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2.辺境の密会、魔女の耳は獣耳

Remember-51 ――/(無断で)踏み入る魔女の秘密

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 頭上から地上を照らしていた月光は、生い茂った森の中では届かない。唯一の光源は手にしたランタンだけだ。
 静かな村を通り抜けて山奥の森をある程度歩いた頃、休憩のつもりで足を止めて大きく空気を吸い込んだ。温まった体に冷たい外の空気が心地良く馴染む。

「ハァ、ハァ……結構長く歩いた気がするよ。足場が悪いから転ばないよう神経使う分疲れるな」

 シン……、と静寂に声が溶け込む。
 ああ、そうだった。今俺のポケットの中に彼女は居ない。他愛無い会話のつもりで口にした言葉も今はただの独り言に成り下がってしまう。

「……ッ!」

 パチン、と頬を両手で叩いて意識を保とうとする。きっと疲れて意識がちゃんとしていないから、今みたいな独り言を口にしてしまったのだろう、と歯を食いしばって痛みを紛らわす。

(……こんなことをしてる場合じゃない。行こう)

 木の根に足を取られないようにランタンで照らしながら、慎重に暗い森を進む。昼間は涼しい木陰に感じられたこの森も、夜になると不気味な雰囲気を感じてしまう。まさしく魔女の住む森だ。
 ……俺は今、その魔女――アザミさんの秘密について勝手に迫ろうとしている。自分を自覚した異世界で目を覚ましたあの時から信用してきた直感が、今じゃないと駄目な気がしたからここまで歩いてきたのだが、本当にこんなことをして良かったのかと迷いが頭の片隅に居座っていた。

「……やっとこさ着いた」

 はぁ、と薄く白い息が視界を覆う。窓から明かりが漏れているからまだ家主は起きているらしい。

「……アザミさん、居ますか。ユウマです」

 三度大きめのノックをして声をかける。
 ……返事は無い。戸の向こうからは物音一つしない。どうやら今、家主は手が空いていないらしい。そうなれば家主が気がつくまで繰り返すか、日を改めて訪ねるべきなのだろう。
 ただ、なんとなくドアノブに手をかけてみると、呆気なく戸は開かれてしまった。

「――――」

 息を呑む。高揚感に近い緊張感で手の先がビリビリと痺れている感じがする。その指先の震えに任せて、俺は戸を完全に開いた。
 室内は明かりが灯っているのに無人だ。いや、家の何処かには居るのだろうけどこの部屋には居なかった。

「……すみません、アザミさん」

 小さく謝罪の言葉を呟きながら室内に入って戸を閉める。その言葉を口にする意味など無いけれど、罪悪感はそれだけで少しだけ引っ込んだ。
 ネーデル王国の城の時といい、夜間にこんな感じに忍び込んでばかりな気がする。今回は忍び込むのではなく、ここの家主に会うのが目的なのだが。

 昼間にも少し見たが、相変わらず散らかっている部屋だ。何台か置かれているテーブルの上には何かを記した紙とかよく分からないガラス製の道具が隙間なく置かれている。
 雰囲気から直感的に言うなら、ここは何かの実験室か、あるいは工作室のように感じられた。

「こんな時、ベルが居てくれたら何か分かったのかもしれないけど……」

 通りすがりに設計図のような紙の表面を撫でながら、ポツリと呟く。
 ……アザミさんはこの奧に居るのだろう。彼女に会って、“あの時”の件について聞かなければならない。そしてそれは、今――シャーリィとか他の人が居なくて、相手に言い訳を用意する時間を与えない――この状況、この時でなければ叶わない。
 だから俺は、緊張で早まる鼓動を押し殺して、奧に足を進めた。

(客室は確か、この突き当たりの部屋だったかな……)

 それ以外の部屋を知らないから、もう行き当たりばったりな方法で訪ねるしかない。別に隠れて秘密を暴こうだとか、何かを盗み出す訳じゃない。堂々と声をかけながら歩いて行けば、いずれ彼女に会えるだろう。

(……? 物音がした……?)

