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1.王女と異世界と転生使い
Remember-35 “流転者”/牙を剥く世界の仕組み ⭐︎
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目の前に広がる金属の建設物。まるで王国の城のようなその圧倒的な存在感を前に、俺は思わず圧巻されていた。
「これは……人が作ったのか?」
『どう、なんだろう……こんなに立派で大きな建物』
恐る恐る近付いて柱に触れてみる。表面の灰色の塗装がパラパラと剥がれ、赤と鉛色の混ざった金属が剥き出しになる。
「うわっ、汚い汚いえんがちょ」
『どこで知ったんだそんな言葉』
「ギルドマスターが排水溝のヌメリを取りながら言ってた。本当にコレ、金属だ……多分屋根も壁も……」
『こんなもの……しかも大規模な建物、一体どうやって』
「……なあベル、異世界って一体何だろうな」
指に付いた鯖を払い落としながらベルと共に建物を観察する。金属ってのは加工が難しい上に高価だと聞く。強度や耐久性が欲しいところに使うものであって、建物全てに使うのは初めて見た。
『異世界がなんなのか、だって?』
「ああ。なんて言えば良いのか分からないけどさ、とにかく普通じゃないよな。死んだら流転するとかは置いといて、こういう全く知らない世界が出来ている」
『それは……確かに思った。異世界の性質も異常だが、どうしてこんな建設物が出現するのか……誰からも説明を受けていないし、理由も見当が付かない』
「そういや、シャーリィも色々な異世界を見たとか言ってた気がする……そうだとすると、この建物も本来は存在しなかったモノなんだろうな」
金槌で叩いた跡も歪みもない精巧な鉄柱と、それを固定する精密に造られた釘のような金属部品たち。よくよく観察してみれば見るほど、本当に人が作った物なのかと疑わしくなる。
「――この建物の中身はよくわからん設備が大量にある。下手な貴族の住居よりもデカいが、どうやらこれは工場らしい」
「……! ベルホルト!」
不意にかけられた声の方向を見ると、金属の板と無骨な柵で作られたベランダのような場所から、見下ろすようにベルホルトが待ち構えていた。俺は咄嗟に斧を取り出――すのは止めておこう、危ない危ない。異世界で殺傷沙汰は駄目だ。
『ユウマ、どうする?』
「……正直困った。無傷で捕らえる手段が思い浮かばないし、万が一の時に天井壊して塞ごうにも天井が無いとは思わなかったから……」
殺傷能力の無い魔法は豊富にある。だが、殺傷せずに捕らえる魔法は……考えてみればほとんどない。水に形を与えて粘性を持たせればできるかもしれないが、この辺りに水は見当たらないので使えない。
「……少々乱暴な手だが、気絶させて引っ張り出すしか」
「何を小声で呟いているんだ? あのお嬢さん――国王の娘さんはやっぱり来なかったのか」
カンカン、と金属特有の足音を鳴らしながらベルホルトは演説のようにその場を歩く。
……駄目だ、ここからだと少し遠い。ベルホルトの居る場所に繋がっている階段が見えるが、そこまではかなり離れている。
(跳べば届くか……? でもあの高さまで跳ぶ自信は正直……)
階段からベルホルトの位置までの道筋を目で辿ると、ベルホルトは三階ほどの高さに居ることが分かった。二階なら魔法の攻撃も転生した状態の跳躍も届くが、三階までの高さになると……無謀なマネは止めた方が良いかもしれない。
「見た感じ疲れ切っていたからなぁ。流石に魔法使いでも無理なものは無理なんだな」
「……ああ、それだ。さっきからそれについて聞きたかったんだ。お前は転生使いじゃないのか? どうして異世界の中でも平然と動き回れている」
「転生使い? ……まあいい、魔道具って知ってるか? 道具そのものに魔力を込めてあって、言うならば道具に魔法を使わせるって代物なんだ。この生命力が枯渇した世界は踏み入った生物から魔力を奪い殺す……らしい。つまり、魔道具に魔力の消耗を肩代わりしてもらえば、俺みたいな魔法とは無関係の人間でも、この異世界でも幾らか動ける」
――日光や大地の生命で溢れてる自然と比べて、スモッグ内部は活気とか生命力が全く無いの。だから普通の環境よりも体力を消耗しやすくなるから気をつけて――
以前、異世界に迷い込んでいた時にシャーリィに言われた言葉。そして、この異世界に突入した際の騎士兵の姿を思い出す。ベルホルトが今言ったことが事実なら、今まで謎のままだった疑問の点と点が繋がった……気がする。
……そして、その肩代わりとやらをしているのは、やはり。
「……やっぱり、その本か」
「ああ、さっきお前達が相手した連中にも、ギリギリまで生存できるようにコイツの切れっ端を持たせていた。コレがお前さんの気にしていた“タネ”だが……納得したか?」
表紙の無い本を取り出しながらベルホルトは律儀にも説明する。道具に魔法を使わせる……魔道具? 言われてもピンと来ないのだが、俺を屋根に叩き落としたことを思い出せば、アレが如何に危険な存在かよく分かる。
「魔法と言ったけど、一体なんの魔法だ? あの時は背中向けてたから見えなかったけど」
「命が惜しくないのなら見せてやっても良い。どうする?」
「……ベルホルト、こんな危険な場所に逃げ込んでまでして、そういうお前こそ命が惜しくないのか」
“空”を握る。痛いぐらいの緊張感が肌を焼くように感じる。
このまま中身の無い会話が続きそうな雰囲気だったのに、一歩でも動けば殺し合いでも始まりそうな空気だ。
呼吸を整えて何時でも転生出来るように備える。ここから一番近い階段まで……ある程度の距離。階段を駆け上がるのにほどほどの時間、そこからベルホルトの場所までそこそこの距離……ああクソ、俺にもちゃんとした距離感が欲しい。見ただけじゃそれぐらいしか俺には分からない。
「…………ッ!」
その場で伏せるように、包丁を引き抜いて転生する。ほんの僅かに遅れて頭上から紙を引き千切る音が聞こえて、ベルホルトの攻撃が間もなく来ることを理解した。
(今度は背中を向けない――!)
