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2.辺境の密会、魔女の耳は獣耳
Remember-63 VS.獣の魔女/“私達”のやり方を
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(意気込んだのは良いが……どうする。どう、動けば良い……)
攻撃に積極性の無い敵。考えてみれば初めて相手にするパターンの相手だ。
……正直、やりにくい。相手が顔見知りだというのもあるが、大きな一撃を見舞おうと襲ってくる敵の虚を突くのが俺に向いた戦術だ。小手先の堅牢な戦術とか、こういう守りに徹した相手を攻撃するのは、不慣れもあって逆に大きな隙を見せてしまいそうだ。
もしも、大きな隙を見せたらアザミは見逃してくれるかな……いや、お馬鹿め。そんな訳ない。
「……随分と慎重ですね」
「……ああ、逃げずに付き合ってくれてるからな」
だからこそ、アザミが逃げずに留まっているのが救いだ。
逃走する気があったなら、焦って攻撃して返り討ち――そんな自分が容易に想像できる。
俺も頭を回しながら、ポケット越しにガラスを軽く握り締める。
今の俺にはベルが居る。だから今の俺には“作戦会議”という奥の手がある。
「……アザミの魔法は、赤い閃光だったな……魔法の炎か?」
『あるいは熱を持った光かもな……ユウマ、彼女の魔法はお前の視点からすれば“点”で襲ってくる。それにこの間合いなら、発射と着弾はほぼ同時と見て良い。絶対に彼女の杖先からは目を逸らすな』
アザミに聞こえないよう、小声で作戦会議を実行する。
あの怪物を貫いた、貫通力を持つ赤い閃光の魔法……俺達は横から見ていたから“線”だが、怪物視点だと“点”で襲ってくる――なるほど、撃たれる前に回避していないとやられるってことか。
『それと、彼女の持っていた小瓶を少しだが盗み見る機会があった……ユウマが彼女の荷物を代わりに持ってあげたあの時な。赤、青、緑――あの仕込み杖に入れていたのと同じ規格の小瓶はその三色だ……もっとあるかもしれないが』
「未知は二色か……もし小瓶を詰め替えたら警戒しないとな」
『待てユウマ! そもそも今彼女が赤の小瓶を装填しているとは限らない!』
「……確かに、そうだな。クソッ、慎重に立ち回らなきゃならないのはそこからかよ」
確かに、不殺を宣言しておきながら、あんな殺意しかない赤い閃光を放つのは、ちょっと違和感がある。なら既に不殺傷の魔法に備えた未知の小瓶を装填している可能性もあるか……
「……まだ来ませんか。ユウマさん、私は貴方を無視して逃げる手もあることを忘れてませんか?」
「いいや、忘れてないさ。色々待たせてすまないな。決断は済ませたよ」
「……!」
カラン、と俺は片手斧を二つ、ベルトからぶら下げた革製の留め具から取り外して足下に捨てた。
……相手が武器を捨てて勝負に挑んできたんだ。これぐらいの作法、記憶喪失だろうが見よう見まねで出来る。それを見たアザミから、遂に来るかと身構えているのを感じる。
「ふぅ――ッ!」
「……!?」
俺は一呼吸おいて、すぐ足下の地面を殴りつけた――のは演技だ。攻撃の動作に見せかけて目的は地形の探知。使える武器の把握。
……雑草の下に広がっているのは……一般的な土壌だ。水分保有量は――少し多いな、最近雨でも降ったのか? 取り敢えず、表層は分厚く、水分保有量も十分だ。
――やろうと思えば、土も水も武器として扱える。
「……何のマネですか」
「フフ、さあね。でもきっと、後でアッと驚くぞ」
「疲れ知らずな口ですね。話術が貴方の武器ですか?」
「まあいい、その油断につけこんでやるさ」
……いや、油断なんて全くしていない。敵に回すと本当に恐ろしいな、彼女は。
静粛な空気を負けじと風を唸らせて、今度こそ突撃体勢を取る。
当然、両手のひらには何があっても良いように圧縮した空気を潜ませている……もうバレている手口だろうが。
「さあ、行くぞ……よーい――ドンッ!」
冗談交じりの言葉と共に、俺は前方へ駆け出す。
怪物との違いは、回避を前提とした突撃かどうかだ。走りながらも膝を常に少し曲げていて、バネのように跳躍する準備を常に整えている。
「I demand it……Set――」
「ッ――!」
唯一の予備動作を耳にして、俺はアザミの手にしている杖先に注意を払う。
向いているのは、俺の胴体。一直線に狙いを澄ませている――
「フッ――!」
俺自身に向けてくるのなら回避の方向は自由で良い。正面以外の方向へ避ければ良いだけだ。
次に来る呪文に備えて、俺は上を選んだ。大きく跳躍し、全身を自由に晒す。
(俺を狙っておきながら、殺気が異常に感じられないのが気になるが……)
不殺の予定故か、妙な違和感を感じつつも対策を練る。
空中に居る俺を突然狙い撃ちしてくる――その際にも、両手に隠した空気砲で回避運動は出来る。攻撃が“点”である限り、僅かな回避運動で避けることが可能な筈だ。
「――Oxycal Jume!」
「ッ……!? 下だって!?」
――だが、相手の打つであろう二の手の予測は大きく外れた。
アザミの杖先は空中に居る俺ではなく、俺の下――ただの地面。そして危惧していた未知の魔法。まるでジョウロから水を撒くかのような緑色の閃光。
地面には何も仕込まれていなかった筈だ。だが、今の魔法の効力なのか、地面から――いや、地面に生えている植物に明確な異常が現れた。
伸びる、太くなる、絡み合う。
俺の腕ほどの太さを持った植物の茎――いや、蔦だろうか? ――は、一瞬で俺の跳躍した高さを超えて成長……いや、突然変異を起こして壁になった。
「ッ!? マズ――!」
――油断した。
不規則に成長する植物の蔦に、腕が巻き込まれた。幸い、骨を砕くような強靱さは持っていないが、この水気を多く含んだ柔軟さは、比喩だが抜け出すのに骨が折れそうだ。
『大丈夫かユウマ!?』
「なんだコイツは……!? こんなことができるのかよ!?」
抜け出そうと四苦八苦する中で、茎や蔦、葉の隙間から偶然、その場から一歩も動いていないアザミと目が合う。
まるで今の俺の言葉に対して、「甘く見るな」とでも云いたそうな瞳で俺を一瞥した。
