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最終話

あなたに逢いたかった

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 Side-大牙
 
『もしもし泉君? 聞いてる?』

「え?」

 なんだ? ここは――。
 見覚えのあるアンティークな街並みが、目の前に忽然と現れた。
 なぜかスマホを耳に当てたまま、そこに立っていた。
 よく知っている景色だ。

 服装は仕立てのいいスーツ。
 ネクタイはイタリー製。
 靴も見慣れない上等のブランド物……。

 辺りは薄暗く、ネオンが所々灯っている。

『ねぇ、泉君ってば!』
 聞き覚えのある女の声がスマホから僕の名を呼ぶ。

「えっと、なんだっけ?」

『だ~か~ら~。伊藤君の結婚式、行くの? 行かないの?』

「伊藤の結婚式??」

 僕は辺りを見回した。
 すぐに目に飛び込んで来た看板の文字に、思わず腰を抜かしそうになった。
 なぜならその看板にはこう記されていたのだから。

『L'Époque Cachée』レポック・カシェ

 思い出した!
 僕は、タイムリープしたんだ!

 この時代の記憶はまだ戻って来ない。

 電話の声は、そうだ! 江藤さんだ!

「ごめん。ぼーっとしてて。最初から話してくれない? 伊藤は誰と結婚するの?」

『もういいわ。あなた疲れてるのよ。働き過ぎ! 明日にでも芙美に電話してみるわ。芙美もなかなか電話繋がらないから泉君にかけたのに』

「芙美? 芙美はどうしてる?」

『はぁ~? 何言ってるの? あんたの奥さんでしょうが!』

「へえええええええええ!!!!! マジーー?? やったーーーー」

 僕はスマホをポケットに突っ込んで、辺りを見回した。

 芙美はどこにいるんだろう?
 腕時計を確認すると、2024年3月20日と表示されている。
 この時代の僕は、ちゃんと芙美と結婚したんだ。

『L'Époque Cachée』レポック・カシェのガラス戸の向こうから、あのギャルソンが微笑んでいる。

 しゃんと背を伸ばしたまま、こちらに向かって歩いて来て、扉を開けた。

「泉様。おかえりなさいませ。お電話はお済みですか?」

「え? は、はい」

「それでは次のお料理をお持ち致します」

「へ? 僕は、今ここで、食事を?」

「さようでございます。奥様とのご結婚記念日と承っております」

 頭がぼーっとする。
 この中に、僕と結婚した芙美が――。

 僕はギャルソンを押しのけるようにして店内に入った。
 逸る気持ちを抑えることなんて、到底無理だった。
 テーブルは広めに間隔をとって、5席。

 店内には囁き合うような話声と、ボサノヴァの心地いいリズム。
 なんとも言えない懐かしさが押し寄せる。

 大きなガラス壁はまるで鮮やかな壁画。
 満開の桜を、虹色にライトアップしていた!

「虹だ」

 真っ白いクロスに覆われた丸テーブル。

 隣り合うようにセットされている椅子に腰かけている芙美が、こちらに振り向いた。
 春らしい花柄のワンピース。
 巻いた髪を緩くまとめ、しっとりとした顔つきでほほ笑む。
 30歳の芙美だ。