足をバネのように伸ばして後方に跳ぶ。その直後、俺が立っていた場所のすぐ近くの鉄骨が破裂したかのような音を立てて一瞬だけ発光した。
『光――いや、雷か!?』
瞬きを繰り返して目の痛みを和らげながらベルホルトの姿を捉える。
アイツの手元、引きちぎった本のページが焼け焦げて黒い燃えカスになっているのが見えた。どうやらあの魔道具の本のページを一枚一枚引きちぎって使っているらしい。
『ユウマ! あれが本当に電撃なら、見て回避なんて出来ないぞ!』
「……さっきの雷は回避したんじゃなくて、雷自体が逸れたのか」
塗装の焼け焦げた鉄骨をチラリと横目で見る。さっきの雷は回避出来たのではなく、雷が俺ではなく鉄骨に流れたお陰なのだろう。そうなると、俺がベルホルトの場所まで距離を詰めるに必要なのは俊敏さではなく――
「出来るのは二回……十分か――ッ!」
俺はベルホルトの方ではなく、三階へ登る階段に駆ける。転生した身体能力なら瞬く間に階段まで走り抜けることが出来るだろう――だが。
「逃がすかよ!」
紙を引き裂く乾いた音。間もなく続く二撃目が来るのを予感して、俺は走る足を止めることなく、腰のベルトに差した斧に手を伸ばす。
「――ふッ!」
手にした斧を地面に向けて投擲し、その直後に俺は距離を取るように真横へ転がる。
受け身を取って起き上がるとほぼ同時に、ベルホルトの放った雷撃が地面に突き刺さった斧に流れ、破裂するような音と閃光を発しながら地面に拡散した。
「……! ヤロウ……」
……やっぱり、あの電撃はおおよその狙いは付けることが出来るみたいだが、狙った対象の近くに他の電気の流れる物体――鉄骨や金属製の斧のような――があると逸れる。だからこうして、雷の射線上に斧を避雷針のように地面に突き立ててベルホルトから大きく離れれば俺に命中することはない――!
(ッ、これなら三撃目より早く着く!)
ベルホルトが本からページを千切り取るよりも早く、俺は金属製の階段に足をかける。人一人が通れる程度の幅しかないので全力で駆け抜けることは出来ないが、それでも三、四段飛ばしに駆け上がる。
『ユウマ! 次が来る!』
振り返れば鉄骨の隙間からベルホルトが本からページを引き裂く姿が見える。そしてその表情には焦りが窺えた。状況は未だこちらが不利だが、それでもこの行動は確実にベルホルトを追い詰めつつある。
「ッ……! もう終わりだ!」
二階へ上がる階段の踊り場にさしかかった時点で、ベルホルトの必殺の宣言が響く。周囲は金属製でベルホルトの攻撃は確実に直撃しない。だが逆に直撃こそしないが金属に囲まれているため側撃を受けかねない。
「……高さは十分、面倒くさいからスッ跳ばす!」
俺は鉄の棒で造られた手すりへ身軽に跳び乗って電撃が飛んでくる直前に、宣言通り大きく上にスッ跳んだ。
「何――!?」
『うわわわわっ!?』
俺を見上げて驚くベルホルトと突然の事に慌てるベルの声。ベルホルトが放った電撃は階段に命中して四散するが、階段よりも高く跳んだ俺には何の影響も及ぼさない。
高く跳んだ俺はそのまま落下し、ベルホルトが居る場所と同じ三階に着地する。電撃とは違う痺れが走り抜けるが問題なく立ち上がる。
「……ユウマ……貴様」
歯を噛み締めながら俺を睨むベルホルトと向かい合う。距離こそ離れているが道のりは直線。左には建物の壁が、右は手すりがあるだけで、遮蔽物も回避出来るほどの幅もない。
まさに一騎打ちの状況――だけど、正直言って本当に一騎打ちしたらこっちが不利。どれぐらい不利かというと、こちらが攻撃するより先に俺が黒焦げ死体になるぐらいに。
「……やっと対等になった。地の利とかその辺諸々な」
「ッ、この――!」
ベルホルトは魔道具からページを強引に引き千切る。それとほぼ同時に俺は全力で距離を詰める――!
「はあッ!」
ベルホルトが雷撃を放つよりも早く斧を投擲する。風を振り払う音と共に横回転で飛翔した斧は弧を描いてベルホルト――に当たることなく金属製の建物の壁に突き刺さり、俺に狙いを定めて飛ばした電撃を代わりに受け流した。
「何!?」
束の間の動作で攻撃を無力化されたことにベルホルトは思わず驚愕の声を漏らす。だがそれだけで驚かれては困る。
俺は上着をなびかせて距離を踏み飛ばし、握り締めた拳を構えたままベルホルトに肉薄しようと――
『……! ユウマ駄目だ! あの男、もう一枚ページを持っている!』
「……そっか」
ポツリと反応してあと五歩も大きく踏み込めば届く位置で足を止める。左足を棒のように足場へ突き立てたが、濡れた金属製の床の上を足が僅かに滑った。だが、ちょうど良い間合いだ。
「今度こそ終わりだ! もうお前に避ける術は無い!」
ベルの言った通り、もう一枚の魔道具のページを隠し持っていたベルホルトが電撃を放とうとする。多分、強引に引き千切った時にベルホルトは二枚纏めて引き千切っていたのだろう。
避雷針に使った斧に電撃を誘導されないように、至近距離まで近づいた俺に確実に当てようとベルホルトは構える。ページは僅かに発光していて、間もなく電撃が襲いかかることがなんとなく察することが出来る。
「――――、ッ!」
乾いた目を瞼で潤わせて、その場から動かずに敵を凝視する。そして煌々と輝く電撃を、俺は右手を伸ばして真っ向から握り受け止めた。
「な、何……!?」
「おっとっと……雷ってよく見ると“流れ”そのものでさ、雷自身は明確な形を持っちゃいないんだ」