「言った筈です、ユウマさん。私達はお互いに魔法で――“非常識”を武器に戦うと。それこそがかつて恐れられていた魔法使い。魔法や魔術使いに対して“常識”なんて尺度は捨てて下さい」
「ッ――裏切りながらもッ、ぐッ……まだ教育担当気取りか……ッ!」
絡まった植物から強引に腕を引き抜き、その勢いを活用して植物を蹴り飛ばし後退する。
高さがあったおかげで大きく後退できたが……その間に植物はまるで老人のようにシワシワに弱り、枯れたように地にへたり込んで消えてしまった。
「コイツは、どういうことだ……ベル」
『……植物の成長には水分、栄養、空気、そして日光が要る――だが今見た植物の成長の仕方は、まるで暗所での植物の成長に似ている。葉緑体をほとんど持たない白色で、不規則な方向への成長が……だが、規模や発生源に関しては彼女の言うとおり、“非常識”そのものだったが』
「だが、この状況でも彼女の杖から目は離さなかったぞ……小瓶の交換は無かった。アザミの奴、恐らくこれで俺を捕縛して無力化する算段だ」
それなら不殺で俺を追い払うのも可能だろう……今回は運良く腕を引き抜くことが出来たが、思いっきり巻き込まれて胴体などに絡みつかれたら打つ手が無い。
さっき地面に捨てた斧で叩き切ればまだ勝算はあるかもしれないが……公平な魔法勝負なのに、今更道具に頼るのはなんだかなぁ、と変なプライドが抵抗感を主張する。ハッ、これで負けたら滑稽な笑い話だ。
『だが気をつけるんだ……地上は当然、上空も危険地帯だ。不規則な成長故に横に伸びる個体も幾つか確認した。私からは“大きく横に回避する”ことを推奨するよ』
「……そして、その対策を予測したアザミに一杯食わされる……かもな」
『…………』
ベルからの沈黙での肯定。
別にベルに対する嫌がらせの小言ではなく、本当にあり得るが故の発言だ。
……流石は教育担当を請け負っただけはある。魔法の戦い方が器用で堅牢で、かつ戦術的で――とにかく、常に俺の上を一手進まれているような心地なのだ。それが言いたかった。
『だとしたら、何か、何か手は無いか……?』
「ああ、あるさ」
『ッ!? ほ、本当にか!?』
「ああ――これさッ!」
俺は大声を上げて、地面をダンッ! と殴りつける。
……あ、今遠くで地面を叩いた音が木霊した……ような、気がする。多分。
「……ハァ。ユウマさん、私にアッと言わせるのではなかったのですか。溜め息が出ましたよ」
「あー、なんだ。流石に二度は通じないか……仕方ない」
『……ユウマのお馬鹿。期待した私もお馬鹿だが』
できればベルは味方サイドでいて欲しかったなぁ。
だが、今ので腹に気力が溜まった気がする。ユウマの再出撃は何時でも可能だ。
「――――」
「――――」
……先程とは緊張感が違う。
アザミからすれば、隠していた手札を見せたも同然だ。行動そのものはもう見破られたも同然だ。彼女だって緊張ぐらいはするだろう。
だが、手札がバレてもその“手札の切り方”は彼女にしか分からない。俺が先程言ったように、彼女に一手先を行かれてしまえば、俺の敗北は確定する。ああ、緊張の冷や汗が止まらないや。
「……フ――ッ!」
もうよーいドン、なんて冗談を言っている余裕は無い。
俺に出来るのは最短距離で彼女の元へ駆け抜けること、それだけだ。だから不要な小細工――回避運動のための膝の余裕とか――は捨て去った。
水気を含んだ泥土を蹴り飛ばして、前へ前へと加速する――!
『ッ!? ユウマのお馬鹿! そんな対策も無しに!?』
小さな困惑の声は――まあ、言われると思ったし、後でまた怒られるんだろなとは予想できている。
「潔いほどに迷いの無い突貫……まるで秘策があるような――いや、あるかのように見せ掛けたブラフ……? ――I demand it……Set――」
魔術が杖に装填される。
そして杖先を俺の直進先――ではなく、なんとアザミはその横に向けた。
「確かに私の魔法は非常識です……ですが、この魔法の行使には前提として植物が必要になる……そう予測したのでしょう?」
「……!」
「ええ、先程の地点の植物は枯れさせてしまいました――だからこそ挑んだその直線勝負。一度魔法を行使した地点は安全圏になる――それが狙いでは?」
読まれていた。あまりに考えが浅はかで分かりやすすぎた。
アザミの魔法は地面の植物に作用して、あの突然変異した植物の壁を形成していたのも、しばらくしてその植物が枯れ落ちたのも見ている。
……ならば、一度使った植物の生えていた地点に、同じ魔法は使えないのではないか――それが思い浮かんだ一手。しかし、その一手を更に上回られた。
「確かにユウマさんの予測通り……ですが、やり方はまだあるんですよ! ――Oxycal Jume!」
今度は緑色の光弾が二点、まるで俺の狙っていた安全圏を挟み込むかのように撃ち出される。
クソッ……進路上に植物が無くても、周辺にさえあれば同じような壁を形成できるって訳か……!
――いやぁ、一手上回ろうとしても、本当に二手先を行かれてしまった。
これが戦い慣れしたプロの戦術か。こんなの素人が到底挑めるものじゃない。公平性のある戦いじゃ、俺には勝てっこないや。
「…………!?」
……だから俺に出来るのは、その一手とか二手だとか、そんなやり方の“前提”を破ることだけだ。
「ハッ、ハッ――ッ!」
泥土に足を取られないように駆け抜ける。先程は妨害されて進めなかった荒れ地を踏み抜けて、更にその先へ――アザミの方へと近づいていく。
――その俺を阻むモノは、一切存在していない。
「な――何故……!? 魔法の不発……はッ!? まさかさっきの行動は――」
だから言っただろう、アッと言わせるって。
ヒントはベルがくれた。植物の成長に必要なのは水分、栄養、空気、そして日光だと。
ならば、その“水分”とやらを使えなくしてしまえば、あんな急成長は出来やしない――それが俺の使える唯一の切り札だった。
『さっき地面を叩いたのは、地中の水に“形”を与えていたのか……!』
その副作用で、地面が少々泥っぽくなってしまったが、まあ問題ない。
さて、俺の魔法で氷のように固形化した地中の水分を、果たして植物は吸い上げることができるだろうか?
