夏服と雨と君の席

神楽耶 夏輝

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幸せな悩み

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 エメラルドグリーンの海に囲まれたここ小井島は、天国に一番近い島という異名を持つほど美しく、人気のある観光地だ。人口はおよそ一万人弱。
 小学校が3校、中学、高校はそれぞれ1校しかない。
 高校受験は一応あるものの、中学の顔触れがそのまま持ち上がる。クラスだって普通科1クラスのみ。
 過疎化は進み、働き盛りの年代は大体都会へ出てしまい、活気に乏しいという人もいるが、この頃は田舎暮らしに憧れて移住してくる人もちらほら。
 Iターンというやつだ。もちろんUターン組もいるのだろう。
 そんな噂は島中のニュースになる。

 道行く人はみんな見知った顔。
 それ故、のんびりとした雰囲気で、小さないさかいはあるものの、犯罪やいじめなんて物も大してない。お巡りさんときたら、もっぱら迷いネコか、迷い老人の捜索がメインの仕事となっている。

 渡辺ゆらはここで生まれ育った。
 どこまでも果てしなく続く水平線には、小井島よりも小さな島が浮いていて木が生い茂っている。すっかり見慣れた景色だが、四季折々風情を変える壮大な自然は島民を飽きさせない。
 連日の雨で、今日の海は濃い灰色。
 久しぶりに袖を通した半そでの夏服は少し肌寒い。

 傘をさし、同じ方向へ歩いて行く生徒は、皆楽しそうにおしゃべりに花を咲かせている。
「おはよー」
「おはよう」
 と声が飛び交う。
 その声はゆらには関係のない声だ。

 いじめはないと前述したが、ゆらには一つだけ悩みがあった。
 それは、中学1年の時に転校してきた男の子。葉山ジンジに関係する。
 シンジの転入は、もちろん学校中の大ニュースで、全校生徒はもちろん、先生までもがそわそわしていた。
 新学期が始まって一週間ほど経った頃現れたシンジは、とても中学生には見えない、大人っぽい風貌だった。
 とりわけ都会的な青いブレザーは、ゆらの目に眩しく映った。

 しゅっと尖った顎。形のいい鼻筋。凛々しく一文字に結んだ口。
 髪は太陽を含んだみたいにうっすらと黄味がかった黒で、天然のウェーブがゆるくかかっている。
 長さは校則通りに整えているのに、明らかにクラスの男子とは違って見えた。

 通路側の一番後ろ。収まり切れず一つだけはみ出した席が、ゆらの席だった。
 いつの間にか出来ていた隣の新しい席。
 そこがシンジの席となった。

 二人が仲良くなるのに時間はさほどかからず、学校中から注目を浴びていたイケメン転校生は間もなくゆらの彼氏となったのだが。
 ゆらはその事で、学校の全女子から冷たい視線を浴びる事となってしまった。女子特有の嫉妬というのは、まだ17歳のゆらにもわかっている。
 人は幸せな悩みだと言うのだろう。一番好きな人が、一番近くで優しくしてくれるのだから。もちろんそれ以上の望みなどなかった。
 もうすぐ会えると思うだけで、きゅんと胸が弾む。

「ゆらちゃーん。おはよう」
 背後からの元気な声に振り返った。
「おはよう、莉子」
 重田莉子。一つ年下で、今年高校1年に入学したゆらの従妹だ。
 女の子でゆらに声をかけて来るのは、もはや彼女だけである。
 校舎はもう、すぐ目の前。
 校門の前で服装検査に余念のない生徒指導の先生に挨拶して、莉子と肩を並べて校門をくぐった。

 校舎の入口で、傘をたたむシンジを見つけた。衣替えの日をちゃんと間違わずに、夏服を着ている事に安堵の笑みがこぼれる。

「シンジ。おはよう」
 背中にそう声をかけると、シンジは弾かれたように振り返った。
 その瞬間。
 ゆらの体はふわっと後方に弾かれて、泥水のなかに尻もちをついてしまった。
「え?」
 衝撃のあまりすぐに起き上がる事ができない。
 大粒の雨が頭から降り注ぎ、冷たい感触がお尻を包み込んだ。

「ゆらちゃん、大丈夫?」
 莉子があわてて手を貸した。
「どうしたの? 滑っちゃった?」
 莉子の声に、ぎこちなくうなづいて、どうにか立ち上がった。

 シンジの姿はもうそこにはない。

 しかし、ゆらには何が起きたのか、頭では理解していた。心は追いつかない。
 とても冷酷な表情で、シンジがゆらを突き飛ばしたのだから。
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