「ッ! ――ぐぅッ!?」
俺の右手からベルホルトの手にしていた魔道具のページを紐で繋ぐように伸びた電撃。まるでロープのようなそれを手首の動きだけで跳ね上げさせて、ベルホルトの体に巻き付ける。
電撃は形を持ったためか触れても感電せず、眩しい閃光も発していない。不思議な手触りをした白いロープのようになっていた。
「俺の記憶じゃ雷ってあっという間に流れるもんだと思ってたけど、お前の雷、すっトロいんだよ」
「これがッ……お前の魔法かッ……!」
苦しそうに呻きながらベルホルトは俺を睨みつける。形を持った雷で結ばれた右手も魔道具の本を持った左手も縛られて、ベルホルトはその場から一歩も動けていない。
「……終わりだベルホルト。意地を張るのはもう止めよう」
距離を保ったままベルホルトに降伏を促す。
アイツの腕は完全に封じられているからこれ以上あの電撃を飛ばすことは叶わない筈。ここまで追い詰めたなら、いい加減にベルホルトも――
「……ここまで生き抜くのに何人もの人々が死んだと思っているんだ。いいや、俺すら知らない程の人数が死んでいるんだ」
「……? 何を」
「お前らギルドに、王国に、俺たちが幾ら切り捨てられたと思ってるんだ……今更仲間を、家族を、見捨てて降伏できるかよ」
呪怨の込められたような呟き。俺に対する返事なのに、まるで自分に言い聞かせるようにベルホルトはブツブツと口にする。
目の色は相変わらず諦めていない……それどころか、今までお気楽な顔をして隠していたらしい、強い憎しみを表に出している。
「……なあ。さっき俺に命が惜しくないのか、なんて聞いたよな」
呟きと同時に、力の抜けたベルホルトの左手から魔道具の本が音もなく落ちる。それを目で追ったその時、視界の端でベルホルトが笑うように口をニヤリと開いた。
「ああ、当然だろ。悪魔に命を投げ渡すことだって、これっぽっちも惜しくないのさ――!」
「!? 何をして――」
手から落ちた魔道具をベルホルトは足の甲で蹴り上げ、あろうことかその魔道具の本に大きく口を開けて噛み付き、ページを雑に束で引き裂いた。その直後、魔道具のページから点滅するような閃光が――
『! ユウマ逃げろ! 電撃が来る!』
「ッ、クソ……!」
予想外の出来事に驚いたが、ベルの呼びかけでこのままだと危険だということだけは理解できた。俺は雷のロープを捨てて、手すりを蹴って三階から大きく跳び降りて距離を取る。
距離を取りすぎているかもしれないが、もしかすると自爆覚悟の攻撃かもしれない――と、自分があの立場だったらやりそうな行動のイメージが浮かんでしまった。故に、逃げるように離れる。
「今からお前らをぶっ殺す! こんなクソみてぇな世界、怪物に成り果ててでもぶっ壊してやる――!」
空中で後方を振り返ると爆発寸前の危険物を抱えたベルホルトが、火花に身を焼かれながらも親の仇のような表情で呪いのようにそう叫ぶ姿が見える。しかしその直後、今までの中で最も強い閃光に包まれた。
「――ぐ!?」
魔法で空気のクッションを作ったものの、その後はゴロゴロと転がり倒れる。
地面にべったりと張り付くように倒れている俺の背中の上を爆音と衝撃波が通り過ぎる。
「ッ、ケホ……ベ、ベルホルトは……どうなった……」
『分からない……でも今のは自爆、なのか……?』
「……いや、自爆なんかじゃない……多分もっと最悪な……」
魔法で土煙を払いながら立ち上がる。さっきまでいた場所は真っ黒に焼け焦げ、壁には大穴が開き、熱のせいなのか衝撃波のせいなのか、手すりも歪んでいる気がして……問題のベルホルトの姿はやはり無い。
避雷針として地面に突き刺していた一本目の斧、周辺に落ちていた二本目の斧を拾い上げながら建物の様子を伺うが、不気味なぐらい静かだ。風の音しか聞こえてこない……が、それも不愉快な音でかき消えた。
「……! なんか嫌な音がする」
『ッ、なんだろこの音……耳に響く』
金属と金属が力強く擦れ合う音だろうか。耳を塞ぎたくなるような不快な音に耐えながら、音の発生源であろう建物の中を睨み続ける。少なくとも人陰ではない……巨大な何か、未知の物体……? が建物に開いた大穴から覗き見える。
『ひっ……!?』
「……これが……本当に」
轟音と共に剥がれ落ちる建物の壁の向こう側に見えた“それ”を見て、弱気にもこの状況を絶望的に感じてしまう。
何に使うのか分からない金属製の巨大な部品を節操なく掻き集めて繋ぎ合せたような歪な姿。道中で会った木製の怪物を、更に大きくして金属製にしたようなそんな外見。
……霧の中で青色の光が――偶然か、ベルホルトの瞳と同じ色だ――一点、輝いていた。
「ゴ、ゴガ――██████ァァァアアアア……」
「本当に……ベルホルト、なのか……?」
……流石にゾッとした。さっきまでなら呑気な会話だって出来ていたのに、今では何も喋らず、全く別の“何か”に変わり果てたその姿は、自分以外の生き物を殺すことしか考えていない。何処から発しているか分からない呻き声も、一部は可聴域を通り越してしまっている。
「ァアア――████████████!!」
「ッ! がっ!?」
恐れていた事態を目にして判断が遅れた。
水蒸気を体のパイプから噴き出しながら、その怪物は鉄骨より何倍も太い腕を縦に振って俺ごと地面を叩き割ろうとする――直前でようやく危険に気がついた。
突然の攻撃に驚きながらも直撃を回避するが、衝撃で砕けた地盤に巻き込まれて破片と共に転がる。