その答えは今、俺が証明して見せている――!
「これがユウマさんの魔法――ッ、これは私の負けですね。ですが、どうか卑怯とは言わないで下さい」
そう観念するように呟くと、懐から一本の赤色の小瓶を取り出した。
(ッ……! 赤色の小瓶!?)
そして手を空けるためか、アザミは手にしていた杖を口に咥え持つ。それと同時に、踵で何かを蹴り上げ――空いた片手でそれを受け止めた。
(先折れの短刀……? 一体何を……)
そしてその赤色の小瓶を、短刀の鍔の穴に差し込み、カチャリと人工的な――何かの機構の下準備が整ったような音を鳴らした。
心なしか、先折れの短刀がぼんやりと赤く光っているように――まるで何か力を帯びているように見える……!
『なんだアレは……見た目はまるで十手のようだが……ユウマ、警戒しろ! あの色の小瓶は殺傷力の体現みたいなものだぞ!』
警戒しろ、とは言われたが、相変わらずアザミの殺意は俺には向けられていない。しかし、だからといって無警戒でいる程俺は呑気していない。
やむを得ず、俺は速度を落とし、膝に余裕を持たせて回避に備える。相手の取った予想外の行動への保険だ。
「 I demand it……Set、――Flame Slash!」
ベルの言う十手の形をした短刀が放たれたのは、なんと上空だった。
赤い一閃の斬撃が飛び出し、空に放たれ――ガサガサ、ボトボト、と大きな音を立てて何かを落とした。
(……木を切った、のか?)
一歩下がったアザミの目の前に落ちてきたのは、大量の木々の枝だった。
アザミは今山の中に居るのだから、上は木々に覆い隠されている。だからあんな空に向けて斬撃のようなモノを放てば当然そうなるが……
「一体、何が狙いだ……?」
意図が掴めない。突然の奇行に思わず困惑してしまう。
アザミの目の前には山盛りの木材が積まれている。だが、アザミのあの植物の魔法は生きた植物を元に発動する魔法の筈だ。あんな粗雑に切り殺した植物では、何の役にも――
『枝、昆虫類、菌類……いや、生木――はッ!? マズイぞユウマ! あれは“水分”だ! 地面には無い、お前の魔法の管轄外の“水分”なんだ!』
「ッ……! 生木の“水分”か……!?」
そうだ、さっきまで生きていた木の枝には水分が豊富に含まれている。具体的な量は分からないが、あれだけ山盛り用意されているんだ。あの植物の魔法をもう一度行うだけの水分量は確実にある……!
「察しが早い……ならば、ダメ押し……ッ!」
アザミはそう呟くと、どういう訳か、なんと杖の先端に囓りついた。
先程の手を空ける為に咥え持っているのとは違う。歯を立ててミシミシと、破壊を目的とした行為だった。
自分から唯一の魔道具を破壊する意図が、全く分からない――が、雰囲気は分かる。アレは“とっておき”――いわば彼女の“切り札”だ……!
「ッ、ペッ……――Check」
バキン、と先端が噛み砕かれた杖の先端から緑色の閃光と煙が漏れ出す。
まるで発煙筒――いいや、あれはもはや爆弾だ。あの杖の中に込められた魔力とか小瓶の中身とかが外に漏れ出ているのが見て分かる。
そして杖の先端を吐き捨てながら唱えた今の呪文は、決定打の詠唱――!
「I demand it……Set――Oxycal Jume!」
まるで投げナイフのように、アザミは呪文と共に杖を生木の山に投げ込んだ。
杖は生木の水分を強引に、貪欲に奪い取る。そしてその杖を起点に、恐ろしい速度で蔦のような木の枝を大量に生成した。
根のように地面に突き刺さり、壁を堅牢にする枝もあれば、上や横に伸びて彼女を覆い隠すように成長する枝もある……恐ろしいのは、こうして観察している間にも枝の成長が急激で、変化についていけないことだ。
『さっきまでの暗所で成長したような植物とは違う……まるで樹木だ! 一度引け、ユウマ! あんなものに巻き込まれたら脱出は不可能だ!』
「っ、く……クソッ……!」
ベルの言うとおり、こんなものに巻き込まれてはひとたまりもない。
悔しいが、俺は距離を取って巻き込まれないように徹する事しかできなかった。
「……止まった、のか?」
爆発的な成長は一瞬の出来事だったらしい。蔦のように細く伸びて壁になっている樹木はもう動かない。成長が止まった様子だ。
「……負けを認めた上で言います。ユウマさん、ここはもう諦めてお引き取り下さい」
その木の壁の隙間から、アザミは冷酷にそう俺に向けて告げてくるのだった。
「ッ、アザミィ――ッ!」
俺は負けじと木の壁に掴み掛かって、隙間からアザミに向けて手を伸ばす。
何がお引き取り、だ! 負けを認めたなら帰って来い……!
「ッ、ぐ……ググググ……ッ!」
「……止めてください。この枝はしなりが良いのです。強い力で押せば押すほど、同じ力で弾き飛ばされますよ」
……そんなこと、ッ、知るかッ……!
目の前に彼女が居るんだ。手を伸ばせば、もう少しで届くんだ。まだ諦めなければ、あの“最悪”を取り消せる! シャーリィとの関係だってやり直せるって俺は信じている……!
