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1.王女と異世界と転生使い

Remember-34 異世界の真相/少女が背負っていたモノ

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「……なんですって?」
「人がいるんだ……それも、三人いる」
「ちょっと……ユウマ、それ本当なの? まさか、体力が限界なのに無理しているんじゃないわよね!?」
「いやいや、別に疲れて幻覚が見えてる訳じゃ……ないと思う、多分」

 シャーリィの困惑したような声を遠くから聞きながら、俺は何も答えず――いや、何も答えられないまま足を進める。
 さっきの倒れた騎士兵を間近で見たが故に、この環境下で人がいる……それも、二本足で立っていることが信じられない。疲れが溜まりすぎて変な幻覚でも見ているのではないかと目を疑ってしまう。

「おい! 大丈夫か――うッ!?」

 早足で近づくと、その悲惨な状態を見て思わず声を漏らしそうになる。
 肌は乾燥して変色し、まるで松の木のように黒い鱗状になっていた。生気が微塵も感じられず、二本足で立っていなかったら死体だと思ってしまいそうだ。しかし、だらしなく開いた口から漏れ出ている呼吸音が辛うじて生きていることを証明していた。
 ……悩んでいる暇は無い。死に体も同然だが、それでも早く助け出さないと――

「……! ユウマ待った!」
「え――ッ、うわ!?」

 まるで死体みたいに生気が感じられなかったから虚を突かれた。朽ちた木肌のように乾いた腕が風を切るように振われて、俺はベルを胸元で守りながら転がるように後方へ距離を取る。
 一蹴りで体は間合いから跳び退いて、角張った石が転がっている地面に背中から着地して、痛みを感じながらも体勢を整える。

『ユウマ!? 一体何があった!?』
「……こいつら、何をしやがる」

 力を込めて握ればいとも容易くへし折れてしまいそうな腕には、錆び付いたナイフが握られていた。今の一振りで乾いた皮膚が裂けて、黒ずんだ血をドロリと流す様子は見ていてあまり気分の良いものではない。それに今の行動からして、どういう訳かこの男は俺を殺すつもりだったのだろう。
 ……よく見るとこの男だけではなく、残りの男も手に何かしら武器を握って生気の無い目でこちらをギョロリと殺意を込めて睨んでいた。

『な……何だコレ、本当にこの人達は生きているのか……?』

 この現状を見たベルは息を呑んでそう恐る恐る尋ねてくる。
 ……生きているのかと尋ねられても、俺には答えられる気がしない。鮮度を感じられないドス黒い血を流して、乾ききった肌に亀裂を走らせながらギシギシと骨を軋ませて動くその姿は真っ当な人間とはほど遠く、死体が操られていると言われた方が納得できる。

「……て、は……」
「今コイツ、何を……?」

 ぼそぼそとしゃがれた声で呟く男の様子を伺う。腕のヒビから血を流しながら男は手にしたナイフをこちらに向けて、しゃがれた声で続けて吠える。

「貴ァ様ら、が……が、ガががゲゲッ、ヘヘヘ――」

 最後の言葉はもはや不気味な呻き声と化していた。何か怒りの言葉を口にしている様子だが、余りにも聞き取りにくい声のため断片的にしか聞き取れなかった。

『気をつけるんだユウマ、こいつら普通じゃない……!』
「そんなの一目で分かる! それでどうする? 敵ならここは強引にでも突破して――」
「ッ! ユウマ駄目! 絶対に駄目! ……!」
「え――シャ、シャーリィ……?」

 腰に差していた斧を取り出そうと伸ばした腕をどういう訳かシャーリィに止められた。何事かと思って振り返ると、必死の形相でシャーリィは首を横に振っている。

「……すべ、テ……は、ハハはア、ギィ……団長ォ、に……反逆ジャを……ブッこロ、す……!」
「……! 何をして――」
「! ユウマ! そいつらを止めて!」

 死体のような男は祈るように呻くと、何のつもりか手にしていたナイフを自分自身に向けた。残る二人も男に続いて手にしていた刃物を首元へ向ける。
 シャーリィが慌てて止めるよう指示を飛ばすが、とても間に合いそうにない――!