「ッ……ペッ、なんつー馬鹿力……」
『大丈夫か!?』
「口ん中ジャリジャリする。いやしかし、本当に困り果てた……」
口の中の砂を吐き捨てながら額を流れる汗と血の混ざった液体を拭い取る。地面の欠片が掠ったのだろうか……? でも止血が必要なほど酷いものじゃないみたいだ。
それよりも、一体どうすれば良いのかが全く分からない……鋼鉄の怪物をどうすれば止める――いや、殺すことが出来るのか。手段が全く考えつかない。
「どうすれば良いんだ……あんな怪物」
『一先ずここは退こう! 考え無しに戦っても消耗するだけだ!』
「駄目だ! 逃げたらあの怪物がシャーリィや騎士兵の方に行くかもしれない――ッ、痛」
容赦なく襲いかかる怪物の薙ぎ払いを後方に跳んで回避する……が、相変わらず飛んでくる破片が馬鹿にならない。急所にでも命中したらそれだけで致命傷になりかねない威力だ。
何時までも受けに回っていたら不利になるだけでは済まない。ほんの小さな油断で死体がもう一つ増えかねない。
『逃げるんじゃなくて、この異世界で隠れるんだ。ここには隠れ場所が山のようにあるからそれを利用しよう』
「建物……確かにあの怪物、俺を殺すことしか考えてないみたいだ。見失っても執念深く探してくるかも……それなら外に出ない、と思う」
『それに遮蔽物の多い建物側なら、さっきから飛んで来るこの破片も遮られるだろう』
「その案、乗った……ッ!」
魔法で足下に空気を集めながら、視界を遮る邪魔な前髪を掻き上げる。
どうやって一度怪物の視界から隠れるか……ベルの提案した通り、この状況を立て直すには城のような鉄の建設物を活用する他ないだろう。
次の一撃が来るより先に足下で圧縮していた空気を拡散させる。先程の攻撃で怪物が砕いた地面の砂埃が舞い上がり、濃霧のように俺の姿を包み隠す。
「――ッ!」
砂埃から跳び出して階段を目掛けて駆け抜ける。確かにあの怪物の一撃一撃は重く、周囲にいるだけでも被害を受ける程のものだが、攻撃そのものはシンプルだ。射程範囲から出てしまえば冷静に考える時間は作れる。
『まだ建物の中には入らない方が良い! 内部で迷ったりしたら追いつかれるぞ!』
「ああ! 屋根や外の通路に跳んで逃げる!」
相手は邪魔なら建物を構わず壊して襲ってくるような怪物だ。中がどうなっているか分からない建物の中に逃げ込んで、うっかり袋小路なんかに追い詰めらりなんてしたら……まあ、呆気なく一巻の終わりだろう。
やることは反ギルド団体での戦いと同じ。敵の攻撃の届かない場所で飛び回り時間を稼ぐ。で、今回はそれに身を隠すことが加わっただけ。それなら俺にだって出来る……!
階段を駆け上がり、最上階で手すりに飛び乗る。ジャンプ台のように手すりに踏み込み、渾身の力で建物の屋根目掛けて飛び立った。
二階相当の建物の屋根に両手と膝を使って着地する。更にもう一階分高い屋根へ、もう一階分高い斜面を駆け上がり、ようやく怪物よりも高い位置を取ることが叶った。
「目標地点としては……あの煙突の向こうに逃げるか……」
『ユウマ、まだ動けるか?』
「疲れてきたけどまだまだなんとか――ッ、と!」
高所に居る俺に目掛けて怪物は攻撃を試みる。まるで血管のように鋼の腕に巻き付いた、金属と黒いゴムのようなもので出来た縄――金属の線をゴムが包み込んでいるような形だ――をムチのように建物へ叩きつけたが、難なく回避してみせる。
そのまま怪物から背を向けて走り出し、また手すりを踏み台にして飛び越えようと手を伸ばそうとして――
「――ッあ!? ぐが――!?」
ドン、と体の中に響く重み。
痛みや苦しみと判断する頭の機能がおかしくなった気がする。体は見えない何かに絞り上げられたみたいにミシミシと独りでに締まり、骨を砕こうとする。普段なら出せない程の力が自分の腕を壊そうとしていた。
(ッ、この手すりに何かが――)
手すりに触れた途端に信じられないほどの衝撃が駆け抜けた。だとすれば、原因は手すりにあると考えて俺は手を離そうとするが、腕がまるで言うことを聞かない。まるで違う何かに乗っ取られているみたいに腕は頑なに手を開かない。
「――ぁ――が、ッ――!」
声が出ない。喉や口も思うように――そもそも思考が真っ白だ――動かせない。理解が出来ない重みに自分の“何処か”が、このままでは死ぬとそんな物騒な予感を感じ取る。
(雷――体――流れ――形を――)
痙攣しながらも肺に空気を詰め込み――瞬間、既に“やるべき事”は終えていた。
余程追い詰められて無意識に転生し、魔法でも使ったのか、手すりにはアーチ状に俺の手の上を跨いで流れる電撃があった。
我ながら信じられないが、器用にも手すりに流れる電撃に形を与えて、俺の腕に流れ込まないように操作したのか……?
「ッ――は、ハァ! ハァ! ッ、ハァ……ゲホッ」
『大丈夫か!? ユウマ! ユウマァ!』
手すりから手を離した拍子に、ふらついて倒れそうな足にガラスを握り締めながら活を入れて耐える。
頭の中は冷静な癖に、体の方は滅茶苦茶な状態だ。せき止められていた冷や汗がドッと全身から流れ、足から肩まで感覚が淡い気がする。視界もチカチカと痛い。
……唐突な出来事に理解が追いつかないが、そんなことは後回しだ。今はとにかく逃げるのが先……!
(あの怪物、電撃を使ってくる……そしてここは金属の建物……ッ、ここにいるのは……マズい……!)