「…………」
そんな俺を、アザミは何も言わず見つめている。
注意を聞かない俺への軽蔑の目か、哀れみか。……ハッ、知った事か。ミシミシ、と鳴る木の枝を、更に更に押し退ける。
あと少し、あともうちょっと、あともう一踏ん張り――
「――――あ」
泥で靴裏が汚れていたせいか、純粋に力勝負に負けたのか。
俺の足はズルリと滑る。無謀に挑んだ敗者には、アザミの忠告通りの当然の結末が――
「――ッ!」
「……!? あ、アザミ……?」
驚くことに、俺が伸ばしていた手をアザミは自ら掴んでいた。
……いや、それだけじゃない。俺を弾き飛ばそうとしていた木の枝も片手で握り抑えて――そのまま引っ張ってバキリ、とへし折ってしまった。
「……どうして、そこまでするのですか」
「アザミ……?」
「裏切られたことへの怒りですか? 憎しみですか? 復讐したいという感情ですか……?」
俺の腕を握り締めながら、アザミは俺に問う。
確かに、彼女からすれば俺の執着心は異常に見えたことだろう。常識的に考えて、ここまで悪あがきをして、最悪死ぬかも知れない無謀に挑む方が“頭がおかしい”ってやつなのだ。
「裏切られた、とは思っている。でも、違う。違うよ。怒りとか、憎しみとか、そんなのじゃない」
「……じゃあ、何ですか! 何が貴方をそこまで突き動かしたのですか!?」
もはや嘆きに近い彼女の問い。生半可な理由を答えにすれば殺すぞと言わんばかりの目で俺を睨んでいる彼女に対して、俺は、
「……“どうして”って、言葉だけだよ」
「――――」
俺の返事を聞いた瞬間、彼女の握力が、一瞬だけ僅かに緩んだのを感じた。
「怒りとか憎しみとかは、もっと後から湧いてくるものだろ。裏切られた身として、まず感じたのは疑問だったよ。どうして裏切ったのか、どうして初めから敵対しないで仲間の顔をしていたのかとか……叶うなら、本人に理由を聞きたくて仕方ないんだ……裏切られた人間は、相手が裏切った理由を知りたくて、でも聞くのが怖くて、どうしようもできないから、とっても悲しいんだ」
ポト、ポタリ、と水分が俺の体から溢れていく。
魔法でもコントロール出来ないその“水分”は、ただ悲しくて、虚しくこぼれ落ちていく。
……アザミの顔が上手く見えないや。瞬きしても、次の涙がまた視界をぼやかしてしまう。
あぁ――俺は今、一体どんな情けない顔を晒してしまっているんだろうね――
「――空気のように透き通っていて、でも砕けてしまいそうなほどに繊細で……まるで、ガラス細工みたいなお方」
「アザミ……?」
「……きっと連中が貴方を見れば「なんて弱い奴だ」と笑うでしょう。ですけど、貴方はそれで良いのです」
「なにを――、ぐッ……!?」
アザミは何か小さく呟いたかと思うと、突然俺の胸倉を掴んで引き寄せた。
魔法ではない突然の武力行使に驚いて反応が遅れてしまうが、今ので涙は一応引っ込んだ。彼女の真剣な表情がよく見える。
「ユウマさん、この場は引いてください。魔道の密会の連中と私は今、手を組んでいる仲ですから。そちらに戻る気はありません」
「ッ、! 断る……! 俺はまだ諦め切れてないんだよ……!」
「……ですよね」
――と、俺を力で引き寄せ、口を耳元に近づけて、
「――すみません。ですが、どうか信じて。これが“私達”のやり方なんです」
「……!」
ドン、と胸を突き飛ばされて尻餅をつく。先程、水分を奪われてカラカラに乾いた木の残骸がクッションのように俺を受け止めてくれた。
座り込んだ姿勢でアザミを見上げると、彼女は変わらず強い目つきで顔を固めていた。
「――ハ、ハハハハッ、ッククク……」
腹から笑い声が込み上がる。
こんなの予想外だった。思わず肺の空気を全部吐き出して笑ってしまう。肩をクツクツと揺らして、笑うのが止まらない。
そうして、俺は気が済むまで笑い終えると、改めてアザミを見上げて睨みつけた。
「……そうかよ。じゃあ何処にでも行っちまえ」
「ええ、そうさせていただきます」
簡素なやり取りを終えて、アザミは振り返り、そのままこの場を立ち去ってしまう。俺はそれを止めず、ただ彼女の姿が暗闇に溶けて見えなくなるまでその場で座り込んで眺めていた。
『ゆ、ユウマ!? 何をしているんだ!?』
「彼女は何をやっても戻ってこない……これで良いんだ、ベル。早く戻ろう、シャーリィが待っている」
ポケットの中で慌てた声を上げるベルを落ち着けるように話しながら、ゆっくりと立ち上がってズボンに付いた土やら木片、乾ききった葉っぱの残骸を叩き落とした。
「……シャーリィめ、こうなるって分かっていたなら、あの時引き留めてくれたって良かったじゃないか」
『? ??』
こっちはずっと限界スレスレの体力で動き続けているのに、必要以上に消耗してしまったじゃないか。
もっとも、この一件で倦怠感も眠気も吹き飛んだ――いや、疲れとかは存在しているけど、それらをわざわざ感じていられなくなったって感じか。火事場のなんとやらだ。
文句を内心でぶつくさと呟きながら馬車に戻ると、小柄な背中が焚き火の前に見えた。何やら木の枝を加工しているらしく、不要な小枝部分を切り落としたりして形を整えている。少なくともアレは薪木じゃないみたいだ。
「……シャーリィ、ただいま。何をしているんだ?」
「んー? ちょっと武器をね。ルーン魔術の中に弓矢の作製ってのもあるから、それをちょちょいっと」
戻ってくると、シャーリィは地面に胡座をかいてそう説明してくれながら、木の枝をナイフで縦に割いた。
そのまま割いた枝を手で横に引き延ばし、Yのような形にすると髪の毛を二本引き抜いて弦にして……あっという間に、何の変哲の無い枝から弓を作り上げてしまった。
「えっ、早っ。いやそれよりも今の魔法なのか? ただの技術では?」
「ほら、ココ見て。刻んだルーンで形状を保たせたり弦を強く張らせたりしているのよ……それよりもユウマ、気づいたのね」
「……俺からすれば、文句の一つや二つ言ってやりたいんだが」
「ごめんなさいね、後で幾らでも聞いてあげるわ。それよりもちょっと相談があるんだけど」
案の定、ニヤリと笑みを浮かべているシャーリィ。その表情から、アザミの言い残した言葉に大きな確信を得た。