 微かな物音に足が止まる。聞こえたのはほんの数歩先にある戸の向こうから。
 恐らくだが、この先にアザミさんが居るのだろう。俺は戸の前に立って戸に手をかけ――ようとしたところで、ふと冷静になった。

(……勝手に家に入り込んで、ここで突然戸を開けて入るのはどうなんだろうか)

 もしも自分がそんなことをやられたら酷くビックリすると思う。
 その上、“お前の隠していることを話してくれ”だなんて問い詰められたら――うーん、さては今から俺がやろうとしていたこと、良くないことだな?

(……ここから声をかける……のも驚かせるよな。一回出直すべきか……? ま、マズイ、どうすりゃ良いのかわからなくなったぞ)

 駄目だ、もしかしなくても俺はベルが居ないと決断力と判断力がてんで駄目だ。どうすれば良いのか分からなくて体が固まってしまう。
――そんな躊躇をしていた隙に、ガラリと引き戸が向こう側から開かれた。

「え――――」
「――――あ」

――空気が静止した。お互いバッタリと、こんな状況で出会ってしまって誰一人として身動きが取れない。
 唯一、彼女の濡れた髪から滴り落ちている水滴だけがこの場で動ける存在だ。

 ……分かりやすく、包み隠さず現状を表現しよう。目の前には、タオル一枚で体を包んだだけのアザミさんの姿があった。湯気のような熱気を肌で感じるから、どうやらついさっきまでお湯に浸かっていたらしい。
 ……詰まるところ、風呂上がりのとても無防備な姿を彼女は晒していた。

「……ゆ、ユウマ……さん……?」
「…………」

 呆気を取られた。俺の視線はすっかり釘付けになっていた。

 艶やかな毛並み。髪の毛ではない、言うならば四足の獣の尻尾。
 彼女の背後――腰ぐらいからだろうか――から出ているそれは、ゆらりと揺れ動いている。

「……その、頭」

 そしてなにより、彼女の頭の上にはまさしく、獣のような三角形の耳が生えていて――

「――――き」

 震えるように息を吸い込んで、アザミさんは小さく声を漏らす。

「――――うっ」
「ッ……? んえ、えっと……ユウマさん……?」
「うおぉおわぁああああああどッ、動物の耳と尻尾がぁああ――!?」
「き……きゃあああ!? なっ、なんでユウマさんの方が悲鳴を上げてるんですかーッ!?」



 ■□■□■



「……それで私の家へ訪ねに来た、という訳なんですね」

 ……場所は変わって、今朝も入った草の匂いのする客室。あれからアザミさんは着替えを済ませて、生地の薄い和服を着て対面に座っていた。

「はい……今更ですけど、色々と冷静じゃなかったと思います。もっとこう、良いやり方があっただろうに……すみません。いや、ほんっっっとすみません……」
「あわわ、そんなに謝らなくて大丈夫ですよ! ……コホン、一先ず先程の件は水に……は流せませんよね……あはは」

 話によると彼女は寝る前に湯浴みをしていて、俺がその直後に出会わせてしまった……という感じらしい。その姿を見てしまったこと、無断で家に入った事に関しては意外にも怒ってはいない様子……だが、

「……あの時、帽子に手を伸ばした時に距離を取ったのは“それ”を隠すためだったんですね」
「……はい。悪気はなかったのですが、つい体が動いてしまったと言えばいいのでしょうか……気を悪くしてしまったのなら、すみませんでした」

 今の彼女は室内だろうと脱がなかった魔女帽子を被っていない。その頭の上には大きな獣の耳が二つ、ぴょこんと生えていて時折動いていた。
 そして、腰の部分からは獣の尻尾が生えていて――和服には尻尾を通す専用の穴が空いているらしい――こちらも同様に飾りなどではなく、彼女の意思で揺れ動いている。

「獣の、耳?」
「はい。本物です。動かせますよ」
「え、ええ。さっきから動いてますね……頭の耳も尻尾も……」

 頭の上に生えた耳はピョコンと主張し、尻尾を指さすとフワリと波打つように動いて主張していた。
 見慣れないモノだからついつい視線で動きを追ってしまうが、それでは埒があかないのでキチンと彼女の目を見て会話を再開する。

「ちなみに聞きたいんですけど、どうして隠していたんですか? 何かしら見せたくない事情があるとだけでも話してくれていれば、こんな変に詮索することも無かったと言いますか……ああいや、違うッ、アザミさんのせいだって言いたい訳じゃなくて……ええっと」

