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不審者?
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おばさんは縦格子の引き戸を開けて、シンジと水戸を中へと促した。コンクリート造りの土間は車が一台停められそうなほど広い。
ひんやりと体を覆うレインコートを脱ぐと、首の後ろがぐっしょりと濡れていた。侵入してきた雨なのかもしれないし、汗なのかもしれない。
スニーカーの中は雨水を含んで、じゅくじゅくと気持ち悪い音を立てる。やはり帰った方が良さそうだが――。
おばさんは洗い立てのバスタオルをシンジと水戸に一枚ずつ渡した。
「千秋、先にお風呂に入りなさい」
「はーい」
シンジはレインコートのお陰で濡れているのは首から上と足元だけだが、水戸は制服から体の線がくっきりと浮き出るほどびしょ濡れである。初夏とは言え、さぞ寒かった事だろう。
頭や制服を拭きながら靴を脱ぎ、シンジを見やる。
「葉山君、ゆっくりしてってね。ご飯も食べて帰ったらいいのに」
「いや、じいちゃん待ってるから……」
「さぁ、上がって」
おばさんはシンジに手招きをする。
「いや、あのぉ、ここでいいです。靴の中までびしょ濡れで一旦脱ぐと二度と履きたくなくなる状態でして……」
「あら、そうよね。確かにそうだわ。じゃあ、そこで待っててちょうだい」
おばさんはようやく諦めてくれた様子で、家の奥に消えて行く。
「もう、帰っちゃう?」
「うん、もう濡れたついでだし、雷はもう弱まってきてるし。筍いただいて帰るよ」
「そっか。じゃあ、また明日学校で」
水戸ははにかんだ笑顔を見せる。
「うん。風邪ひくなよ」
「うん。送ってくれてありがとう。ここに座って待ってて」
水戸は膝ほどの高さになっている床へとシンジを促した。
負荷のかかった自転車で、上り坂を上った両足は軽く疲労を訴えている。
無事、水戸を送り届けた事への安堵も相まって、「ありがとう」と礼を言った後、へたり込むように腰を下ろした。
前髪から垂れる雫が不快に目元を濡らす。柔軟剤の香りが漂うタオルで、ゴシゴシと頭を拭った。
水戸はその様子を見届けて、奥へと入って行った。
家の奥からは、賑やかな声と食器が触れ合うような生活音。テレビの音。温かな夕飯時の匂いが漂ってきて空腹を刺激する。
家族が多いと、水戸は言っていた。
シンジの自宅では、祖父は口数が少なく、夕飯時はいつも静かだ。
東京にいた頃も、父はいつも仕事帰りが遅く、母と二人。
母はおしゃべりで賑やかな人だった。いつも笑っていて、幸せそうにしていた。笑い上戸で笑わせ甲斐のある人だったなぁとシンジは思い出に耽る。
両親に会いたいなどと、口にした事はないが、いつも心の中にはやるせない気持ちが澱のように沈んでいて、他所の家族を見ると泣きたくなるぐらい胸が締め付けられる。
もう、こんな思いは二度と嫌なのだ。
何としても、ゆらを守らなくては。
玄関のドアがガラガラと開いた。
「うおっ!」
と雄たけびを上げたのは、派手な柄の入ったTシャツに、白いシャツを重ね着している若い男だ。髪は真っ黒で、目はぎょろっと大きい。
その声と風貌に、シンジは一瞬身構えた。
「あ、なんだ。お前、あれか。東京モンか」
「え? トウキョウモン?」
確かに東京から移り住んだが、そんな風に呼ばれていたとは知らなかった。
「千秋と同級生だよな。浜の屋の……孫?」
「あ、はい」
「俺は、千秋の兄ちゃんだ。晃だ。よろしくな」
「あ、どうも。よろしくお願いします。葉山シンジです」
「珍しいな。千秋が男連れてくるなんて。上がんねーの?」
玄関ドアの外に向かって、傘の雫を振り払いながらそう言った。
「あ、いや。水戸を送ってきただけなので」
「そっか――」
そう言って、水戸晃がこちらを振り返った時だ。
敷地の外で不審に動いた人物を、薄明るい街灯が浮き上がらせた。全体的にだぼっとした服装。中肉中背。
「あ!」