……やはり彼女は、見た目や年齢で侮ってはいけない存在だ。あの魔道の密会とかいう組織が俺よりもこの子を警戒している理由がよく分かる。
「相談って? 何の話だ?」
「ちょっとこっちに来て、あの子みたいなやり方で話があるから」
そう良いながら手招くシャーリィの言う通りにして、俺は耳を彼女の口元に近づけるのだった――
攻撃に積極性の無い敵。考えてみれば初めて相手にするパターンの相手だ。
……正直、やりにくい。相手が顔見知りだというのもあるが、大きな一撃を見舞おうと襲ってくる敵の虚を突くのが俺に向いた戦術だ。小手先の堅牢な戦術とか、こういう守りに徹した相手を攻撃するのは、不慣れもあって逆に大きな隙を見せてしまいそうだ。
もしも、大きな隙を見せたらアザミは見逃してくれるかな……いや、お馬鹿め。そんな訳ない。
「……随分と慎重ですね」
「……ああ、逃げずに付き合ってくれてるからな」
だからこそ、アザミが逃げずに留まっているのが救いだ。
逃走する気があったなら、焦って攻撃して返り討ち――そんな自分が容易に想像できる。
俺も頭を回しながら、ポケット越しにガラスを軽く握り締める。
今の俺にはベルが居る。だから今の俺には“作戦会議”という奥の手がある。
「……アザミの魔法は、赤い閃光だったな……魔法の炎か?」
『あるいは熱を持った光かもな……ユウマ、彼女の魔法はお前の視点からすれば“点”で襲ってくる。それにこの間合いなら、発射と着弾はほぼ同時と見て良い。絶対に彼女の杖先からは目を逸らすな』
アザミに聞こえないよう、小声で作戦会議を実行する。
あの怪物を貫いた、貫通力を持つ赤い閃光の魔法……俺達は横から見ていたから“線”だが、怪物視点だと“点”で襲ってくる――なるほど、撃たれる前に回避していないとやられるってことか。
『それと、彼女の持っていた小瓶を少しだが盗み見る機会があった……ユウマが彼女の荷物を代わりに持ってあげたあの時な。赤、青、緑――あの仕込み杖に入れていたのと同じ規格の小瓶はその三色だ……もっとあるかもしれないが』
「未知は二色か……もし小瓶を詰め替えたら警戒しないとな」
『待てユウマ! そもそも今彼女が赤の小瓶を装填しているとは限らない!』
「……確かに、そうだな。クソッ、慎重に立ち回らなきゃならないのはそこからかよ」
確かに、不殺を宣言しておきながら、あんな殺意しかない赤い閃光を放つのは、ちょっと違和感がある。なら既に不殺傷の魔法に備えた未知の小瓶を装填している可能性もあるか……
「……まだ来ませんか。ユウマさん、私は貴方を無視して逃げる手もあることを忘れてませんか?」
「いいや、忘れてないさ。色々待たせてすまないな。決断は済ませたよ」
「……!」
カラン、と俺は片手斧を二つ、ベルトからぶら下げた革製の留め具から取り外して足下に捨てた。
……相手が武器を捨てて勝負に挑んできたんだ。これぐらいの作法、記憶喪失だろうが見よう見まねで出来る。それを見たアザミから、遂に来るかと身構えているのを感じる。
「ふぅ――ッ!」
「……!?」
俺は一呼吸おいて、すぐ足下の地面を殴りつけた――のは演技だ。攻撃の動作に見せかけて目的は地形の探知。使える武器の把握。
……雑草の下に広がっているのは……一般的な土壌だ。水分保有量は――少し多いな、最近雨でも降ったのか? 取り敢えず、表層は分厚く、水分保有量も十分だ。
――やろうと思えば、土も水も武器として扱える。
「……何のマネですか」
「フフ、さあね。でもきっと、後でアッと驚くぞ」
「疲れ知らずな口ですね。話術が貴方の武器ですか?」
「まあいい、その油断につけこんでやるさ」
……いや、油断なんて全くしていない。敵に回すと本当に恐ろしいな、彼女は。
静粛な空気を負けじと風を唸らせて、今度こそ突撃体勢を取る。
当然、両手のひらには何があっても良いように圧縮した空気を潜ませている……もうバレている手口だろうが。
「さあ、行くぞ……よーい――ドンッ!」
冗談交じりの言葉と共に、俺は前方へ駆け出す。
怪物との違いは、回避を前提とした突撃かどうかだ。走りながらも膝を常に少し曲げていて、バネのように跳躍する準備を常に整えている。
「I demand it……Set――」
「ッ――!」
唯一の予備動作を耳にして、俺はアザミの手にしている杖先に注意を払う。
向いているのは、俺の胴体。一直線に狙いを澄ませている――
「フッ――!」
俺自身に向けてくるのなら回避の方向は自由で良い。正面以外の方向へ避ければ良いだけだ。
次に来る呪文に備えて、俺は上を選んだ。大きく跳躍し、全身を自由に晒す。
(俺を狙っておきながら、殺気が異常に感じられないのが気になるが……)
不殺の予定故か、妙な違和感を感じつつも対策を練る。
空中に居る俺を突然狙い撃ちしてくる――その際にも、両手に隠した空気砲で回避運動は出来る。攻撃が“点”である限り、僅かな回避運動で避けることが可能な筈だ。
「――Oxycal Jume!」
「ッ……!? 下だって!?」
――だが、相手の打つであろう二の手の予測は大きく外れた。
アザミの杖先は空中に居る俺ではなく、俺の下――ただの地面。そして危惧していた未知の魔法。まるでジョウロから水を撒くかのような緑色の閃光。
地面には何も仕込まれていなかった筈だ。だが、今の魔法の効力なのか、地面から――いや、地面に生えている植物に明確な異常が現れた。
伸びる、太くなる、絡み合う。
俺の腕ほどの太さを持った植物の茎――いや、蔦だろうか? ――は、一瞬で俺の跳躍した高さを超えて成長……いや、突然変異を起こして壁になった。
「ッ!? マズ――!」
――油断した。
不規則に成長する植物の蔦に、腕が巻き込まれた。幸い、骨を砕くような強靱さは持っていないが、この水気を多く含んだ柔軟さは、比喩だが抜け出すのに骨が折れそうだ。
『大丈夫かユウマ!?』
「なんだコイツは……!? こんなことができるのかよ!?」
抜け出そうと四苦八苦する中で、茎や蔦、葉の隙間から偶然、その場から一歩も動いていないアザミと目が合う。
まるで今の俺の言葉に対して、「甘く見るな」とでも云いたそうな瞳で俺を一瞥した。