「ハ、ハハ、ハハハハ――ア、ギッ……ィ!」
「ッ……!」

――生身にしては不自然に乾いた音が耳に残った。ベルに状況が見えないように隠しながら、この異常な光景を前に奥歯を噛み締める。

「……下手に抵抗されるよりも嫌なことされた」
『ユウマ……ユウマァ……』
「…………」

 ……ああ、本当に死んじゃったのか。
 そんなサバサバとした受け止め方をした自分とは違って、ベルは震えるような声で俺の名前を呼んでいた。
 こういう時、彼女になんて声をかければ不安を取り払ってあげられるのだろうか。かける言葉が見つからないのも、何か記憶が抜け落ちているせいなのだろうか。

「ッ――ユウマ後ろ! から離れて! 早く!」
「死体? 何か……」

 あったのか。そう尋ねる前に異変に気がついた。
 死体の首元から流れ出ていた血の水溜りは、いつの間にか木の根みたいに枝分かれしていて、少しずつ死体に吸い込まれているように見れる。それだけじゃなく、体も一回り、二回りと膨らんでいて、骨と皮だけだった細長い腕が今では騎士兵の鎧みたいに厚みを持っている。

「死体が……いや、のか……!?」
「いいから! 早くそこを離れなさい!」

 ボコリボコリ、と煮えたシチューのような音を立てて鱗のような皮膚を膨らませる死体から後退りして距離を取る。松の木肌のようだった肌はまるでサナギのように思われた。

 「ァ――ア"ア"ア"ア"ア"ア"ア"ア"ア"……!」

 俺の身長を遥かに上回る程に膨れ上がった死体の皮膚が、背中からピシャリと裂けたその時、絶叫のような産声が響き渡った。
 思わず耳を塞ぎたくなる叫び声と共に死体の背中から出てきたのは、巨木のような形をした“巨人”だった。俺の背丈よりもずっと大きく、剥がれかけの樹皮に覆われた姿はまさしく、怪物としか言いようがない。

「シャーリィ! これは一体」
「…………」
「……シャーリィ?」

 恐る恐る尋ねるが彼女は答えない。目の前に起きた惨劇から目を背けるように、下を俯いていて表情が隠れて見えなかった。
 だが、間も無くして彼女は顔を上げて銀色の髪越しに目の前の怪物を睨みつけた。新緑色をした彼女の瞳には、煮えたぎるような深い怒りを灯していて、その手に握られている短剣は小刻みに震えている。

「どうして……どうしてなのよ……どうしてこんな、こんなことに」
「おい! どうかしたのか!? シャーリィ!?」
「ッ……、うるさい……貴方はそこで待ってなさい」

 彼女が呟き声程度の声量で口にした言葉は、恐ろしいほどに冷え切っていた。
 困惑する俺の言葉を切り捨てて、シャーリィは“転生”し、怪物目掛けて駈け出した。そしてそのまま短剣を片手に、巨人へ真っ向から突撃する。

「シャーリィ! 危ない!」

 それがあまりにも無謀に見えて、思わず悲鳴のようにそう叫ぶ。怪物の巨体がシャーリィの身長も相まって、圧倒的でとても敵わない存在のように思えた。
 巨木のような巨人は丸太と化した腕を大きくしならせて、シャーリィをなぎ払うように振り払う――!

