも知っている。

「俺は何も見てない」
「へ?」
「真竹は足が早いから早く帰ってあく抜きした方がいい」
 そう言って、シンジは拾った真竹を男に差し出した。きっとこの島の人達はそういう判断をするだろうと思ったのだ。水戸の母親だってきっと……。

「はっ、あっ、ありがとう、ありがとう」
 男は真竹を受け取り、何度も頭を下げた。
 この島は、元々の島民同志はやたら仲がよく助け合うのだが、移住民や一時滞在者には無関心な所がある。決して冷たいわけではないのだが、見えない壁があるかのように、距離感を保っている。
 次から次に仕事が豊富にあるわけでもない。身よりのない人間が生きて行くには、厳しい環境なのかも知れない。
「港って小井島港?」
「あ、ああ、そうだ」
「あの港の近くに浜の屋っていう食堂ある。困った時はそこのじいちゃんとこに行けばいいよ」
 男は涙を浮かべて小刻みに頭を上下させうなづいた。
 何度もありがとうと言いながら藪の中へと消えて行った。
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