「言った筈です、ユウマさん。私達はお互いに魔法で――“非常識”を武器に戦うと。それこそがかつて恐れられていた魔法使い。魔法や魔術使いに対して“常識”なんて尺度は捨てて下さい」
「ッ――裏切りながらもッ、ぐッ……まだ教育担当気取りか……ッ!」
絡まった植物から強引に腕を引き抜き、その勢いを活用して植物を蹴り飛ばし後退する。
高さがあったおかげで大きく後退できたが……その間に植物はまるで老人のようにシワシワに弱り、枯れたように地にへたり込んで消えてしまった。
「コイツは、どういうことだ……ベル」
『……植物の成長には水分、栄養、空気、そして日光が要る――だが今見た植物の成長の仕方は、まるで暗所での植物の成長に似ている。葉緑体をほとんど持たない白色で、不規則な方向への成長が……だが、規模や発生源に関しては彼女の言うとおり、“非常識”そのものだったが』
「だが、この状況でも彼女の杖から目は離さなかったぞ……小瓶の交換は無かった。アザミの奴、恐らくこれで俺を捕縛して無力化する算段だ」
それなら不殺で俺を追い払うのも可能だろう……今回は運良く腕を引き抜くことが出来たが、思いっきり巻き込まれて胴体などに絡みつかれたら打つ手が無い。
さっき地面に捨てた斧で叩き切ればまだ勝算はあるかもしれないが……公平な魔法勝負なのに、今更道具に頼るのはなんだかなぁ、と変なプライドが抵抗感を主張する。ハッ、これで負けたら滑稽な笑い話だ。
『だが気をつけるんだ……地上は当然、上空も危険地帯だ。不規則な成長故に横に伸びる個体も幾つか確認した。私からは“大きく横に回避する”ことを推奨するよ』
「……そして、その対策を予測したアザミに一杯食わされる……かもな」
『…………』
ベルからの沈黙での肯定。
別にベルに対する嫌がらせの小言ではなく、本当にあり得るが故の発言だ。
……流石は教育担当を請け負っただけはある。魔法の戦い方が器用で堅牢で、かつ戦術的で――とにかく、常に俺の上を一手進まれているような心地なのだ。それが言いたかった。
『だとしたら、何か、何か手は無いか……?』
「ああ、あるさ」
『ッ!? ほ、本当にか!?』
「ああ――これさッ!」
俺は大声を上げて、地面をダンッ! と殴りつける。
……あ、今遠くで地面を叩いた音が木霊した……ような、気がする。多分。
「……ハァ。ユウマさん、私にアッと言わせるのではなかったのですか。溜め息が出ましたよ」
「あー、なんだ。流石に二度は通じないか……仕方ない」
『……ユウマのお馬鹿。期待した私もお馬鹿だが』
できればベルは味方サイドでいて欲しかったなぁ。
だが、今ので腹に気力が溜まった気がする。ユウマの再出撃は何時でも可能だ。
「――――」
「――――」
……先程とは緊張感が違う。
アザミからすれば、隠していた手札を見せたも同然だ。行動そのものはもう見破られたも同然だ。彼女だって緊張ぐらいはするだろう。
だが、手札がバレてもその“手札の切り方”は彼女にしか分からない。俺が先程言ったように、彼女に一手先を行かれてしまえば、俺の敗北は確定する。ああ、緊張の冷や汗が止まらないや。
「……フ――ッ!」
もうよーいドン、なんて冗談を言っている余裕は無い。
俺に出来るのは最短距離で彼女の元へ駆け抜けること、それだけだ。だから不要な小細工――回避運動のための膝の余裕とか――は捨て去った。
水気を含んだ泥土を蹴り飛ばして、前へ前へと加速する――!
『ッ!? ユウマのお馬鹿! そんな対策も無しに!?』
小さな困惑の声は――まあ、言われると思ったし、後でまた怒られるんだろなとは予想できている。
「潔いほどに迷いの無い突貫……まるで秘策があるような――いや、あるかのように見せ掛けたブラフ……? ――I demand it……Set――」
魔術が杖に装填される。
そして杖先を俺の直進先――ではなく、なんとアザミはその横に向けた。
「確かに私の魔法は非常識です……ですが、この魔法の行使には前提として植物が必要になる……そう予測したのでしょう?」
「……!」
「ええ、先程の地点の植物は枯れさせてしまいました――だからこそ挑んだその直線勝負。一度魔法を行使した地点は安全圏になる――それが狙いでは?」
読まれていた。あまりに考えが浅はかで分かりやすすぎた。
アザミの魔法は地面の植物に作用して、あの突然変異した植物の壁を形成していたのも、しばらくしてその植物が枯れ落ちたのも見ている。
……ならば、一度使った植物の生えていた地点に、同じ魔法は使えないのではないか――それが思い浮かんだ一手。しかし、その一手を更に上回られた。
「確かにユウマさんの予測通り……ですが、やり方はまだあるんですよ! ――Oxycal Jume!」
今度は緑色の光弾が二点、まるで俺の狙っていた安全圏を挟み込むかのように撃ち出される。
クソッ……進路上に植物が無くても、周辺にさえあれば同じような壁を形成できるって訳か……!
――いやぁ、一手上回ろうとしても、本当に二手先を行かれてしまった。
これが戦い慣れしたプロの戦術か。こんなの素人が到底挑めるものじゃない。公平性のある戦いじゃ、俺には勝てっこないや。
「…………!?」
……だから俺に出来るのは、その一手とか二手だとか、そんなやり方の“前提”を破ることだけだ。
「ハッ、ハッ――ッ!」
泥土に足を取られないように駆け抜ける。先程は妨害されて進めなかった荒れ地を踏み抜けて、更にその先へ――アザミの方へと近づいていく。
――その俺を阻むモノは、一切存在していない。
「な――何故……!? 魔法の不発……はッ!? まさかさっきの行動は――」
だから言っただろう、アッと言わせるって。
ヒントはベルがくれた。植物の成長に必要なのは水分、栄養、空気、そして日光だと。
ならば、その“水分”とやらを使えなくしてしまえば、あんな急成長は出来やしない――それが俺の使える唯一の切り札だった。
『さっき地面を叩いたのは、地中の水に“形”を与えていたのか……!』
その副作用で、地面が少々泥っぽくなってしまったが、まあ問題ない。
さて、俺の魔法で氷のように固形化した地中の水分を、果たして植物は吸い上げることができるだろうか?