呼吸は騒音のように乱れたままだが少しぐらい体は動く。俺はベルに答える余裕もなく、三階の窓を捨て身の体当たりで突き破って転がり込んだ。
建物の中は危険だと話したばかりだが、それ以上にあの場は危険だ。また何処かから電撃が体に流れ込んでくるかもしれない。
「ハァ……ハァ……逃げないと……一度立て直さないと……」
『パッと見だが……あの怪物はお前を見失ってるように見えた! 今のうちだ!』
感覚が薄れた足は使い物にならない。腹這いになって、魔法で腹の下に空気のクッションを作り、床の上を僅かに浮いて滑るように建物の中を移動する。
……外から聞こえてくる怨念のような怪物の叫び声を気に留めることなく、俺は背中を向けて身を隠した――
「これは……人が作ったのか?」
『どう、なんだろう……こんなに立派で大きな建物』
恐る恐る近付いて柱に触れてみる。表面の灰色の塗装がパラパラと剥がれ、赤と鉛色の混ざった金属が剥き出しになる。
「うわっ、汚い汚いえんがちょ」
『どこで知ったんだそんな言葉』
「ギルドマスターが排水溝のヌメリを取りながら言ってた。本当にコレ、金属だ……多分屋根も壁も……」
『こんなもの……しかも大規模な建物、一体どうやって』
「……なあベル、異世界って一体何だろうな」
指に付いた鯖を払い落としながらベルと共に建物を観察する。金属ってのは加工が難しい上に高価だと聞く。強度や耐久性が欲しいところに使うものであって、建物全てに使うのは初めて見た。
『異世界がなんなのか、だって?』
「ああ。なんて言えば良いのか分からないけどさ、とにかく普通じゃないよな。死んだら流転するとかは置いといて、こういう全く知らない世界が出来ている」
『それは……確かに思った。異世界の性質も異常だが、どうしてこんな建設物が出現するのか……誰からも説明を受けていないし、理由も見当が付かない』
「そういや、シャーリィも色々な異世界を見たとか言ってた気がする……そうだとすると、この建物も本来は存在しなかったモノなんだろうな」
金槌で叩いた跡も歪みもない精巧な鉄柱と、それを固定する精密に造られた釘のような金属部品たち。よくよく観察してみれば見るほど、本当に人が作った物なのかと疑わしくなる。
「――この建物の中身はよくわからん設備が大量にある。下手な貴族の住居よりもデカいが、どうやらこれは工場らしい」
「……! ベルホルト!」
不意にかけられた声の方向を見ると、金属の板と無骨な柵で作られたベランダのような場所から、見下ろすようにベルホルトが待ち構えていた。俺は咄嗟に斧を取り出――すのは止めておこう、危ない危ない。異世界で殺傷沙汰は駄目だ。
『ユウマ、どうする?』
「……正直困った。無傷で捕らえる手段が思い浮かばないし、万が一の時に天井壊して塞ごうにも天井が無いとは思わなかったから……」
殺傷能力の無い魔法は豊富にある。だが、殺傷せずに捕らえる魔法は……考えてみればほとんどない。水に形を与えて粘性を持たせればできるかもしれないが、この辺りに水は見当たらないので使えない。
「……少々乱暴な手だが、気絶させて引っ張り出すしか」
「何を小声で呟いているんだ? あのお嬢さん――国王の娘さんはやっぱり来なかったのか」
カンカン、と金属特有の足音を鳴らしながらベルホルトは演説のようにその場を歩く。
……駄目だ、ここからだと少し遠い。ベルホルトの居る場所に繋がっている階段が見えるが、そこまではかなり離れている。
(跳べば届くか……? でもあの高さまで跳ぶ自信は正直……)
階段からベルホルトの位置までの道筋を目で辿ると、ベルホルトは三階ほどの高さに居ることが分かった。二階なら魔法の攻撃も転生した状態の跳躍も届くが、三階までの高さになると……無謀なマネは止めた方が良いかもしれない。
「見た感じ疲れ切っていたからなぁ。流石に魔法使いでも無理なものは無理なんだな」
「……ああ、それだ。さっきからそれについて聞きたかったんだ。お前は転生使いじゃないのか? どうして異世界の中でも平然と動き回れている」
「転生使い? ……まあいい、魔道具って知ってるか? 道具そのものに魔力を込めてあって、言うならば道具に魔法を使わせるって代物なんだ。この生命力が枯渇した世界は踏み入った生物から魔力を奪い殺す……らしい。つまり、魔道具に魔力の消耗を肩代わりしてもらえば、俺みたいな魔法とは無関係の人間でも、この異世界でも幾らか動ける」
――日光や大地の生命で溢れてる自然と比べて、スモッグ内部は活気とか生命力が全く無いの。だから普通の環境よりも体力を消耗しやすくなるから気をつけて――
以前、異世界に迷い込んでいた時にシャーリィに言われた言葉。そして、この異世界に突入した際の騎士兵の姿を思い出す。ベルホルトが今言ったことが事実なら、今まで謎のままだった疑問の点と点が繋がった……気がする。
……そして、その肩代わりとやらをしているのは、やはり。
「……やっぱり、その本か」
「ああ、さっきお前達が相手した連中にも、ギリギリまで生存できるようにコイツの切れっ端を持たせていた。コレがお前さんの気にしていた“タネ”だが……納得したか?」
表紙の無い本を取り出しながらベルホルトは律儀にも説明する。道具に魔法を使わせる……魔道具? 言われてもピンと来ないのだが、俺を屋根に叩き落としたことを思い出せば、アレが如何に危険な存在かよく分かる。
「魔法と言ったけど、一体なんの魔法だ? あの時は背中向けてたから見えなかったけど」
「命が惜しくないのなら見せてやっても良い。どうする?」
「……ベルホルト、こんな危険な場所に逃げ込んでまでして、そういうお前こそ命が惜しくないのか」
“空”を握る。痛いぐらいの緊張感が肌を焼くように感じる。
このまま中身の無い会話が続きそうな雰囲気だったのに、一歩でも動けば殺し合いでも始まりそうな空気だ。
呼吸を整えて何時でも転生出来るように備える。ここから一番近い階段まで……ある程度の距離。階段を駆け上がるのにほどほどの時間、そこからベルホルトの場所までそこそこの距離……ああクソ、俺にもちゃんとした距離感が欲しい。見ただけじゃそれぐらいしか俺には分からない。
「…………ッ!」
その場で伏せるように、包丁を引き抜いて転生する。ほんの僅かに遅れて頭上から紙を引き千切る音が聞こえて、ベルホルトの攻撃が間もなく来ることを理解した。
(今度は背中を向けない――!)