「っ……!」

 巨木の腕が横から殴りつけられる直前。低くかがんでいたシャーリィの姿勢が更に低くなる。足を畳んで膝を地面に擦り、巨人の股下を通り抜けることで怪物の攻撃を回避する。
 それだけではなく、股下を通り抜ける際にシャーリィは短剣で巨人の樹皮を切り裂いた。

「――Kano火炎!」

 返り血を浴びる前に巨人の股下を通り抜け、クルリと前転して難なく立ち上がると、シャーリィは巨人の背中に向けて呪文を口にした。すると巨人に付けられた短剣の傷跡――ルーン文字が燐光を灯し、傷の内側から爆炎を吹き上げた。

「…………チッ」

 その光景を見てシャーリィは小さく舌打ちをした。全身が巨木の様だから火が付けば簡単に燃えるかと思われたが、大して燃え上がらずにあっという間に鎮火してしまった。怪物自体にもダメージは全然入っていないように見える。

 それを見たシャーリィは短剣の刃に左手の親指を滑らせ、指先から滲む血を刀身の側面に塗り付けた。
 親指を咥えてペロリと血を舐めとると、シャーリィはもう一度、転生の解けた状態のまま突撃する。

「ォォオオォオオ――!!」

 全速力で突撃するシャーリィを迎え撃つように、怪物は雄叫び声を響かせながら、巨木の腕をまたしても力任せに振り払う。今度は地面諸共薙ぎ払うように振るわれて、先程のように伏せて回避できそうにない。
 それでもシャーリィは速度を緩めない。このまま生身で怪物の振るう腕にぶつかるつもりなのか……!?

 鞭のようにしなりが効いて最も速度が出ている腕の先端――木の根のような怪物の指が迫る。今更速度を緩めようが直撃は免れない。
 しかし、シャーリィは速度を緩めることなく、そのまま怪物の腕に直撃する直前――転生し、地面を強く踏みしめて速度を完全に殺した。

 突撃してくるシャーリィを迎え撃とうと振るわれた腕が、完全に静止したシャーリィの目の前を通り過ぎる。その隙を突くように、シャーリィは踏みしめた際に砕けた地面を蹴って勢いよく前に跳んだ。

「ッ――はああああッ!!」

 怪物の横腹。そこ目掛けてシャーリィは両手で握った短剣を殴り付けるように突き刺した。木材を削り抉るような音を響かせて、半分ぐらい刺さっていた短剣を捻り込んで更に深く刺す。

「はぁ、はぁ……ッ、Kano燃え爆ぜろ――!」

 短剣が一瞬、火薬に火が着いたような閃光を発した。その直後、怪物の全身のヒビ割れから火炎が噴き出した。
 樹皮の裏に燃え広がった火は怪物の全身を焼き、樹皮を剥がし落としながら粉々に崩していく。

「ォォォオオオオオ――!!」

 仲間がやられたのを見たせいなのか、残る二体の怪物が咆哮を上げながらシャーリィに殺到する。
 シャーリィは大きく白い息を吐き出すと、指の血でもう一度短剣にルーン文字を描く。そして向かってくる怪物の一体の肩に向けて短剣を投擲した。カツン、と音を立てて短剣は怪物に突き刺さる。
 しかし、その程度では止まらず、怪物はシャーリィを殴り飛ばそうと腕を突き出す。

「……Hagal破砕せよ――!」

 雄叫びのように呪文を吐き出しながら、シャーリィはあろうことか怪物の拳に真っ向から握り拳で迎え打った。
 シャーリィが殴りつけた部分から、まるで焼き菓子のようにヒビがあっという間に広がり、怪物の腕を粉々に粉砕して胴体すら真っ二つにしてしまった。

「……やば」
『こ、拳で!?』

 呪文を口にしていたので恐らく魔法を――あらかじめ投擲して刺していた短剣を介して――使ったのだろうが、拳で怪物を殴り殺すそのショッキングな光景を見て思わずそんな声が零れた。
 その間にもシャーリィは快進撃を止めず、崩れた怪物の体に飛び乗って肩に刺さっていた短剣を引き抜くと、怪物の残骸を踏み台にしてもう一体の怪物の首元目掛けて飛びかかる。
 そして肩に着地するとシャーリィは両手で逆手に握り締めた短剣を怪物の首へ突き立てる。