その答えは今、俺が証明して見せている――!
「これがユウマさんの魔法――ッ、これは私の負けですね。ですが、どうか卑怯とは言わないで下さい」
そう観念するように呟くと、懐から一本の赤色の小瓶を取り出した。
(ッ……! 赤色の小瓶!?)
そして手を空けるためか、アザミは手にしていた杖を口に咥え持つ。それと同時に、踵で何かを蹴り上げ――空いた片手でそれを受け止めた。
(先折れの短刀……? 一体何を……)
そしてその赤色の小瓶を、短刀の鍔の穴に差し込み、カチャリと人工的な――何かの機構の下準備が整ったような音を鳴らした。
心なしか、先折れの短刀がぼんやりと赤く光っているように――まるで何か力を帯びているように見える……!
『なんだアレは……見た目はまるで十手のようだが……ユウマ、警戒しろ! あの色の小瓶は殺傷力の体現みたいなものだぞ!』
警戒しろ、とは言われたが、相変わらずアザミの殺意は俺には向けられていない。しかし、だからといって無警戒でいる程俺は呑気していない。
やむを得ず、俺は速度を落とし、膝に余裕を持たせて回避に備える。相手の取った予想外の行動への保険だ。
「 I demand it……Set、――Flame Slash!」
ベルの言う十手の形をした短刀が放たれたのは、なんと上空だった。
赤い一閃の斬撃が飛び出し、空に放たれ――ガサガサ、ボトボト、と大きな音を立てて何かを落とした。
(……木を切った、のか?)
一歩下がったアザミの目の前に落ちてきたのは、大量の木々の枝だった。
アザミは今山の中に居るのだから、上は木々に覆い隠されている。だからあんな空に向けて斬撃のようなモノを放てば当然そうなるが……
「一体、何が狙いだ……?」
意図が掴めない。突然の奇行に思わず困惑してしまう。
アザミの目の前には山盛りの木材が積まれている。だが、アザミのあの植物の魔法は生きた植物を元に発動する魔法の筈だ。あんな粗雑に切り殺した植物では、何の役にも――
『枝、昆虫類、菌類……いや、生木――はッ!? マズイぞユウマ! あれは“水分”だ! 地面には無い、お前の魔法の管轄外の“水分”なんだ!』
「ッ……! 生木の“水分”か……!?」
そうだ、さっきまで生きていた木の枝には水分が豊富に含まれている。具体的な量は分からないが、あれだけ山盛り用意されているんだ。あの植物の魔法をもう一度行うだけの水分量は確実にある……!
「察しが早い……ならば、ダメ押し……ッ!」
アザミはそう呟くと、どういう訳か、なんと杖の先端に囓りついた。
先程の手を空ける為に咥え持っているのとは違う。歯を立ててミシミシと、破壊を目的とした行為だった。
自分から唯一の魔道具を破壊する意図が、全く分からない――が、雰囲気は分かる。アレは“とっておき”――いわば彼女の“切り札”だ……!
「ッ、ペッ……――Check」
バキン、と先端が噛み砕かれた杖の先端から緑色の閃光と煙が漏れ出す。
まるで発煙筒――いいや、あれはもはや爆弾だ。あの杖の中に込められた魔力とか小瓶の中身とかが外に漏れ出ているのが見て分かる。
そして杖の先端を吐き捨てながら唱えた今の呪文は、決定打の詠唱――!
「I demand it……Set――Oxycal Jume!」
まるで投げナイフのように、アザミは呪文と共に杖を生木の山に投げ込んだ。
杖は生木の水分を強引に、貪欲に奪い取る。そしてその杖を起点に、恐ろしい速度で蔦のような木の枝を大量に生成した。
根のように地面に突き刺さり、壁を堅牢にする枝もあれば、上や横に伸びて彼女を覆い隠すように成長する枝もある……恐ろしいのは、こうして観察している間にも枝の成長が急激で、変化についていけないことだ。
『さっきまでの暗所で成長したような植物とは違う……まるで樹木だ! 一度引け、ユウマ! あんなものに巻き込まれたら脱出は不可能だ!』
「っ、く……クソッ……!」
ベルの言うとおり、こんなものに巻き込まれてはひとたまりもない。
悔しいが、俺は距離を取って巻き込まれないように徹する事しかできなかった。
「……止まった、のか?」
爆発的な成長は一瞬の出来事だったらしい。蔦のように細く伸びて壁になっている樹木はもう動かない。成長が止まった様子だ。
「……負けを認めた上で言います。ユウマさん、ここはもう諦めてお引き取り下さい」
その木の壁の隙間から、アザミは冷酷にそう俺に向けて告げてくるのだった。
「ッ、アザミィ――ッ!」
俺は負けじと木の壁に掴み掛かって、隙間からアザミに向けて手を伸ばす。
何がお引き取り、だ! 負けを認めたなら帰って来い……!
「ッ、ぐ……ググググ……ッ!」
「……止めてください。この枝はしなりが良いのです。強い力で押せば押すほど、同じ力で弾き飛ばされますよ」
……そんなこと、ッ、知るかッ……!
目の前に彼女が居るんだ。手を伸ばせば、もう少しで届くんだ。まだ諦めなければ、あの“最悪”を取り消せる! シャーリィとの関係だってやり直せるって俺は信じている……!