足をバネのように伸ばして後方に跳ぶ。その直後、俺が立っていた場所のすぐ近くの鉄骨が破裂したかのような音を立てて一瞬だけ発光した。
『光――いや、雷か!?』
瞬きを繰り返して目の痛みを和らげながらベルホルトの姿を捉える。
アイツの手元、引きちぎった本のページが焼け焦げて黒い燃えカスになっているのが見えた。どうやらあの魔道具の本のページを一枚一枚引きちぎって使っているらしい。
『ユウマ! あれが本当に電撃なら、見て回避なんて出来ないぞ!』
「……さっきの雷は回避したんじゃなくて、雷自体が逸れたのか」
塗装の焼け焦げた鉄骨をチラリと横目で見る。さっきの雷は回避出来たのではなく、雷が俺ではなく鉄骨に流れたお陰なのだろう。そうなると、俺がベルホルトの場所まで距離を詰めるに必要なのは俊敏さではなく――
「出来るのは二回……十分か――ッ!」
俺はベルホルトの方ではなく、三階へ登る階段に駆ける。転生した身体能力なら瞬く間に階段まで走り抜けることが出来るだろう――だが。
「逃がすかよ!」
紙を引き裂く乾いた音。間もなく続く二撃目が来るのを予感して、俺は走る足を止めることなく、腰のベルトに差した斧に手を伸ばす。
「――ふッ!」
手にした斧を地面に向けて投擲し、その直後に俺は距離を取るように真横へ転がる。
受け身を取って起き上がるとほぼ同時に、ベルホルトの放った雷撃が地面に突き刺さった斧に流れ、破裂するような音と閃光を発しながら地面に拡散した。
「……! ヤロウ……」
……やっぱり、あの電撃はおおよその狙いは付けることが出来るみたいだが、狙った対象の近くに他の電気の流れる物体――鉄骨や金属製の斧のような――があると逸れる。だからこうして、雷の射線上に斧を避雷針のように地面に突き立ててベルホルトから大きく離れれば俺に命中することはない――!
(ッ、これなら三撃目より早く着く!)
ベルホルトが本からページを千切り取るよりも早く、俺は金属製の階段に足をかける。人一人が通れる程度の幅しかないので全力で駆け抜けることは出来ないが、それでも三、四段飛ばしに駆け上がる。
『ユウマ! 次が来る!』
振り返れば鉄骨の隙間からベルホルトが本からページを引き裂く姿が見える。そしてその表情には焦りが窺えた。状況は未だこちらが不利だが、それでもこの行動は確実にベルホルトを追い詰めつつある。
「ッ……! もう終わりだ!」
二階へ上がる階段の踊り場にさしかかった時点で、ベルホルトの必殺の宣言が響く。周囲は金属製でベルホルトの攻撃は確実に直撃しない。だが逆に直撃こそしないが金属に囲まれているため側撃を受けかねない。
「……高さは十分、面倒くさいからスッ跳ばす!」
俺は鉄の棒で造られた手すりへ身軽に跳び乗って電撃が飛んでくる直前に、宣言通り大きく上にスッ跳んだ。
「何――!?」
『うわわわわっ!?』
俺を見上げて驚くベルホルトと突然の事に慌てるベルの声。ベルホルトが放った電撃は階段に命中して四散するが、階段よりも高く跳んだ俺には何の影響も及ぼさない。
高く跳んだ俺はそのまま落下し、ベルホルトが居る場所と同じ三階に着地する。電撃とは違う痺れが走り抜けるが問題なく立ち上がる。
「……ユウマ……貴様」
歯を噛み締めながら俺を睨むベルホルトと向かい合う。距離こそ離れているが道のりは直線。左には建物の壁が、右は手すりがあるだけで、遮蔽物も回避出来るほどの幅もない。
まさに一騎打ちの状況――だけど、正直言って本当に一騎打ちしたらこっちが不利。どれぐらい不利かというと、こちらが攻撃するより先に俺が黒焦げ死体になるぐらいに。
「……やっと対等になった。地の利とかその辺諸々な」
「ッ、この――!」
ベルホルトは魔道具からページを強引に引き千切る。それとほぼ同時に俺は全力で距離を詰める――!
「はあッ!」
ベルホルトが雷撃を放つよりも早く斧を投擲する。風を振り払う音と共に横回転で飛翔した斧は弧を描いてベルホルト――に当たることなく金属製の建物の壁に突き刺さり、俺に狙いを定めて飛ばした電撃を代わりに受け流した。
「何!?」
束の間の動作で攻撃を無力化されたことにベルホルトは思わず驚愕の声を漏らす。だがそれだけで驚かれては困る。
俺は上着をなびかせて距離を踏み飛ばし、握り締めた拳を構えたままベルホルトに肉薄しようと――
『……! ユウマ駄目だ! あの男、もう一枚ページを持っている!』
「……そっか」
ポツリと反応してあと五歩も大きく踏み込めば届く位置で足を止める。左足を棒のように足場へ突き立てたが、濡れた金属製の床の上を足が僅かに滑った。だが、ちょうど良い間合いだ。
「今度こそ終わりだ! もうお前に避ける術は無い!」
ベルの言った通り、もう一枚の魔道具のページを隠し持っていたベルホルトが電撃を放とうとする。多分、強引に引き千切った時にベルホルトは二枚纏めて引き千切っていたのだろう。
避雷針に使った斧に電撃を誘導されないように、至近距離まで近づいた俺に確実に当てようとベルホルトは構える。ページは僅かに発光していて、間もなく電撃が襲いかかることがなんとなく察することが出来る。
「――――、ッ!」
乾いた目を瞼で潤わせて、その場から動かずに敵を凝視する。そして煌々と輝く電撃を、俺は右手を伸ばして真っ向から握り受け止めた。
「な、何……!?」
「おっとっと……雷ってよく見ると“流れ”そのものでさ、雷自身は明確な形を持っちゃいないんだ」
「ッ! ――ぐぅッ!?」
俺の右手からベルホルトの手にしていた魔道具のページを紐で繋ぐように伸びた電撃。まるでロープのようなそれを手首の動きだけで跳ね上げさせて、ベルホルトの体に巻き付ける。