「ガァ――――ッ!!」
「ぐっ、うあああああああ――ッ!!」

 怪物とシャーリィの叫び声。消して小さくない筈の木材が削れる音と金属が軋む音がいとも容易く掻き消される。既にシャーリィは怪物の首を短剣と筋力だけで既に半分も切断していた。
 斬り分けるというよりはバキバキに潰し抉るように、怪物の振り払いに耐えながら短剣を走らせ――遂に、怪物の首を落とした。

「……まじでやば」
『…………』

 ゴロン、と地面に落ちて砕ける怪物の頭を見てそんな声が零れた。と言うか正直引いた。
 転生していたとは言え、短剣と筋力だけで丸太のように太い怪物の首をへし折り飛ばしたのだ。魔法無しに見せたシャーリィの暴れっぷりを前に俺は呆然としていた。

「…………は――、あ……はぁ」
「! シャーリィ!?」

 甲高い金属音――彼女の短剣が落ちた音だ――が響いたかと思うと、シャーリィはその場で膝を付いて座り込んでしまった。一瞬遅れて我に返った俺はシャーリィの元へ駈けだす。

「大丈夫かシャーリィ!?」

 シャーリィが頭から倒れる前に抱きしめるように支える。
 腕の中に収まったシャーリィはとても軽くて、本当にこの場に存在しているのか不安に思えてしまう。息も荒くて額には玉の汗が浮かんでいて肩で大きく息をしている。見るからにフラフラだ。

『あんな滅茶苦茶に動いたんだ。今はシャーリィを連れて一度異世界を出た方が良い』
「ああ、一度外に撤退した方が――」
「ッ……はぁ、はぁ……大丈夫……ちょっと疲れただけ……ッ」

 俺の胸元に手を伸ばしてシャーリィは息を荒げながら告げてくる。息を切らしながらそんなこと言われても素直に頷けそうになかった。一先ず彼女の体調を安定させるのが先だろう。

「……? シャーリィ?」
「ぅ……うぅ……」

 彼女の頬を伝った汗を拭おうと指で受け止めてから気がついた。水滴の元を辿ると瞳の目尻に辿り着いた。思わず尋ねるがシャーリィは首を横に振るばかりで何も言わない。涙が流血のように止めどなく彼女の瞳からこぼれ落ちていく。

『シャーリィ、アレは何だったんだ? この異世界には何があるんだ……?』
「…………」

 ……シャーリィが何に対して涙を流しているのかは分からない。俺は彼女の頬を伝う涙をただ拭い続ける。

「……私たちは転生して異世界の環境に適応するように、只の人間にもこの世界に適応する手段がある」
「適応する手段……?」
「……この異世界で死ねばいい。いえ、遺体が異世界に持ち込まれるだけでいい。それだけで死体は変貌して……さっきの男たちみたいに命も吹き込まれて……タダの怪物に成り下がる」
『異世界で……死ぬ……?』
「私たちの“転生”と対比するように、死んだ生物が異世界で化け物に生まれ変わる……これを“流転”って言うの」

 ポロポロと涙を流し続けるシャーリィは、泣きながらもしっかりと話してくれた。
 ……異世界で死ぬとあんな化け物に変貌してしまう。シャーリィが殺すのを止めた理由も、迷わず騎士兵に撤退を命じた理由も理解できた。ということはあの時戦ったトカゲの怪物も、本来は何らかの生物が死んで変貌した姿だというのだろうか……?

「……まだ覚えている。昔、騎士兵が四人、異世界で死んだ時のことを。顔を合わせたことも覚えてるし、その日の朝に挨拶だってした。そんな人達が怪物に成ったその瞬間を……私はまだ、忘れられない……! “転生使い”の私が、この手でその怪物を殺した瞬間も……ッ!」
「…………分かった、分かるよ。もう良い、良いんだ。今はとにかく安静にしててくれ」