「…………」
そんな俺を、アザミは何も言わず見つめている。
注意を聞かない俺への軽蔑の目か、哀れみか。……ハッ、知った事か。ミシミシ、と鳴る木の枝を、更に更に押し退ける。
あと少し、あともうちょっと、あともう一踏ん張り――
「――――あ」
泥で靴裏が汚れていたせいか、純粋に力勝負に負けたのか。
俺の足はズルリと滑る。無謀に挑んだ敗者には、アザミの忠告通りの当然の結末が――
「――ッ!」
「……!? あ、アザミ……?」
驚くことに、俺が伸ばしていた手をアザミは自ら掴んでいた。
……いや、それだけじゃない。俺を弾き飛ばそうとしていた木の枝も片手で握り抑えて――そのまま引っ張ってバキリ、とへし折ってしまった。
「……どうして、そこまでするのですか」
「アザミ……?」
「裏切られたことへの怒りですか? 憎しみですか? 復讐したいという感情ですか……?」
俺の腕を握り締めながら、アザミは俺に問う。
確かに、彼女からすれば俺の執着心は異常に見えたことだろう。常識的に考えて、ここまで悪あがきをして、最悪死ぬかも知れない無謀に挑む方が“頭がおかしい”ってやつなのだ。
「裏切られた、とは思っている。でも、違う。違うよ。怒りとか、憎しみとか、そんなのじゃない」
「……じゃあ、何ですか! 何が貴方をそこまで突き動かしたのですか!?」
もはや嘆きに近い彼女の問い。生半可な理由を答えにすれば殺すぞと言わんばかりの目で俺を睨んでいる彼女に対して、俺は、
「……“どうして”って、言葉だけだよ」
「――――」
俺の返事を聞いた瞬間、彼女の握力が、一瞬だけ僅かに緩んだのを感じた。
「怒りとか憎しみとかは、もっと後から湧いてくるものだろ。裏切られた身として、まず感じたのは疑問だったよ。どうして裏切ったのか、どうして初めから敵対しないで仲間の顔をしていたのかとか……叶うなら、本人に理由を聞きたくて仕方ないんだ……裏切られた人間は、相手が裏切った理由を知りたくて、でも聞くのが怖くて、どうしようもできないから、とっても悲しいんだ」
ポト、ポタリ、と水分が俺の体から溢れていく。
魔法でもコントロール出来ないその“水分”は、ただ悲しくて、虚しくこぼれ落ちていく。
……アザミの顔が上手く見えないや。瞬きしても、次の涙がまた視界をぼやかしてしまう。
あぁ――俺は今、一体どんな情けない顔を晒してしまっているんだろうね――
「――空気のように透き通っていて、でも砕けてしまいそうなほどに繊細で……まるで、ガラス細工みたいなお方」
「アザミ……?」
「……きっと連中が貴方を見れば「なんて弱い奴だ」と笑うでしょう。ですけど、貴方はそれで良いのです」
「なにを――、ぐッ……!?」
アザミは何か小さく呟いたかと思うと、突然俺の胸倉を掴んで引き寄せた。
魔法ではない突然の武力行使に驚いて反応が遅れてしまうが、今ので涙は一応引っ込んだ。彼女の真剣な表情がよく見える。
「ユウマさん、この場は引いてください。魔道の密会の連中と私は今、手を組んでいる仲ですから。そちらに戻る気はありません」
「ッ、! 断る……! 俺はまだ諦め切れてないんだよ……!」
「……ですよね」
――と、俺を力で引き寄せ、口を耳元に近づけて、
「――すみません。ですが、どうか信じて。これが“私達”のやり方なんです」
「……!」
ドン、と胸を突き飛ばされて尻餅をつく。先程、水分を奪われてカラカラに乾いた木の残骸がクッションのように俺を受け止めてくれた。
座り込んだ姿勢でアザミを見上げると、彼女は変わらず強い目つきで顔を固めていた。
「――ハ、ハハハハッ、ッククク……」
腹から笑い声が込み上がる。
こんなの予想外だった。思わず肺の空気を全部吐き出して笑ってしまう。肩をクツクツと揺らして、笑うのが止まらない。
そうして、俺は気が済むまで笑い終えると、改めてアザミを見上げて睨みつけた。
「……そうかよ。じゃあ何処にでも行っちまえ」
「ええ、そうさせていただきます」
簡素なやり取りを終えて、アザミは振り返り、そのままこの場を立ち去ってしまう。俺はそれを止めず、ただ彼女の姿が暗闇に溶けて見えなくなるまでその場で座り込んで眺めていた。
『ゆ、ユウマ!? 何をしているんだ!?』
「彼女は何をやっても戻ってこない……これで良いんだ、ベル。早く戻ろう、シャーリィが待っている」
ポケットの中で慌てた声を上げるベルを落ち着けるように話しながら、ゆっくりと立ち上がってズボンに付いた土やら木片、乾ききった葉っぱの残骸を叩き落とした。
「……シャーリィめ、こうなるって分かっていたなら、あの時引き留めてくれたって良かったじゃないか」
『? ??』
こっちはずっと限界スレスレの体力で動き続けているのに、必要以上に消耗してしまったじゃないか。
もっとも、この一件で倦怠感も眠気も吹き飛んだ――いや、疲れとかは存在しているけど、それらをわざわざ感じていられなくなったって感じか。火事場のなんとやらだ。
文句を内心でぶつくさと呟きながら馬車に戻ると、小柄な背中が焚き火の前に見えた。何やら木の枝を加工しているらしく、不要な小枝部分を切り落としたりして形を整えている。少なくともアレは薪木じゃないみたいだ。
「……シャーリィ、ただいま。何をしているんだ?」
「んー? ちょっと武器をね。ルーン魔術の中に弓矢の作製ってのもあるから、それをちょちょいっと」
戻ってくると、シャーリィは地面に胡座をかいてそう説明してくれながら、木の枝をナイフで縦に割いた。
そのまま割いた枝を手で横に引き延ばし、Yのような形にすると髪の毛を二本引き抜いて弦にして……あっという間に、何の変哲の無い枝から弓を作り上げてしまった。
「えっ、早っ。いやそれよりも今の魔法なのか? ただの技術では?」
「ほら、ココ見て。刻んだルーンで形状を保たせたり弦を強く張らせたりしているのよ……それよりもユウマ、気づいたのね」
「……俺からすれば、文句の一つや二つ言ってやりたいんだが」
「ごめんなさいね、後で幾らでも聞いてあげるわ。それよりもちょっと相談があるんだけど」
案の定、ニヤリと笑みを浮かべているシャーリィ。その表情から、アザミの言い残した言葉に大きな確信を得た。
……やはり彼女は、見た目や年齢で侮ってはいけない存在だ。あの魔道の密会とかいう組織が俺よりもこの子を警戒している理由がよく分かる。
「相談って? 何の話だ?」
「ちょっとこっちに来て、あの子みたいなやり方で話があるから」
そう良いながら手招くシャーリィの言う通りにして、俺は耳を彼女の口元に近づけるのだった――
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