 ……そもそも、こんなの人の家に断りなく入っておきながら言える台詞じゃないのだが。

「私がこの耳と尻尾を隠していたのは、単に不要な混乱を避けたかったからです」
「? まあ確かにビックリはしましたけど……流石に混乱まではしないのでは?」
「……転生者伝説の話を思い出して下さい。“多大な加護より生まれし、獣の証を持ちうる人”――その獣人族の話を」
「……? いや、すいません。そもそもその転生者伝説? ってやつを俺はよくわかってないんです。なんだっけ……世界の混乱を正して言語を統一した~って部分は何度か聞いてるんですけど、それ以外の話はこれっぽっちも」

 シャーリィが何度か話していた記憶がある。が、話していたこと以上の内容を俺は知らない。
 その転生者伝説に獣人族ってのが関わっている話も、そもそもそんな種族が存在していたことも今初めて知った。そもそも種族って概念自体を今初めて知――いや、ギルドマスターが長耳族エルフだとか名乗ってた覚えがあるか。

「転生者伝説を……ご存じないのですか?」
「あー、ごめん。常識が無くて会話の成り立たない奴だって思うかもしれない。言い訳みたいになるけど実は俺、記憶喪失で色々忘れているみたいで……」
「あっ……い、いえ! そういうことを考えていた訳ではなく……記憶喪失云々は気になりますが、それは後で聞かせて頂くとして」

 両手を突き出してブンブンと慌てて振って否定を示しながら、アザミさんは話す。
 ……なんだろう、普段はお淑やかで清廉な印象なのに、慌てたり張り切ったりすると容易くボロが出ると言えば良いのか。

 彼女は本来、そんな性質の人らしい。表面上では恐らく、彼女が何度も口にしている“大和撫子”というものを振る舞っているらしいが。
 いや、表面上でしかまだ振る舞えていないから“見習い”を自称しているのか――

「そういうことなら、もっと早くユウマさんに打ち明かしていればよかったって思っていたんです。私一人で、変に緊張して話すのを怖がってて……あはは、馬鹿みたいですね」
「秘密を明かすのが怖いのは馬鹿じゃないと思いますよ。むしろ平然と後先考えずに記憶喪失だーって話す奴の方が馬鹿みたいじゃないですか?」
「……ふふっ、確かにそうかもしれませんね。それなら、お互いお馬鹿同士ってことで」
「お馬鹿か……よく相方に言われてますよ」

 そんな会話を交えてお互い笑みを浮かべる。
 後ろめたさ故にお互い取っていた、たった一歩の間合いをようやく踏み出して近づくことが出来たような、そんな雰囲気。
 確かにシャーリィの言う通り、アザミさんは秘密を隠していた。でもそれは、彼女なりに考えた上で我々のことを思っての判断なのだと、今この会話で確信した。

「……アザミさんがもし良かったらですけど、シャーリィともこんな感じに仲良くしてあげてください」
「シャーリィさんとも、ですか? 私は別に拒絶だとかそういうつもりで接した筈ではなかったのですが……まさか、そんな風に感じられてました……!?」
「ああいや、妙に律儀というか丁寧な人だな~とはシャーリィ共々感じていましたけど。そうじゃなくて、彼女の方がちょっとピリピリしていると言うか、今まで顔を合わせたことのない知人って立ち位置の相手に慣れてないと言えば良いのかな……」
「あー、シャーリィさんのお気持ちはちょっと分かりますね……実際に会ってビックリしましたし、距離感が掴みにくい感じとか分かる気がします」

 王族云々もあるだろうが、それとは別に、なまじ相手についてある程度知っているせいで初対面でもはじめましてから関係を始められないのだろう。
 話すことも精々“以前からお世話になってます”とか、そんな感じで関係を一気に踏み込むことができないんだろうなぁ……なんて、彼女たちの関係を横から考察してみたり。

「そうでしょうね……でもどうか、俺からわざわざ言うような――そもそも、俺が口出しできる用件じゃないんだろうけど、そうだとしてもシャーリィのことをお願いします」
「……ユウマさん」
「シャーリィはアザミさんのことを――いや、なんていうか……その、とにかく仲良くするにはアザミさんの方から動いて貰わないと難しいみたいですから」

 ……うっかり、シャーリィがアザミさんを懐疑的な目で見ていることを話しそうになって、うやむやな言葉で締める。
 もしかしたら今ので何かを悟られたのでは、と彼女の目を盗み見るが、アザミさんはとても穏やかな目をしていた。懐疑も推測も無い、あたたかなものを見る目だ。