電撃は形を持ったためか触れても感電せず、眩しい閃光も発していない。不思議な手触りをした白いロープのようになっていた。
「俺の記憶じゃ雷ってあっという間に流れるもんだと思ってたけど、お前の雷、すっトロいんだよ」
「これがッ……お前の魔法かッ……!」
苦しそうに呻きながらベルホルトは俺を睨みつける。形を持った雷で結ばれた右手も魔道具の本を持った左手も縛られて、ベルホルトはその場から一歩も動けていない。
「……終わりだベルホルト。意地を張るのはもう止めよう」
距離を保ったままベルホルトに降伏を促す。
アイツの腕は完全に封じられているからこれ以上あの電撃を飛ばすことは叶わない筈。ここまで追い詰めたなら、いい加減にベルホルトも――
「……ここまで生き抜くのに何人もの人々が死んだと思っているんだ。いいや、俺すら知らない程の人数が死んでいるんだ」
「……? 何を」
「お前らギルドに、王国に、俺たちが幾ら切り捨てられたと思ってるんだ……今更仲間を、家族を、見捨てて降伏できるかよ」
呪怨の込められたような呟き。俺に対する返事なのに、まるで自分に言い聞かせるようにベルホルトはブツブツと口にする。
目の色は相変わらず諦めていない……それどころか、今までお気楽な顔をして隠していたらしい、強い憎しみを表に出している。
「……なあ。さっき俺に命が惜しくないのか、なんて聞いたよな」
呟きと同時に、力の抜けたベルホルトの左手から魔道具の本が音もなく落ちる。それを目で追ったその時、視界の端でベルホルトが笑うように口をニヤリと開いた。
「ああ、当然だろ。悪魔に命を投げ渡すことだって、これっぽっちも惜しくないのさ――!」
「!? 何をして――」
手から落ちた魔道具をベルホルトは足の甲で蹴り上げ、あろうことかその魔道具の本に大きく口を開けて噛み付き、ページを雑に束で引き裂いた。その直後、魔道具のページから点滅するような閃光が――
『! ユウマ逃げろ! 電撃が来る!』
「ッ、クソ……!」
予想外の出来事に驚いたが、ベルの呼びかけでこのままだと危険だということだけは理解できた。俺は雷のロープを捨てて、手すりを蹴って三階から大きく跳び降りて距離を取る。
距離を取りすぎているかもしれないが、もしかすると自爆覚悟の攻撃かもしれない――と、自分があの立場だったらやりそうな行動のイメージが浮かんでしまった。故に、逃げるように離れる。
「今からお前らをぶっ殺す! こんなクソみてぇな世界、怪物に成り果ててでもぶっ壊してやる――!」
空中で後方を振り返ると爆発寸前の危険物を抱えたベルホルトが、火花に身を焼かれながらも親の仇のような表情で呪いのようにそう叫ぶ姿が見える。しかしその直後、今までの中で最も強い閃光に包まれた。
「――ぐ!?」
魔法で空気のクッションを作ったものの、その後はゴロゴロと転がり倒れる。
地面にべったりと張り付くように倒れている俺の背中の上を爆音と衝撃波が通り過ぎる。
「ッ、ケホ……ベ、ベルホルトは……どうなった……」
『分からない……でも今のは自爆、なのか……?』
「……いや、自爆なんかじゃない……多分もっと最悪な……」
魔法で土煙を払いながら立ち上がる。さっきまでいた場所は真っ黒に焼け焦げ、壁には大穴が開き、熱のせいなのか衝撃波のせいなのか、手すりも歪んでいる気がして……問題のベルホルトの姿はやはり無い。
避雷針として地面に突き刺していた一本目の斧、周辺に落ちていた二本目の斧を拾い上げながら建物の様子を伺うが、不気味なぐらい静かだ。風の音しか聞こえてこない……が、それも不愉快な音でかき消えた。
「……! なんか嫌な音がする」
『ッ、なんだろこの音……耳に響く』
金属と金属が力強く擦れ合う音だろうか。耳を塞ぎたくなるような不快な音に耐えながら、音の発生源であろう建物の中を睨み続ける。少なくとも人陰ではない……巨大な何か、未知の物体……? が建物に開いた大穴から覗き見える。
『ひっ……!?』
「……これが……本当に」
轟音と共に剥がれ落ちる建物の壁の向こう側に見えた“それ”を見て、弱気にもこの状況を絶望的に感じてしまう。
何に使うのか分からない金属製の巨大な部品を節操なく掻き集めて繋ぎ合せたような歪な姿。道中で会った木製の怪物を、更に大きくして金属製にしたようなそんな外見。
……霧の中で青色の光が――偶然か、ベルホルトの瞳と同じ色だ――一点、輝いていた。
「ゴ、ゴガ――██████ァァァアアアア……」
「本当に……ベルホルト、なのか……?」
……流石にゾッとした。さっきまでなら呑気な会話だって出来ていたのに、今では何も喋らず、全く別の“何か”に変わり果てたその姿は、自分以外の生き物を殺すことしか考えていない。何処から発しているか分からない呻き声も、一部は可聴域を通り越してしまっている。
「ァアア――████████████!!」
「ッ! がっ!?」
恐れていた事態を目にして判断が遅れた。
水蒸気を体のパイプから噴き出しながら、その怪物は鉄骨より何倍も太い腕を縦に振って俺ごと地面を叩き割ろうとする――直前でようやく危険に気がついた。
突然の攻撃に驚きながらも直撃を回避するが、衝撃で砕けた地盤に巻き込まれて破片と共に転がる。
「ッ……ペッ、なんつー馬鹿力……」
『大丈夫か!?』
「口ん中ジャリジャリする。いやしかし、本当に困り果てた……」
口の中の砂を吐き捨てながら額を流れる汗と血の混ざった液体を拭い取る。地面の欠片が掠ったのだろうか……? でも止血が必要なほど酷いものじゃないみたいだ。
それよりも、一体どうすれば良いのかが全く分からない……鋼鉄の怪物をどうすれば止める――いや、殺すことが出来るのか。手段が全く考えつかない。
「どうすれば良いんだ……あんな怪物」