 これ以上この話をさせるのは良くないと悟り、シャーリィを静かになだめた。
 あの時、シャーリィが激情に任せて怪物を倒したのも、きっと彼女にとって耐えがたいことだったからなのだろう。
――人が怪物になる。直接目にしても信じがたい出来事だが“この世界”は普通じゃない。全く別の常識があると考えた方が良いのだろう。

 さっきの騎士兵のことを思い出す。この異世界の中に居るだけで人は力尽きてしまう。それだけではなく、そのまま死んでしまうと怪物になる……?
 ……本能が恐怖を感じ取る。この場にただ滞在することがどこまで危険で恐ろしいことなのかを理解してしまう。

「とにかく、一度異世界から抜け出すからな。流石にこれは出直さないと」
「……待って。別に私は少し休めば良いだけだから。それよりもユウマは先に――」

「――やっぱり、こんなクソッたれた世界の中でも、魔法使いってのは元気だな」

 シャーリィを抱きかかえてでもこの場から離脱しようとしたその時、俺たちに向けて緊張感の無い声が投げかけられた。 

「今のは……!」
「ッ、誰!?」

 洞窟の奥に続く道。その先に相変わらずの表情を浮かべているベルホルトが立っていた。思わず斧を取り出して投擲しようとしたが、“流転”のことを思い出して躊躇った。

「……あいつらは死んだ、か。奥の手も魔法使いには通じなかったか……」
「ッ……仲間を“流転”させるが奥の手だなんて、最っ低ね貴方たちって……!」
「仲間じゃない、家族だ。こっちだって必死なんだよ。今、最っ高に追い詰められているからな」
「お前の家族とやらはみんな降伏した……なのにまだお前は」
「……そいつは良かった。犬死にするよりずっと良い」

 仲間が降伏したと聞いてもなお、ベルホルトは頷くと踵を返して奥に歩いて行く。あの男はまだ諦めていない。自棄になっているのか、どう考えても終わったこの状況でまだ戦うつもりでいる。
 足を進める途中、足を止めて俺に目を向けるとベルホルトは俺を手招く。

「ユウマとやら、ついてきな。ケリをつけようや? そこのお嬢さんは動けないんだろ? 巻き込まない場所に行こうぜ」
「……分かったよ」
『ゆ、ユウマ!?』
「ユウマ、貴方どうする気なの」

 俺の返事を聞いてベルホルトは止めていた足を洞窟異世界の奧に進め、霧の中へと消えていった。

「……シャーリィ。お前のことを信じる。少し休めば本当に大丈夫だって言ったことを信じる。だからさ、俺のことも信じてくれ」
『ユウマ何を言ってるんだ!? まさか追いかける気じゃ――』
「そのまさかなんでしょ。ふぅ……分かったわよ。貴方のこと、信じて任せるわ」
『し、シャーリィ!?』

 安全策を第一にするベルからすれば考えられないだろうが、こっちだって考え無しに追いかけようとしている訳じゃない。

「ベル。言いたい事は分かるが、今はアイツが流転して怪物になるのを防ぐのが先だ。もしもアイツが怪物になったら、その時は俺と体力の残っていないシャーリィと……騎士兵達で迎え撃つことになる」

 そうなればどれ程の犠牲が出るのか。複数を相手にしたとはいえども、流転した怪物はシャーリィでさえバテる程の相手だ。最悪の場合、俺と騎士兵が束になっても負ける可能性があるのだ。
 ……それに、これ以上人間が怪物に成る光景をシャーリィに見せたくなかった。

『……もしも、追いかけた先でベルホルトがさっきの男たちみたいに自害したら……? そうなったらユウマはあんな怪物に襲われるわけで――』
「……だから約束だ。その時もなんとかしてみせる。シャーリィ、まだ瓶って余ってるか?」
「ええ、まだ三本ぐらいあったかな……」