「電話、終わった?」

「芙美!」

 そう言った途端、芙美は持っていたフォークをストンと滑らせた。

「大牙……?」

「芙美!!」

「大牙なの? 本当に大牙なの?」

 芙美は目にいっぱい涙を溜めて立ち上がり、胸に飛び込んで来た。

「そうか、あれから10年経ったのか。芙美、きれいになったよ」

「会いたかった……」
 それだけ言うと、僕の肩口をぎゅっと握って嗚咽をあふれさせた。
 その手にはプラチナのリング。
 僕と同じ指輪が薬指に嵌まっていた。

 店内の客たちは何の余興かと、興味津々にこちらを見ているが、そんな事かまっていられない。
 僕たちは今日という日に、見事な虹をかけたんだ。

「まだ、記憶が戻らないんだ。僕たちはいつ結婚したの?」

「3年前の、今日よ」

「僕は、上手にプロポーズできた?」

「とても素敵だったわ」

「結婚式はどうだった?」

「とても盛大だった。帰ったら一緒に写真見ましょう。動画もあるの」

「うん。ドレスは何回着替えた?」

「3回よ」
 芙美は涙でぐしゃぐしゃになりながら、僕の手を何度も握りしめる。
 まるで何かを確かめているかのように。

「子供は? できた?」

 芙美は首を横に振る。

「そうか」
「あなたが、いつまでも子供みたいだから」
 芙美はそう言って、僕の胸に顔をうずめて、また泣いた。

 10年という精神年齢の差はなかなか埋まらなかったらしい。

「きっと、君にたくさん苦労かけたんだろうね」
 彼女はまた首を横に振った。

「とても、大切にしてもらったわ。あなたはとてもよく頑張ったのよ」

 少しずつ記憶が上書きされていく。

 震えながらも、初めて素肌を重ねた夜。
 傷つけたくなくて、嫌われたくたくなくて、泉君と呼ばれていた僕は、必死で優しくキスをしたんだ。

「僕は君を抱くまでに何年かかったんだろう?」
「6年よ」
「翌年に、プロポーズしたんだね」

 彼女は頷く。
 頬を伝った涙がぽろりと床に落ちた。

「さぁ、座ろう。食事の続きを始めよう」

「そうね」
 僕は彼女を椅子にエスコートした。

 と同時に、ギャルソンが食事を運んで来た。

「本日のメインディッシュ鴨のロースト、季節の野菜添えでございます。厳選した鴨の胸肉でございます。野菜は全て自然農法の泉農園さまから仕入れた朝どれのお野菜でございます。ごゆっくりお楽しみくださいませ」

「ありがとうございます」

 ギャルソンは丁寧にお辞儀をして去った。

「すごい! 泉農園ってもしかして……うち?」

 芙美は涙を拭って「そうよ」とドヤ顔を見せた。

「農園って言っても小さな畑よ。卸先も少ないの。そもそもそんなにたくさんは採れないから」

「そうか。そう言えば、伊藤って結婚するの?」

「ええ。招待状が届いてた」

「もしかして、梨々花と?」

「ううん。農園に実習に来てた農大生らしいわよ。農大生って言っても、年齢は私たちと変わらないけど」

「へぇ。あれから10年経つんだもんな、色々変わったんだろうな」

 梨々花はどうしてる? と聴こうとして辞めた。
 前の女の話なんてナンセンスだ。
 伊藤の話もナンセンスだった。
 記憶がやってくるのを待とう。

 芙美が作ったというクレソンの代わりに添えられている春菊のソテーにナイフを入れた。
 その時だ。

「いらっしゃいませ。ご予約のお名前を」

 とギャルソンの声が、耳に流れ込んだ。
 今までと違うトーンだった。

 直後。

「お客様! お客様!!」
 ギャルソンの声が乱れた。

「そこはーーー、あたしの席よーーーー」

 その叫び声に振り向くと、先ず真っ赤なトレンチコートが目に刺さる。
 続いて、こちらに真っすぐに刃先を向ける銀のナイフ。

 梨々花!!

「うわぁぁぁああーーーーー!!」
 甲高い声で、ナイフを向けながらまっすぐこちらに向かって来る。
 目線の先には、芙美。

「きゃあああああーーーーー」
 店内は騒然となった。

「危ない!!」

 僕は芙美を抱きすくめるように、梨々花に背を向けた。と同時に、芙美は僕の両肩を掴んで、くるっと態勢を逆転させた。

 いつの日だったか、伊藤を投げ飛ばした時みたいに。

「やめろーーーーーーーーーーーーーーーーーー!!!!」

 ズサっと生生しい肉を裂く音が、脳をつんざいた。

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