「……シャーリィさんのこと、大切に思ってらっしゃるんですね」
「それは……うん、大切に思ってる。俺とベ……いや、俺は無くした記憶を取り戻すのが目的ですけど、それとは別に彼女の掲げている理想……目的の力になりたいと思って、こうして一緒に旅をしているんです。彼女は俺の転生使いとしての力を求めていて、俺は彼女のこうして各地を回れる足を求めている……そんな利害の一致って感じで」

 それは、偶然それぞれが求めているものを相手が持っていたから。
 俺とベルは彼女の旅に記憶を取り戻す可能性を見出して、シャーリィは俺に転生使いとしての存在を求めていた。

 ……だけど、それだけじゃなくて俺は彼女の在り方に惹かれたんだと思う。そうして彼女の裏の弱さも知って、だからこうして俺はここに居るんだと思う。

「そうでしたか……はい、そうですね。ユウマさんが折角そう話してくださったことですし、私も仲良く出来るよう明日色々話してみようと思います」
「! ありがとうございます」
「打ち解け合うためにもまず、この耳と尻尾について話してみたりして……あっ、今日のことは後でユウマさんの口からシャーリィさんへ話しても構いません。あの大和撫子見習いは、実は獣人族なんだー! って」
「ん、状況に応じて話したり話さなかったりします。実は俺、シャーリィ達に何も伝えずこっそり来ちゃったので、お説教されてアザミさんのことを話す暇が無いかもしれない」

 冗談交じりの言葉と受け取ったらしいアザミさんは微笑ましそうに笑みを浮かべて、一方俺は苦笑いを浮かべるのだった。いや冗談でもなく実際そうなってもおかしくないんですよ、はい。

 シャーリィだけじゃなくてベルからも怒られて二倍説教を受けることになるかもしれないし。正直この後が怖い……

「……ユウマさん。シャーリィさんと打ち解け合うために、一つお願いをしても良いでしょうか」
「? 打ち解け合うためのお願いって?」
「シャーリィさんにこの手紙を渡して欲しいのです。やっぱり私達はこのやり方が一番話しやすいので……」
「手紙……? ああ、わかりました。渡しておきます……説教されながらでも渡すだけならできると思いますから」

 アザミさんからのお願いを快諾して手紙を受け取る。シャーリィにガミガミと説教されながら、恐れおののきながら手紙を差し出そうとする自分の姿がイメージできてしまったが、今は関係のない話だ。

 ……と、手紙を受け取ったが、アザミさんはまだ何かを言いたそうな様子で俺を見つめている。ので、遠慮せずどうぞと会話を促す。

「えっと、ユウマさん。もし、もしも良かったらですけど、私のことはどうか“アザミ”と呼び捨てにしてください。言葉遣いも丁寧なものじゃなくて結構です。シャーリィさんと仲良くなりたいですが、私はユウマさんとも仲良くしたいですから」

 こうして打ち解け合えた友好の証みたいなものだろうか。彼女は少し照れくさそうに頬を人差し指で掻きながら、そんな提案をしてくれた。
 ……その言葉は素直に嬉しい。最悪、彼女の秘密に迫ろうとして関係が悪くなる可能性だって考えていたのだ。というか不法侵入と覗きはとっても悪い事だ。
 だからこそ、彼女からそんな言葉を聞けて心から“良かった”と思えた。

「うん、改めてよろしく、アザミ。……あ、そうだ。それなら俺の名前もユウマって呼び捨てにしてやってくれないか? ほら、対等にさ」
「あっ、それは駄目です」

 ガクッ、と思わず頭が一瞬落ちた。アザミの返事はまさしく迷いのない素の反応だった。もしかして先程の一件で微妙に距離を置かれてたり……?

「……対等なのは駄目だった?」
「殿方を呼び捨てにするだなんて、私の信条が許せませんので」
「……えっと、何。それってアレか、ナントカ撫子ってやつ」
「はい、大和撫子です。その見習いですので」

 こちらの杞憂なんて知らない様子で、そういうところはしっかりと線引きし自律しているアザミだった。
 そもそもの意味をよく理解していないのもあるけど……大和撫子、結局今の今までよく分からんなぁ。
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