『一先ずここは退こう! 考え無しに戦っても消耗するだけだ!』
「駄目だ! 逃げたらあの怪物がシャーリィや騎士兵の方に行くかもしれない――ッ、痛」
容赦なく襲いかかる怪物の薙ぎ払いを後方に跳んで回避する……が、相変わらず飛んでくる破片が馬鹿にならない。急所にでも命中したらそれだけで致命傷になりかねない威力だ。
何時までも受けに回っていたら不利になるだけでは済まない。ほんの小さな油断で死体がもう一つ増えかねない。
『逃げるんじゃなくて、この異世界で隠れるんだ。ここには隠れ場所が山のようにあるからそれを利用しよう』
「建物……確かにあの怪物、俺を殺すことしか考えてないみたいだ。見失っても執念深く探してくるかも……それなら外に出ない、と思う」
『それに遮蔽物の多い建物側なら、さっきから飛んで来るこの破片も遮られるだろう』
「その案、乗った……ッ!」
魔法で足下に空気を集めながら、視界を遮る邪魔な前髪を掻き上げる。
どうやって一度怪物の視界から隠れるか……ベルの提案した通り、この状況を立て直すには城のような鉄の建設物を活用する他ないだろう。
次の一撃が来るより先に足下で圧縮していた空気を拡散させる。先程の攻撃で怪物が砕いた地面の砂埃が舞い上がり、濃霧のように俺の姿を包み隠す。
「――ッ!」
砂埃から跳び出して階段を目掛けて駆け抜ける。確かにあの怪物の一撃一撃は重く、周囲にいるだけでも被害を受ける程のものだが、攻撃そのものはシンプルだ。射程範囲から出てしまえば冷静に考える時間は作れる。
『まだ建物の中には入らない方が良い! 内部で迷ったりしたら追いつかれるぞ!』
「ああ! 屋根や外の通路に跳んで逃げる!」
相手は邪魔なら建物を構わず壊して襲ってくるような怪物だ。中がどうなっているか分からない建物の中に逃げ込んで、うっかり袋小路なんかに追い詰めらりなんてしたら……まあ、呆気なく一巻の終わりだろう。
やることは反ギルド団体での戦いと同じ。敵の攻撃の届かない場所で飛び回り時間を稼ぐ。で、今回はそれに身を隠すことが加わっただけ。それなら俺にだって出来る……!
階段を駆け上がり、最上階で手すりに飛び乗る。ジャンプ台のように手すりに踏み込み、渾身の力で建物の屋根目掛けて飛び立った。
二階相当の建物の屋根に両手と膝を使って着地する。更にもう一階分高い屋根へ、もう一階分高い斜面を駆け上がり、ようやく怪物よりも高い位置を取ることが叶った。
「目標地点としては……あの煙突の向こうに逃げるか……」
『ユウマ、まだ動けるか?』
「疲れてきたけどまだまだなんとか――ッ、と!」
高所に居る俺に目掛けて怪物は攻撃を試みる。まるで血管のように鋼の腕に巻き付いた、金属と黒いゴムのようなもので出来た縄――金属の線をゴムが包み込んでいるような形だ――をムチのように建物へ叩きつけたが、難なく回避してみせる。
そのまま怪物から背を向けて走り出し、また手すりを踏み台にして飛び越えようと手を伸ばそうとして――
「――ッあ!? ぐが――!?」
ドン、と体の中に響く重み。
痛みや苦しみと判断する頭の機能がおかしくなった気がする。体は見えない何かに絞り上げられたみたいにミシミシと独りでに締まり、骨を砕こうとする。普段なら出せない程の力が自分の腕を壊そうとしていた。
(ッ、この手すりに何かが――)
手すりに触れた途端に信じられないほどの衝撃が駆け抜けた。だとすれば、原因は手すりにあると考えて俺は手を離そうとするが、腕がまるで言うことを聞かない。まるで違う何かに乗っ取られているみたいに腕は頑なに手を開かない。
「――ぁ――が、ッ――!」
声が出ない。喉や口も思うように――そもそも思考が真っ白だ――動かせない。理解が出来ない重みに自分の“何処か”が、このままでは死ぬとそんな物騒な予感を感じ取る。
(雷――体――流れ――形を――)
痙攣しながらも肺に空気を詰め込み――瞬間、既に“やるべき事”は終えていた。
余程追い詰められて無意識に転生し、魔法でも使ったのか、手すりにはアーチ状に俺の手の上を跨いで流れる電撃があった。
我ながら信じられないが、器用にも手すりに流れる電撃に形を与えて、俺の腕に流れ込まないように操作したのか……?
「ッ――は、ハァ! ハァ! ッ、ハァ……ゲホッ」
『大丈夫か!? ユウマ! ユウマァ!』
手すりから手を離した拍子に、ふらついて倒れそうな足にガラスを握り締めながら活を入れて耐える。
頭の中は冷静な癖に、体の方は滅茶苦茶な状態だ。せき止められていた冷や汗がドッと全身から流れ、足から肩まで感覚が淡い気がする。視界もチカチカと痛い。
……唐突な出来事に理解が追いつかないが、そんなことは後回しだ。今はとにかく逃げるのが先……!
(あの怪物、電撃を使ってくる……そしてここは金属の建物……ッ、ここにいるのは……マズい……!)
呼吸は騒音のように乱れたままだが少しぐらい体は動く。俺はベルに答える余裕もなく、三階の窓を捨て身の体当たりで突き破って転がり込んだ。
建物の中は危険だと話したばかりだが、それ以上にあの場は危険だ。また何処かから電撃が体に流れ込んでくるかもしれない。
「ハァ……ハァ……逃げないと……一度立て直さないと……」
『パッと見だが……あの怪物はお前を見失ってるように見えた! 今のうちだ!』
感覚が薄れた足は使い物にならない。腹這いになって、魔法で腹の下に空気のクッションを作り、床の上を僅かに浮いて滑るように建物の中を移動する。
……外から聞こえてくる怨念のような怪物の叫び声を気に留めることなく、俺は背中を向けて身を隠した――
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