 座り込んだままシャーリィは鞄の中から瓶を三本取りだす。三本……まあ、多分大丈夫。武器庫の爆破に全部使わなくて良かった。

「今回も別に真っ向からぶつかり合う必要はない。ここは異世界だけど、あの時とは違って洞窟の中だ。天井ぶっ壊して埋めれば化け物だって流石にひとたまりも無いだろ。まあ、俺たちも危険だから奥の手ってところだけど」
『…………』
「……不安か? ベル」
『不安だよ。だけど……うん、信じる。不安だけど、本当の本当に不安だけど、私だってユウマのことは信じてるから』
「そっか。ありがとな、ベル」

 自分がガラスの中で何も出来ないからではなく、俺のことを信じて肯定してくれたことに感謝の念しか込み上がってこない。
 シャーリィから受け取った瓶をポケットに詰め込んで、ベルのガラスも別のポケットに入れる。

「っと、そうだ。今のうちやっておくか……高級品があーだこーだ言ってたけど、俺には知ったことじゃない」
『うわっ、な、何をするんだ!?』
「うわー、ユウマってば大胆。あと大雑把」
「お前が言うなし」
『あ、ああ。覗き穴……』

 シャーリィに対し口を尖らせて反論しながら、以前レイラさんに貰ったカミソリでポケットに穴を開ける。固い布で刃を通すのに苦労したが、一度突き刺さればその後は少し楽に裁つことが出来た。

「……よし、少しほつれたけどこれで見えるか?」
『うん、正直突然カミソリ突き刺した時はびっくりしたけど、ポケットの中でもよく見えるよ』
「良かった良かった。つか、もっと早くこうすれば良かったかも」

 ポケットに開けた横一文字に伸びた穴から、ベルがひょっこりと顔を覗かせる。これでわざわざポケットの中からガラスを取り出さなくても周りが見えるだろう。彼女の助言は何かと助けになるので心強い。

「じゃあ追いかけてくる。シャーリィ、無理しない程度に休息をとるなり避難してくれ。最悪、洞窟の天井砕いて埋めるから、ここにいると危ないかもしれない」
「……うん。アンタも無理しないでね」
「ああ。あの野郎、簀巻きにして引っ張り出してくる」

 シャーリィは大丈夫って言ったんだ。心配は要らない。俺はシャーリィとあっさり別れてベルホルトの逃げた先へ慎重に足を進めた。



 ■□■□■



『体調は大丈夫か? 異世界は体力の消耗が激しいらしいから気をつけてな』
「……ああ」

 漏れ出た白い吐息が頬を通り過ぎる。相変わらずこの世界は静かなものだから、ベルの声が心地よくも騒がしく聞こえる。
 ……体調は依然として問題ない。引き返すことを視野に入れても問題なく活動できると思える。

「……むしろ、だな」
『ん? 何か言ったか?』

 独り言に反応したベルに首を振って何でもないと伝える。
 体調は問題ない。気になっているのは、むしろ体調が良い。いや、体調そのものは何も変わらないが動きやすい環境……と言えば良いのだろうか? 何も無い空間だからこそ、体にのしかかる重石のような感覚が無いと言えば良いのやら――

「――とにかく、体調云々は心配しなくて良いから」

 ベルに優しく声をかけながらも、今の俺の表情はきっと固く険しいものだと思う。シャーリィが言うには異世界は体力の消耗が激しい環境とのこと。それが普通だというのなら、そんな環境でむしろ体調が優れている俺は、普通じゃないのでは――

「……え」
『どうしたユウマ』
「この先、広い場所に続いてる……それもさっきの場所なんかよりもずっと広い」

 霧がかかっているせいでハッキリと見ることは叶わないが、先に進めば分かるだろう。俺は更に先に足を進め、霧の中を突き進み――

「――――」

 少し歩いたところで、改めてここが異常な空間なのだと理解した。
 霧のせいで岩壁が見えないこともあって、洞窟の中だというのにまるで外のようだった。上の方にも霧がかかっており、以前異世界で見たような黒い太陽のような影が見える。

 それになにより、以前のような民家が一軒だけ建っている更地ではなく、形作られた金属がまるで建物のように組み立てられた、金属の城が目の前には広がっていた。
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