シンジは慌てて立ち上がり、晃から傘をひったくった。
「ちょっと借ります」
「へ? え? なんだ?」
「不審者です」
「なに? 不審者だと!」
ひんやりと体を覆うレインコートを脱ぐと、首の後ろがぐっしょりと濡れていた。侵入してきた雨なのかもしれないし、汗なのかもしれない。
スニーカーの中は雨水を含んで、じゅくじゅくと気持ち悪い音を立てる。やはり帰った方が良さそうだが――。
おばさんは洗い立てのバスタオルをシンジと水戸に一枚ずつ渡した。
「千秋、先にお風呂に入りなさい」
「はーい」
シンジはレインコートのお陰で濡れているのは首から上と足元だけだが、水戸は制服から体の線がくっきりと浮き出るほどびしょ濡れである。初夏とは言え、さぞ寒かった事だろう。
頭や制服を拭きながら靴を脱ぎ、シンジを見やる。
「葉山君、ゆっくりしてってね。ご飯も食べて帰ったらいいのに」
「いや、じいちゃん待ってるから……」
「さぁ、上がって」
おばさんはシンジに手招きをする。
「いや、あのぉ、ここでいいです。靴の中までびしょ濡れで一旦脱ぐと二度と履きたくなくなる状態でして……」
「あら、そうよね。確かにそうだわ。じゃあ、そこで待っててちょうだい」
おばさんはようやく諦めてくれた様子で、家の奥に消えて行く。
「もう、帰っちゃう?」
「うん、もう濡れたついでだし、雷はもう弱まってきてるし。筍いただいて帰るよ」
「そっか。じゃあ、また明日学校で」
水戸ははにかんだ笑顔を見せる。
「うん。風邪ひくなよ」
「うん。送ってくれてありがとう。ここに座って待ってて」
水戸は膝ほどの高さになっている床へとシンジを促した。
負荷のかかった自転車で、上り坂を上った両足は軽く疲労を訴えている。
無事、水戸を送り届けた事への安堵も相まって、「ありがとう」と礼を言った後、へたり込むように腰を下ろした。
前髪から垂れる雫が不快に目元を濡らす。柔軟剤の香りが漂うタオルで、ゴシゴシと頭を拭った。
水戸はその様子を見届けて、奥へと入って行った。
家の奥からは、賑やかな声と食器が触れ合うような生活音。テレビの音。温かな夕飯時の匂いが漂ってきて空腹を刺激する。
家族が多いと、水戸は言っていた。
シンジの自宅では、祖父は口数が少なく、夕飯時はいつも静かだ。
東京にいた頃も、父はいつも仕事帰りが遅く、母と二人。
母はおしゃべりで賑やかな人だった。いつも笑っていて、幸せそうにしていた。笑い上戸で笑わせ甲斐のある人だったなぁとシンジは思い出に耽る。
両親に会いたいなどと、口にした事はないが、いつも心の中にはやるせない気持ちが澱のように沈んでいて、他所の家族を見ると泣きたくなるぐらい胸が締め付けられる。
もう、こんな思いは二度と嫌なのだ。
何としても、ゆらを守らなくては。
玄関のドアがガラガラと開いた。
「うおっ!」
と雄たけびを上げたのは、派手な柄の入ったTシャツに、白いシャツを重ね着している若い男だ。髪は真っ黒で、目はぎょろっと大きい。
その声と風貌に、シンジは一瞬身構えた。
「あ、なんだ。お前、あれか。東京モンか」
「え? トウキョウモン?」
確かに東京から移り住んだが、そんな風に呼ばれていたとは知らなかった。
「千秋と同級生だよな。浜の屋の……孫?」
「あ、はい」
「俺は、千秋の兄ちゃんだ。晃だ。よろしくな」
「あ、どうも。よろしくお願いします。葉山シンジです」
「珍しいな。千秋が男連れてくるなんて。上がんねーの?」
玄関ドアの外に向かって、傘の雫を振り払いながらそう言った。
「あ、いや。水戸を送ってきただけなので」
「そっか――」
そう言って、水戸晃がこちらを振り返った時だ。
敷地の外で不審に動いた人物を、薄明るい街灯が浮き上がらせた。全体的にだぼっとした服装。中肉中背。
「あ!」
シンジは慌てて立ち上がり、晃から傘をひったくった。
「ちょっと借ります」
「へ? え? なんだ?」
「不審者です」
「なに? 不審者だと!」
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